episode 08 ―発覚―
軽亞みるくは、典型的な日本のオタクであり、また典型的なFPSプレイヤーである。運動不足が祟ってやや体型は肥満気味、引っ込み思案な性格が祟って友人はそう多くないが、大学に入ってからもう少しアグレッシブに生きようと思った結果、友達ができ、短い間だが彼女もできた。もう別れたが。
この辺でおおいに自信をつけ、軽亞は二年次からさらに活動を活発化させた。FPSを愛する同好の士を集め、サークルを結成した。彼のコミュニケーション能力と活発さ、そして、これが一番重要なのだが、彼女がいた時期もある、という恋愛遍歴は周囲から一目置かれる要因となり、FPSプレイヤー特有の口汚さで仲間と諍いを起こすことも少なくはなかったものの、おおよそたのしいゲームライフを過ごすことができていた。
FPSの実況生放送をしたり、そこで発生した珍事を動画にまとめて晒されたりもしたが、おおよそたのしいゲームライフを過ごすことができていた。ゲームにのめり込むあまり、何度か留年をしたが、金銭的余裕と理解ある家庭環境のおかげで、大学にはまだ籍を置けている。
ところで、軽亞はいわゆる暴言厨である。基本的に高校まで鬱屈とした青春時代を過ごしてきたこともあり、非常にストレスを溜め込みやすい性格だった、というのもあるのだろう。顔が見えず、一期一会であるFPSの世界は、彼自身が卓越したゲーマーであることも相乗して、非常に軽亞を強気にさせた。
暴言の対象は敵味方を問わない。だが、ことさらに彼を苛立たせるのは、やはり使えない味方の存在であった。引くことを覚えない突撃厨や、チームに貢献する気のない芋スナなど、何度叱りつけてやったことかわからない。
そのような軽亞であるが、VRGSという新作ジャンルに手を伸ばしてからしばらくは、大人しかった。
このゲームは相手の顔が見える。面と向かって暴言を吐く勇気など、彼には皆無に等しかったし、何より世界初のVRGS〝ガンサバイブ・プラネット〟において、軽亞はそこまで優秀な兵士足り得なかった。今まで彼が主戦場としてきた、例えば〝コール・オブ・デューティー〟であるとか、〝バトルフィールド〟であるとかに比べて、〝ガンサバイブ・プラネット〟はあまりにも勝手が違いすぎたのである。
軽亞は、ゲーム内では相手の視覚外から接近してヘッドショットで仕留めるようなスニーキングプレイや、死角からのすれ違いざまに素早く反応して先手を撃つような戦法を得意としていたが、これがVRGSでは非常にやりにくい。これらは、ゲーム内における情報の大半を、四角いディスプレイに収められた融通の効かない視覚に頼っていたからこそ実現可能な手段であり、より多角的に情報を得られるVRGSでは、極めて難しいものであった。
とりわけ、すれ違いざまの反応だ。FPSでは、壁や建物内などの死角から、いきなり飛び出してくる敵兵と、〝すれ違う〟ことが度々発生する。これはやはり、視覚情報その他が限定されているからこそ起こりうる現象だ。
それだけではない。走りながら銃を構えるだけで、ゲーム内では激しい手ブレが発生する。無論、FPSでもブレはあるのだが、アバターの姿勢がある程度固定されていたこともあり、誤差を補正するのも容易であった。銃を構えながらの垂直ジャンプなんてのも、VRGSではできない話だ。銃口の先端が画面中央に固定されているわけでもない。
FPSとはあまりにも、勝手が違いすぎる。だからこそ軽亞は、VRゲーム環境にそこそこ詳しいと思われる人間に、助っ人を頼むことにした。
杜若あいり。かつて、ナローファンタジー・オンラインで、邪神アイリスと恐れられた少女だという。
