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episode 10 ―転機―

「これが……私……?」


 なんてベタな、とは思うものの、鏡をまじまじと見つめて驚愕するラムの姿は、見ていてそう悪い気分になるものでは、ない。


 あいりによってメイクを施された薄荷ラムの変身は、そう、まさに〝変身〟と呼ぶべきものであった。そもそも野暮ったい印象を整えるために目元を出す必要があったが、ラムのクセ毛はそう頑固なものではなく、元が素直な猫っ毛なのもあって、あっさりとヘアブラシに馴染んだ。『あんたこれ、ただ寝癖放置してただけじゃないの?』と聞いたら、顔を真っ赤にして『そ、そ、そんなわけないだろう!』と言っていたので、まぁ本当にどっちなのかはわからない。

 ナチュラルメイクを保ちつつ、そばかすを隠すのは難しかったが、あいりは持てる知識を総動員して挑戦した。丁寧に下地を整えてから、コンシーラーやファンデーションを薄く塗っていく。もともとこういったものは、種類をやや多めに持ち歩く主義だったが、ラムの肌の色はあいりとそう離れたものではないので、手持ちの選択肢も広かった。

 ラムは彼女自身がぱっちりした二重まぶただったので、目元のメイクはそう力を入れなくとも良かった。とりあえずまつ毛だけでも伸ばそうかな、と思って取り出したビューラーを見て、露骨に怯えるラムの女子力はたいそう低いものであったが、震えながら目を閉じるせいでまともにまつ毛を挟ませない彼女の怯えっぷりはやけに小動物じみており、同性であるあいりの庇護心(と、嗜虐心)すらも刺激するものであった。


 ともあれ、そのような経緯を経て、ラムの〝変身〟はほぼ完了した。最後に、その絶妙にファッショナブルとは言えないミリタリーファッションをなんとかしたいところではあるが、これが極めて難しい。結局、最終的にはジャケットを脱がせ(ラムは着痩せするタイプであった)、あいりのカーディガンを貸してやった。迷彩シャツに合うような色だと、断言できるほどのものではなかったが、迷彩&迷彩はちょっとキツい。


 さて、お披露目である。


 サバイバルゲーム同好会の部室には、何人かの男子部員がいた。なぜかラムのことを〝軍曹〟と呼んでいた彼らの前に、照れのためかやや気後れしている薄荷ラムを、無理やり引っ張り出す。一同からは歓声が上がった。


「軍曹、似合います!」

「軍曹、素敵です!」

「ぐぐ、軍曹、かわいいです! デュフ」


 反応はほぼ一様ではあったが。


「なんで軍曹なの?」

「聞くな……」


 ぱっちりメイクの整ったラムは、苦々しい顔を浮かべて言った。


 一人だけ、騒ぎの輪に加わっていないのが、部室の後ろで一人電動ガンをいじっている大柄な男である。筋骨隆々の体躯には、迷彩柄のジャケットもよく映える。他のひょろひょろした部員とは一線を画した重厚な雰囲気があった。額から鼻先にかけて走る痛々しい傷痕もあって、ガンサバイブ・プラネットの世界からそのまま抜け出してきたような緊張感がある。

 彼がいじっている電動ガンは、あいりがラムから借り受けたタナカのM700を更に上回る大長物だ。見たこともない銃だが、あの長さからして、やはりスナイパーライフルなのかな、とあいりは思った。


「ええと、ラム、あの人は?」


 部員たちにチヤホヤされ困惑するラムに尋ねると、彼女は『ああ』と答える。


「RealSword社製のSVDドラグノフ、フルスチールモデルのリアルウッドタイプだ。ドラグノフは東側が開発したセミオート狙撃銃の傑作でな。今ではSV-98にその座を譲ってはいるが、未だに根強いファンも……」

「ありがとう、銃のことを聞いているんじゃないわ」

「あいつか。あいつはアカメだ。赤城瞳と言ってな。昨日話しただろう。うちの優秀なスナイパーだ」

「ああ、あの、ひどいこと言われて落ち込んだっていう……」


 アカメと言われた男は、顔をあげてじろりとあいりを睨む。聞こえていたのだろうか。あいりは会釈ついでに、両手を合わせてごめんなさいのポーズをとった。


 自信作であるメイクアップ・ラムが見向きもされないのはいささか腹立たしいが、どうやらあのアカメは、このサバゲー同好会の中でもマジモンの硬派であるらしい。男ばかりの集まりに女一人を投げ込んで、それが投げ込まれた彼女本人の意思にかかわらずトラブルを巻き起こすなんていうのは、あいりがプレイしていたナロファンの中でもよくあった話だ。まぁ、あいりのもっともよく知るパターンでは、その投げ込まれた女が実は男だったというオチも付随するのだが。

