小野原くん、VRゲームをする・その2
「シオンくん、いよいよ明日だね!」
「……なにが?」
あ、今日テンション高い。
笹岡に声をかけられるなり、シオンはげんなりとそう思った。
いつも高いが、よりいっそう高い。ワーウルフってどうしてこんなにテンション高いんだろう……。
さすが祭りの日に一番見かける種族ナンバーワン。スポーツ観戦が好きな種族ナンバーワン。応援している野球チームが優勝したら、次の瞬間川に飛び込んでいるのは全部ワーウルフ、と言われるだけはある。
「バッチリ、シオンくんのぶんもゲットしてくるからね!」
ビシッと親指を立て、笹岡がウインクをする。
「だから、なにが?」
「ちなみに笹岡さんは、今晩から徹夜で行列に並びたいから、予約はしませんでした!」
まったく本題に入ってくれない。わざとやっているのだ。もう話すのはやめよう。そう思ったシオンは手許の本に目線を落とす。
「なーに無視してんだよ? オウオウ、おにーさんが話ししてんのによォ」
オウオウオウ、と何度も繰り返しながら、毛むくじゃらの腕をシオンの肩に回わす。もふっ、と体毛に埋もれた顔を、シオンはしかめた。
「なんか……くっさ……なんだこれ……?」
汗臭いとか、犬臭いとかではない。不自然な人工香料の匂いに、鼻がムズムズとする。
「臭いとは失礼な子だなー。コロンだべ。どう? 新しいやつ。オレいま、スパイシー系にハマってんのよ」
「どうでもいい……それより、これマジで臭いぞ……おえっ」
彼のほうがシオンより鼻は良いはずなのに、よく耐えられるなと不思議に思いつつ、シオンは手のひらで鼻と口を押さえた。
「うげえ……変な臭い……」
「まったく子供だなー、シオンくんは。これが匂い立つ男の魅力だろーがよ。だからお前はミルク臭いって言われてるんだよ」
「別に言われてないけど……」
「赤ちゃんのときからお気に入りの毛布のはしっこしゃぶって今も寝てるクチだろ?」
「そんなわけないだろ。なに言ってんだ……」
「オレのイトコが高校までそうだったのよ。大体よー、お前さっきから何読んでんの? マンガ? お前マンガとか読むっけ?」
と、シオンが手にしている本を覗き込む。
「読むよ。最近読めるようになった」
待ち時間の暇潰しにと、センターの一階の本屋で買った本だ。
「最近読めるようになったって……さらっと爆弾発言すんなよ。マンガでしょ? マンガ読めなかったの? ほんと毎回言うけど、どこの未開の森からやってきたの?」
「オレは森出身じゃない。マンガってどこから読んでいいかよく分かんなかったんだ。横に読んでいくのかと思ったらそうじゃないときあるだろ。それが難しくて」
すると笹岡は、今までに見たことが無いくらいの真顔になった。
「シオンくんってさぁ、すっげーバカじゃん。知ってたけど」
「なんだよ……たしかに、成績は悪かったけどさ」
少し傷つきつつ、シオンは顔を上げた。ふう、と笹岡がこれ見よがしなため息をつく。
「いや、学校の勉強がとかそういう問題じゃないよね。あのさ、シオンくんに対しては笹岡の兄さんも常々思ってたことだけど、我々ストイックな冒険者にだって娯楽は大切よ? 余暇に息抜きしてリフレッシュして、また黙々と探索に戻る。そういうスイッチの切り替えこそが、高いモチベーションを維持するコツなのよ」
「はあ……」
笹岡は仕事の前日だろうと飲み歩き、酔って電話してくるし、黙々と探索しているようにも思えない。彼がストイックになるスイッチがあるのならぜひ押したいものだと、仕事仲間の鷲尾がここにいたら言うだろう。
「特殊な分泌物とか脳から出てるんじゃねーの? 楽しいことを楽しいと思えないみたいな。それかそういう呪いが生まれつきかかってるとか」
「別に、楽しいことが無いわけじゃないけど……」