彼女が城南大学の学生であると突き止めたのは、ほんの偶然であったが、軽亞は歓喜した。ナロファンは、VRゲーム黎明期のオンライン環境を代表するゲームとして、そして発売から3年が経過した今でも最高級のグラフィックを有したゲームとして、VRゲーマーにとってレジェンド級とも言える作品だ。そんなナロファンで、邪神とまで恐れられたプレイヤーであれば、さぞかし戦力になってくれるに違いない。
話したところ、あいりはどうやらFPSに関してはまったくの素人であるらしかったが、それでもVR環境に慣れているのであれば、すぐに馴染めるだろうと軽亞は踏んでいた。FPSからVRGSに転向するよりは、よほど容易いに違いない。
実際のところ、あいりはVRゲーム内でも違和感なく動いていた。さりげない仕草のあれこれにも、単純な〝慣れ〟を感じさせ、軽亞はさすがだと思ったものだ。ただ、偵察兵を選択したあいりが、いざゲームを始めると狙撃ポジションからぴくりとも動かないのが、気になったといえば気になった。
だが、そのあいりに忠実に付き従うローズマリーと茶良畑が、ガンシューティング初心者とは思えぬ活躍を見せていたのが、軽亞たちの疑念を払拭した。とりわけ、ローズマリーは動きの一つ一つに無駄がなく、単純なVRゲーム慣れ以上の素質を感じさせた。バーチャル・リアリティやに関する知識、量子回線に関する知識も豊富で、ゲーマーとしても微かに畏敬を感じるほどだ。
このローズマリーが、上位者として認めているならば、やはり杜若あいりも同等以上のゲーム知識やスキルを持った人間なのだろうと、軽亞たちは強引に納得しようとしていた。
だが、それから更に一週間。
あいりの動きには改善が見られない。言いたくはないが、完全に芋スナだった。軽亞は、回線を開き思い切り罵倒したくなるのを何度もこらえ、笑顔で取り繕いつつ探りを入れたが、大抵の場合はうやむやになった(軽亞は気付かなかったが、あいりの方から何かを切り出そうとしていることも何度かあった)。
実は、彼女は本当にゲームに関して素人なのではないだろうか。
その疑念は、FPS同好会の中でも徐々に持ち上がりつつあった。銃器に慣れていないにしても、動きが悪すぎるし、何より知識なども乏しい。彼女のアバターである赤髪エルフは、確かに画像として出回っている有名プレイヤー〝アイリス〟そのものではあるのだが。
そもそも〝邪神〟などというだいそれた異名こそが、何かの間違いなのでは、と思い始めた。ひとたび疑念が確立してしまえば、それはどんどん大きくなる。軽亞は仲間たちと相談をし、最終的に、ひとつの結論を下した。
今回のマッチングで、杜若あいりを試す。
それで、アイリッシュがベテランゲーマーとしての実力を発揮し、しっかり対応してくれるならそれでよし。だが、もしこちらの奇襲に、あっさりとキルされるようなことがあれば、
その場合の対応策も、しっかり話し合ってある。
アイリッシュ達は何もしらない。
いつものように、こちらのチーム人数に見合った相手チームとのマッチングが開始される。フィールドマップは、惑星ゲルカントのジャングル地帯が選ばれた。無人惑星のはずなのに集落らしき建造物群があって、オフラインのキャンペーンを続ければこの謎も解明されるらしいのだが、軽亞は手を出していない。
ウェイティングルームが粗いポリゴンを散らしながら解除され、FPS同好会とその助っ人たちはゲルカントの大地に降り立つ。手はず通りに、という短い言葉を交わし、一同は散った。前線を務める兵士たちはいくつかのチームに分けられ、軽亞はそのうちのひとつを受け持つ。
今回の場合、プレイヤーの数が十分にいるため、NPCは参加していない。カルーアが率いるのは、FPS同好会でも比較的親しい数名だ。ブラッディマリーのチームが、躊躇なく草木をかき分け進軍していくのを見送ってから、カルーア達は互いに頷き合う。
盾を背負ったアイリッシュが、えっちらおっちらと斜面を登っていくのを確認できた。確かにVR慣れした動きで淀みはないのだが、姿を隠そうという気が微塵も感じられない。目測にして距離は400メートルほど。威力の減衰は免れないが、それでもカルーアの愛銃で、十分致命傷を与えられる距離だった。
