中学生の頃の君
「それで。こんなに美味しい珈琲淹れる店に来て、どうして紅茶飲んでるんだよ」
けいが真面目にそう言うと、拓也君がまた失笑する。
「だって、珈琲飲めないんだもの。けいも知ってるでしょ」
「いや、絶対飲んだ方がいいって」
「んー、1回飲んだ事あるのよ」
「美味かっただろ?」
「……苦かった」
「お子ちゃま」
「なんですって?」
「なんでもありません」
別に漫才をやっているわけじゃない。
それなのに、大村君と拓也君の2人は始終笑いを噛み殺したような顔。
「それに、紅茶もとっても美味しいじゃない」
これはほんとうよ?
私は紅茶のカップを手にとって口に運ぶ。
「俺らは紅茶飲んだ事ねえな」
「確かに」
「この店のメインは珈琲だからなあ」
「メニューにも載ってませんよね」
「ああ」
男の人の会話ってこんな感じが普通なの?
入る隙間がなくなって、私は黙って聞いていた。
「つーか昨日の試合見た?」
「見た見た。あの終了間際のゴール!」
「あれはやばかったわ」
試合?……サッカーのかしら。
私見てないし。どうでもいいし。
紅茶飲んだら、さっさと帰ろう。
*
「そんで、鍵は見つかったのか?」
「え……?」
ハッと気がつくと、3人の目が私に集まっていてぎょっとした。
サッカーの話からどう巡って、鍵の話に??
「わ、私?」
「他に誰がいんだよ、アホ」
私の前だけならいいけどねえ、他の人がいるところで、私を馬鹿にしないでよー!
あれ、そういえば、〝馬鹿にする〟とは言うけど、〝アホにする〟とは言わないわね。どうしてかしら?
「……見つかりませんでした」
「ったく、やばいじゃねーか」
「別にいいじゃない…そのうち届くわよ」
なんでもいいから、こんなに人がいるところで、私の失敗話をしないでよ。
大村君にはだいたい話したとはいえ、拓也君にまで知られちゃうじゃないの。
「優さん、こいつから話聞きました?」
「ああ。昨日の夜、家に入れなかったんだろ」
「それだけじゃねぇっすよ。俺が帰ってくるまで、こいつ外で寝てたんですから」
「……それは初耳だな」
「よく風邪引かなかったっすね?」
それで終わりに済めばいいのに、けいは更に身を乗り出した。
え、嘘ぉ。全部言うつもりじゃないでしょうね?
「更に!聞いてくださいよ、こいつ、キーホルダーに住所入れてたんですよ」
「けい〜!」
な、なんなのよ!この人達に、いう必要なんてないでしょ!
拓也君がひぇっと声を上げる。でも、大村君は首を傾げた。
「それの、どこが悪いんだ?返っていいじゃねーか、住所がわかるなら、拾った人が届けてくれるだろ?」
「優さんも姉貴も、母さんも甘いんですよ!このご時世に、そんな泥棒してくださいとでも言わんばかりの物が落ちてたら、どうなるかわかるでしょ!?」
……私もうそれ何回も聞いたわ。
だから、私も同じ言葉を返す。
「あのねえ、みんなそんなに悪い人じゃないのよ。そんな事考えるのは、0.1パーセントの人だけよ。けいとか、けいとか!」
「俺は可能性を言ってるだけだっつーの!まじ、その0.1パーセントの人が拾ったらどうするんだよ」
「それは…その時考えるわ」
「それじゃ遅いんだよ!」
昨日から、けいはずっとこの調子。
どうしてそんなにマイナス思考しか出来ないのかしら?