「まー、そんなシオンくんがマンガ読めるようになったんなら進歩かね? よっしゃ、今度持ってきてやるぜ。ちょっと古いけど、やっぱ『ダンジョン忍者伝・SASUKE』だな。タイトルに忍者ってあるのに、途中で忍者じゃなくなるのとか最高。それともワーキャットものがいい? 少女マンガだけど『ネコカレ』とか、オレけっこう好きよ」
「読まない」
シオンは即答した。
「別にマンガが読みたいわけじゃない。これは内容に興味があったんだよ。オレは字が多いのもあんまり読んだことないからさ、マンガならまだ簡単に読めるかなって」
「ふーん? どれどれ。お兄さんに見せてみ?」
「仕事の参考になると思って」
シオンが表紙を見せると、それを見るなり笹岡がブッと吹き出した。
「ギャハハハハ! なんじゃそりゃ!」
「な……何がおかしいんだよ!」
「マ……『マンガで分かる・パーティーリーダーの仕事』って!」
「べ、別にいいじゃないか! 何が悪いんだよ!」
「は、腹痛てえ! ヒーヒッヒッヒ!」
「大声出すな!」
「ム、ムリッ……! これっ、わ、笑うなって言うほうが、ムリッ……!」
腹を抱えて押し殺しきれない笑いを漏らす笹岡に、シオンは尻尾を立てて怒鳴った。
「騒いだら怒られるだろ! 騒ぐならオレは帰る!」
「ヒー……お、怒んなって!」
「アンタはいっつもそうだ! すぐ人のことバカにしやがって!」
「まあまあまあまあ、せっかくここまで順番待ったんだから、仲良く待とうぜー。あ、皆さん、うちの子が騒いですみませーん」
と笹岡は立ち上がってシオンの肩をがっしり掴む。
「騒いでんのはアンタで、オレじゃないだろ!」
「はいはい、全面的に笹岡さんが悪いよー。今から反省しまーす。はい、反省したよー」
「ふざけんな! 早過ぎるだろ!」
「ヘイヘイ、そうカリカリすんなよリーダー、気持ち切り替えていこーぜ」
ブッ、と周囲の冒険者まで吹き出し、シオンは顔を真っ赤にした。
「うるさい!」
「あっ、リーダー! 前方にゴブリン発見しました、指示頼んます!」
「黙れ!」
周囲から爆笑が巻き起こり、シオンは持っていた本を笹岡に投げつけた。
「もう話しかけんな!」
「……キュウン……」
「わざと犬みたいな声出すな!」
捨てられた犬のような目で、じっとシオンを見てくる。いや、狼だが。
「あ、そうそう! そんな話してるんじゃなかったぜ! 明日だよ、明日! リーダー!」
「はぁ!?」
人が本気で怒っているのに、そんなことはどうでもいいとばかりに急に話を変えてくる笹岡に、シオンは愕然とした。なんて生き物だ、ワーウルフ……!
「オレ、今晩から並んで買ってくるからよー! シオンくんのぶんもな!」
「な……なにが?」
「明日発売の『エアリアル・ワールド・オンラインⅡ』だよ! いま、CMバンバンやってるだろ!」
「オレ……テレビ観ないから」
笹岡のテンションに若干引きつつ、シオンは答えた。
「なんでよ!? あげたでしょ!」
「ニュースは時々観てるぞ。ありがとう。天気予報が見やすい」
「もっと使って! お願い!」
「あ、ゲーム面白かったぞ。ゾンビ」
シオンもシオンで、話題が変わるとあっさり怒りを忘れてしまった。
ワーキャット――彼らは、怒りをすぐに忘れる種族ナンバーワンである。
「あーもー、ゾンビはいいのゾンビは。古い古い。時代はエアルドよ。シオンくんのお友達でやる人いたら、一緒に買っとくけど?」
「いや、知らない。オレもやらないからいいよ」
「やだやだ、やろーよー!」
断ると、笹岡はジタバタと地団駄を踏んだ。キキと同じレベルのことをわざとやるから腹が立つ。
「あっ、そうだ、浅羽ちゃん誘おう、浅羽ちゃんとやりたい!」
「はぁ? なに言ってんだ……」
「浅羽ちゃんって、ゲームする子?」
「ゲーム機は持ってないって言ってたぞ。でも、ゾンビのゲームは一緒にやった」
「あ、じゃあ彼女のほうがシオンくんより上手いわ。ぜんぜん上手い」