モタモタしている間抜けなプレイヤーを見ると、思わずヘッドショットをかましたくなるのが、カルーアの性だ。が、その気持ちをぐっとこらえる。どうしても言い訳の効かない状況で、彼女に銃を突きつける必要があった。
FPSは場合によって、漠然と水平上における敵兵の位置が把握できるものがあるが、このガンサバイブ・プラネットは一切が不明なままだ。常に敵がどの方面から現れるか、その可能性に怯えながら進軍しなければならない。これが、草木の生い茂るジャングルであれば、尚更のことだ。
斜面をしばらく登り終えジャングル地帯を進んでいく後、橋のかかっていない川に差し掛かる。流れは緩やかだが、野生のワニ(によく似た生物)が生息しているため非常に危険だ。負傷した敵兵をこの川に追い込んで、ワニに仕留めさせる戦術というものもある。
「よし、止まれ」
カルーアは小声で指示し、自分に付き従う分隊の足を止めた。このまま直進すると、川を渡る際、アイリッシュに気づかれる怖れがあった。ワニはしっかり武装していれば恐るるに足りない相手だが、撃退の際の不用意な発砲は、非常に目立つ。
アイリッシュは盾を背負ったまま、ライフルを掲げて川を渡っている。流石に、あの程度で流されるほど脆弱なプレイヤーではなかった様子だ。ほっと安堵した瞬間、カルーアは彼女に対する信頼度を、いつの間にか相当落としていた自分に気づく。
もしかしたら、本当に彼女は凄腕プレイヤーかもしれないじゃないか。まぁ、もうあまり期待はしていないが。
「あっ……」
次の瞬間、アイリッシュはそんな声を漏らして、ぱしゃん、と川の中に倒れ込んだ。おいおい、と思った矢先、丁寧なシステムメッセージがカルーア達のもとに響く。
―――【Irish】がワニに襲われて死亡しました。
「バカじゃねぇの!!」
戦力ポイントが一気に減算されていく音を聞きながら、カルーアは叫び声をあげた。
ああ、とうとうやってしまった。
リスポーン地点でアイリッシュはM700を抱え込みながら、額を押さえていた。まさか敵兵ではなく、フィールドエフェクトのひとつであるワニに殺されてしまうとは。間抜けな死に方にもほどがあるではないか。
システムメッセージは、プレイヤー全員に表示される。これはさすがに、素人であることがバレただろう。やはり変に意地を張らず、最初からしっかり告白しておくべきだった。そうすると50万は消し飛んでしまうわけだが、まぁそこは仕方がない。おカネはいらないから、一緒にやらせて欲しい、と、言うべきではなかったのか。
そう、このゲームは意外と楽しい。レミントンM700にだって愛着がわき始めてきた頃だ。またひとつ、何かを諦めてしまうことになるが、現実味のある新しい趣味を見つけたということであれば、
やはり正直に話そう。糾弾されても、されなくてもだ。アイリッシュがそう思った矢先、今しがた自分が昇っていた斜面から、むすっとした顔のカルーア達が降りてくる。アイリッシュの感想は『ひょっとして見られていたのか。あっちゃー』てなもんであった。
「あ、カルーアくん……」
アイリッシュが苦笑いと同時に声をかけても、カルーアの表情は変わらない。怒りをたたえた表情のままだ。多少は仕方のないことなので、アイリッシュも下手に出る。
「ああ、あの。えっと、ごめんね? 今まで何度か言おうとしたことあったんだけどさ、やっぱりあたし……」
「下手くそでしたね」
「うっ……」
あまりにも手厳しい物言いだが、まだ、我慢する。だって下手くそなんだもん。
カルーアだけではない。周囲を取り囲むほかのプレイヤー、カシオレやジントニックなども、こちらに向ける視線は冷たい。期待を裏切られた者が見せる特有の表情だ。アイリッシュは今までも何度か、こういった感情に晒されたことがあった。
