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episode 01 ―大学生活―

 杜若あいり、19歳。

 城南大学経済学部に通う女子大生である。将来の夢は、アパレルデザイナーだ。


 ゲームに関しては基本、ズブの素人であるあいり(実は女性向けAVGに関してのみそれなりの遊戯経験を持つ)が、何故ライトゲーマーの極北とも言えるVRGSに手を伸ばしているのか。ひとことふたことで説明するのは中々難しい。順を追って見て行くとしよう。


 一週間ほど前の話である。





「留年だわ……!」


 サークル棟の一室で、あいりは頭を抱えていた。手元には前期の成績表と後期のコマ割り表。そして電卓代わりに置かれたスマートフォンがある。あらゆる可能性を考慮し、吟味し、計算し、その結果が、上述の一言である。


「留年だわ!」


 冗談ではなくガチで大事なことなので、2回言った。


「マジっすか。杜若さん、パねぇ」


 ソファに大股開きで腰掛け、周囲にタヌキなのかネズミなのかよくわからない生き物の縫いぐるみを侍らせながら、チャラ男の権化のようなビジュアルの男が言った。彼は茶良畑著葎須ちゃらばたけ・ちょりっす。あいりと同じ、服飾デザイン同好会のメンバーだ。

 彼はデザインこそしないが、器用な手先で、ミシンや糸縫い針を自らの手足のように操る。この部室にある縫いぐるみだって、大半が彼の手による制作だった。


「ジョーナンの経済学部でぇ、単位ポシャるなんてなかなかねぇっすよ。やっぱ杜若さんすげぇ。パねぇ」

「茶良畑くん、ひょっとしてあたしをバカにしてる?」

「いやいやいや、おれ、杜若さんのことガチでリスペクトしてるんでぇ」


 あいりはため息を着く。茶良畑はいつもこんな具合だ。何故懐かれているのかはさっぱりわからないが、基本、よき友人というよりも、よき舎弟とでも言うような立ち位置に常にいる。ガチでリスペクトしてる、という言葉だって、嘘ではあるまい。


「やっぱ前期で12単位落としたのがイタいわね……。おかげであの教授のいる講義、出れそうにないし……」


 あいりは今まさに、『口は災いもと』という諺を、身を持って体感していた。単位を落としたのも、教授に睨まれたのも、すべて彼女の口の悪さに端を発しているのだ。多少、理不尽な思いがないでもなかったが、叫んだところで変わるものでもなし。


「じゃあ、杜若さん来年も1年っすか?」

「そうなるわね……。そうなるわね……!!」


 握った拳をテーブルに叩きつけて、あいりは叫ぶ。


「コンテストに提出する予定のデザインも結局仕上がってないし! ダメだわあたし! なんかもう、……ダメだわ……!」


 杜若あいり、そうとう追い詰められている模様である。彼女は、人生あらゆることが上手くいかず、自暴自棄をおこしている人間特有の表情を作っていた。

 大学に入る前は専修学校生だったあいりである。当然、卒業と共にアパレルデザイナーの世界へと旅立って行く友人は多くいた。嫉妬と羨望に見送られる彼女達を、それでもあいりはせめて気持ち良く送り出したいと、笑顔で手を振ったものだ。


 あいりは自分に才能がないことをよく理解していた。否が応でもせざるを得なかったのだ。才能がなければ研鑽を積むしかない。当時は、彼女が夢見る業界で活躍する友人というのもいて、その友人らが少し口利きをすれば、あいりだって最前線に引っ張り上げてもらうことができたはずだ。


 だが、あいりはそうしなかった。自分の実力でのし上がると公言し、ひとまずは親を納得させるために大学へ進んだのである。当然、夢を追いつつ学業を疎かにするつもりはないとして、あいりはどちらにも懸命に励んだ。


 だがこの結果はどうだ!


 進級にも失敗し、満足いくファッションデザインひとつすら満足にあげられていない。時間だけが無情に過ぎ去って行く。もどかしいし、情けない。こんなことでは、パリに旅立った友人にだって顔向けできない。


「まぁまぁ、杜若さん」


 茶良畑はティーカップにお茶を入れ、宥めるような姿勢に入った。


「別に焦ってどうにかなるもんでもないと思うんでぇ。落ち着けばいいんじゃないっすかねぇ」

「それはわかるのよ。わかるんだけど……」


 このチャラ男の家事スキルは見た目に反して非常に高い。入れてくれたお茶は毎度のことながら美味しかった。


「なんだか周りにどんどん置いて行かれるような感覚があって、全然穏やかじゃないのよね……」

「コン詰めすぎなんじゃないっすか?」

「そうなのかなぁ……。あーあ、フランス行きたいなぁ……」


 日本を離れてだいぶ経つ友人の姿を思いながら、あいりは独りごちる。せめて一目、あの優秀な友人に会って、やる気にリセットをかけたい。空回りするだけの自分の生き方を見つめ直したい。成功する友人の姿を見て、自分の追うべき夢を再確認したい。