「なんでそう言いきれるんだよ」
ムッとしてシオンは言った。人生初めてプレイしたゲーム、『ゾンビー・バスターズ2』は、それなりにハマって、それなりに時間を使って遊んだゲームだ。そこまで下手では無い……はずだ。
「オレだって一人で出来たぞ」
「あんな爆笑必至の初プレイかましといて、どっから出てくんのよ、その自信は。そーいやお前あれ、クリアした?」
「う……したと言えばしたけど……」
「お、スゲーじゃん。一人で最後までやれたの?」
「……それは……」
途中までは普通にプレイ出来たが、行き詰って何度も紅子に相談した。自力とは言えない。
「どうせ出来てないんでしょ? クリアしたのは、シオンくん一人の力でじゃないよね?」
シオンの実力を見透かしたように、笹岡が指摘する。
実は、中盤から初心者のシオンが知る由もない裏技を多用せずにはクリア出来ない部分が増える、攻略本か攻略サイトが無いとほぼ攻略不可能となる、いわゆるクソゲー評価をされているソフトである。
そんなこととは露知らず、シオンは正直に耳を下げながら答えた。
「うん……途中から手伝ってもらった。けど、でもクリアはしたぞ」
「へー。手伝ってもらったって、誰に?」
「……浅羽に」
「ホーラ、やっぱり浅羽ちゃんのほうがゲーム出来るじゃん!」
「うん……まあ……オレよりは……巧かったかも」
学校にアルバイトにと何かと忙しい紅子だが、平日でも学校が終わってから会うときがある。だから、シオンの家で仕事の話をして、余った時間で一緒にゲームをクリアしたのだ。
「でもあの、誰かと協力してゲームを進めるのは、面白いな」
「おっ、協力プレイの魅力にハマっちゃったかー。なら、ゾンバスよりエアルドオンラインっしょ。協力プレイと言ったらオンラインRPGだろ」
「おん……あーる……何?」
「みんなで冒険するゲーム」
ざっくりとした説明に、シオンは納得した。
「へえ。面白そうだな」
「だろー! よっしゃ、じゃあシオンくんのぶんも買ってきてやるからな!」
「うん。ありがとう。そのゲームって、いくらくらいするんだ?」
と財布を出そうとしたのを、笹岡がすっと手で制する。ほのかにムスクの匂いが漂って、シオンは鼻をつまんだ。
「いいんだよ、シオンくん。お兄ちゃんの奢りだ。そのくらいは……な?」
ぽん、と笹岡がシオンの肩を叩き、ニヒルな笑みを浮かべる。
「いいのか?」
「オウ、いーぜ、いーぜ! 他にもやりたい友達が居たら言えよ! ソフトぐらい笹岡さんが買っちゃる買っちゃる!」
今度は両手の親指を立てる。
ワーウルフ――ぱーっと金を遣うのが好きな種族ナンバーワンである。
「笹岡さんは大勢で遊ぶのが好きだからさー」
大人数でわいわい遊ぶのが好きな種族ナンバーワンでもあった。
「じゃー、やっぱり浅羽ちゃん誘おう。決っまりー!」
「決まってない!」
「わぁ、これ、貰っちゃっていいの?」
「うん……いいんだってさ」
シオンが頷くと、驚いていた紅子の顔が、笑顔に変わる。
「エアルドオンラインⅡって、すっごくCMやってるよね。こういうゲームって一度やってみたかったんだ!」
紅子はシオンから手渡されたゲームソフトを手にしている。
「でも、浅羽のうちには、ゲームする機械が無いよな?」
「あ、バーチャルダイバーなら、実は持ってるんだ。というか、透哉お兄ちゃんが、会社の人から中古で買ってくれたの」
「え、そうなのか」
「うんっ! 小野原くんが最近ゲーム始めたって言ったら、それなら会社にゲーム大好きな同僚がいて、その人から中古のハード買ってあげるよって。ゲームマニアで、新しいの出るたびに買い換えてて、古いのを安く譲ってくれるんだって。それで、甘えちゃった」
「へー、そうなんだ。優しいんだな、透哉さん」
