episode 02 ―50万円―
軽亞みるくは、とうとうと語りだした。
昨今ようやく市民権を獲得してきた家庭用VRゲームハード〝ミライヴギア〟。その専用ゲームソフトの中でも、一部のゲーマーが待望していた新作が、ついに発売された。
その名も〝ガンサバイブ・プラネット〟。プレイヤーは無人惑星ゲルカントに降り立った一人の調査員として、銃火器をはじめとしたリアリティのある武器を片手に、惑星にはびこる巨大生物を狩っていく。だが、このゲームを待ち望んでいた彼らにとっての骨子は、そこではない。
このゲームは、銃火器を駆使した対人戦、それも少人数対少人数のチームプレイを行うことが可能なタイトルなのである。いわゆるFPS派生といわれ、いずれ発売されるであろうと睨まれていたこのゲームだが、案の定、開発に着手し発表したのは、アメリカの大手ゲームメーカーであった。
無料のダウンロードコンテンツとして、対人戦用のゲームフィールドが用意されているが、それが例えば〝スターリングラード〟であったり、〝シンジュク・ターミナル〟であったりするあたり、メーカー側もユーザーがどういう受け取り方をするかは、しっかり予想していた様子だ。つまりガンサバイブ・プラネットとは、銃を片手に、リアルな世界で殺し合いゴッコをしたい、最低野郎ども御用達のゲームだったというわけである。
「そりゃあ、俺たちヘビーなFPSユーザーは飛びつきますよ。そうでしょう!」
軽亞は唾をまき散らしながら熱弁した。そうでしょう、と言われても、あいりは困る。
「あの、えーっと。初歩的なことを聞いてもいい?」
「なんですか」
「えふぴーえすって、何?」
確か、慣れ親しんだVRMMOでも、そういったゲームジャンルの話題がたびたび上がることはあった。が、あいりはほとんど聞き流していたのである。銃を片手にドンパチやるゲームなのだということだけは、おぼろげに察していた。
「ファースト・パーソン・シューティングゲーム、あるいは、ファースト・パーソン・シューター。一人称視点における射撃ゲームの総称です」
ローズマリーが物静かに、しかし丁寧な開設をする。
「でも、VRゲームなんて大体は一人称視点なんじゃないの?」
「鋭いですね! さすが邪神アイリスさんだ!」
「その言い方やめてよ」
あいりは露骨に顔をしかめるが、軽亞のテンションは収まる様子がない。
「だから、ガンサバイブ・プラネットはVRGSというゲームジャンルになっているんです。バーチャル・リアリティ・ガン・シューター。これが市民権を得る言葉かどうかはわかりませんが、つまり、このゲームがまったく新しいゲームジャンルであることを表しているんですよ!」
「あーうん、はい、そうね。それで?」
あいりはもうだいぶ聞くのに疲れてきていたが、辛うじて続きを促すことができた。横道にそれまくったり、あいりがローズマリーや茶良畑に補足説明を求めたりする関係で、話自体は異様に長くなったが、まとめるとこうだ。
当然、家庭用のミライヴギア・エックスと呼ばれるハードを購入し、彼らはガンサバイブ・プラネットを始めた。あいりが慣れ親しんだVRMMOと違い、レベルや経験値といった概念のないガンサバイブ・プラネットで勝敗を左右するのは、ゲームシステムに対する慣れと、反射神経をはじめとした本人の資質、そしてもうひとつがマシンスペックなどのプレイ環境である。
当初は普通に楽しんでいた軽亞たちも、次第に貪欲により良い環境を求めるようになる。ミライヴギアのクロックアップをはじめとしたゲーム環境の改善。回線の増設。そうしたアレコレを行っていくうち、彼らの耳にある情報が入ってきた。
赤羽にあるゲームセンターが潰れ、そこにある全12台の業務用VRゲームハード〝ミライヴギア・コクーン〟が、払い下げられることになったのだ。もともと高価なゲーム筐体ではあるのだが、それゆえに足元を見られ、満足に買い手もつかない。まぁ単純にゲームセンターの経営者がそうした売買ルートに疎かっただけということもあるが、安く買い叩かれるくらいならむしろ、よく遊びにきてくれた城南大学の学生にプレゼントしよう、という話になったのだ。