 だがフランスだって遠い。まして、万年金欠女子大生たる杜若あいりからすれば、尚更である。夢に学業に、すべてに中途半端だったあいりであれば、当然アルバイトもろくにしないで、貯金の額はだいぶ怪しい。


 ああ、おカネが欲しい。せめてフランス旅行行けるくらいの。


 いや、その友人に頼み込めば、飛行機からホテルから、何もかも手配してあいりを迎えてくれるに違いない。そこで友人頼りとなるあいりを軽蔑したりするようなことも、おそらくあるまい。

 だからこそ、あいりはフランス行きのことを友人に切り出すのは癪であった。ありていに言ってゴメンであった。せめてその資金くらいは自分で調達せねば、友人にだって合わせる顔がない。


「でもぉ、それってぇ、結局ベンキョーとかと同じで中途半端に終わりそうな決意っすよねぇ」

「うっ……」

「杜若さんの場合ぃ、夢や目標でっかくすんのはイイんすけど、ちょっと地にあしがついてない? 的な、アレがあるじゃないっすかぁ」

「ううう……」


 茶良畑著葎須、なかなか正鵠を射るのが上手い男だ。基本、あいりのメンタルは防御力ゼロなので、責められると脆い。


「どれかひとつでも達成しないとぉ、杜若さんダメになるんじゃないっすかぁ。おれぇ、杜若さんのこと、ガチでリスペクトしてるんでぇ、別にこれディスってるとかじゃないんすけどぉ」


 見た目に以上にしっかりしている茶良畑に言われると、これがなかなか刺さる。

 あいりが思わずうな垂れてしまっていると、部室の扉ががちゃりと開いて、一人の女子大生がまた、中に入ってきた。片手にはコンビニの袋を下げているが、なにより目を引くのはその外見だ。

 ポニーテールに纏めた栗色の髪に、メイド服。

 そう、メイド服である。おおよそ、女子大生が大学に着てくる類のものではなく、茶良畑著葎須をして『まじパねぇ』と言わしめたパンクな服装だが、こいつを着て平然と講義を受けるのが、すなわち彼女、野々ローズマリーであった。


「ただいま戻りました、アイリ」

「おかえり、マリー」


 ちょうど講義に出席して抜けていたところだ。早いもので、もうすぐあいりやローズマリーが大学に通い始めて一年近くになり、当初は話題を呼びイタい子認定されていたローズマリーの服装にも、周囲は慣れてきていた。


「野々さん、どもっす」

「はい、チョリッス。どもっす」


 機械的な、抑揚の薄い声で挨拶して、ローズマリーはコンビニ袋を部室に下ろす。


「おカネの話をされていましたか」

「あ、聞こえてた?」

「聴覚には自信がありますので」


 そう言って、ローズマリーはソファに腰を降ろす。タヌキだかネズミだかよくわからない生き物のぬいぐるみを膝上に載せて、ちょこんと座る姿は人形そのものだ。生まれが生まれであるので当然だが、美人っていいわね、と、あいりは思った。


「野々さんはどうっすか。サクラッコで儲けてるんでしょ?」

「キャラクターライセンス料はだいたい学費とアパートに消えていますので、旅費を捻出する余裕はありません」


 サクラッコというのは、まさにローズマリーの膝上に載っているキモカワ系のぬいぐるみのことだ。キャラクタービジネスとして、ローズマリーがじみーに成功させていて、彼女は実質、大学一年目にして経営者としても一定の成功を収めている。まぁ、あいりからすれば超がつくほど羨ましい。

 ちなみにサクラッコの横にある小さいぬいぐるみが、ヨザクラッコという。


「私も、大学への進学に際して親その他の資金援助を一切断っていますので、フランス行くなら自分の稼いだおカネで、というアイリの気持ちは非常によくわかります」


 膝上に乗せたサクラッコの両腕を弄びながら、ローズマリーは言った。


「しかし、短期間でフランスまでの旅費を稼ぐのはあまり現実的ではありません。アイリの容姿を十全に駆使し手段を選ばないのであれば、その限りでもありませんが」

「あんた何言ってんの!?」


 ローズマリーの言わんとしていることを瞬時に理解すると、あいりは顔を真っ赤にして叫び返す。見た目から遊び慣れていると思われがちなあいりではあるが、これでも身持ちは硬いのだ。

 茶良畑がお茶を入れ、ローズマリーは短く礼を言ってそれを受け取っていた。メイドがチャラ男に茶を供されるという奇っ怪極まる光景ではあるが、そもそもとしてローズマリーの淹れるお茶はクソまずいので、致し方のない話だ。


 進級はできず、新しいデザインも手につかず、かと言ってフランスにも行けない。

 あいりは八方塞がりのようなものだった。これ以上、何かやりたいことを増やしても、茶良畑の言う通り、中途半端で終わってしまうに違いない。この中のどれかひとつでも自力で達成できれば、あいりも自分に自信が持てるのに。


 やはり、コンテストに向けてデザインを詰めるか。我が事ながら、あまり期待はできないのだが。


 あいりが椅子に腰掛け、机に向かう。一応、描きかけのそのデザインは、今のところ渾身の一作である。これをベースにブラッシュアップをかけていけば、少しは自信を取り戻せる作品に仕上がるかもしれない。