「その同僚さん、ゲームにお金つぎ込んでるから、いつもお金無いんだって。だから買ってやれば助かるだろって。頼みごととか気軽に聞いちゃう人だから。けど、私は得しちゃった」
えへ、と紅子がゲームソフトを手に微笑む。
「ええと、笹岡さん? だよね。お礼言いたいな」
「ああ、あの人、今日は仕事が入ったんだ。徹夜でゲーム買いに並んだ後で、これだけオレに渡しに来て」
「えっ、徹夜の後で仕事? 大丈夫なのかな。冒険者の仕事でしょ?」
「助っ人だって。友達多いみたいだから、急に仕事の代わり頼まれたりするって言ってたな。大丈夫じゃないか。あの人元気だし」
「へえ、小野原くんがそう言うんだから、笹岡さんってすごく強いんだね」
「そうだな。色んな意味で」
最初に出会ったとき以来、笹岡に誘ってもらって、何度か一緒に仕事をしたことがある。彼は顔が広く、割りの良い仕事を取ってくるのが得意だという。
「どこに行っても、誰とも仲良くなるんだ。だから、仕事がすごくやりやすい」
ダンジョンの周辺施設で働く地元民とその場ですぐ仲良くなり、準備やら連絡やら簡単にホイホイと頼みごとをしてしまう。討伐したモンスターの死体の搬出まで手伝ってもらい、食事もご馳走してもらった。
真面目な家庭持ちリザードマン・鷲尾がどうしていい加減そうな笹岡と組んだのか、最初は理解出来なかったが、改めて一緒に仕事をして分かった。
彼の冒険者としての大きな武器は、戦闘力の高さでは無い。
というか、戦闘に関しては雑なところが多い。ワーウルフなのでもちろん弱くはないが、武器に使っている長剣も「なんかカッケーから」という理由で持っているが、「練習したことない」らしい。「笹岡さんは、いざとなったら噛んじゃったほうが強いのよ」とヘラヘラ笑って平然と言い、剣技を磨く気は今後も無さそうだ。
だが、彼の長所はそんなふざけた部分を補って余りある。
どんな状況でも動じず、常に明るく緊張感を取り去ってしまうムードメーカーで、恐ろしく高いコミュニケーション能力で、地元の人や通りすがりの冒険者とあっさり協力体制を作ってしまう。
鷲尾いわく「多少のバカに目を瞑れば、コイツはむちゃくちゃ使える」というが、まさにその通りだ。ただ強いだけでいいなら、それこそ鷲尾も同じリザードマンと組むはずだ。
種族的全体の特徴として人懐こいと言われるワーウルフの中でも、底抜けに明るく、まったく人見知りをしない。他者の懐に入るのが巧く、顔も広い。その適応力の高さに加え、ほとんど寝ずに動き回れる体力もある。
「ああいう人が、ほんとは冒険者に向いてるんだろうけど……」
シオンの言葉に、紅子がへえと声を上げた。
「すごい人なんだね」
「そうだな。そうだと思うんだけどな……」
ふう、とシオンは深く、深くため息をついた。
午後八時。
シオンは携帯電話で時刻をたしかめ、押入れからゲーム機を出してきて、テレビに繋いだ。
事前に笹岡が友人だという業者とやって来て、ゲームをする準備だと、言われるがまま書類を書かされ、「インターネット、契約したから!」と告げて、去って行った。
とにかく、これでオンなんとかゲームが出来るらしい。
「……そろそろ始めるか」
誰も居なくても思わず一人で喋ってしまうのは、ソロ冒険者時代に身についた癖である。一人で黙々とダンジョンに潜っていると、気が狂いそうになるときがある。そんなときは、いちいち思ったことを口に出したりして正気を保っていた。
真新しいゲームのパッケージを開け、ディスクを取り出す。その前に、説明書に一応目を通すが、さっぱり分からない。
「まずはやってみろ!」と笹岡も言っていたので、ソフトをゲーム機本体にセットした。
「《エアリアル・ワールド・オンラインⅡ》か……」
