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小野原くん、VRゲームをする・その1

 いつもの新宿冒険者センターの、いつもの週明け。

 月曜日の混雑は、他の曜日の比では無い。

 休日明けで、新しい仕事も更新される。


 年齢も性別も種族も多種多様な冒険者には、変わり者や気の短い者が多い。

 番号札を取っているにも関わらず、順番はまだかと喚いたり、大勢でやって来て仲間たちとはしゃいだり、馬鹿笑いをしたりと、周囲の反感を買っている。

 そんな中、シオンはいつも通り、番号札を取り、黙って壁際のほうで待った。


「そういえば、お前んちって、テレビねーよな」

「うん」

 隣で喋りかけて来るのは、知人の犬亜人ワーウルフ、笹岡である。

 同じセンターに登録しているので、たまに顔を合わせることがある。

 年下のシオンをちょくちょく構ってくるので、多分面倒見は良いのだろうし、実際悪い人では無い。

 ただ、物凄くおしゃべりなので、時折辟易する。


「お前って仕事バリバリしてるよーで、貧乏なの?」

「単日ばっかりやってるから、そんなに稼げてるわけじゃない。別に貧乏でもない……と思うけど」

「じゃあ、なんでテレビねーの?」

「なんでって……いらないから。観ねーし」

 猫亜人ワーキャットといっても、シオンの獣としての特徴は耳と尻尾だけだけが、笹岡はがっつり顔まで狼で、全身フサフサである。

 冬ならさぞ温かいだろう体毛を持つ亜人は、夏は地獄の苦しみを味わうという。

 本当の犬のように体を舌で舐めまわして体温調節……は、やはり抵抗があるらしいので、空調に気を遣ったり、まめにシャワーを浴びたり、衣服の下に冷却シートを仕込んだりと、涙ぐましい努力をしているのだと、笹岡は無意識に舌を出しながら言った。

 センター内は空調が効いているので涼みに来た、という彼は、番号札を持っていない。

 話相手になる知り合い冒険者を探しにきたら、運良く――相手にしてみたら運悪く――シオンが居たというわけである。


 心なしか、笹岡が来たとき、周囲の者がそっと距離を空けたような気がする。

 居るだけで周囲の温度が上がりそうな体毛の所為なのか、喋るときの大声が煩いからなのか。

 どちらもという気もする。

 隣に立ち、いやでも彼の毛が触れる部分に汗をかきながら、シオンは思った。

 現在では『犬亜人』と書いて『ワーウルフ』と呼ぶが、昔は『狼人』と呼ばれていた彼らは、元々は笹岡のように狼らしい外見の者がほとんどだったという。それがだんだんと同種族の中でも外見が多様化していき、全員ひっくるめて『犬亜人』となってしまった。今では笹岡のように狼らしいワーウルフのほうが珍しい。

「テレビ無くてさ、お前、どうやって世間のこと知ってんだよ」

「……ラジオで?」

「何歳よ、シオンくん……ラジオで時事を知るとか……渋いよ」

 別に、日常系にラジオを聴いているわけではない。

 その日、冒険者向けの事故や事件をまとめたニュースが、正午前に十分ほど流れる。それはたまに聴いている。

「ていうか、お前んちって冷蔵庫以外に家電無くねーか? 電子レンジとかふつーに要るだろ」

 食事は外食で済ませるか、カップラーメンとコンビニのおにぎりばかりだ。

「無くて困ったこと無い」

 そう言うと、笹岡は大げさに手と首を振った。

「いやいやいや、笹岡さんが来たとき、コンビニの弁当をチン出来ないだろ?」

「店でしてもらえば?」

「お前んち、コンビニ遠いじゃん。せっかく弁当あっためてもらっても、アパート行く前に冷めるし、麺類とか伸びるじゃん。笹岡さんは麺はカタめが好きだし」

「だったらカップラーメン買ってくりゃいいだろ」

 住所を知られてしまったばかりに、何度か約束無しに部屋を訪ねられている。そのシオンの家に家電製品が少ないことが、笹岡は気になるらしい。

「お湯ならある」

「あのさぁ、シオンくん、全然威張れないからね、それ」

「威張ってねーし……」

 シオン自身は、テレビや電子レンジの無い生活に不自由を感じたことは無い。無いのに、どうしてこうもしつこく追求されなければならないのか。

 早く順番が回って来ないかな……と窓口を遠い目で見ながら、思うのだった。


「でもなぁ。冒険者ならテレビでニュースぐらい観たほうがいいぞ?」

「ラジオと違うのか?」

「違う違う。テレビは絶対、持ってたほうがいいぜ。お笑いとかアニメとか観れねーじゃん」

「……ニュース観るんじゃないのか?」



 こうして、「古いテレビがあるから譲ってやる!」と笹岡が言い出し、断ったが、勝手に持って来られることになった。




 後日、愛車のスポーツカーにテレビを積んで、本当に笹岡はやって来た。

 前日の仕事が長引き、ダンジョン内で一晩過ごし、朝方始発で帰ってきたシオンは、約束など忘れて昼まで寝ていた。

 ガンガンと扉を叩かれ、眠い目を擦りながらドアを開けると、すでに部屋の前に幾つものダンボールが積み上げられていた。

「おそよう! シオンくん」

 扉の前に立っていたでかい犬……もとい狼男が、つまらないギャグを飛ばしながら、よっと片手を上げる。

 その後ろには、大小様々なダンボール箱が置いてあった。

「……これ、全部テレビなのか?」

「んなわけねーべ。他にも色々持ってきたんだよ。絶対喜ぶぞ、お前」

「はあ……」

 これを部屋に全部入れられたら狭くなるなあ、と思いながら、シオンはふあ、と欠伸をつき、目許を擦った。

「寝たい……」

「何言ってんだ、若者が。よし、取り合えず運び込むから、どいてくれ。いかんぞー、いい若者が昼過ぎまでパンツ姿でゴロゴロしてちゃ」

 帰ってすぐジャージを脱ぎ、下に着ていたTシャツとパンツのまま、すぐに横になって寝てしまったのだ。

「だって、朝まで仕事だったのに……それも、ダンジョン終わったと思ったら待ちゴブされて……」

 瞼が開かず、またシオンはふわあと欠伸をついた。

『待ちゴブ』とは『待ちゴブリン』の略で、『ダンジョンから出てすぐ待ち伏せしていたモンスターに襲撃された』という意味で使う冒険者俗語スラングである。主にゴブリンがよくやる行動なのでそう呼ぶようになったが、強襲してくるモンスターはゴブリンとは限らない。

