episode 03 ―チュートリアル―
あいりはその日、大学から帰る途中で〝ガンサバイブ・プラネット〟を買った。
いわゆる洋ゲー、それも血なまぐさい硬派なタイトルだ。あいりのような、ちょっとギャル趣味の入った女子大生が買うようなシロモノではない。ゲームショップの店員は『彼氏の影響かな?』なんて顔をしていた。あいにくね。彼氏なんていないっつーの。
そのまま家に帰り、いつものように手を洗い、メイクを落とす。両親が共働きで、夜まで不在というのはあいりにとって気楽であった。少なくとも今は、あまり両親と顔を合わせたくない。留年がほぼ決定しつつあることを、どんな顔をして切り出せばいいのかわからないのだ。
ああ、逃避だなぁ。
洗面台で鏡と向き合うあいりは、クレンジングを顔になじませながらそんなことを思った。情けない自分の姿が毎回イヤになってしまうのは、自分自身の理想が高すぎるからなのだろうか。ほかの人は、もっと割り切っている? 自分もそうなるべきなのか?
いや、それはそれで、ヤだなぁ。
ぐるぐるととめどない思考を続けながら、あいりはメイクとよく馴染んだクレンジングを、さっと洗い流す。顔に残った水滴を、軽く拭き取った。鏡の中には、完全にメイクの落ちたあいりの顔がある。ぶっちゃけ、そこまで変わっているとは思わない。が、今日のあいりはひどく鬱屈した気分のおかげで、鏡の中に映る赤髪の女が、なんだかとんでもないブスに見えてきた。
「はぁー……」
ため息をつくと幸せが逃げるよ、なんて、ベタな慰めを言ってくれる友人はここにはいない。あいりは逃がした幸運をそのままにして、ゲームショップの袋と、オシャレなバッグを片手に2階へと上がった。
電源につなぎっぱなしのミライヴギア・エックスがある。無造作に放置された、ヘッドマウント・ディスプレイ型の機械がそれだ。意外とごつくて重いので、寝っころがりながらの遊戯が推奨される。
あいりはベッドの上にぽすんと腰を下ろして、買ってきたばかりのゲームの包装を開いた。ジャングルの中で、全身を迷彩服とごっついジャケットで包んだ、顔もよくわからない兵士が、銃を片手に巨大な怪物へ向かっているパッケージ。説明書をぱらぱらとめくって見ても、やはりよくわからない。
ミライヴギアに挿さりっぱなしだったMMORPG〝ナローファンタジー・オンライン〟のディスクを抜いて、〝ガンサバイブ・プラネット〟をセットする。あいりは、いささか躊躇したものの、やがて意を決したかのように、ミライヴギアをかぶった
情報を持った量子波動が、脳波と共振を起こしてあいりを仮想現実の世界へと誘う。
意識だけが切り離されて宙を漂うようなこの感覚にも、慣れてしまって久しい。ぶわん、と浮かび上がる、今はなきポニー・エンタテイメント社のロゴ。やがてあいりは、真っ暗な空間の中で目を覚ます。空間にはやがて光が差し込んで、小さな小部屋のような場所に変化した。
ここはまだ、ガンサバイブ・プラネットの世界ではない。仮想空間上に設営されたVRSNS〝ミライヴネット〟の片隅だ。あいりは、この中ではナロファン同様〝アイリス〟というアカウントネームを使い、アバターもまたナロファンで作成したものを流用している。ミライヴネットのアバターは、ゲームで作成したものを自由に使えるのがウリだ。もちろん、ミライヴネットそのものにもアバターの作成システムはあるのだが、あんまり良いデフォルトパーツがない。
ともあれ、ひとたび外に出れば、世界観の枠を超えた様々なアバターが闊歩するミライヴネットにおいて、アイリスの姿とは長い赤髪に、すらりと背の高いスレンダーボディを持った一人のエルフである。まぁ、外見的にエルフを象徴するのは、その特徴的な耳以外に何一つとしてないのだが。
メッセージボックスに何件かのメッセージが入っていたが、ひとまず無視して、テーブルの上に浮かび上がっているゲームアイコンに触れる。〝ガンサバイブ・プラネットを始めますか?〟という確認の一文が浮かび上がってきたので、アイリスは〝はい〟をタッチした。