パッケージを眺める。広大な草原と青い空を背景に、様々な種族の姿が描かれたイラスト。上空に舞い上がるドラゴンに、それより遥か高い場所に浮かぶ、空飛ぶ遺跡。鎧に身を包んだ人間、武器を手にした屈強なリザードマン、ローブをまとい杖を手にしたワーラビット、どうしてワーキャットは忍者装束なのか、それだけがいまいちピンとこないが、冒険者たちの顔は生き生きとして楽しそうだ。こんな世界を旅できたら楽しいだろうな、とたしかに思う。そんな奥行きのある美しいイラストが、シオンは気に入った。
「でも、また2か……。1はやらなくていいのかな……」
疑問を口にしながら、シオンは手にコードの付いたグローブをはめ、足にもコードを取り付ける。小さな筋肉の動きに反応し、ゲーム内のキャラクターを動かしてくれる。
本格的なプレイを楽しみたいなら、もっと感度の良いスーツや靴が別売りされ、専用のプレイボードの上で、実際に歩いたり跳ねたり出来るらしい。ちなみに笹岡は持っているらしいが、シオンのアパートで使うのは絶対に無理だし、一応笹岡にその一式の値段を聞いてみたら、想像していた値段とケタが一つ違っていた。
しかしそれだけの金額を払ってでも、ゲームを楽しみたい人間は多いらしい。
最後に、ヘッドセットを装着して、準備完了だ。
「チュートリアルとキャラメイクがあるから、一時間前には始めてたほうがいいぜ! あ、シオンくんならチュートリアルのクリアに一時間かかるから、二時間前がいいよ!」という笹岡からの謎の指令通り、集合の二時間前に、シオンはゲームを開始した。
ヘッドギアに装着された小型ディスプレイに、まるで目の前に本当に広がっているかのような仮想空間が映る。同じものがテレビ画面にも映っているはずだが、もちろんシオンには見えない。
頭上をドラゴンやグリフィン、ハーピーの群れが飛び交う。爽やかなBGMと共に流れるオープニングムービーを、つい二回鑑賞してしまった。
これだけで満足しそうになっていたが、二時間後には笹岡と紅子とゲーム内で待ち合わせをしている。それまでに、「チュートリアル」「キャラメイク」というものを終わらせなければならない。
ムービーの最後に、かつての荘厳さの面影を残した古城がそびえたち、タイトルロゴが浮かんで消えると、シオンは巨大な城門の前に立っていた。二回目のムービー鑑賞の後、それがパッケージの空に浮かんでいた遺跡だと気づく。そのまま身動きしないでいると、またオープニングが最初から始まってしまう。慌てて足裏の筋肉を軽く動かし、城の中に入った。
「椅子に座ったほうがプレイしやすいよ」と紅子は言っていたが、特に不便は感じない。多少の便利不便利を感じるほどのゲームスキルが、そもそもシオンにはなかった。
自分の視点なので、自身の姿は見えないが、頭を動かして自分の服装を見下ろすことは出来る。粗末な布の服を着ているのは分かるが、手足のイメージはぼんやりとしていた。
開かれた城門の奥に、また大きな扉があった。入ろうとして、手を動かして扉を押してみたが、ビクともしない。というか、どう考えても一人で動かせる門の造りでは無い。
困っていると、目の前に『!』マークが現れ、知らない声が響いた。
『! お城の中に入ってみましょう』
「入りたいんだよ」
機械的な声に、シオンはつい真面目に答えてしまった。
「このゲーム……不良品か?」
扉の前で困り果てていると、いきなりジャン! と効果音が響き、シオンは現実の耳を尻尾を思いきり立てて驚いた。
『! なにかいるようです! 気をつけてください!』
「えっ、なにかって、敵か!?」
ゾンビゲームでもそうだったが、現実で幾ら耳を澄ませても、敵の気配など感じ取れるはずも無い。が、ゲーム初心者のシオンは、なすすべなくゾンビに喰われ死んだときのように、ただあたふたとしてしまう。
慌てて手足を動かすので、ゲーム内の薄着のキャラクターがおかしな足踏みをしている。
『! ドラゴンです!』
「ウソだろ!?」