 探索後の戦闘は疲労感が半端では無い。変に興奮してしまうから、電車の中では中々眠れず、家に帰ってようやく寝付いたのだ。今は扉に寄りかかったままでも眠れそうだ。ピクピクと動く耳を、笹岡がじっと見下ろしながら言った。

「笹岡さんだって朝まで呑んでたぜ。でもウコン一本で即回復よ。笹岡さんも頑張ってんだからお前も頑張れ」

「知るか……」

「ホラ、目ぇ醒ませよ」

 いきなり耳の穴にズボっと指を突っ込まれた。

「ぎゃああ!」

 アパート中に響き渡る絶叫を上げ、シオンは頭を振って逃げた。モンスターの強襲を受けたかのように、素早く廊下の端まで後退した。

「うう……!」

 手で耳を押さえたシオンは、思わず笹岡を睨みつけて唸った。

「そんなに怒るなよー」

 チチチ、と笹岡が野良猫を呼ぶように舌を鳴らし、手招きする。シオンは尻尾を立てながら怒鳴った。

「いきなり、何すんだ!」

「いや、耳の穴デカいなーと思って」

「思っても入れるなよ! 人の耳だぞ!」

「めっちゃ目が醒めたろ? 戦士たるもの、私生活でも油断しちゃいかんよ、シオンくん」

 尻尾を立てて抗議するシオンに、笹岡は悪びれもせず告げる。

 あまり怒鳴っていても近所迷惑なので、シオンは落ち着くと、部屋の前まで戻った。

「なあ、やっぱ耳の穴そんだけでかいと、汚れやすいだろ? 寝てる間に虫とか入ってこねえ?」

「気持ち悪りーこと言うなよ」

 思いきり嫌な顔をするシオンに、笹岡はその猫耳を指差し、真顔で言った。

「入ってるかもよ?」

「まさか……」

 寝ている間に耳に虫が入ってくる様をつい想像したシオンは、耳を押さえたまま固まった。

 その背中を、バンバンと笹岡が叩く。

「よし、目が醒めたな!」

 耳の奥で何かが動いているような気さえし始め、玄関で立ち尽くすシオンを押しのけ、笹岡がダンボールの一つを抱え、部屋に入って行く。

「そんじゃ、おじゃましまーす。よかったな、これでテレビデビューだぞ!」

 ダンボールを運ぶ笹岡は、徹夜で呑んだ後とは思えないほど元気だ。

「オレ、家電買い換えるの好きだからよー。こないだ、サブテレビを買い換えたばっかなのよ」

「……サブ?」

 考えてみれば、そんなにでかい虫が耳に入ったら飛び起きるだろう、と気づいたシオンはようやく耳から手を離した。

 わざわざ人の部屋を狭くしに来て、何がそんなに楽しいのか、笹岡は鼻歌交じりに作業をしている。

「そ。メインのはリビングにあるやつでな。寝室にサブを置いてんのよ。寝ながら観られるように。だからちょっと小さいけど、お前の部屋ならこれで充分だろ?」

「充分も何も、そもそも要らないけど……観ないし」

「シオンくんみたいなうら若き少年がテレビも買えず、ラジオで情報収集してるなんて、お兄さんはもう可哀相で可哀相で」

「買えないわけじゃないって」

「きっと配線の仕方も分からんだろうからな。まあ任せろ。電機屋でバイトしてた笹岡さんが全部やってやるからよ」

「リサイクルショップにでも売ればいいのに。勿体無い」

「そう言うな。兄ちゃんからのプレゼントだよ」

「いや、プレゼントっていうか、お下がりだろ」

「タダで貰えるなら、それはプレゼントだろー。せっかく貰えるんだから喜べよ」

「別に欲しいわけじゃないし……。単に部屋が狭くなるだけのような……」

 意外に手際良く、何箱ものダンボールが運び込まれていく。

 シオンも手伝うべきか一瞬悩んだが、そもそも自分が望んだことではないので、放っておいた。

「うわぁ、笹岡さん意外に手際いい! って思ってるだろ?」

「いや、別に」

「引越しのバイトもしてたからな。ダンボール運ぶのは得意だぜ」

「運ぶだけで得意とかあんのか?」

「でも新築の家に当たったとき、あの人から毛が落ちるんじゃないかって家主からクレーム来たことあったなー」

「そうなのか……」

 笹岡の言葉に、シオンは目を伏せた。

 現在の認識が『犬』亜人であろうとも、原種である狼により近い姿の者は、古くから続く氏族の出身であると、見ただけで分かる。ワーウルフたちの中で一目置かれる存在だ。

 なのに、人間相手のバイトをしたら毛が落ちるなんて、その程度の扱いを受けるなんて。いつでも明るく煩い笹岡でも、きっと深く傷ついたことだろう。

「……酷いな」

 笹岡もああ見えて、苦労をしているのだ。

「なのに、その家さぁ、犬八匹飼ってやがったのよ!」

 腹を抱えゲラゲラ笑う笹岡は、暗い顔をするシオンを見て、「あれ?」と目を丸くした。

「あれ? ウケねえ? この話、合コンじゃいつもテッパンで笑い取れるやつなんだけど……」

「ん?」と犬のように舌を出し、可愛らしく首を傾げる『小型犬の真似』というこれもよく受ける一発芸を織り交ぜながら尋ねる笹岡に、シオンはあくまで真剣な顔で、首を横に振った。

