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epilogue  ―結末―

「おっかしいわねー……」


 杜若あいり、19歳。城南大学経済学部へ通う女子大生である。

 将来の夢は、アパレルデザイナーだ。


「あたし、当初の予定では今頃、フランスにいるはずだったんだけど……」


 ベルトコンベアで流れてくる刺身パックの上にたんぽぽを置きながら、あいりは首をかしげていた。割烹着を思わせる、清潔感にあふれた白い作業着と、長い髪が落ちないようにする帽子。そしてマスクは、彼女の愛嬌を完全に覆い隠していた。オシャレさとは程遠いダサさの極地だが、この工場では必要なものである。

 株式会社シャルル・ド・ゴールが経営する、シャルル・サシミ・インダストリー。川口エリア一帯の鮮魚事情のすべてを担うのがこの工場だ。杜若あいりのバイト先でもある。


 ゲームセンター〝アルカディア・レッドフェザー〟が主催するVRGS大会において見事に優勝を収め、賞与されたミライヴギア・コクーン冷酷無慙にも売却し、借金1億円を返済した後、手元に残った6000万を手にバイトとはおさらば、フランスへ旅立つ、というのが、あいりの当初のプランであった。

 途中までは良かったのだ。途中までは。


―――【MOJITO】が【Irish】にヘッドショットキルされました。


 あの時、間違いなくアイリッシュの放った弾丸は、モヒートの額をぶち抜いた。エフェクトのリアリティレベルを極限まで落としていたので、友人の顔がグロテスクにはじけ飛ぶ様は、見ないで済んだわけだが。


 ともあれ、優勝はしたのだ。あいりはローズマリーの自宅から跳ね起きて、必死でチャリを漕いでアルカディアに到着し、息を切らせて雪崩れ込むと、彼らは拍手で迎えてくれた。両目に悔し涙を溜めたラムが近寄ってきて、抱きついてきたので、ぎゅっと抱きしめ返してあげた。軽亞も悔し涙を浮かべながら両腕を開いていたが、こちらは無視した。

 簡単な授賞式が開かれ、ミライヴギア・コクーン全12台を譲渡する旨が書かれた書類が、あいりの手に渡った。


 まぁ、それはいい。


 そういえば、なぜか御曹司も来ていた。あいりが1億借り受けた、その張本人である。相変わらず憎たらしいほどの涼やかな笑顔で、青いスーツを着た青年は『君には時々本当に驚かされる』とだけ言うと、そのままフランスに戻ってしまった。そのひとことを直接言うために帰国したらしかった。あいりとしては、茶良畑がちょっぴり面白くない顔をしていたのが珍しくて、そちらのほうが驚いた。


 まぁ、それはいい。


 中古コクーンの譲受、売却、借金の返済、その他もろもろ。そのあたりは、その嫌味ったらしい御曹司の会社の経理の人が請け負ってくれることになった。あいりは経済学部の学生だが、さすがに1億などという大金をどうこうするのは恐れおののくので、素直にお願いした。

 あいりはローズマリー達と『6000万も手元に残ったらどうしようかしらねー』などと語り合った。フランスに行くのは確定である。ラム達を連れて行くのもいいかも、と思った。が、ここで彼女たちにミライヴギアを買い与えるかどうかは、ちょっぴり難しい。勝者が敗者に施しを与えるようなものだ。


 結論から言って、すべて杞憂に終わった。


 ツワブキ・オンライン・コミュニケーション・サービスの経理の人が、ちゃっちゃと仕事を終わらせて、その明細があいりの手元に届いたのは、3日後のことである。

 専門的な用語がうだうだと書かれていたが、あいりは手元の参考書とともに読み解くと、だいたいこのようになっていた。


中古コクーン売却額  \10,000,000x12=\120,000,000

中古コクーン(新)売却額  \40,000,000x01=\40,000,000

借金返済額  \-100,000,000

贈与税  \-60,000,000

残金  \0


 より正確な話をするならば、どっかの国税局が、いや、どっかも何も日本国の国税局以外にありえないのだが、嗅ぎつけて難癖をつけてきたのがきっかけらしい。本当はもっとむしり取られてもおかしくはなかったのだが、そのへん、TOCS経理部やお抱え税理士の方々は非常に優秀であって、ついでに御曹司の知り合い弁護士1名まで動員して、コクーンの譲渡時に発生した贈与税6000万までに押さえ込んだのだという。


 ありがたい話だ。


 今にして思えば、坂田蒼乃があいりの使用済みコクーンを4000万で買い取ると言ったのも、写真をつければさらに2000万上乗せすると言ったのも、このオチを見越してのことだったのかもしれない。あいりが生写真を許可してさえいれば、最低でも2000万は手元に残ったのである。


 ありがたい話だ。


 ありがたい話、なのだが!