演算能力ひとつとっても、家庭用のミライヴギア・エックスが8テラフロップスなのに対し、業務用のミライヴギア・コクーンは250テラ。まさしく雲泥の差だ。VRGSをプレイするのに、これほどの環境はない。FPS同好会のメンバーは喜び勇んで交渉に出向いた。
だが、そこには先客がいた。
城南大学サバイバルゲーム同好会のメンバーである。彼らもガンサバイブ・プラネットを快適環境でプレイしたがっていた。
「おかしいでしょう!」
ばん、と軽亞はちゃぶ台を叩く。
「だってゲームですよ! コンピューターゲーム! なんでそれをサバゲー同好会の連中が欲しがるんですか!」
「えーっと、サバイバルゲームってそもそも何?」
「主にエアガンなどを用いて、敵味方の陣営に分かれ争い合う集団競技のひとつです」
あいりの疑問に、またもローズマリーが丁寧に答える。
「戦争ゲームみたいなもん?」
「そうです」
「ふーん」
あいりは納得したように腕を組んで、頷く。そのままソファにぽすんと腰掛けて、ぐっしょり濡れたその感触にびっくりして立ち上がる。先程から茶良畑が黙々と片付けを続けていた。真っ先にドライヤーであいりの服を乾かし始めるあたり、本当に気が利いている。髪に関しては、自分で梳かしながら乾かしたいので丁重に断っておいた。
「でも、それなら正直アレじゃない? 仮想世界とは言っても自分で銃を持ってドンパチやるなら、VRGSよりもサバゲーの方が、確かに感覚的に近いんじゃない?」
「邪神アイリスさんまでそんなことを言うんですか!」
「だからその呼び方やめろっつってんでしょ!」
あいりが声を荒らげてちゃぶ台を叩くと、軽亞たちはびくりと肩を震わせる。弱い。
「え、えっと……はい。確かにその、VRGSはFPSとサバゲーのどちらの要素も持っているものでして……。先方の方も、どちらにコクーンを譲るか考えあぐねているといった感じでして……」
「どうすんのよ」
「それでその、勝った方に譲る……と、いうことになりました。VRGSによるマッチングを行ってです」
「ふーん」
まぁ、妥当なところだろうか。別にVRGSプレイヤーだけにコクーンを払い下げる理由というのはよくわからないし、あれの維持費は相当なものがかかると聞いているのだが。コクーンの中古台は市場でも流通数が少ない。単純に中古台を取り扱える業者が少ないのがその理由のひとつだ。
取り扱うには相当な専門知識も要るらしい。まぁ、それでも欲しいって言うんなら仕方がないだろう。本来なら軽く数千万以上する筐体が、タダで手に入るのだから気前のいい話だ。
「ゲーム的な知識や感覚などでは、俺たちの方が圧倒的に優れているでしょう。ですが、実際にプレイしてわかりました。実際に銃を持ち、戦場を走り回るのは、確かにFPSとは違うのです。俺たちには、自信がない……」
一瞬目を伏せた軽亞がパッと顔を上げるので、あいりはたじろいだ。たじろぎつつも、茶良畑がちゃぶ台の上に置いた鏡を見て、ドライヤーと櫛で濡れた頭を梳かし始める。
「杜若あいりさん、是非俺たちに力を貸してください! 邪神と呼ばれた、あなたの力を!」
「だからなんであたしなのよ!」
「しかし、邪神アイリスと呼ばれたのはあなたなんでしょう!?」
「そうだけど!」
「ナローファンタジー・オンラインにおいて四大ギルドのひとつに数えられる、アイリスブランドの2代目リーダーなんでしょう!?」
「そうだけど!」
「構成人数は5人ながら、常に外部のギルドと連携をとり、多くのトッププレイヤーとコネを持っていたと聞きます!」
「確かにそのとおりよ!」
事実を突きつけられ、あいりの脳裏にはVRMMORPG〝ナローファンタジー・オンライン〟の鮮やかな思い出たちが蘇る。まったくもって、懐かしい。今でも当時のゲーム仲間とは度々合うし、定期的にログインもするあいりだが、リアルの都合や他タイトルへの転向などで、ナロファン内では見かけなくなったプレイヤーもそれなりにいる。