「笹岡さんは、立派なワーウルフだと思う」

「え? あ、うん。そーね」

 舌を出しながら、笹岡は頭の後ろを掻いた。

「オレは耳と尻尾しか無いけど……全部猫だったら、苦労しただろうから」

「全部猫なら、それもう猫じゃん?」

「いや、全頭フルヘッドのワーキャットだったらさ。同じワーキャットの中だったらいいだろうけど、人間ばかりの中で、目立つし」

「え、なんで? 目立つのはいいことじゃん?」

「そうやって、いつも堂々としてる笹岡さんは、偉いと思う。そういうとこは……ちょっと……尊敬してる」

「ちょっと?」

 最後のほうは言っていて恥ずかしくなったが、シオンは正直に告げた。尻尾が落ち着きなくぶんぶんと左右に振れた。

 この人に迂闊な発言をすると後々まで苦労すると分かっているが、このときはそう言いたい気分だったのだ。

 もちろん後々ずっと、後悔する羽目になる。

「あの、テレビ……ありがとな」

 シオンの言葉に、笹岡はぱっと顔を輝かせた。

「あ、早く観たい? よしよし、待ってろよ! 電機屋でバイトしてた笹岡さんに任せろよ。つっても、電化製品に毛が入るからって、修理とか配達は出来なかったんだけどな。店頭販売はわりと得意だったぜー」

「アンタそういうの、得意そうだな」

「なにせ自らの毛を濡らしてドライヤーを売り捌いたからなー。そのまま就職してくれって言われたぐらいよ。あ、ここでいいよな?」

「うん」

 隅にダンボールを運び、よっと下ろす。その他のダンボールもすべてそこに積み上げられた。

「お前んちって畳じゃん? テレビ台そのまま置いたら、ヘコむからさ。下に敷くやつも買って来てやったぜ」

「あ、うん」

 もはやされるがままに、部屋の模様替えが行われていくのを、シオンは着替えを済ませたあとはただ部屋の隅に座り、ぼんやりと見守っていた。

「じゃーん。可愛いだろ? このラグ、肉球の形してんだぜ」

「えっ……イヤだ……」

 広げられた敷物を見て、シオンは顔を引き攣らせた。

「可愛いだろー。一発で気に入ってよー。流石にオレが使うとイタイからな、お前に買ってやったのよ」

「なんでそんなものをオレに……?」

「ま、どうしてもイヤなら普通のもあるぜ」

「普通のがいい。頼むから普通のにしてくれ」

「あ、そう? じゃ、このラグは置いてくから。玄関マットにもなるぜ」

「使わねーよ」

 意外な手際の良さで笹岡は模様替えを済ませ、テレビを設置した。配線もチャンネル設定もすべて済ませ、周辺機器まで取り付けた。

「これで録画も出来るからなー」

「いや、しないし」

 元々何も無い部屋に設置するだけなので、小一時間ほどで作業は終わった。

 笹岡は買ってきていたペットボトルの茶を飲み干し、ふう、と息をつく。

「よーし、どうよ! だいぶ部屋らしくなったべ?」

「元々部屋だけど」

「お前んち遊び来て話すこと無くなっても、これがあったら間が持つぜ」

「間が持たないなら帰ればいいのに……」

 笹岡は部屋の真ん中に立ち、テレビのある風景を満足げに眺め、うんうんと何度も頷いた。

 たしかに、ちょっと雰囲気が違う。畳の上に必要最低限の物しか無かったのが、一気に生活感が溢れたようだ。

 元々仲の良い家庭で育ったシオンは、リビングで家族が集まってテレビを観ていたことを思い出した。父も姉もテレビが好きで、いつも何かしら観て、CMのたびにチャンネルを換える癖のある二人を、せわしないなあと思っていた。

 シオンはテレビ自体は好きでも何でもないが、温かい家庭の象徴のようで、実際観ることは無くても、オブジェとして置いておくだけでも悪くは無いと思えた。

「大体よ、浅羽ちゃんが遊びに来たとき、テレビも無かったら引くだろ」

「なんで浅羽?」

 突然紅子の名前を出され、シオンは顔をしかめた。

 シオンが女子とパーティーを組んだことがそんなに面白いのか、ことあるごとにからかってくるのだ。

「浅羽はそんなことで引かねーよ」

「ウッヒョー。言うねー。今度お兄ちゃんにも紹介しろよ」

 ピューピューとわざとらしい口笛を吹く笹岡に、シオンは冷たい目を向けた。

「しねーよ」

 と言っても、そのうちセンターで顔を合わせるかもしれないが。

「なんでよー。兄ちゃん子供たちにメシくらい奢るぜ? 高いモンでもいいのよ?」

「やめたほうがいいと思う」

 これは心からのアドバイスとして言った。

「遠慮すんなって。ガキに回らない寿司奢ったくらいで、痛くも痒くもねーから」

「いやほんとに」

 この前、仕事帰りに一緒に車に乗せてくれた透哉が、給料が出たから紅子を回る寿司に連れて行ったら酷い目に遭った、と遠い目で言っていたのを思い出しながら、シオンは真剣な顔で言った。

「そういえば、その箱は?」

 まだ開いていないダンボールが一つあり、シオンはそれを見て言った。

 笹岡はダンボールの前に座り、封を開けた。

「ああ、これね。これはシオンくん喜ぶぜー」

「何?」

「出るぞ出るぞー……デロデロデロデロ……」

 ドラムロールのつもりなのか巻き舌を鳴らしながら、笹岡はべりべりとガムテームを剥いでいき、箱の蓋を開いた。

「じゃかじゃん!」

 中から取り出し、シオンに向かって高く掲げたのは、何やら黒光りする箱型の機械だった。

「バーチャルダイバー!」

 にこにこと笑いながら舌を出す笹岡に、シオンは特に反応も出来ず、耳だけがピクピクと動いた。

「ばーちゃん……何?」

「ゲッ、知らねーの。お前」

「知らない」

「困っちゃうね~、ホントこの子はどこのワーキャット村からやってきたのやら……」

 ブツブツと言いながら、大きな黒い箱を畳の上に置き、笹岡が頭を掻く。

「これはゲーム機よ、ゲーム機。ボク分かる? ドリコンとかプレイダムとかやったことあるでしょ、友達んちで」

「オレ、あんまり友達居ないし」

 すると、笹岡は急に真面目な顔になり、ふっと目を逸らした。

「ああ、そう……ごめんね、なんか」

「え? あ、うん」

「んじゃ、兄弟は? シオンくん一人っ子だっけ?」

「いや、姉さんが。でも、ゲームとかしない奴だったから」

「あー、うん、女の子はねー。お人形とかで遊ぶよね」

「たしか昔、父さんが買ってきたことがあったんだけど、姉さんが上手く出来なくてイライラして蹴っ飛ばしたらぶっ壊れて……やっぱり敵は直接殴ったほうが楽しいって。ボタンを押しても肉と骨が壊れる感触が無いからって。それから父さんも買ってくれなかった」

