prologue ―硝煙―
ぱらららららら、たらららららら。
毎秒15発で吐き出される5.56x45mm弾の乾いた音が、無人惑星ゲルカントの大気を揺らす。この仮想空間上に生み出された緑の地獄では、ありとあらゆる命のやり取りは、ただ刻々と数字が変化するだけの茶番に過ぎない。当たり前のように人が死んでいく。その失われる命は、すべてライフポイントという虚しいデータでのみ管理される。
それでも、
それでも、そこで戦う者たちは懸命だ。
彼女もまた、この過酷な戦場の中に肉体を投じ、かりそめの命をすり減らしながら、必死に戦っていた。
赤い髪を揺らし、額に汗をかきながら、着慣れない迷彩衣装に身を包み、無骨な狙撃銃をその腕に抱え込みながら、茂みの中を走る。スタミナは長続きせず、すぐに息苦しい感覚が全身を包み込んだ。この体感的なアラームを無視し続けると、スタミナ切れによって長時間行動不能になるペナルティを負う。彼女は、追っ手のないことを確認すると茂みの中に腰を下ろして呼吸を整え、スタミナが回復していくのを待った。
彼女の名は【Irish】。少なくともこのVRGS〝ガンサバイブ・プラネット〟においては、そのようになっている。
このゲームは、今までにアイリッシュが体験してきたVRオンラインゲームとは、まったくその趣を異にするものであった。ビデオゲームやVRゲームなどのプレイ経験が決して豊富というわけではない彼女だが、それでも、この驚く程の差異には、未だ困惑を隠せない。
ぱらららららら、たらららららら。
突如聞こえてくるアサルト・カービンの銃声に、アイリッシュはびくりと肩を震わせる。音はまだ遠く、こちらに気づいているとは思えないが、それでもこの銃声は、付近で戦闘が行われていることを示していた。
アイリッシュの選択した【兵科】は【偵察兵】だ。名前は地味だが、このゲームにおいて偵察兵とは狙撃兵を兼ねる。すなわち今のアイリッシュは、戦場で最も恐れられる存在、〝スナイパー〟足り得るのである。
が、スナイパーとは当然、それゆえにもっとも敵から忌み嫌われる存在であり、兵科が【偵察兵】ともなれば真っ先にその命を狙われる。この時のアイリッシュの状況は、まさにそれであった。
ぴこーん、と、軽快な電子音が鳴って、アイリッシュの目の前に小さなメッセージウィンドウが開いた。味方からの通信回線だ。茂みの中に身をかがめながら、アイリッシュは律儀にその通信を開く。
『アイリッシュさん! カルーアです!』
回線の向こうには、屈強な顔つきをした兵士のアバターが映し出された。
『敵拠点のひとつを制圧しました! これでもう勝ったも同然ですよ! これも、アイリッシュさんの……』
「それはいいんだけど!」
アイリッシュは声を潜めながら、秘めた感情を発露するように叫ぶ。
「あたし敵兵に追われてるんだけど!」
『スナイパーなのにですか?』
「スナイパーなのによ!」
『なるほど、』
通信画面の向こうで、カルーアはしたり顔で頷いた。
『狙撃などという生ぬるいことを言わず、やはり正面から脳天をブチ抜きたい、と、そう考えてしまったんですね』
「違うっつーの!」
『さすが、かつて〝邪神〟と呼ばれた方は恐ろしい。偵察兵のスペックで強襲兵に白兵戦を挑む勇気があるなんて。やはりあなたをこちらの陣営に引き込めて良かった……』
「だからね、カルーアくん?」
『これならサバゲー同好会の連中だってメじゃないですよ! 中古コクーン全12台は俺たちのモノですね!』
「ああ、もうッ!」
このカルーアという男、まぁ、アイリッシュがワケあって協力することとなった城南大学FPS同好会の会長なのだが、どうにも思い込みの激しいところがあって、それがやたらとアイリッシュの苛立ちを加速させた。どこでどう知ったのかはわからないが、過去アイリッシュがとあるMMORPGで馳せた勇名(汚名とも言う)の意味を勘違いし、やたらと持ち上げてくるのがこのカルーア以下FPS同好会の連中なのである。
正直、疲れる。ぶっちゃけた話アイリッシュは、そんなにゲーマーではないのだ。
カルーアの提示した報酬に目がくらんで思わず手を出してしまったこのゲームだが、アイリッシュは早々に、後悔をしはじめていた。こんな血なまぐさいゲーム、自分の好みではない。なんだかんだ言って彼女も女の子である。ファンシーさの介在する余地が残された、愛しのVRMMORPGが懐かしい。