「まあ、落ち着けよ、けい。……はい、とりあえず珈琲な」
「……ありがとうございます」
おじさんみたいな、ずずっと珈琲を啜る2人。
ほんとうにおじさんくさい……。
「それにしても、鍵に住所書いとくとか、ひよりも変わってるな」
「変わってて悪かったわね」
音楽家ですからね、個性的と言ってほしいわ。
「ばあちゃんの知恵らしいっすよ」
「だってほんとうにおばあちゃんが言ってたんだもの。そうするとなくした時に届けてくれるからって……」
「いつの時代の話だよ」
けいが改めて溜め息をつく。
「母方のばあちゃんなんですよ、それが。姉貴のこのとろい性格はばあちゃんからの母親からの、遺伝ってことっすね」
「のんびりって言ってよ」
「とろい、どんくさい、にぶい」
「けいの馬鹿!」
そう言うと、3人そろって噴き出した。
「ひよりさん、ほんとうに可愛いっすね」
「……」
「照れてる〜」
「拓也、見る目ねぇなあ。こんなのがよかったらいつでもやるぜ」
「いやさすがにそれは…」
「けい!」
「はいはい」
なんなの!!馬鹿にしてるの!?
拓也君ってなに!?ナンパ男!
「姉貴、落ち着いて。まじでやばいから、とりあえず鍵に住所書くのはやめとけ。な?」
「……もう書かないし」
まるで兄のように言ってくるけいが癪にさわる。
だいたい、書いておいた方が、拾ったひとが届けてくれるじゃない!
けいは疑り深いっていうか、心が捻じ曲がってるのよ。
「金が盗まれるのはまだ替えがきくけど、姉貴のピアノ、なんかされたらまずいだろ?」
姉貴のピアノ。
思わずびくりとする。私のピアノに……。
「なん、なんかって何……」
「だから、例えば傷をつけられるとか、壊されるとか…弦を切られるとか……」
けいの言葉通りに想像してみる。
い、嫌だ。絶対に嫌!
というか無理よ、断固拒否!!
私のピアノに、他人の指なんて一本も触れさせないわ。
指紋をつけられるのも嫌。絶対絶対……。
「姉貴、姉貴。物の例えだから、そんな深刻な顔すんな」
「嫌……」
「大丈夫だって、ほんと例なんだから…まじ泣くなよ!」
無意識に目頭が熱くなる。
嫌だ、私のピアノが……。
「ひより…?ほんとに泣いて…」
「泣いてない!」
「悪かったよ、だから泣くな、困るんだよー!」
ほんとうに、駄目なのよ、私。
素人には分からないと思うけれど、ピアノを弾くひとでも分からないかもしれないけど、ほんとうに、ピアノって1台1台全部違うの。
音の響きとか明るさとか、鍵盤の感覚とか感触とか、性格がみんな違うの。人間と同じ。
だから、私のあの子は、世界中にあの子しかいないのよ。
作られた条件は一緒でも、ピアノに使われてる木の育った環境から、ピアノを置かれた場所、その日その日の天気、空調によって全部変わってしまう。
「わかっただろ?無闇に住所とか個人情報をばら撒くなよ?」
手で顔を覆いながら頷く。
「それにしても、あの佐藤がこんなに感情的になるとはなぁ」
大村君が笑って言う。……って私、大村君の顔見れてないけど。
「あの佐藤って?」
「中学んときのひよりだよ。のほほんとしてるけど、基本クールで感情を表に出さないっていうか」
なにその客観的評価。
「少なくとも俺のイメージはそんなんだったんだけど」
「姉貴が感情を表に出さない?…ああ、こいつ外面だけばいいんですよ」
帰ったら覚えてなさいよ。
「そうなのかぁ?怒ってるとことかも見た事なかったな。……いや、一回だけあった」
「なんです?」
……私、何か怒った事あったっけ。
結構イラっとした事たくさんあったと思うんだけどなぁ。1個に絞れないよ。
「中3ときの合唱コンでさ、ピアノ全然調律してないって憤慨してたわ」
ああ!それね!
あれは、ほんとうに最悪だったのよ。
素敵なフルコンサートピアノだったのに、音がズレてて!
あの和音が響かない感じが気持ち悪くて……。
「発表の後、気持ち悪いっつってホール出てたよな」
そうなのよ。音が気持ち悪すぎて、気分が悪くなったの!
「あー、姉貴よくあるんですよ、音が気持ち悪いとか言って」
「ひよりさん、絶対音感?」
「いや、天然モノじゃねーみたいだけど。一応。音大生だしよ」
「すげえ」
「お嬢様の耳は敏感だっていうね」
「確かにお嬢様だな」
ああ私、もうこの3人に付いていけないわ……。
やっぱり男って苦手よ。疲れちゃう!