「あ……そう。お姉ちゃんは格闘家か何か?」

「いや、冒険者だけど。あと目が悪くなるって言ってたな。だからオレにもすんなって」

「お姉ちゃん、目には優しいのね」

「だから、オレもゲームはしたことない……でも、前に家にあったやつとは、全然違うんだな」

 シオンが興味深そうにゲーム機に手を触れる。使用感はあるが、比較的新しいようだ。

 珍しくシオンが食いついてきたので、笹岡は嬉しそうに胡坐をかいた膝を叩いた。

「おー、そりゃそうよ。これはシオンくんちに昔あったのとは違うぜー。なにせ去年出たばっかりだからな!」

「そんなのくれるのか? 高いんだろ?」

「まあ笹岡さんお金持ちだからな。こないだ新型買っちゃったもんで、これは誰かにやろうと思ってたんだよ。限定カラーとかに弱いからさー」

「オレが貰っていいのか?」

「おお、シオンくんやっぱり欲しいか!」

「うん」

 素直にこくりと頷いたシオンに、笹岡はかえって驚いた。

「おおおおっ! マジか!」

「オレ、こんなのしたこと無いから、やってみたい」

 かつて父親が買ってきたゲーム機を、順番に遊ぼうと約束したのに、先にやった姉が早々に壊してしまったときの哀しみと、その前のワクワクした気持ちをふいに思い出した。元々そんなにやりたかったというわけでは無いので、以来触ることも無かったのだが。

「よしよしよし! もちろんお前が喜ぶなら、笹岡さんも手放し甲斐があって嬉しいぜ!」

 そう言って笹岡はシオンの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

 仕事以外に何の楽しみも無さそうな少年が面白く――もとい放っておけず、ついつい構ってしまう笹岡も、まさかシオンがゲーム機に興味を持つとは全く思っていなかった。どうせ何も釣れないと思って適当に放った釣り針に、思わぬ大物がかかった嬉しさに、笹岡は満面の笑みを浮かべた。

「ソフトも色々あるぜ。よし、なんかやってみるか!」

「うん」

 小学校低学年の甥っ子と遊ぶときのように素直に頷くシオンに、笹岡は持ってきたソフトを並べて見せた。

「最初は簡単なのがいいだろーな。コントローラーだけのが簡単だけど、それじゃVRDで遊ぶ意味ねーよな」

「ブイアールディー?」

「《バーチャルダイバー》の通称だよ。VRはバーチャルリアリティ。で、ダイバーのD。このゲーム機のこと。今一番売れてんだぜ。こないだまでスゲー品薄だったんだからな」

 そう説明しながら、テレビとゲーム機本体を繋ぎ、電源プラグを近くのコンセントに繋いだ。

 本体を起動させ、ゲーム画面を呼び出すと、初期設定を済ませていく。

「どーせネットは繋いでねーんだろ? 今日はオフラインでやるか。どのソフトにすっかな。やるならやっぱVRゲーやんないとな。こういうの付けてな」

 またもダンボール箱から、ヘッドセットを取り出す。

「これが、専用ヘッドセットな」

 そのままシオンの頭に被せようとすると、それまで興味深げに覗きこんでいた少年は、座ったままじりじりと後ずさった。

「なんで逃げてんだ、お前」

「頭になんか付けるの好きじゃない」

 嫌そうに顔をしかめる。その頭の上には耳がある。

「あー、大丈夫大丈夫。オレが使ってた奴だぜ? ちゃんと耳が頭の上にある奴用で売ってるやつだから」

 まるでダイバーが水中に潜るときに付ける、大きなゴーグルだ。そのレンズ部分がまるでティッシュの箱のように大きい。重そうだとシオンは思った。

「ヘルメットタイプじゃねーし、耳はちゃんと出るから大丈夫だって。バンドでけっこうしっかり固定するけど、全然締め付け感もねーし。普通だと、ここんとこのイヤフォンが下に向かって付いてんだけど、オレら用のは上に付くわけよ。これ伸び縮みするから、耳に合うように調整しろよ。音漏れしたくないなら、しっかり嵌めとく。で、これはマイクな。これで音声チャットしながらゲーム出来るぜ。つまり互いに家に居ても、いつでもシオンくんは笹岡兄さんとゲームが出来るわけだ。笹岡さんが呑んでるとき以外はな」

「いや、大学とか仕事もあるだろ」

「まあ呑みながらでもやるけどなー」

 シオンにヘッドセットを手渡し、笹岡は次にまた別の機器を取り出した。

「これは、モーションコントローラー。VRゲーム用のコントローラーだ」

 前に姉がやって壊したゲーム機は、両手にコントローラーを握っていたが、これは全然違う。コードの付いた手袋グローブにしか見えない。

「腕そのものに装着するんだよ。出してみそ」

 と言いながら、笹岡はシオンの腕に、コントローラーを装着していった。グローブには手の甲部分に機械らしきものとコードが沢山付いている。それを嵌め、手首をバンドでしっかり固定する。