 と、考えていた、まさにその時だ。


「伏せてください、アイリ」

「は?」


 窓の外に目を走らせたローズマリーがそう言った。


 投石によって、サークル棟の一室、服飾デザイン同好会部室の窓ガラスが破砕される。ヒステリックな破壊音と共に、ガラスの破片が飛び散った。あいりが悲鳴をあげるよりも早く、茶良畑が床を蹴り立てるようにソファから立ち上がり、ちゃぶ台の縁を踏みつける。畳返しのように跳ね上がったちゃぶ台は、茶良畑自慢のティーセットを宙に躍らせつつも、飛び散る破片からあいりを守る。茶良畑はくるりと身体を回しつつ、ティーポットとカップ、ソーサーをすべてキャッチした。


「きゃあっ、な、なに!?」


 珍しく女の子らしい悲鳴をあげて動揺するあいりである。よく遊ぶオンラインゲームでは、敵の奇襲を受けることも珍しくはなかったが、現実世界ではほぼほの始めての経験となる。

 いや、これが本当に〝敵〟の奇襲であるのか、そもそも〝敵〟とはなんであるのか。疑問は尽きないが、直後、割れた窓から発煙筒を投げ込まれたのを確認して、悪意ある何者かの仕業であると確認する。


 ご丁寧にもサークル棟一室一室に設置されたスプリンクラーが作動した。


「ぎゃあーっ! デザイン画が! あたしの描いたデザイン画が!」


 あいりの悲鳴が、狭い部室の中に響き渡る。ばたん、と、扉を乱暴に開く音があった。続いて、何人かの男がばたばたと部屋の中に乗り込んでくる。視界不良の中、男たちが銃のようなものを持っているのだけ、あいりは確認してギョッとする。


「下がってください、アイリ」

「っす」


 非常に頼もしいことを言う二人は、突如の侵入者達にも臆することなく、連中に飛びかかる。ローズマリーは、動きにくいメイド服ながら、まるで中国拳法のような素早く、かつ伸びやかな動きで掌打を繰り出した。


「ごふっ……」


 男の一人が、肺から空気を吐き出すような悲鳴をあげて、膝を折る。あいりが割られた窓を全開にして、びしょ濡れになりながらも煙を外に追い出すさなか、今度は茶良畑がチンピラ丸出しのヤクザキックで、残る男達を仕留めていた。


 状況開始からわずか数分。『ここって何のサークルだっけ』と、思わず首を傾げてしまうような、鮮やかな暴徒鎮圧であった。


 そう、暴徒だ。いかにもミリタリーファッションといった服装に身を包み、エアガンだかモデルガンだかで武装した男たちは、おそらくあいり達と同じ城南大学の学生であろう。ローズマリーは、そのリーダー格と思しき男を組み伏せながら、ぐいと顔をあげさせて、その覆面とゴーグルを外した。


「す、すごい……」


 拘束されながらも、男は感嘆したかのように呟く。顎や頬の周りにたっぷりと肉をつけた、あまりスタイリッシュとは言えない男である。当然、鍛えられた兵士の模倣であるミリタリーファッションとの乖離性は凄まじい。

 こんな感じの人ってどこにでもいるのね、と、あいりはよく行くMMORPGのオフ会を思い浮かべる。あいりと仲のいいブログの管理人がこんな感じだった。


「学部学科学年、氏名年齢、所属サークルと所属ゼミを答えてください」


 ローズマリーが機械的な声でそう告げると、男は若干躊躇しながらも、観念したように答える。


「社会学部社会システム学科3年、軽亞みるく、24歳、FPS同好会所属。ゼミは豊橋教授です」

「たったひとつの自己紹介によくそんな残念な要素を注ぎ込めるわね……」


 あいりは思ったことを素直に口にしてしまう。が、軽亞は少し照れ臭そうにしながらも、あまり傷ついた様子はなかった。それどころか、表情に決意を滲ませたかと思うと、両腕をばっと床について、額をこすりつけようとする(実際はローズマリーに拘束されているので無理だった)。他の男たちもそれに倣った。


「手荒な真似をして申し訳ありませんでした! 杜若あいりさんですね!?」

「えっ、あたし!?」


 唐突に名前を呼ばれ、あいりは驚いたように目を見開く。


「かつて黎明期のVRMMORPG〝ナローファンタジーオンライン〟で〝邪神アイリス〟と恐れられた方!」

「はあ!?」


 そして息つく間もなく切り出される、不名誉なかつての二つ名。茶良畑がぽつり、『パねぇ』とだけ漏らしていた。ローズマリーに助けを求める視線を送ると、彼女は何を勘違いしたのか、下手くそなウインクとサムズアップを返してきた。役に立たない。


「そんなあなたに、邪神としてのあなたに、是非お願いがあって参りました!」

「ちょ、ちょっと待って軽亞さん。あたしは……」


 軽亞みるくは、バッと顔をあげ、開いた両手をあいりに突き付け、こう言ったのだ。


「50万出しましょう!!」

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