ああ、なんでこうなってんのよ。
アイリッシュは忸怩たる気持ちを持て余す。いっつもこうなのだ。何かしらのきっかけで、実力以上の評価をされて、勝手に落胆されて、そんでもって、どん底に突き飛ばされる。こんな思いは、ナロファンで何度もしたことがあった。
「いやあのうん。薄々わかってると思うんだけど、あたし見ての通りの素人なのよ。黙っていたことはほらその、悪かったから……」
「………」
「でもね? ほら、あの。あたしだって何度か言おうとしたの、カルーアくんだって聞いてくれなかったし……。あたしも、結構このゲーム、楽しくなってきたから、もしよかったら、その……」
「出てってくれ」
ぴしゃり、とカルーアは言った。アイリッシュは、ぐっと言葉を飲み込む。
「下手くそと一緒にプレイしている時間はないんで。これ遊びじゃないんで」
「そっ……」
「迷惑だから抜けてっつってんだけど、わかんない?」
カルーアの言葉が、どんどんとキツいものになっていく。それほどまでに彼を怒らせていたのか、あるいは、元からこうした厳しい言葉遣いをする人間であったのか。おそらくは両方なのだろうな、と、アイリッシュの冷静な部分が思考した。
「それともそうまでして50万欲しいのか?」
「なっ……」
カルーアの言葉に、アイリッシュはカチンと来る。
「そっ、そんなわけないでしょ! 最初は確かに50万だったけど! だいたい、勝手に勘違いして、勝手に舞い上がって、勝手に落胆したのはそっちじゃない! 人の意見なんか聞く気もなかったくせに、自分のことばっかり正当化して、都合がいいのよそーゆーのっ!」
あ、言ったらまずいな、と思いつつ、アイリッシュの言葉は止まらなかった。カルーアは一瞬驚愕に目を見開いたが、すぐにじわじわと怒りの感情をにじませていく。
「だいたいね、何が〝遊びじゃない〟よ。遊びに決まってんでしょーがこんなもん! あんたとあたしがやってんのは、純然たる遊びだっつーのよ! それを、〝遊びじゃない〟っていうのは、あれでしょ!? 下手くそなあたしを受け入れられない自分の狭量さから、目をそらしているだけなんじゃないの!? わかるわよ、レベルの低い奴と一緒に遊びたくはないわよね! そうならちゃんとそう言えば良いでしょ! 意気地がないのよ! 遊びに本気になるのがカッコ悪いとか思ってんでしょ! 中途半端な方がよっぽどカッコ悪いわ!」
よくもまぁ、次から次へと。
こんなに相手を罵倒するだけの言葉が出てくるものだ。アイリッシュは自分で自分が嫌になってきてしまう。下手くそなのは自分で、実際、50万に目がくらんだのも自分なのだ。相手を言葉責めにするときは、自分に後ろめたさがあってはいけないな、といつも思う。大事なのは開き直りだ。
だが、この時アイリッシュはまだ、開き直れてはいなかった。どこか自分自身に、後ろめたさがあった。それゆえに、彼女は攻めきれず、カルーアの反撃を許す。
「マジでもう出てけよ!」
カルーアの声はもはや、つんざくような悲鳴であった。
「50万が欲しいならやるからよ! 出てけよマジでもう!」
「そんなこと……」
「ローズマリーさんがいりゃいいからよ! おまえはもう出てけよ! 入って来んな、迷惑なんだよ!」
アイリッシュのメンタリティは基本、豆腐のように柔らかい。反撃の余地を残していたということはすなわち、彼女の負けも同然であった。カルーアの言葉は幼児同然の、極めて稚拙なものではあったが、あいりの心を深く抉り取る。
「……ああ、わかったわよ!」
アイリッシュは辛うじて、吐き捨てるように言った。
「出てくわよ! 悪かったわね、邪魔をして!」
逃避先のひとつを失うという、漠然とした思いがあった。カルーアに追い出されたところで、自分でマイペースに、ゲームを続ければいいだろうに、彼女はもうそんな気持ちにはなれなかった。確かに自分はゲームが下手くそで、彼らに迷惑をかけていた。その負い目が、アイリッシュの心を押さえ込む。