ミライヴネットの世界がぱらぱらと崩れ落ち、彼女を別の世界へと連れて行く。いよいよ、ゲームスタートだ。ミライヴギアで遊ぶゲームはナロファン以外やったことがないので、けっこうドキドキする。
重厚な視覚エフェクトと聴覚エフェクトが、量子波に乗って直接アイリスの脳に食い込んでくる。VRゲーム特有の、〝プレイ前の注意点〟をさっと読み流すと、ライブ感も鮮やかなムービーが始まった。が、これも飛ばす。ほかの人はともかく、彼女はVRゲームで見せられる主観型のムービーというのは、そんなに好きではないのだ。
ようやく、プレイ開始画面だ。〝Campaign〟〝Online〟など、いくつかの項目があるが、まずは〝Tutorial〟しかタッチできない。アイリスはやや億劫に思いながらもそれの触れた。
「(あ、これ、キャラクターメイクできるんだ)」
次に案内された空間の中で、アイリスはそのように思った。ユーザーネームなどの基本情報を入力するディスプレイの裏側に、メイキング用のキャラクターフィギュアが浮かんでいる。ひとまずユーザーネームは英語入力なので、いつもどおり『Iris』と……。
「(あっ)」
間違えた。余計な一文字まで入力してしまった。勢い、決定キーまで押してしまう。『Irish』。『アイリッシュ』。これはこれで、いちおう読めるし、いいのか……?
アイリス改めアイリッシュは、気を取り直してメイキング用のキャラクターフィギュアに触れてみる。プレイヤー情報を〝女性〟に設定すると(ここでわざわざ設定しなおすということは、別にミライヴネットの本来のアカウントと齟齬があっても良いのだろう)、キャラクターフィギュアも、やけにムッチリとした女性のものに変わる。ボディラインもアメリカンだ。
アイリッシュは顔をしかめる。別に、セックスアピールが露骨なキャラクターフィギュアを否定するわけではないのだが、顔がバタ臭すぎるのだ。ナロファンの、良くも悪くもジャパニメーション的な雰囲気に浸かりすぎたのもあるが、ちょっとこれは、シュミが合わない。
多少試行錯誤はしたものの、顔のバタ臭さだけは如何ともしがたい。結局、ミライヴネットで使用しているアバターを流用できるらしいので、おとなしくそうすることにした。血と硝煙の匂いでむせ返るガンサバイブ・プラネットの世界においても、結局彼女は赤髪エルフだ。
決定を押すと、すらりとした彼女のボディラインの上から迷彩服が着せられる。衣装もある程度は選べるようだが、いずれもミリタリー色が強いものだ。服を着せると、ナロファンの〝アイリス〟に比べて、微妙に胸や尻が盛り上がってきているような気が、しないでもない。洋ゲーの趣味なんだろう。
迷彩服の上からごっついジャケットを着込むと、ガンサバイブ・プラネット、すなわち無人惑星ゲルカントに降り立った一人の兵士〝アイリッシュ〟の誕生だ。アバターフィギュアが自らの仮想肉体となり、確かな手足の感触とともに、アイリッシュは床に降り立つ。
「おおお……」
アイリッシュは手足を動かし、ぺたぺたと顔を触りながら、感嘆の声を漏らした。
「すごいけど、ナロファンに比べると、皮膚の質感とかちょっと雑だわ……」
なんかザラザラしているというか、肌荒れしている感じがする。ちょっぴり盛り上がった胸元もつっついてみたが、まるでゴム毬のようだった。このアイリッシュは、胸にシリコンでも入れてんのかしら。
アイリッシュが降り立ったのは、妙に未来的な、メカニカルな空間である。どうやら、宇宙船の中らしい。窓の外を見れば、緑の生い茂る無人惑星ゲルカントの大地が確認できた。
『アイリッシュ、ガンサバイブ・プラネットの世界にようこそ』
室内にある、ひときわ大きなディスプレイから女性の声が聞こえる。
『これよりチュートリアルを開始します。あなたが今いる場所。ここが、セーフ・ハウスになります。あなたがゲームを開始するたび、このセーフ・ハウスからスタートします。セーフ・ハウスでは、アバターフィギュアの再設定、兵科の再選択、キャンペーンモードにおけるポイントの再設定が行えます』