「どうすんだ? これ」

「手を動かせば、ゲームの中のキャラも動くぜ。足も出せ」

「靴もあんのか?」

「いや、こっちは足首だけ。ほとんどのゲームで移動くらいにしか使わないからな」

 足にもコードと機械の箱の付いたバンドを固定されながら、シオンは尋ねた。

「これ、馬亜人ケンタウロスとか魚亜人マーマンはどうやってゲームするんだ?」

「え? さあ……ゲームすんのかな、あいつら。それにケンタは前脚あるだろ。マーマンも尻尾あるし。そこに付けんじゃね? それ用のコントローラーとかあってよ」

 適当なことを応える。

「足が悪い人用もあるらしいしな。別の場所に付けてその部分の筋肉の動きで反応するようになってるとか。オイ、いい加減、頭被れ」

「う、うん……」

 シオンは頷き、ヘッドセットを装着しようとしたが、巧く固定出来なかったので、結局笹岡に手伝ってもらった。

「もっとぎゅっと締めていいんだって。あー、それは締め過ぎ、締め過ぎ。そんな簡単には外れねーから」

「意外と、重くないな」

「だろ? 自分で装着したときに、頭振ってずれるようだったら締め直せよ」

「うん」

 頭を振ってみたが、しっかり固定されていて動かない。

「ちなみに、これがイヤフォンな」

「ぎゃああ!」

 ズボッと耳の穴に異物が入る感覚があり、視界が塞がっていることもあってシオンは立ち上がって逃げようとした――ところを、笹岡にがっしり押さえつけられた。

「オオイ! いちいち逃げんな! コード切れるだろーが! お前これ一揃いでメチャクチャ高いんだぞ!」

 笹岡も焦った様子でまくし立てた。

「あーもう、コエーな、お前」

「いやだって、耳に何かが……!」

 シオンはヘッドセットを装着したまま、焦ったように首を振った。

 その耳の先を、笹岡はぎゅううと摘み上げた。

「いっ、イテテテッ!」

 耳許に、笹岡は大きな口を近づけた。

「あのなぁ、先にちゃんとイヤフォンつっただろーが。耳の穴触られたぐらいでパニック起こすなよ。普段攻撃避けてばっかだから当たると弱いんだろーな。ちょっと耳にスライムでも入れて来い」

「出来るか! こんなの攻撃とはまた別だろ!」

「だって攻撃じゃねーもん。笹岡さんちゃんと先に言ったもーん」

 口を尖らせ、笹岡が拗ねた口調で言う。

 シオンもムッとしたように返した。

「あと、別に打たれ弱くない」

「なに怒ってんの。時々お前って変なプライド出すよな。男の子だね~。初めて彼女出来たからかなぁ?」

「出来てねーよ!」

「ハイハイ。まあ今日は男同士遊ぼうぜ。イヤフォンしっかり付けたほうが雰囲気出るんだけど、笹岡さんの声が聴こえにくくなるし、いいか」

「ああ。要らない」

「ええと、ソフトはこれでいいな」

 と、ソフトをセットする。

 しばらくして、真っ暗だった目の前に、突然ゲーム画面が映った。

「うわ、すごい。気持ち悪い」

 まるで、ゲーム画面が広がっているというより、自分の周りがゲーム画面になってしまったようだった。

 リアルなようで作り物のような風景は、住宅街のものだ。部屋の中に居ながら、住宅街の道路に、シオンは立っていた。

 座っているのに立っている、という感覚が、何だか変だ。

 軽快な音楽と共に、タイトルコールが流れる。


『ゾンビー・バスターズ!』


 野太い男性の声が、流暢な発音で読み上げる。

 その後に、甲高い子供の声が続く。


ツー!』


「ぞ、ぞんび? ツー?」

「二作目だからな。1は別のハードで出たやつ」

「ど、どういうことだ?」

「いや、そのまんまの意味だよね。だから2作目なの。《ゾンビー・バスターズ》ってシリーズの」

「なんで2からやるんだ? 1は?」

「だから、1はハードが違うし、全然面白くないから。2はかなり良くなってるから、2でいーの。深く考えんな。これはこれだけで遊べるから」

「分かった……ええと、これ、何するゲームなんだ?」

「街にゾンビが出てくるから倒す。シンプルだろ? いつもシオンくんがやってることをやりゃいいのよ」

「こんな街中に、ゾンビ……?」

「うん。しかも真昼間からね。変だよね。でも変と思わないでやってね」

「分かった。で、倒すゾンビの数は? 一体か?」

「一体倒して終わるゲームなんてクソゲーじゃないですか。わらわら出てきますよ、もちろん」

「わらわらっ? そんなの、一人じゃ倒せないぞ。武器は持ってるのか? パーティーはいるのか? ファイターだけだとキツいぞ。ソーサラーは? シャーマンは?」

「お願い、何も考えないでやって。ゲームだからね、これは」

 だんだんと面倒臭そうに、笹岡が言う。

 そのままシオンがおたおたしていると、オープニングテーマが一周し、またタイトルコールが流れた。


『ゾンビー・バスターズ!』

『2!』


「ま、また言われた!」

「まー、何もしないで放っておくとね」

 シオンはヘッドセットのモニターで観ている画面を、笹岡はテレビ画面で観ている。タイトル画面の前で、シオンが操るキャラクターが手足を振り回し暴れていた。シオンが慌てふためいて手足を動かすのを、中々忠実に再現している。