「マリー、あんたこうなることわかってたの?」


 斜向かいで作業するローズマリーに目を向けると、彼女は小さく肩をすくめた。


「こうなる、かもしれない、とは、思っていましたが」

「どうして教えてくれなかったの!?」

「教えたとして、アイリが手段を変えるとも思いませんでしたし……」

「ぐっ……」


 ローズマリーは冷静に、淡々と、刺身パックにバランを載せていた。


「悪銭身につかずですよ、アイリ」

「悪銭! 悪銭なのかしら……!」


 したり顔でいうローズマリーが腹立たしくて仕方がないのである。


 結局、すべては振り出しに戻る。時間だけを浪費して、変わったものといえば以前よりちょっと覚悟を決めた自分と、友達が増えたことくらい。それはそれで、意外と悪くはないものなのだが、結局のところ杜若あいりの人生はまるで前進していない。

 悔し紛れに、フランスの友達に『あたしのフランス行きたかったわ!』とメールを送ったところ、『でも、わたくしの奢りでは来たくはないのでしょう?』と返されてしまった。ぜんぶお見通しというわけだ。これ以上泣きつくのも癪だったので、新しい服飾デザインの相談だけのってもらった。親友の忌憚ない意見は大変あいりの心を抉ったが、まぁ、実にはなった。


「皆サーン、休憩ノ時間デース!」


 やたらキャラの濃いミシガン州生まれの主任が、フライパンをおたまでガンガン叩きながら、お昼を告げにやってきた。あいりとローズマリーは三角巾とマスクを外しながら、休憩所へ向かう。


「ちす、おつかれさまっす」

「あ、うん。おつかれー」

「おつかれさまです」


 そこにはローズマリー同様、付き合いで短期バイトに入ってくれた茶良畑が先に待っていた。ちなみに彼の仕事はコンベア作業ではない。マグロの解体だ。見とれるほど鮮やかな手さばきで、社長からは正社員雇用の話を持ちかけられているらしいが、茶良畑は断っている。


 彼の作ってきた弁当には、MKP賞品である三重の海産物が詰められている。毎日毎日調理法を工夫してくるので、似たような食材でありながら、これがまったく飽きない。


「今日も美味しそうねー。そういえば茶良畑くん、松坂牛の方はどうなったの?」

「ああ、おれんちの庭にいますよマジで。杜若さん見にきます? 狭ぇ家なんで、ガチはずいんすけど」

「えっ、松坂牛って……そうなの?」

「なんかぁ、さっさと肉にしようと思ったんすけどぉ、あいつの目ぇマジで生きたいって感じだったんでぇ、殺せないんすよぉ。でもあいつマジで草食うんで、食費がバカにならないんすよぉ」

「そ、そーなんだ。へー……」


 おかげでバイトを増やすハメになったのだという。だからこうして、前々からやっている、深夜にふらっとどっかに行ってちょっとしたら戻ってくる『タルいけど実入りの良い仕事』の他にも、講義の合間を縫ってサシミ工場でも働きはじめたわけだ。学業に一切支障をきたしていないのが、また凄い。


「学業と言えば……」


 和気あいあいと弁当をつまみながら、茶良畑が口にする。


「どうっすか。杜若さんの方は」

「ああ、うん。教授にね、ギリースーツをイメージした新しいカツラのデザインを提案したら喜んでくれたわ」

「そっすか。機嫌直ったんすか」

「まぁ、それはそれとして、あたし自身の出席日数がヤバいから、期末でカバーしないといけないのよね……」


 それでも前進と言えば前進だ。あいりは遠い目で天井を眺める。


 振り出しからの再スタートを切った杜若あいりの学業生活は、決して悪いものではない。ギリーカツラで教授の機嫌も直ったし、今でもFPS同好会やサバイバルゲーム同好会とは交流がある。軽亞みるくの癇癪も、慣れてくれば、あれはあれで可愛いものだったりするのだ。時折向けてくる熱視線だけは積極的に無視をしている。

 ラムを取り巻くサバゲー同好会の現状は、傍目に明確な変化を起こしたわけではない。相変わらず彼女は軍曹と呼ばれているし、赤城はそんな中心から少し距離を置いた場所にいる。ただ、講義室から講義室への移動の際、他の男子部員がやたらとラムの周りをべたべたつけることはなくなった。ラムはちょっぴり自発的なオシャレや、愛嬌や、まぁ、年相応の女の子らしさに目覚めたりしている。それでも、方向性はどちらかというとミリタリー風で男っぽい。