ドラゴンというと、大きくて、鈍重で、世界にいくらも生息していない超稀少種で、立ち入り禁止の保護区にあるダンジョンや遺跡の奥で、巨体を横たえてぐうぐう寝ているモンスターだ。
……と思っているシオンは、普通に大きな古城の中に、ドラゴンがいるのだと思った。これがファンタジーゲームであるということを忘れて。
『! ドラゴンには敵いません! 逃げましょう!」
「そ、そうだな!」
鈍重で寝てばかりでも、数十メートル級の巨大種が寝返りをうっただけで、こんな古城の壁は崩れ、下敷きになって死ぬ。
そう思って慌てて城から離れようとすると、城門を抜けたところで、空から鮮やかに急降下してきた赤燐のスマートなドラゴンに、炎のブレスを吐かれ、死んだ。
「えっ、上から!? 飛ぶのか!? えっ……えっ!? なんで!? あの体で飛べるのか!? なんで!?」
なんでもクソもゲームだから、と笹岡がこの場にいれば突っ込んだだろう。
開始五分で、ゲームオーバーの文字を眺める羽目になったシオンは、またオープニングムービーからやり直した。
古城の門をくぐり、正面の開かない扉の前でしばらく佇み、このゲームは不良品なのだろうか、メーカーに問い合わせたほうがいいのだろうかと思案しているうちにドラゴンが奇襲をしてくるので(それにしてもゲームのドラゴンは格好いい。あの巨体でどうやって飛ぶのかは謎だが)、逃げようとして焼き殺されるというプレイを何度も繰り返した。
十三回めのプレイ中、城の周囲が探索出来ることに気づいた。が、途中で見つけた言葉を喋る親切なゴブリンを、最初は普通に敵だと思って蹴飛ばしてしまい、直後に現れたドラゴンに自分まで蹴飛ばされて死んだ。
そのゴブリンが悪いモンスターではなく、ヒントをくれるゲーム側が用意したNPCであると気づくまで、また数回のプレイを余儀無くされてしまった。
ゴブリンから城に入る鍵を探すように言われ、何度も蹴飛ばしてしまった罪悪感にかられつつ、鍵を探すと、重要アイテムらしきそれを、裏庭の池の底で見つけることが出来た。
どうやら間違った行動を取ったり、一定時間が経つと必ずドラゴンが襲ってきて、なすすべも無く焼かれたり蹴られたり踏まれたり喰われたりするようだ。
慎重に行動するうちに、ゲームの世界観にシオンはすっかり慣れていた。
「よく出来てるなぁ」
ドラゴンに殺されはするが、何度も死にながら少しずつ進むうち、ぎこちない動きもなめらかになってきた。周囲を見る余裕が出来てくると、とにかく景色が美しいことに気づく。それに、こんな洋風の古城ダンジョンなど日本には存在しない。
殺伐とした商店街でひたすらゾンビと殺し合うより、現実では行けないようなダンジョンを歩き回れるのは楽しい。とても面白いと思っていたゾンビのゲームよりも遥かに面白いゲームに、シオンは感動していた。
いきなり現れるドラゴンに惨殺されながら、ようやく城の裏手に小さな隠し扉を見つけた。
その扉の中から、とうとう城内の小部屋に入ることが出来た。しばらく警戒していたが、どうやらここまではドラゴンもやって来ないらしい。
小さなテーブルの上に、オレンジ色の炎が灯ったランプが置いてある。城外は荒れ果て、中にも人の気配は無いのに、この小部屋は妙に整っている。椅子、それから簡素な鎧や衣服、剣や盾や杖など、様々な装備品が立てかけられていた。
「誰かいるのか?」
喋るゴブリンもいたし、ここには人が住んでいるのだろう。そう思ってシオンは声をかけたが、この部屋の小奇麗さはただのゲーム内の仕様である。当然返事など無い。
その代わりに、また『!』マークと声が響いた。
『! 城内に入れましたね! これでチュートリアルは終了です。お疲れ様でした』
「ああ、お疲れ。アンタの部屋だったのか」
なんだかよく分からないが、シオンもほっとして、ゲームのヘルプ音声に返事をした。姿は見えないが、ここまで導いてくれた声の主に感謝する。