「え、え? なあ、これ、どうすんだ?」

 戸惑いながら腕を動かすと、笹岡のふさっとしたどこかの毛に触れた。

「なに人の首毛触ってんだ?」

「あ、ご、ごめん……」

「それは後でいっぱい触らせてやっから、とりあえずゲームの中で動いてみ」

「ど、どうやって?」

「目の前に文字出てるだろ? タイトルの下に〈ゲームスタート〉ってあるから指で触ってみ」

「え、えっと、こうか?」

 ただ指を動かすだけなのに、手足をジタバタさせている様子が笑える。しかしここで大笑いするのはまだ早い。笹岡は口を押さえて堪えた。

「あ、なんか動いた。あっ、なんか始まったぞ、えっ、これどうすんだ?」

「最初はオープニングイベントだから、適当に話聴いときゃいいのよ」

「えっ、イベントって?」

「まーこれ、ストーリー自体は全然観なくても大丈夫だから、適当に飛ばしとけ。シリアスとギャグの混ざり方がちょっと寒いノリでな」

「ダンジョンのときの笹岡さんみたいなのか」

「えっ、どういう意味?」

 よく分からないままオープニングが終わり、シオンはまたしても一人ぼっちで住宅街の路上に放り出された。

「えっと、これからどうしたらいいんだ?」

「歩くんだよ。足動かして」

「えっ……こ、こう?」

 軽く足を動かしただけでも、慣れれば力を入れるだけでも歩けるのに、シオンは座ったまま足を宙に浮かし、バタ足を始めた。

「う、ぷぷ……そうそう」

 笑いを堪えながら、笹岡は頷いた。

「は、走ったぞ!」

 そしてその勢いで電柱にぶつかった。

「動かし過ぎだな。もっと軽く動かすだけでいいんだよ。じゃねーと疲れるぞ」

「あ、そ、そうか」

 素直に足の動きを緩やかにする。言われてやってみれば、畳に座ったままで、少し足の指を動かすだけでもちゃんと前に進んだ。

「方向を変えるときは、肩をちょっと動かせよ。上半身の動きは大体モーショングローブが感知してくれっから」

「そうなのか、すごいな」

「ウィンドウ出せば、装備品が分かる」

「ういんどう?」

「ステータスとか所持品とか見る画面……つっても分かんねーかなー。このゲームはどうすんだったかなー。あ、そうそう。『ウィンドウオープン!』って力強く叫ぶんだよ」

「え、言うのか? 口で?」

 シオンには見えていないが、深く笹岡は頷いた。

「言うんだよ。呪文みたいなモンだと思ってくれなさい」

「もっかい言ってくれ」

「えーと、『ウィンドウオープン! 我が呼びかけに応え、我が前に開かれよ、ステータス、オン!』

「えっ、長くなってないかっ?」

「いま全部思い出した」

 シオンは口の中でブツブツと練習しながら、たどたどしく口にした。

「う、ウィンドウオープン……我が呼びかけに……?」

「引っかかったらやり直しな。もっぺん言うぞー。『ウィンドウオープン! 我が呼びかけに応え、我が前に開かれよ、ステータス、オーン!』……あ、右腕をしっかり上に突き上げながらな」

「分かった」

 こくりと頷き、シオンは言われた通りにした。

「ウィンドウオープン! 我が呼びかけに応え、我が前に開かれよ、ステータス、オン!」

 ばっと勢い良く腕を突き上げるも、何も起こらない。

 代わりに、笹岡の大笑いが響いた。。

「ぎゃはははははは! やーい騙されたー!」

「騙すなっ!」

 大爆笑する笹岡のさっき首があった場所を、シオンは素早く手で掴んだ。毛に覆われた太い首に指を埋め、気道を探り当て締め上げる。

 視界が塞がっているわりに見事な、的確な攻撃だった。以前仕事に一緒に行ったとき、若いわりに格闘慣れしてるなと感心したものだが、モンスターだけでなく対人戦もいけるようだ。

 と、冷静に分析している場合では無く、シオンは見かけによらない指の強さで、容赦無く力を込めてきた。

「ぐええ、ギブギブ! モーショングローブが壊れちゃうし、笹岡さんも壊れちゃう!」

「アンタ、最初からオレで遊ぶ気だっただろ!」

「な、何を今更……ぐええっ」

 笑いながら苦しむ笹岡の首から手を離し、シオンはヘッドセットを付けたまま顔をしかめた。

「あー、面白かった。ぶくく……」

「面白くねーよ。で、どうやってウィンドウってのを出すんだ?」

「あー、それはね……」

「騙すなよ?」

 強い口調で念を押された。次やったら喉を潰されかねないほどの闇を、純真な少年の心に植えつけてしまったことを、笹岡は心の中で反省した。一瞬だけ。

 しかし、それでも腹を立ててゲームを止めるわけでは無いシオンは、どうやらこれで遊んでみたいという気持ちは本当にあるらしい。

「ハイハイ。親指と人差し指をくっつけて、ぱっと広げるように離すんだよ。タブレット画面をタッチで操作するようなかんじでさ。で、『ウィンドウオープン』って叫ぶ」

「こうか?」

 シオンは言われた通りに指を動かしたが、最後のセリフはさすがに言わなかった。

 少年は一つ大人になってしまったなあと、笹岡は寂しく思った。

「なんか、パネルみたいなのが出てきた」

「それがウィンドウ。それの装備アイテム欄に、いまのシオンくんの装備が確認出来るから」

「分かった」

 笹岡に言われたとおり、装備を確認する。


『装備アイテム/

右手:ライトアーム(攻撃力2)

左手:レフトアーム(攻撃力1)

服1:無地のTシャツ(防御力2)

服2:ウニクロジーンズ(防御力3)

靴:ダサいスニーカー(走力1)