 新しいアパレルデザインを起こそうと躍起になるあいりは、ラムをモデルに女性向けのミリタリーウェアをデザインしてみたのだが、そのラムの反応はと言えばこうだ。


『うん、悪くないんじゃ……いや、カキツバタ。おまえが友達だから言うが、これは、結構微妙だ……』


 この野郎、と思ったが、同時にちょっと嬉しかったりもした。あたしはマゾか。


 ひとまずラムはそんな調子なので、あんまり心配はしていない。コンプレックスを乗り越えたのはどうやら彼女のほうが先のようで、あいりはいまだに、自分の好きな分野でチヤホヤされることもままならない。


「そういえば、ラムもナロファンを始めたと聞きましたが」


 ローズマリーが尋ねてきたので、あいりは頷く。


「うん。アレよ。ガンプラのアバター用に、ナロファンでブラウニーのアバター作ったでしょ? それじゃもったいないからってんで、あたしも新キャラ作って一緒にやろうって。ユーリとかあめしょーとかと遊んでるのよ。キルシュさんや芙蓉さんが帰国したら、そっちも誘うつもり」

「勉強は」

「やってるわよ! あのね、あたし欲張りなの!」


 ふんっ、とあいりは鼻息を漏らして、カラになった弁当箱をテーブルに置いた。


「ごちそうさま! 今日も美味しかったわ、茶良畑くん!」

「おそまつさまっす」


 まったく、一日ってどうして24時間なのかしら、と思いながら、あいりは大学ノートを引きずり出す。期末テストも近いのだ。例のカツラの教授のテストはノート持ち込みOKなのだが、肝心のノートが穴だらけなので、今は茶良畑のを写させてもらいつつ、出来の良い二人の先生に丁寧に教えてもらわねばならない。


「その様子だと、アパレルデザイナーへの道は遠そうですね……」

「遠くても良いの! あたしはやるの!」

「なんかぁ、赤城とか軽亞がぁ、杜若さんはスナイパーの才能があるからいっそ猟師目指したらって言ってたんすけどぉ」

「絶対イヤ!」


 あいりは叫ぶ。


「他にどんなあたしに向いた仕事があっても、あたしはこれしかやりたくないんだから。だいたいね、猟銃免許とってから10年経たないと、ライフル銃持たせてくんないのよこの国は! それまでショットガンで我慢するなんてゴメンだわ!」

「詳しいっすね」

「うん。M700の実銃ってどうやったら手に入るのかなって思って調べたら、ちょっとね……」


 あいりは割と今でもレミントンM700が好きだ。ラムから借りたガスガンも毎日いじくって遊んではいるが、ゲーム内で肩にずどんとくる反動がたまらなかったので、実銃を手にするにはどうすればいいのかちょっと調べてみた。クレー射撃用のものはともかく、猟銃として取得するには10年の歳月を要するらしい。あまりにも、長い。


「ちょうどいいのではないですか」


 ローズマリーは、茶良畑が入れた食後のお茶を飲みながらまったりと言った。


「来年猟銃免許を取得して、それから10年。アイリが合法的にM700を購入できる頃には、ちょうどアパレルデザイナーとしての才能も開花するかもしれません」

「ちょっと、縁起の悪いこと言わないでよ。そ、そんなにかかるわけないでしょ」

「世の中には夢を叶えるまで13年かかった人もいますからね」

「そ、それは諦めなければ夢は叶うってことよね? そういう解釈でいいのよね?」


 あいりは冷や汗を垂らすが、ローズマリーは答えない。


 彼女が答えない時というのは、だいたいその理由はひとつだ。すなわち、言っても無駄であるとき。

 悔しいがその通りであった。彼女が首を縦に振ろうが横に振ろうが、あいりの生き様は変わらない。いまさら、変えようがない。たとえ10年かかろうが、20年かかろうが、羽化する時を信じて地面を這うしかないのである。


 羽化できなかったら、死ぬだけだ。


「杜若さん、もっと向いてる仕事、いろいろあると思うんすけどねマジで」

「だから何度も言わせないで。向いてようが向いてまいが、やるしかねーのよ」

「パねぇ」


 大学ノートに懸命に向かうあいりに、茶良畑が続ける。


「じゃあ、もしなんかの間違いでぇ、来年杜若さんがM700手に入れられたらどうするんすか?」

「あはは、そんなわけないでしょ」


 ところが、その翌年、杜若あいりはまたも人生の転機に襲われる。逆流に飲み込まれ、自分の夢とはまったく関係ない才能を開花させ、それでもひたすらに夢を追い続ける乙女の苦難は、まだまだ続くのであった。が、それはまぁ、また別の話である。


 杜若あいり、19歳。城南大学経済学部へ通う女子大生である。

 将来の夢は、アパレルデザイナーだ。


 夢を叶え、蝶の翅を羽ばたかせる未来は、まだまだ、遠い。

 昨日、カネの力の2巻を読んだらあいりに弟がいることを思い出したけど、出す機会はなかった。

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