「なに言ってるのかまったくわかんないわ」
『ゲーム内におけるだいたいのことを決め直せる場所だとでも思っていてください』
インフォメーションAIは突然砕けた口調になって言った。2年前の技術的なブレイクスルー以来、人工知能の有機思考化が進んでいるとかなんとか、ローズマリーが言っていたが、関係あるのだろうか。そもそもアイリッシュは〝人工知能の有機思考化〟というのがなんなのか、わからない。
「あたし、まったくのシロートなんだけど、これってVRMMOとかとは違うのよね? 宇宙船の外に出れば、あたしみたいにゲームを始めたての人がいっぱい歩いてるわけじゃ、ないのよね?」
『現在はオフラインモードですので、ほかのプレイヤーと接触することはありえません。また本作品はMMO要素は存在しません。原則的にMMOとは、』
「待って」
檻の中のクマのように室内をうろうろしながら、アイリッシュは片手をあげた。
「わかりやすくね?」
『本作品は、不特定多数の人間が同時にオンライン接続をするようなゲームシステムではありません。基本的にオフラインでも遊べます。オンラインで遊ぶ場合は、〝部屋〟を作り、その〝部屋〟に接続したプレイヤー間でのみゲーム的なやり取りができます』
「へー」
なんてよくできたAIだろう。ナロファンのゲーム開始時のガイダンスは、こんなに物分りがよくはなかった。
『申し遅れましたが。私はオペレーターAIとして、あなたのゲームライフをサポートします。声の設定、名前の設定はこちらのコンソールでできますので。ご自由に』
「わかったわ。ちょっと待ってね」
見てみると、ライブラリには大量のサンプルボイスが存在した。日本のTOCS(=ツワブキ・オンライン・コミュニケーション・サービス)が運営するミライヴネットでは、古今東西あらゆる声優・俳優のボイスを、共有イメージとしてアーカイブ化している。肖像権を一律化し、TOCSが代行して使用料を支払う画期的なシステムで、おそらくこのゲームもそれに乗っかっているのだろう。
アイリッシュはしばらく悩んだ後、ボイス設定を〝市川治〟に、AIの名前を〝メカキルシュヴァッサー〟にした。キルシュヴァッサーは、ナロファンにおいて彼女がよく世話になった騎士だ。アイリッシュにキルシュヴァッサー。どちらも酒の名前なのでちょうどいい。
「じゃあよろしくね、メカキルシュさん」
『かしこまりました。アイリッシュ』
張りのある、今は亡き名優の声で、オペレーターAIは告げた。
「それで、あたし、オンラインで友達と遊ぶ予定だからそっちに繋ぎたいんだけど」
『念のため、基本的なゲームシステムについて説明を受けることをおすすめします』
「長くならない?」
『なりません』
じゃあ聞くわ、とアイリッシュが言うと、メカキルシュヴァッサーが端的な説明を開始する。
アイリッシュがVRMMO経験者であるとAIが認識しているのか、その差異についての説明から入ってくれるので、非常にわかりやすかった。まずレベルや経験値の概念がなく、どんなに戦闘を重ね敵を倒したとしても、それが対人戦を有利にしてくれるものではないということだ。ステータスもほぼ一律化されている。
〝クラス〟に相当するものとして〝兵科〟が存在する。【強襲兵】【援護兵】【偵察兵】【衛生兵】【工兵】の5種類だ。アバターの身体的な性能は、ほぼこの兵科に依存する。兵科は何度でも再設定が可能で、キャンペーン(ストーリーモードみたいなものだ)の内容や、集団戦であれば味方の兵科に応じて選択することが重要となる。
で、最後に重要となるのが〝ポイント〟だ。この説明に入るとき、ディスプレイには〝2000〟という数値が表示された。まったく同じタイミングで、無機質な金属製の壁が〝がしゃん〟と開き、様々な銃火器がずらりとその姿を見せたものだから、アイリッシュは思わず『おお』と漏らしてしまった。