その他:格好イイつもりのチョーカー(精神力2)』


「……別に、格好いいと思って付けてるわけじゃ……」

 とシオンは呟きながら、自分の首にいつも付けている魔石のチョーカーに触れた。

「これはサクラに貰ったもんだし……」

 独り言を呟くシオンに、笹岡が声をかける。

「なにヘコんでんだ? ま、それは初期装備だからな。最初はショボいけど、アイテムゲットしてけば強くなる」

「どうやって手に入れるんだ?」

「ま、色々だな。敵がドロップしたり、イベントで手に入れたり、そのへんに落ちてたりするし」

「なるほど」

「とりあえず歩け。あ、そろそろゾンビ出てくるぞ」

「え?」

 曲がり角に沿って曲がったところで、いきなり目の前にゾンビが登場した。

「わっ!」

 真っ昼間の住宅街にそぐわない状況に、咄嗟にシオンは身を引いた。そのときすでに笹岡は肩をしっかり掴んでいた。

「立って暴れんなよ。コード切れるから。そしたら泣くから。笹岡さん泣いちゃうからね……」

 本当に目の前に現れたかのようだった。リアルなゾンビに肩を掴まれた瞬間、ビリッと振動が走った。どうやら攻撃されると、体に取り付けた機器が体に振動が伝わるらしい。

「武器は持ってないのか! ライトアームとレフトアームって一体どんな武器なんだ!」

「うん……右手と左手だね」

「クソ、離せ!」

 ゲームというのも忘れ、シオンは必死に手足を動かし、ゾンビを引き剥がそうとしていた。

「ぷぷ……やべ、想像以上にくるな、これ……」

 その光景を、笹岡が笑いを堪えながら見つめていた。

「ぐっ! 首に喰いつかれた……!」

「わははは!」

 実際に喰われているわけでもないのに、シオンは手で自分の首筋を押さえ、苦しげに呻いた。

 ゾンビに嬲られるたびに、尻尾がバタンバタンと動いている。

「ヒーヒッヒッヒッ!」

 そんな光景に、笹岡も腹を抱えて苦しんだ。

「なあ、笹岡さん! これ、ゾンビの眼球に指突っ込んでるのにそうならないぞ!」

「怖いわ!」

 と突っ込みながらも、切羽詰ったシオンの様子に、笑いが止まらない。目の端の涙を拭いながら、笹岡は一応アドバイスをした。

「バッカだなー、シオンくん、そんなファンキーな動き色んな意味で出来るわけねーべ。発売出来なくなるって」

 再現出来ない攻撃には反応せず、シオンが操るキャラクターは手足をばたつかせながら、なすすべも無くゾンビに喰われ続けている。

 くっとシオンが歯噛みする。

「仕方無い、腕を一本喰わせながら、中から脳みそ掻き出すしか無いか……!」

「やな十六歳だな! いや、そんな細かい戦法要らねーんだよ、本来は。殴っていいから。普通に」

「そんなムダな攻撃でゾンビが倒せるか!」

「倒せるわ! ゲームだっつの! これは!」

 コードを千切りかねない勢いでジタバタと暴れるシオンを、笹岡は背後から羽交い絞めした。その腕を掴んで、軽くシュッシュッと宙を突かせる。

「こうよ、こう」

 なんと、それだけの攻撃で、ゾンビはのけぞり、後ろに後退していった。

「な、なんだコイツ……? 脆過ぎる……。ゾンビじゃない……のか?」

 愕然とするシオンの腕を掴んだまま、笹岡はその腕をひたすら前に突き出させた。

「オラオラオラオラッ!」

 と笹岡は気合の入った声を上げながら、シオンの両腕を掴み、二人羽織りの後ろの人のごとく、ラッシュを続けた。

「死にやがれゾンビ野郎! ヒャッハー!」

 甲高い声を上げながら、人の腕で見事なアッパーカットを決める。

 というか、シオンからすれば、軽く手を上げただけでゾンビが勝手に飛んでいったようにしか見えなかった。

「いえーい! 撃破ー! ってシティゾンビごときに苦戦すんなよ。適当に殴ってても死ぬのに。あーあ、もう瀕死じゃん。コンビニでバンソーコー買わないと。おっ、ドロップアイテムゲット。バンソーコーじゃん」

「ヒーラーに見せないと。バンソーコーじゃ喰われた腕は戻らないぞ」

「うん。ノープロブレムよ。ゲームだからね」

 もはや適当に返しながら、笹岡はテレビ画面を観ながら、シオンの腕を勝手に動かした。

「――あ、そうか。魔法戦士ルーンファイターなのか! さっきのは肉体強化エンハンスした攻撃だったんだ」

「いや、ゲームなんだって、ただの」



 笹岡に根気良く説明されながら、シオンは『ゾンビー・バスターズ2』を進めて行った。

 武器や防具もランクアップすることが出来た。

 特に、普段使い慣れているダガーナイフを手に入れたときは、シオンは嬉しそうに何度も手許を見つめていた。

「これ、予備も欲しいな。いつもみたいに六振り装備したい」

「シオンくん、ゲームシステム無視しないで」

「けど、これなら使い慣れてるし、《肉屋サイモン》ともかなり戦えると思う」

《肉屋サイモン》はステージ1の商店街に登場するゾンビである。ストーリー上決して避けることは出来ない、いわゆる中ボスである。

 とは言ってもステージ1。はっきり言って序盤のザコだ。しかしゲーム初心者のシオンは、現在このサイモンに32回挑んで、32回ミンチにされていた。

 敵に一回やられただけでブチ切れてゲーム機を破壊した姉とは対照的に、32回連続で負けているだけなのに、弟はゲームを楽しんでいるようだ。

 そうなると、見ているほうにも根気が要求されてくる。

「……それ、そんなに強い武器じゃないけどねー。さっきまで装備してた『血塗られた釘バット』のほうが、攻撃力10くらい高いから。いっそう苦戦すると思うよ」

「使い慣れたやつが一番いい」

「はいはい、好きにしろよー。多分サイモンで詰むけど」

 ステージ1だけで三時間もやっているので、笹岡も飽きて横になっていた。テレビが観たい。

「あっ、グールだ。ちょうどいい、こいつの切れ味を試してみるか」

「ぷぷ……」

 飽きたが、シオンの純粋なプレイは時々物凄くツボに入る。

 敵を見つけたシオンは、まるで聖剣エクスカリバーでも手にしたかのように自信を漲らせ、しょぼい武器で果敢に挑んでいった。

 そして、実際にダガーを握っているかのようなエア武器捌きで、見ていて感心するほどの攻撃速度で、敵の首に斬りつけた。

 が、そんな動きをセンサーが読み取ってくれる筈も無い。

「わはははは! めちゃカッコいいぜ、シオン!」

 ピュー、と口笛を吹き、笹岡は手を叩いた。

 グールにガブガブと噛まれて目の前を真っ赤にしながら、シオンは首を傾げた。

「まだオレの動きが遅いのか……?」

「いや、逆だって」

 何故か、動きが遅くて反応してくれないと勘違いしている。シオンと同じ運動量でプレイしていたら、ほとんどのプレイヤーは小一時間でへばってしまう。冒険者育成マシンでは無いのだが。