もともとゲームバランスの最悪なゲームだったから、仕方のない話だ。ナロファンにユーザーが集中していたのは、それがミライヴギアのスペックを十全に生かした、ほぼ唯一の仮想現実世界だったからであり、もっとバランスやシステムの優れたタイトルが出た以上、そちらに鞍替えするプレイヤーが出たとしても不思議ではない。
まぁ、解説として完全な蛇足にはなるのだが、ナロファンもシステム周り、数値的なバランスの調整が行われ、ひとつのMMORPGとしてのプレイにしっかり耐えうるようになっている。カムバックキャンペーンもはじめて、過去のプレイヤーがちらほら戻ってくる様子も見られるようになった。
それでも、あいり達のギルドであった〝アイリスブランド〟は、もともとのナロファンにおけるピーキーなゲームバランスに乗っかったコンセプトのキャラクタービルドが多く、ゆったりとナロファンの表舞台から姿を消すようになったのだ。〝邪神〟の名は、過去のものになりつつある。
「今もナロファンのトップギルドに君臨し続ける、〝赤き斜陽の騎士団〟リーダーのストロガノフ氏は……」
「友達よ」
「現在、新規のVRゲームタイトルを積極的にプレイし、次々と新たな検証wikiを作っている、ブログ管理人のマツナガさんは……」
「友達よ」
「かつてサイバーテロを企画したリアル犯罪者の方もお知り合いにいらっしゃるとか!」
「それ今関係あんの!?」
認めよう。ナローファンタジー・オンラインは、あいりにとってはかつてないほどの出会いの場であったのだと。ろくすっぽゲームを知らない自分が、オンラインゲームという比較的コアな環境において、様々な人間とコネクションを作ることができたのだから、世の中、何があるかわからない。無論、あいり自身、ナロファン内でも指折りの有名人だった。当時は、であるが。
もちろんトッププレイヤーが数多くいた。国内最強と呼ばれたゲーマーがいたし、それを単身で下した若きゲーマーもいた。レストランの経営者がいた。大企業の御曹司やご令嬢がいた。メイドがいた。アイドルがいた。脳科学の権威だっていた。軽亞の言うとおり、今もブタ箱にぶち込まれたままの犯罪者もいたりした。
その中でも有名人だったというのだから、確かに、あいりの勇名というものは、客観的に見れば相当なものである、と言えたかもしれない。
「そんな最強集団の中にあって、〝邪神〟と呼ばれたほどの方です! さぞや素晴らしいプレイヤースキルとゲーム知識をお持ちなのだろうと、そう思ってお声がけしました!」
「………」
あいりの全身からだらだらと汗が流れはじめる。ドライヤーで乾かしても乾かしても、この変な汗が止まる気配はない。
「杜若さん、髪、痛むんじゃないっすか」
脱色しまくりでマッキンキンの茶良畑には、それを言われたくはない。
「あのね、軽亞さん。なんか勘違いしてるみたいだから、先に言っておくけど……」
「50万出しましょう!」
「うっ……」
「これは、我が同好会の部費に、会員全員のカンパを合わせた全金額です!」
最初に提示された金額をバッと示され、あいりは若干心が揺らぐ。
50万円。はした金だ。この程度の金額を、たった数秒で湯水のように消費する人物を、あいりは知っている。当然、ナロファンのツテで出会ったのだ。だが、庶民たるあいりにとっては大金である。なにせ50万だ。フランス旅行にも、行ける。
カネがあっても単位は取れない。満足行くデザイン画が仕上がるわけではない。
だが、フランスには、行けるのだ。
「や、やるわ……」
あいりは、そう言ってしまった。こういうのも、カネに目が眩んでしまった、というのだろうか。そう考えると、なんだか自分が取り返しのつかないことを言ってしまったような気がする。邪神アイリス。こうもカネに弱い人間であっただろうか。
背後からこちらを眺めてくるローズマリーの視線が痛い。付き合いの長い彼女であれば、言いたいことはあるのかもしれない。
「そうですか、これで安心しました!」
軽亞は満面の笑顔で頷き、拳を『ぐっ』と握る。後ろについてきていたほかのメンバーも快哉を叫んだ。
「サバゲーの感覚に慣れるため、こうした格好で練習もしてきたのですが……。邪神アイリスさんが手伝ってくれると言うのなら、百人力ですよ!」