 部員に〝軍曹〟呼ばわりされるラムにも、そうした危うさは付きまとう。あいりにとって心配な部分と言えば、心配な部分だ。その点のフォローを、あのアカメという男に頼みたい心地もあったが、まだ言葉も交わしていない相手に、サークルの内情に突っ込んだ相談は、さすがにできない。


「か、カキツバタさん。カキツバタさんは、その、軍曹とはどんな……」

「あ、ああ。あたし?」


 あまり馴染めていない自分に気を使ってくれたわけでもないだろうが、部員の一人が話を振ってくる。黙っていると気が強そうに見える自分のルックスは把握しているので、声を掛けるには相当な勇気を要しただろうと、あいりは極力優しい声で応対した。


「昨日、赤羽のミリタリーショップで会ったのよ。あたし、M700が欲しくてね? まぁ、買わなかったんだけどね。ラムが貸してくれたの」

「M700!」

「いい趣味ですな!」

「というか、エアガンわかるんですか?」


 気の強そうなギャルが、いきなり自分達の世界に片足を突っ込んだ発言をしてきたので、男たちは一気に詰め寄ってくる。さすがに狙撃銃の話題となっては、アカメも知らんぷりはし続けられないようで、何やら聞き耳を立てているようにも見えた。


「え、M700のどんなところが……?」

「というか、スナイパーなんですか?」

「やはりボルトアクションが好きなんですか?」

「個人的にはM24の方が好きなんですが、あえてM700を選ぶ理由は……?」

「なんで冬なのに生脚出してるんですか?」


 一斉に詰め寄ってくる男たちである。あいりは辛うじて最後の質問に『おしゃれは気合だからよ』と答えることができたが、それ以外の疑問に対する回答はすぐに用意できない。そもそも、M24がなになのか、あいりは知らない。いや、昨日ラムが、M700を軍事用に改造したのがM24だと言っていたか? なぜ700を改造して24にになるのか、あいりにはまったくわからないが。


 見かねたラムが割って入る。


「おまえ達、待て。カキツバタは一人だぞ」

「「「イエス、マム!!」」」


 男たちは直立不動で敬礼する。よく訓練されていた。ラムは、あいりの方をちらりと見て、恥ずかしそうに顔をそらしている。見られたくないものを見られた、と言った感じだ。確かに、ちょっぴり見ていて、痛々しいかもしれない。アカメもあえて顔をそらしているように見えた。


「カキツバタさん、このあと講義はあるんですか!」


 ヒョロ長メガネ軍団の中でも比較的アグレッシブな一人が、そのように声をかけてくる。


「な、ないけど……」

「じゃあ飲みに行きましょう!」

「い、今からぁ……?」


 あいりは腕時計を確認した。まだ午後3時をようやく回った頃だ。


「大丈夫です。今からやってる飲み屋を知ってますよ。ねぇ軍曹、いいでしょ?」

「い、良いかどうかはその……カキツバタ次第だが……」

「まぁその、親睦を深めるのは、悪いことじゃないんじゃない?」


 そう言って、バッグの中にしまっておいたスマートフォンを取り出す。ローズマリーや茶良畑に連絡をとっておかなければと思ったのだ。LINEに、ラム達と飲みに行く旨を送信しようとして、ふとあいりは、その指先を止めた。

 周囲のラムや男たちは、その瞬間彼女が浮かべた複雑な表情には、気づかない。

 先ほど感じた焦燥感と不安感が、あいりの身体を苛む。誰かがぴったりと背後を尾行けてくるかのような、不気味な感じ。あいりはかぶりを振ってその感覚を無理やり誤魔化し、『用事があるから先帰る』という旨の文章だけを、LINEを通じて2人に送信した。