 更に三時間、ステージ1をやり続けた後で、シオンはようやく気付いた。

「もしかして、もっと強い武器があるのか……?」

「ぐー……ぐー……」

 だが、笹岡は寝ていた。


 この一時間後、ようやく一度捨てた『血塗られた釘バット(攻撃力21)』を、シオンは再び手に入れたのだった。




 その週末。


「あれ? 小野原くん、珍しいね。本読んでるの?」

 仕事に向かう途中の電車で、おにぎりを頬張りながら紅子が尋ねた。

 向かいに座るシオンが、今までに見たことの無い行動を取ったのだ。ナップザックから本を取り出し、熱心に読み始めたのだ。

「ああ。昨日、センターの一階の本屋で売ってたから」

「へー。どんな本読むの?」

 答える代わりに、シオンは表紙を向けた。

「『ゾンビー・バスターズ2・完全攻略ガイド』……?」

 ぱちくりと紅子が目をまたたかせる。

「小野原くん、ゲームやるんだ」

「ああ。サイモンは倒せたけど、一面のボスが倒せなくて。血塗られた釘バットより強い武器が欲しいんだけどな。どこにあるのか分からない」

 万人に通じる話題では無いのに、まるでこの世全ての者が『ゾンビー・バスターズ2』をプレイしているかのように、シオンは事情を話した。

「そのゲーム、私やったことあるよ?」

「ほんとか?」

「うん。友達の家で。面白いよねー。ゾンビをぐしゃ! べしゃ!」

 と、紅子は片手におにぎりを手にし、もう片手の拳をシュッシュッと突き出した。

「それに、簡単だしねー」

「か、簡単……?」

 紅子の発言に、シオンは衝撃を覚えた。

「うん。私でも出来ちゃうもん」

「すごいな、浅羽……」

「皆でするのも楽しいよね。ゾンビそっちのけで友達と殴り合っちゃった」

「えっ!」

 女子がゲームそっちのけで殴り合う様を想像し、シオンは目を見開いた。

 ゲームを利用した何かの訓練だろうか?

「ほ、ほどほどにしとけよ……」

「そうだねー。楽しいけど、やり過ぎると頭痛くなっちゃうかも」

「ああ、たとえ訓練でも、頭への攻撃は避けたほうがいい」

「訓練? で、小野原くん、どこで詰まってるんだっけ? 私、少しなら分かるかも」

「ああ……一面のボスの、《裏商工会の元締めブルート》が倒せないんだ。武器は血塗られた釘バットをずっと使ってるんだけど、多分それじゃ弱いんじゃないかと思って……」

「別に血塗られた釘バットでも倒せるよ?」

「そうなのか?」

「もし、操作が苦手なんだったら、裏武器使ったらいいかも」

「裏武器?」

「うん。普通にやってたら手に入らないの。商店街で唯一ゾンビ化してない、親切な八百屋さんいるでしょ? そこで、武器の《大根》を手に入れられるよね?」

「ああ。でもあれって、攻撃力1だよな。使い続けると壊れるし」

「二百回で壊れるよ」

「詳しいな」

「そこがミソなの。あの大根を持ってね、八百屋さんを殴るの」

 と、殴る真似をする。

「えっ、でもあの人、いい人だぞ……?」

「裏技だからね。十発殴るたびに泣いてもう止めてくれって言うけど、そこで心を鬼にしてあと九十発殴ってね」

 くう、と辛そうな顔をして、紅子が言う。

「な、何でそんなことを……?」

「ねー、なんでだろうね?」

 シオンは困惑し、呟いた。

「意味が分からない。味方を殴るなんて……」

「裏技だから、ゲームする人の裏をかいてるのかな?」

 頭を抱えるシオンの前で、紅子も首を傾げた。

「そしたら八百屋さんの奥さんが飛び出してきて、旦那さんの命乞いをするから、奥さんも大根で百発殴ってね」

「え、嫌だ……」

 首を振るシオンに、きっと紅子は厳しい目を向けた。

「ダメ! 殴るの、小野原くん! 辛いけど、勝つためなの!」

 食べかけのおにぎりを手にしたまま、強い口調で、紅子が言った。

「どっちみち、裏商工会を倒さないと、八百屋さんもいずれゾンビ化しちゃうんだよ! だから……殴って!」

「浅羽……」

「でね、そしたら、家宝の《偽のムラマサ》をくれるよ。それ、すっごく強いよー。たしか、五面くらいまで行けちゃう」

 ころっと明るい口調で、紅子が言う。

 目的の為とはいえ、あの良い夫婦を殴るなんて、シオンに出来るだろうか。

「浅羽は、強いんだな」

「ん? 私はネットで攻略記事見ただけだよ。最初に分かった人、すごいよねー。あ、大根で殴らないとダメだからね」

「分かった。帰ってやってみる」

「うん。やってみてー。いいなー、私もまたやりたいなー。でもあのゲーム機って高いからなぁ」

 ぱくっとおにぎりを全部頬張り、紅子が微笑んだ。

 小野原くんと一緒にゲーム出来たら、楽しいだろうなあ、などと儚い幻想を胸に抱きながら、おにぎりを飲み込む。

「じゃあ、今度うちでやるか?」

「えっ、いいの? うん! やるやる! 小野原くんちで……おええええーっ?」

 元気良く手を上げた紅子は、急に胸を押さえて苦しみ出した(ようにシオンには見えた)。

「大丈夫か? 吐きそうなのか?」

「ち、ちが……」

 シオンが慌てて立ち上がりかけるのを、手で制した。早朝の電車で、周囲に車両には他に誰も居ないのが幸いだった。

「だ、大丈夫、大丈夫……ちょ、ちょっと、びっくりして……か、神様ぁ……」

「か、神様? 浅羽、詰まったのか?」


 ありがとうございます、恋の神様。

 好きな男子に背中を擦ってもらいながら、紅子は心の中でそっと、居るのか分からない神様に拝んだのだった。

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