『! オートセーブに入ります。電源を消さないでください。……セーブが完了しました』
淡々と語る声が、次の指示を促した。
『! ここには装備品があるようですね。キャラクターメイキングをして、装備を選びましょう。それでは、あなたのキャラクターを作成します』
「キャラクター? ああ、これがキャラメイクってやつか。分かった」
シオンが頷くと、返事の代わりに画面がぱっと切り替わる。目の前に、見知らぬ人間の姿が現れて驚いた。ぼろきれで作ったような衣服を身につけた、裸足の男だ。
「誰だ!」
ゲームクリエイターが見たら喜ぶだろう素直なリアクションを取りつつ、シオンは突然現れた男に身構えた。が、男は虚ろな目つきでじっと立っている。
近づいてみようと足を踏み出すと、男も足を踏み出した。シオンが腕を上げると、やはり腕を上げる。
「鏡みたいだな……ん? これ、もしかして、オレなのか?」
それに答えるように、ヒントの声が響いた。
『! 目の前にいるのはあなた自身です。それでは、キャラクターを作成しましょう。操作パネルを呼び出してください』
目の前の男が、左手の親指と人差し指をくっつけ、ぱっと離してみせる。すると、手許に青く光るパネルが現れた。
「これは、ゾンビと一緒だな」
シオン基準でかなりやり込んだゲーム《ゾンビー・バスターズ2》でもあった操作なので、すんなりと操作パネルを呼び出す。
『! あなたの名前を入力してください』
「名前? ゾンビではそんなの無かったな……」
何の疑いも無く、『小野原シオン』と本名を思いきりフルネームで入れた後、しばらく考えて、打ち直した。
「うーん。ちゃんと漢字のほうがいいかな……」
と、『小野原紫苑』と入れ直す。冒険者登録は読みが合っていればカタカナ表記でも良いと言われたが、このゲームでも大丈夫かは分からない。――実際は、個人情報を堂々と晒すほうが大丈夫ではないかもしれないのだが。
『! 種族を選んでください』
「種族まであるのか」
人間、ワーウルフ、ワーキャット、ワーラビット、リザードマン、アルマス……パネルを切り替えていくと、目の前の自分の姿もその種族に変わっていく。
「キャラメイクって、ゲームの中で動かす自分を作ることなのか」
いまさら気づいて、シオンは納得した。
選べる種族は、人間、犬亜人、猫亜人、兎亜人、猿亜人、羊亜人、鳥亜人、蜥蜴亜人、豚亜人、牛亜人、馬亜人……そして人間に戻る。
「オレはワーキャットだから、たしか最初のほうにあったな」
と言ってから、気づいた。亜人十二族のうち、魚亜人と蛇亜人がいないではないか。彼らはゲームプレイするとき、どうするのだろう。
「……やっぱり、不良品かな?」
それは単に、彼らの陸上の動きを再現しにくい為というゲーム側の事情だが、シオンは首を傾げた後、はっとした。
「……もしかして、別の種族を選んでもいいのか?」
尋ねてみたが、いつも助けてくれる声は返事をしてくれない。
いや、そうに違いない。でなければ、マーマンとナーガはゲームが出来ない。単に、自分のソフトだけが不良品なのかもしれないが。
きっと、自分の好きな容姿を作っていいのだ。
「そうか。それなら……」
とシオンはあっさりワーキャットをすっ飛ばし、キャラメイクを続けた。
そして、小一時間後。
「よし、出来たぞ! オレが!」
目の前に、自分の分身とも言えるキャラクター、その名も〈小野原紫苑〉が立っている。装備もしっかり身に着けた分身を眺め、その出来栄えに満足した。
「これで決定だ。……ちょっと時間がかかったな。そろそろ約束の時間だ。急がないと」
こうして笹岡の予言通り、チュートリアルに一時間、キャラメイクに一時間たっぷりかけて、シオンは無事にオンラインRPGデビューを果たしたのだった。