ただ、そのギミックに驚きはしても、あまり銃火器を眺めてテンションが上がったりは、しない。所詮は自分も女の子かぁー、と、アイリッシュは棚に並べられた拳銃を手にとって思った。
ぴこん、という電子音声がして、ディスプレイの数値が1900にまで減少する。
「んっ?」
『これが〝ポイント〟のシステムです』
落ち着き払った声で、メカキルシュヴァッサーが告げた。
『ポイントを支払い、装備を選択できます。余ったポイントは、ライフとスタミナに振り分けることができます。現在アイリッシュが手にとっている武器はベレッタM92、ただいまの兵科は強襲兵なので100ポイントで選択できますが、偵察兵などではもっと高価なポイントが必要になります』
「はー……」
なるほどねぇ、と、アイリッシュは思った。拳銃を棚に戻し、ライフルやサブマシンガンなどを次々と手にとり、構えたりして質感を確かめる。やはり、ずっしりと重い。銃火器のカッコ良さはあんまりよくわからないが、こうしてみると、ミリタリーファッションの小物としては十分アリなように思える。
「うん、だいたいわかったわ」
アイリッシュは頷き、構えたライフルに、さらにポイントを消費してアクセサリーなどを追加していった。片目を閉じてスコープを覗き込む。その格好がサマになっているかどうかを判断してくれる人は、ここにはいなかった。
『オンラインでは、部屋に入ったあと、兵科やポイントの選択を行います。選択には制限時間がありますが、あらかじめフレンド同士でチームを組む場合はこの限りではありません』
「んー、おっけー」
アイリッシュはライフルを棚に戻し、防弾ジャケットを着込んだり、コンバットナイフを構えたりしてポージングを決める。彼女も意外と、カタチから入るタイプであった。
棚の中には、5000ポイントを消費するリニアレールキャノンやレーザーライフル、ミサイルコンテナなども存在する。これらの武器は、マッチングのレギュレーションでポイント上限を変更するか、オフラインモードでキャンペーンを進め、高ポイントによるプレイを選択可能になることで使用が解禁されると、メカキルシュヴァッサーは説明した。
2000ポイントきっかりのステルス迷彩を着込み、忍者ごっこを始めてから数分、アイリッシュはようやく我に返り、小さく咳払いをした。
「じゃ、じゃあメカキルシュさん。オンラインにつないでもらえる?」
『かしこまりました』
しばらくのち、ディスプレイには現在作られている〝部屋〟が、ずらりと表示される。『満員』だとか『空きあり』だとか、鍵のマークがついている部屋は、パスワードが必要なものだろう。
〝ぽーん〟という、ナロファンでもよく聴き慣れた軽い音がして、ディスプレイにインフォメーションメッセージが表示される。メカキルシュヴァッサーがそれを読み上げた。
『フレンドのローズマリーが、あなたをウェイティングルームに招集しようとしています』
「ウェイティングルームって、さっき言ってたフレンド同士でチーム組む場合の部屋?」
『はい。準備が整い次第、条件にあったマッチング相手を探して集団戦を行うことができます』
「わかったわ。じゃ、繋いで」
アイリッシュが許可を出すと、メカキルシュヴァッサーは、ローズマリーのウェイティングルームへ接続を試みる。そのさなか、このオペレーターAIはこんな話を切り出した。
『オンラインプレイを開始する前にひとつお話があります』
「なに?」
『いかなるオンラインゲームにおいても、マナーを遵守してください。悪口、誹謗中傷、特定の誰かが傷つく怖れのある発言は慎み、節度あるプレイを心がけましょう』
「メカキルシュさん、あたしをなんだと思ってんの?」
『アイリッシュです』
それは、オペレーターAIが特に深い意味もなく発した発言であったのだろう。オンラインプレイにおける、あらゆるゲームの普遍的なマナーを解説したに過ぎない。
だが、かつてのVRMMOでよく慣れ親しんだ騎士の声でそのように言われては、アイリッシュはなんだか、邪神と呼ばれた過去の自分を咎められているような気がして、ならないのであった。