「アカメ、おまえはどうする?」


 ラムは、部室の後ろでドラグノフ狙撃銃をいじっていた男に目を向け、尋ねる。彼は手元の電動ガンに目を落とし、ほんのしばしの空白を経て、このように答えた。


「……遠慮しておく」

「そ、そうか……」


 ラムの言葉には、どこか後暗さのようなものが滲んでいる。はしゃいでいた心に冷水をかけられた、子供のような表情だ。


 あいりもラムも、心にどこかしこりを残しているらしい。だが、彼女たちは、自らのそれからは意図的に目をそらしたまま、サバゲー同好会の男たちと、仲良く繁華街へと繰り出した。

 飲み会は、それなりに楽しんだ。






 ガンサバイブ・プラネットにおける、城南大学FPS同好会と同大学サバイバルゲーム同好会の決戦まで、とうとう残り2日を数えるのみになった。コクーンを譲ってくれるというゲームセンターからは、レギュレーションに関する詳細が改めて通達される。参加メンバーは両チームとも最大で6名まで。さらにこの段階に至ってなお、他チームの飛び入り参加を認める旨が書かれていたが、VRゲームに興味がない人間にとっては、単なる粗大ゴミでしかないミライヴギア・コクーンを、わざわざ欲しがる城南大学の学生は他にいなかった。


 決戦を間近に控えたその日ではあるが、野々ローズマリーと茶良畑著葎須の2人は、FPS同好会からの呼び出し(練習への参加要請)を断る形で、なんと秋葉原にやってきていた。メイド服であるローズマリーと、秋葉原の町並みは極めて親和性が高いが、茶良畑に限って言えばそうではない。オタクの街からオタ充の街へ変化しつつあるこの秋葉原にも、まだまだホスト崩れのような外見をしたチャラ男を受け入れる土壌は、整っていない。

 結果、メイドとチャラ男の2人連れはやたらと人目を引いた。


「申し訳ありません、チョリッス。買い物に突き合わせてしまって」

「別に、いいんすけどぉ。おれぇ、割とガチで暇だったんでぇ」


 しかもそのチャラ男の持ち物というのが、PCパーツというのだからまた奇っ怪な話である。いずれも重そうな機械の類ではあったが、茶良畑は細身に見合わぬ怪力を発揮して、悠々と運んでいた。


「ていうかぁ、野々さん、マジでぇ、これ、どうすんすか?」

「決戦の日も近いので、演算能力を少してもあげておきたいのです。クロックアップですね。外付けになりますが」

「へぇ。野々さんできんすか。改造とか。マジできんすか」

「はい。機械は得意ですので」


 口調は穏やかだが、そう語るローズマリーは彼女の声自体が機械じみた、抑揚の薄いものである。表情を微塵も買えないあたりが、また徹底していた。


「そういや、野々さん。マジ話は変わるんすけどぉ」


 茶良畑を気遣い、適当なケバブ屋の前で小休止をとっていた時だ。このチャラ男は不意に話を切り出した。


「どうぞ」

「こないだぁ、言ってたじゃないすかぁ。杜若さんに残酷な二択を突きつけるって。あれ、なんなんすかねマジで」

「ああ……」


 そんなことも言ったな、とローズマリーは思い出す。ガンサバイブ・プラネットのプレイ中のことだ。あの日はちょうど、あいりがFPS同好会を追い出された、まさにその日であった。


「杜若さんそんなにヤベぇんすか?」

「ヤベェといえば、ヤベぇですが、そうですね。あまり難しい話でもありませんよ」


 ローズマリーは、自らのバッグにぶら下げたサクラッコのキーホルダーを弄りながら言う。


 杜若あいりは、最近、あまり服飾デザイン同好会の部室に顔を出さない。意図的に避けているのだろうな、という感覚があった。ミライヴギアのフレンド欄を確認する限り、ガンサバイブ・プラネットのオンラインモードに何度かログインしている形跡はあるのだが、FPS同好会はもちろん、ローズマリーや茶良畑に対しても、積極的に接触しようとはしてこない。

 その代わり彼女は、サバイバルゲーム同好会の方で、その姿を確認されることが何度かあった。どうやら部長の薄荷ラムと仲良くなったらしく、キャンパスでも仲良く歩いている光景が目撃されている。この事実を知った軽亞みるくは、『スパイ行為だ!』などと顔を真っ赤にして、これをなだめるのには、しばし苦労した。


 まぁとにかく、あいりは最近、あまり服飾デザイン同好会の部室に顔を出さない。ティーカップは茶良畑が毎日丁寧に洗っているが、あいり専用であるはずの机に、デザイン用紙や色鉛筆の類が並べられなくなってから、もう一週間近くが経つ。