本当は捨て台詞と一緒に、7.26x51mmNATO弾(7.62だったかもしれない)を撃ち込んでやりたい気分だった。だが、ここで怒りに任せて引き金を引けば、それこそ立派なマナー違反だ。それだけは嫌だった。彼女は確かに芋スナで暴言を吐く、控えめに言ってもド底辺プレイヤーだったが、芋には芋なりの矜持があった。
レミントンM700をぎゅっと抱きしめたまま、アイリッシュはボタンを押しゲームから退出する。初期設定人数に変化はないため、FPS同好会は1人欠けた状態でゲームを続行することになる。だが、カルーアはせいせいしたとでも言うように、彼女が消えた地点から視線を逸らすだけであった。
チーム内通信が、彼のもとに届く。送り主がブラッディマリーなのを見て、一瞬躊躇したが、カルーアは回線を開いた。
『アイリが離脱したようですが』
開口一番、ブラッディマリーがそう告げる。両手に構えたウージーをまるで手足のように操り、話しながらでも戦闘動作によどみがない。カルーアも舌を巻くほどだった。
「………」
『喧嘩でもなさいましたか』
「喧嘩じゃない」
感情を押し殺した声で、カルーアはそう答える。『役立たずを追い出しただけだ』とは、言わなかった。怒りに任せてアイリッシュを追い出してしまったものの、ブラッディマリーの不興を買うことだけは、避けたかったのかもしれない。
『そうですか。アイリはメンタルが弱いから、仕方ありませんね』
ブラッディマリーの言葉は、あくまでも機械的かつ平坦だ。そこにどのような感情がこもっているのかは読み取りにくい。ひょっとしたら、すべてバレているかもしれない、という薄ら寒さがあった。
『ご心配なく。私は、頼まれた仕事をきっちりとこなします。アイリから、撤退の指令があるまでは』
それだけ言って、ブラッディマリーは回線を切る。
カルーアは唇を噛んだ。自分は間違ったことはしていない。はずだ。確かに、アイリッシュの実力を勝手に勘違いしていたのはこちらだが、芋スナをチーム内に入れておくのは単なる害悪でしかない。チームの成績維持のため、まして、十台以上のコクーンがかかったこの状態では、あんな奴は置いておけない。自分の判断は正しい。ブラッディマリーが戦ってくれるぶん、きっちり予定通りの謝礼を支払うとも言ったのだ。
FPSは、遊びじゃない。遊びじゃないのだ。
アイリッシュは、最後に愛銃の引き金こそ引かなかったが、カルーアの心の中にしっかりと鉛玉を残していったのであった。
「あれ、軍曹、イヤリングつけてるんですか?」
「あ、ああ……」
講義室から講義室へ移動する際、薄荷ラムの周囲にはサバイバルゲーム同好会の有志によって隊列が組まれる。彼らの衣装は一律にミリタリー服で、彼らの愛銃こそ持ち歩いたりはしないものの(一時期それで警察を呼ばれたことがある)、傘やカバンをショルダーウェポンのように持つことがあって、周囲の失笑を買っていた。恥ずかしいからやめてくれ、と、ラムは言いたい。
別にそのような命令を下した覚えは一切ないのだが、隊列はぴしりとしたものだ。ラムの左右を固める男子はローテーションで変化するが、男子の中にも序列があるらしくて、いつも隊列の後ろに回され前に出てこれない者も見受けられる。遠巻きに、オシャレそーなギャルがこちらを指差して笑いながら何かを話しているのが、ラムにとっては心穏やかではない。
一時期ラムはこの変な移動方法をなんとかするべく『これではオタサーの姫だ!』と叫んで一同の目を覚まさせようとしたことがあった。が、その時の彼らは大真面目な顔で『恐れながらマム、あなたは姫というより軍曹です!』と返してきたので、『ああ、自分は本当にオタサーの姫なのだなぁ』と自覚したものだ。