「とりあえずカルーアくん、あたしじゃ歯が立たないから、増援を回して! 周りの援護兵は全員やられちゃったわ!」
思わず声を荒らげてしまったのは、失策であった。ガサガサと茂みの向こうから、男たちの声が聞こえた。
「いたぞ、こっちだ!」
「さっきの女芋スナだ! 殺せ!」
「やばッ!」
アイリッシュは立ち上がり、狙撃銃を抱えたまま茂みの中を走り出す。
『アイリッシュさん、とりあえず今から……』
「誰でもいいわ! あたしが死なないうちに、間に合ったらね! 切るわよ!」
カルーアの言葉が終わらないうちに、アイリッシュは通信を強引に切断する。
現在、アイリッシュらを含めたFPS同好会のメンバーがマッチングしているのは、量子ネット回線の向こう側にいる、名も知らぬVRGSプレイヤー達だ。FPSから転向してきたのか、サバゲーから転向してきたのか、はたまたアイリッシュ同様、VRMMOから転向してきたのか、それはわからないが、かなり手馴れた動きを見せる集団であった。
足を止めれば殺される。フルオートでばらまかれる5.56x45mm弾が、周囲の木々の幹をえぐりとっていく音を聞きながら、アイリッシュは必死で駆けた。
「おいおい、あれで逃げてるつもりかよ」
男たちの嘲笑うような声が、耳に届く。
「ジャングルであの赤髪じゃあ、目立ってしょうがねぇな!」
「服もギリースーツじゃなくって、単なる迷彩柄か!」
「目立つ芋スナとか、味方にとっても害悪みたいなもんだよなぁ!」
言ってくれるわね。ゲラゲラと笑いながら追いかけてくる強襲兵達の会話を聞き、アイリッシュは唇を噛む。よってたかって、初心者をいじめてくれるじゃないの。どうせ、あんた達みたいな連中なんか、
おっと、いけない。
思わず口をついて出そうになった悪態を、アイリッシュは慌てて飲み込んだ。口の悪さは自覚すべき欠点だ。この嬉しくもない才能のおかげで、彼女は大学一年次における前期の単位を12ほどフイにしている。ここは生死を問う戦場なのだ。余計なことを言って、頭を弾き飛ばされるようでは世話がない。
それでも、全力疾走を続けていたアイリッシュのスタミナは、すぐに限界値を迎える。息苦しさからくる集中力の乱れで、とうとう彼女は足をもつれさせ、転んだ。
「へっへっへぇ、追いついたぜぇ!」
茂みをかき分けながら、敵の強襲兵達が姿を見せる。いずれも、どこかの特殊部隊を思わせる、機能的なデザインの服装だ。ただ、フェイスパターンはデフォルトの改造なのか、似たり寄ったりのものが多かった。転んだままのアイリッシュにアサルト・カービンの銃口を突きつけて、彼らは下卑た笑みを浮かべる。
「随分キレイな顔してるじゃねぇか!」
「耳が長いな。MMORPGからの転向組か?」
「悪いが、この世界でモノを言うのはてめぇのスキルだけだぜ!」
そこから口々に講釈を垂れ始める連中に、おおよそ品性というものは感じられない。だから空気の読めないゲーマーって嫌なのよ、と、アイリッシュは思った。とりわけこのゲーム、選民思想というか、過剰な実力主義というか、多くのプレイヤーからはそういったムードをまざまざと感じ取れてしまう。オンラインゲームがそもそもそんなものであると言えば、そうだが。
「さぁ、服を脱げ」
「脱げるわけないでしょ! あんたこのゲーム勘違いしてるんじゃないの!」
アイリッシュに限らず、アバターフィギュアには服を脱いだ姿は設定されていない。一部の酔狂な男性アバターが、むくつけき上半身を晒し、弾倉をベルト状にしてその上から巻きつけていることはあるが、アレはまぁああいったビジュアルの〝迷彩衣装〟だ。
だが男達のゲス丸出しな笑顔は消えないのである。
「やっぱりMMO転向組からのアバターは見た目のバリも豊富で狩り甲斐があるよなぁ!」
「それも女となればなぁ!」
「そのキレイな顔をフッ飛ばしてやる!」
アイリッシュは嫌悪感も顕にしつつ、たじろぐ。このゲームにおける〝死〟がどのようなものか、アイリッシュは知っていた。CEROによるレーティング区分で18歳以上が対象とされるこのゲームは、そのリアリティを悪趣味なまでに追求する側面があった。ぶっちゃけ、グロい。