「う、うん。まぁアレよ。任せて、おきなさい?」
あいりは冷や汗をかきつつも、胸を叩く。心にもないことを言ってしまった。
「それじゃあ邪神アイリスさん、詳しい話はまた後日! あ、ガラス代その他も弁償させてもらいますね!」
随分と気前のいいことを言いながら、軽亞たちはぞろぞろと部室を出て行く。まぁ、総額100万かかったところで、本来のミライヴギア・コクーン1台分の値段にもならないのだし、安い買い物と言えばそうなのだが。実はあの男もそれなりにお坊ちゃんなのかもしれない。
弁償してくれる、と、言ってもな。
あいりは、自分の机の上に、視線を向けた。スプリンクラーの水でぐしょぐしょになった書類が散乱している。その中には、渾身の出来になるはずだった、服飾のデザイン画だってある。水に滲んで、よくわからないようになってしまっていた。
何よりもショックだったのは、そのデザイン画を目の当たりにして、自分がそこまでショックを受けていないことだった。あぁ、仕方ないわね、くらいにしか思えていない。そんな自分が一番衝撃的だ。
どのみち、こんな精神状態では、デザイン画のひとつだって上げられない。
今からもがいて、単位をどうにかすることだって、できやしない。
「アイリ」
ローズマリーは、いつにもまして平坦な声を、あいりにかける。苦言を呈されるかもしれない、と、あいりは身構えた。
「なによ」
「いい機会です。今までのいろんなしがらみを忘れて、気分転換するのもいいでしょう」
「………」
声音こそ機械的だったが、かけてくれる言葉は存外に優しい。あいりは肩透かしを喰らいつつも、押し黙る。
「がむしゃらにやりすぎて自分を見失うというのも、よくある話だと聞きます。アイリが本当にやりたいことを、もう一度見つけられるまでは、お手伝いしましょう。フランス旅行も、悪くありません」
「うん……」
ああ、よくできた子だわ、こいつは。あいりは心の中で小さなため息をつく。ちょっと前までは、ずいぶんと我が儘で手の付けられない子だったと記憶しているのだが。いつの間にか、精神年齢ですっかり追い抜かれてしまったらしい。
ローズマリーも成長しているのだ。当然、ナロファンで出会った多くの仲間たちも、その生活を変化させ、成長しているのだと聞いている。停滞しているのは、足踏みしているのは、いつも、
おっと、いけない。
せっかくローズマリーが励まそうとしてくれているのに、ネガティブスパイラルに入ってしまうのは、よくない。
「とりあえず、これからガンサバイブ・プラネット、っすか? 買ってくるっすかねぇ」
鏡を覗き込み、髪型を再度丁寧に整えながら、茶良畑が言う。
「茶良畑くん、ミライヴギアは持ってんの?」
「あるっすよ。いちお、ミライヴネットのアカウントも。あんまオンライン繋いだことないんすけどね」
どこにでもユーザーはいるものだ。あいりは驚いてしまう。
「ところで、杜若さん。一個、聞きたいんすけどぉ」
「なに?」
ばっちり髪型を整えた後、茶良畑はあいりにその顔を向けた。唇についたピアスが本当にチャラい。
「なんで邪神とか呼ばれてたんすかね? 別にゲームとか上手かったんじゃないんでしょ? あいつらは勘違いしてみたいっすけどぉ」
「あー、うん。それねー……」
どう答えたものかな、と、あいりは頭を掻く。茶良畑の言うとおり、あいりは別にその豊富なゲーム知識や、プレイヤースキルなどで邪神と畏れられるようになったのではない。ギルドはトップ集団の仲間入りし、あいり自身、そのアバターをそれなりのレベルにまで育て上げたが、彼女のゲームの目的自体、実はそこまで攻略とは関係がなかったりした。
〝邪神〟と呼ばれ、ほかの三大ギルドの頭目に一目置かれ、有名人とまでなった理由は、まったく別のところにある。
「あたし、口が悪かったのよねー……」
結果、あいりは正直に答えることにした。
「……それだけっすか?」
茶良畑は、珍しく驚いたような顔をみせて尋ね返してくる。かつての〝邪神〟あいりは重々しく頷いた。
「それだけよ」
「パねぇ」