「珍しいですね。軍曹がそういうオシャレなんかするなんて」
「似合わないか?」
「そんなことはありません。軍曹は何をつけても似合います」
一人の男がやや食い気味に言ってきて、ほかのメンバーが頷く。あまり、参考にはならないな、とラムは耳元のアクセサリーを弄びながら思った。
これは、昨日赤羽のミリタリーショップで仲良くなった女の子が、貸してあげたタナカM700の代わりにくれたものだった。家まで招待し、部屋の中に大量に置かれた電動ガンに『うわあ』と感動しているんだかヒいているんだかよくわからない感嘆の声を漏らした彼女は、ラムの顔をじっと見つめた後、こう言ったのだ。
『ラムって、オシャレとかしないの?』
正直、言葉に詰まってしまった。しないというか、できないというか。あまり女の子らしくすると、余計にサークルの仲間たちを戸惑わせるのではないか、という懸念があったが、しばらく考えるうちに、それは自分の中で作った言い訳なのかもしれない、と思い始めた。
ありがたいのは、その女友達が、それ以上その件に関して追求せず、早急に話題を切り替えてくれたことだ。引っ張り出したM700を抱え、大して興味もないだろうに、『あのヘンテコな形してる奴もエアガンなの?』と、東京マルイのP-90を指さしたのだ。ラムは彼女の心遣いに感謝しながらも、『あれはベルギーのFNハスタールが、人間工学に基づいて設計した合理的な形状なんだ』と答えた。カキツバタは、FNハスタールがなんなのかまるきりわからないという顔をしていたが、『なるほど、合理的なのね』と深く頷いていた。
その後、それぞれ愛銃を持って、赤羽のシューティングレンジで射撃練習をした。初心者ということであまり期待はしていなかったが、カキツバタは気温の低いこの季節、決して命中精度がいいとは言えないカートリッジタイプのガスガンで、それなりの健闘を見せた。『筋が良いな』と正直に褒めたところ、何やら照れくさそうにしていた。
で、話がようやく戻るが、ラムがカキツバタに言い出したのは別れ際だ。はっきりと『オシャレの仕方がよくわからない』と告げると、カキツバタは『そっかー』と言いつつ、彼女がつけていたハート型のイヤリングをふたつ外して、ラムにくれた。『じゃあ今度、メイクの仕方とか教えてあげるわね』。
ラムは挙動不審も顕に『あ、あまりケバいのは嫌だぞ』と言うと、カキツバタは『あたしもケバいのは嫌かなー』と言って、そのまま笑いながら別れた。ギャルでもあんな良い子がいるんだな、と、思ったものだ。
「そう言えば、アカメさんが大学復帰したらしいですよ」
「ん、そうか」
あまり気のない態度をし続けたことに焦ったか、兵隊のひとりが『ラムの気になりそうな話題』を振ってきた。
「なんだかすごい目を腫らしてましたけど、一応、大丈夫そうです」
「そうか、アカメだからな……」
「アカメさんですからね……」
赤城瞳は、原則としてこの隊列には加わらない。ラムのことも『軍曹』ではなく『薄荷』と呼ぶ。彼女が『軍曹』としてチヤホヤされている間は、あまり愉快そうな態度は見せず、そうそうに部屋を出て行ってしまうこともあった。
その実力と、『軍曹』に媚びない赤城の姿勢はサークル内でも一目置かれると同時に、変人を見るような目で見られていたわけだが、ラムは当然、彼に対する感謝があった。サークル内に赤城がいなければ、ラムは『軍曹』扱いされる自分を、ここまで客観的に見れなかったであろうからだ。正真正銘『オタサーの軍曹』になっていたことは間違いない。
復帰したなら、ラインの一つでも飛ばしておくかな。と、ラムは思った。彼は既読でも全然返してくれない典型的なライン不精ではあるのだが。
隊列を維持して学内を行進していたラム達だが、ふと『軍曹』が立ち止まったことで、隊列もその動きを停止させる。周囲の兵士達は訝しげな顔で、ラムの顔を覗き込んだ。