ひとたび彼女に向けられた銃口が火を吹けば、彼女の身体はゼンマイの切れた自動人形のように奇っ怪なダンスを披露しつつ、飛び散る血と肉のエフェクトを撒き散らして情けない屍を晒すだろう。アイリッシュとて女の子である。そんなのはゴメンだ。まして、そうした自らの間抜けな死に様が、目の前の3人を興奮させるのであるとすれば、なおさらである。
しかし、この状況では。
悔しい。アイリッシュは歯噛みをした。ゲームに関してはとんと素人な自分。偵察兵と強襲兵という兵科の違い。いずれを見ても、彼女が勝てる要素は微塵も見当たらない。近頃は何をやっても上手くいかないアイリッシュだったが、それはどうやら、このゲームに関しても同じであるらしかった。
アイリッシュが、自らの〝死〟を運命として受け入れる、仄暗い感情の準備が出来たときである。
ぱらららららら、たらららららら。
アサルト・カービンのものより若干軽い、連続して掃射される銃声は、まさしく彼女の後方より聞こえた。茂みをかき分ける音も素早く、音が聞こえた直後には、目の前にいる一人の男は全身から血を吹き出しつつ、もんどり打って倒れる。
「………!?」
驚愕に目を見開くのは、何もアイリッシュだけではない。残る2人の敵兵も同様であった。アイリッシュのすぐ背後にまで迫っていたそのアバターは、ひときわ高い跳躍とともに彼女の前へ躍り出ると、両手に構えた二種類の短機関銃を無機質に動かしながら、目前の2人をなぎ払っていく。
ポニーテールにまとめた銀髪と、病的なまでに白い肌、赤い瞳。どこかアニメ的、マンガ的にも見える強襲者のアバターは、やはりアイリッシュと同じMMO転向組特有の傾向を持つ。だが一切の感情を宿さず、一発の無駄弾すら見せず、当てるも外すも計算し尽くされたかのような彼女の銃捌きは、アイリッシュのそれとは比べ物にならない。
いや、この冷徹なる仕事人の力量は、おそらく目の前にいる2人すらも圧倒的に凌駕しているだろう。木の幹に隠れ、アサルト・カービンを構え直そうとした1人の側面に、瞬く間に回り込んだかと思えば、銃弾の雨の奇っ怪なダンスを踊り、間抜けな血肉を撒き散らすのは、その哀れな捕食対象の方であった。
アバターネームは【BloodyMary】。その銀髪と白い肌を血に染める彼女の姿を見れば、その名前にも納得だろう。
「アイリ。ご無事なようで、何よりです」
ブラッディ・マリーは、その短機関銃で果敢にも立ち向かってきた男の太腿を撃ち抜きながら、言った。
「あ、ああ。うん。助かったわ。マリー」
対するアイリッシュの答えは間抜けなものだ。助かったわ、と言いつつ、結局自分が陥った窮地のことも、それを脱した経緯のことも、漠然と理解したという程度のままである。
脚部を【負傷】した最後の一人は、移動に著しいペナルティを受けつつ、必死に這ってその場を逃げようとしている。先程までアイリッシュのことを〝芋スナ〟などと揶揄していた彼ではあるが、こうしてみればなんの皮肉か、彼の姿こそイモムシそのものであった。ブラッディ・マリーはなんの躊躇もせずに、さらに男の両腕を撃ち抜く。小さな悲鳴が上がった。
強襲兵にはライフポイントを多く割くというセオリーが、この時ばかりは彼を苦しめていた。足を撃たれ、腕を撃たれ、なお彼は死なない。現実であれば出血多量で命を落とそうと、手足の損壊程度ではこのゲームにおいて、著しくライフポイントを損ねるような結果にはならないのだ。
「アイリッシュ、ちょうど彼を仕留めれば、戦力ポイントの過半数を削減したことになります。すなわち、我々の勝利です」
「あ、そうなんだ。さっき拠点制圧したって言ってたもんね」
「我々の記念すべき初勝利です。せっかくですので、邪神アイリ。最後の一撃は、あなたの手で」
「あんたも邪神とか言うの?」
アイリッシュは露骨に嫌な顔を見せながら、抱え込んだボルトアクション式狙撃銃の装填を確認し、地面で必死にもがく男の額にその銃口を突きつけた。狙撃銃として正しい使い方ではないわけだが、まぁ、仕方あるまい。
男の顔が恐怖に引きつる。ゲームの中とは言っても、やはり〝死〟は恐ろしいものなのだろうか。
「や、やめろ! くそ、俺が悪かった! なんでもするから、許し……」
「ごめんね!」
引き金はけっこう軽かった。