 ローズマリーはそのようなことを思い出しながら、茶良畑の疑問に答えた。


「アイリがこれから、どういった方向に進むのだということです。今は彼女にとって、ちょうどいい分岐点であると、私は考えています」


 やたら陽気なトルコ人のおっさんからドネルケバブサンドを2つ受け取り、ローズマリーは呟く。


「服飾デザインも仕上げられず、進級はほぼ絶望的な状況です。フランスに行きたい、というのは逃避のひとつでしょう。あちらには、今アイリの友人がいます。その友人は、今や立派な、アパレルブランドのファッションデザイナーです。彼女と顔を合わせることで、自分の中にブレイクスルーが起きることをアイリは望んでいたのでしょうが、まぁ逃避です」

「へぇ」

「ただ、その時点でアイリはまだ、もがいていました。その旅費も、なんとか自分の力で手にしようとしていたわけで、そこにカルア達からの提案がありました。〝自分の力でフランスに行く〟という命題を解決することで、自信を得ようとしていたのでしょう」


 だが、徐々に手段と目的が切り替わっていく。杜若あいりは、やがて、それまで見向きもしなかった銃火器の世界に魅了されるようになっていく。ローズマリーは、これを後ろ向きな逃避であると指摘した。

 つまるところ彼女は芋スナであり、彼女アイリッシュの存在は、決して軽亞カルーア達を有利たらしめない。報酬50万を手にするのは、決してあいり本人の力ではない。そこから目をそらすために、今まで自分がいた世界とはまったく違う場所に、目線を向けるようになっていった。


 しかし、カルーアによって素人であるとバレたこと、加えてFPS同好会を追い出されたことにより、あいりは認めざるを得なくなる。今の彼女の力では、50万すら手にすることはできないのだ。


「アイリは何かにしがみつかなければならなかったのです。その結果がM700であり、加えて言うなら、サバイバルゲーム同好会における、今の彼女のポジションでしょう。あそこは彼女にとって居心地がいいはずです。中学時代、アイリは同級生間ではファッションリーダーであったと聞きます。あそこでは、アイリはその当時のアイリでいられますから」


 杜若あいりが、自身の〝才能のなさ〟を自覚せざるを得なかったのは、服飾デザイン系の専修学校に進学してからだ。それ以降、杜若あいりは常に劣等生であった。才あるものの後塵を拝し、忸怩たる思いを抱き続けてきたのだ。正直、彼女はよく戦っていたと、当時を知るローズマリーは、思う。

 だが結局、人々が居心地の良さを感じるのは、地獄のような猛暑とも、凍てつくような極寒とも無縁な、ぬるま湯の世界だ。逃避の果てにあいりが出くわしたサバイバルゲーム同好会は、彼女にとっての理想郷である。


 茶良畑は黙り込んだままだ。彼は、今の腑抜けたあいりに何を思うのか。ローズマリーは様々な憶測を立てつつも、まずは自分の意見を、はっきりと述べる。


「私は、それでも良いと思います」


 果たして、茶良畑がどう思っていようとも、ローズマリーはそれで良いと考える。


「私はそこまでファッションデザインに造詣が深くありませんが、今までの周囲の言動を鑑みても、アイリに才能がないのは明らかです。叶わない夢を地獄のような環境で追うよりは、身の丈にあった今の環境で、相応の幸福を満喫する方が、彼女のためです」


 そこで、ローズマリーは指を2本立てた。


「そこで、残酷な二択です。先へ進むか、停滞するか。どちらでも私は構いませんし、お手伝いをします。ただ、彼女が先へ進むと言うのであれば、フランス行きの旅費は、アイリ自身が稼ぐべきです」

「なんかぁ、納得いかねぇっすねぇ……」


 茶良畑は顔をしかめながら言う。


「おれぇ、マジでわかってんすよぉ。あの人ガチで才能ねぇなって。いや、おれもぉ、割と中学高校ン時とかワルだったンでぇ、喧嘩とかやってたんすけどぉ、やっぱパねぇ奴っているんすよぉ。おれはそういう連中見て、『あ、ムリだな』って思って逃げてきた奴なんでぇ、才能なくても夢追っかける杜若さんのこと、割とガチでリスペクトしてたんすよぉ」