「軍曹?」
「どうしました、軍曹」
「あ、いや……」
ラムの視線の先には、一人のギャルがいた。ギャル、というと、死語そのものなわけだが、ラム達のようなオタク女子は自分と対照的な女子を指してギャルと呼ぶ傾向にある。そうした意味で、視線の先、渡り廊下の手すりからじっと外を眺めている杜若あいりは、文字通りのギャルであった。
同じ大学だったのか、と、ラムは思う。
杜若あいりの表情は、なんだか物憂げに見えた。周囲に昨日のチャラ男や、ほかの友人がいる様子は見られない。独りでぽつんと、退屈そうに、キャンパスを眺めていた。
声をかけてみよう、と思ったが、後ろに連なる兵隊の存在が重荷になった。カキツバタが、そこまで強い偏見を持った女子だとは思いたくない。が、さすがに自分が『軍曹』と呼ばれて男達にチヤホヤされているところを見られれば、ドン引きされるのではないか、という思いがあった。
それだけではない。カキツバタのようなタイプの女子は、サークルメンバー達にとっても苦手だろう。ギクシャクした雰囲気になるのは、非常によろしくないように思えた。
「本日は、ここで解散とする!」
ラムはぴんと背筋を張り、その声がカキツバタの方に聞こえないよう配慮しながら、兵隊達に告げた。
「各自、別行動で部室へ帰投せよ!」
「「「イエス、マム!」」」
「以上、解散!」
こういう時、軍曹の権力は便利だ。ラムの発した鶴の一声で、兵隊たちはわらわらと散っていった。自由の身になれたことにひとまずホッとするラムだが、周囲のリア充達がこちらを指差してくすくすと笑っているのを実感して、すぐに恥ずかしくなる。取り巻きがいなくなっても、自分は軍曹だ。洒落っ気もない迷彩服に身を包んだダサい女子である。
それでむラムは、意を決して黄昏るカキツバタの方へと歩み寄った。彼女が悩んでいるなら、その、友人として相談に乗るべきではないか? と思ったのだが。直後、『これが恋愛の悩みだったらどうしよう』とも思ったのだが、その時点で既に、彼我の距離は数メートルにまで縮まっていた。拳銃の射程内どころか、このままCQCに持ち込める距離ですらある。
「かっ、カキツバタ!」
だが、スマートな奇襲には失敗した。声が裏返ったのである。杜若あいりは、すぐに振り返ってくれた。
「あ、ラム……。イヤリングつけてくれたんだ。ありがと」
そこにすぐ気づくとは、流石だ。うねり癖のある髪のせいで、耳はだいぶ見にくいはずだったが。
「ま、まぁな。友達がくれたものだからな……」
「ていうか、同じ大学だったのねー。歳が近いな、とは思ってたけど……」
「そうだな。私もびっくりだ」
ラムはこほん、と咳払いをする。
「隣、いいか?」
「いいけど……」
そう答える彼女の声には、やはり覇気がなかった。昨日の、今日だ。ラムはいよいよ心配になる。
「カキツバタ、私にはお前が悩んでいるように見えたが、何があったんだ? 相談に乗りたい」
「うーん……」
カキツバタは苦笑いを浮かべた。選択肢を間違えたか? と、ラムは焦る。なんだ選択肢って。
「め、迷惑じゃなければ、だが……」
「迷惑じゃないけど、ラムって、きっとアレよね。サバゲー同好会とか、入ってるわよね」
「あ、ああ……。一応、部長だ」
別に、隠しだてすることでもないな、と思った。むしろ隠す方が不自然だ。昨日、あんなにサバゲー好きっぷりをアピールしてしまったのだし。ただ、〝軍曹〟を頂点とした、サバゲー同好会の奇態をカキツバタに知られるのは、少し、気まずいな、とは思った。
なぜ、そんなことを尋ねるのだろう、とラムが思っていると、彼女はこのように続ける。
「じゃあ、ちょっと話しにくいところもあるんだけど……。うん、誰かに愚痴りたい気分だし、相談にのってくれる?」
「あ、ああ。なんでも聞くぞ」
真剣な顔で頷くラムに、杜若あいりは笑顔で『ありがと』と言ってくれた。