「私もそうですよ。おそらく、かつて彼女と一緒にナロファンをやっていた多くのプレイヤーもそうでしょう。チョリッスがアイリに失望するなら、それはそれでチョリッスの自由ですが、私は一人の友人として、彼女に私の理想を押し付けたくはないのです」

「そんなもんっすか」

「そんなもんっす」


 2人はケバブサンドを平らげて、小休止を終える。あまり楽しい話題でなかったとしても、それを引きずらないのがこの2人の美点だった。その後は、いつもの調子で茶良畑が淹れるお茶の話や、新しいお茶請けには何が良いかという話題で適度に盛り上がった。


 秋葉原行脚もしばらくすれば終点を迎える。最後の店は、裏路地にひっそりと建つ小さなパーツショップだ。求めるものを求めて秋葉原を駆けずり回ったオタク達が最後にたどり着くと言われるその店は、このアキバに数多く存在するという裏表の流通ルートをすべて把握した一人の女店主によって運営されている。


「お邪魔します、親方」

「親方はよせ。アオノさんと呼びな」


 泣きぼくろが印象的な妙齢の女店主は、タバコをくわえながらローズマリーを出迎える。茶良畑は、『ラーメンからミサイルまでなんでも揃える』という店主アオノの意向に沿った、雑多な店内を見渡して、何やら感心しきりのため息を漏らしていた。


 ローズマリーがここに来た理由は簡単で、このアオノに、現在は確保するのが難しい一部のレーザー冷却装置を取り寄せるよう頼んでいたからだ。マージン込みでかなりの値段を要求されるが、クロックアップに向けた演算装置の冷却には、このレーザー冷却が一番効く。

 ローズマリーは、サクラッコのキャラクターライセンスで儲けたカネを惜しげもなくアオノに支払い、やや大きめのレーザー冷却装置を受け取った。茶良畑の持つ大量の荷物に、最後の大物が仲間入りする。


 これで今日の買い物は終了だ。アオノに簡単な礼を言い、店を出ようとした時である。


「野々さん、これ、マジ見てくぁさいよこれマジで」


 気だるげな声に若干の興奮をにじませて、茶良畑が言う。ローズマリーは促されるままにそちらへと視線を向けて、次に僅かに驚愕の感情を示した。


 メタリックシルバーの曲面を持つ、大型の作動機械。表面にはスタイリッシュな青文字で〝Mi-L/RiveGear COCOON〟と刻印されていた。プラスチック素材の黒い透過板と、銀色のボディの兼ね合いは、絶妙に未来的だ。人間をすっぽり覆い隠して、なおもゆとりのあるフォルムであった。申し訳程度に『中古』と書かれたタグが貼ってある。


「ああ、コクーンだよ。最近入ったんだ」


 アオノはタバコの煙を吐き出しながら、言った。


「でも悪いね。そいつは売約済なんだ。まぁ、売値は2000万だから、嬢ちゃんでもちっと厳しいなぁ。ただ、このくらいの値段でも買いたいっていう小金持ちはそれなりにいてね。ポニー社の……ああいや、今はTOCSだっけ。あそこの保証は切れてるし、オンラインに繋ぐにはTOCSからの営業許可がいるから、まぁ、そのへんの手数料も込みで、実際の値段はもうちょっとイイよ」


 アオノの言葉は、半分くらいがローズマリーの耳に入ってこない。彼女の疑問は、ただひとつだ。


「コクーンの中古台は、流通ルートの確保が難しかったのでは?」

「難しいってだけで、ムリじゃないって言ったろ。だからさ、問題はTOCSの許可がねぇとオンライン繋げないってだけで、それがコクーンが粗大ゴミ化する理由なんだよ。アタシはほら、いろいろとあるだろ? そのへん、なんとかする手段がさ」


 確かに、確かにそうだ。それはつまり、この商店の店主である坂田蒼乃を通せば、コクーンの中古台を売りさばくルートを確保できるということになる。あのゲームセンターに並ぶミライヴギア・コクーンの数は、全部で12台。


「親方、」

「親方はよせって」

「コクーンを売りたいと言った場合、一台いくらほどで引き取っていただけますか?」

「ん、アテあんの?」

「出来るかもしれません」


 ローズマリーの言葉を聞き、坂田蒼乃は、タバコを加え、大きく吸い込んでから、その煙を吐き出した。ヤニで汚れた天井に、紫煙が揺らめく。


「マージンとって、1000万かなぁ」

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