午後のカフェテリア
日がさす、午後のカフェテリア。大学内のね。
目の前に座って、これまた珈琲を飲む絢香に、喫茶店のあのひとが知り合いだったと話した。
「えー!嘘、知り合いだったの?」
「うん。ただの同級生だけどねー」
「まあ…今思えば確かに知り合いっぽい顔してたわ」
「し、知り合いの顔をどうやって見分けるの?」
思わず大きな声を出した私を、絢香は笑ってたしなめた。
「落ち着いてって。今のは私の日本語が悪かった。ごめんごめん」
「それで、」
「私が言いたかったのは、なんかひよりとお店のひととで目で会話してたし、あのお店に入ったときも、お、みたいにさ、ちょっと驚いた顔してたし…だから」
「私が?」
「違うって。あの喫茶店の…大村君?」
「うん」
「ひよりは分からないけど、向こうは知ってる、みたいな雰囲気だったのよ」
「……そうなの?」
「うん」
へええ、気がつかなかった。
確かに大村君は私を知っていた…みたいだし。確信はしていなかっただろうけど。
「で、圭君も知り合いだったの?」
「そうそう。まだ私が知ってる事話してないんだけどね」
「えー?私も知ってるのーって一緒に行けば?」
珈琲飲めないんだけど…絢香はそれを知らないから……。
でも、この間みたいに紅茶を淹れてくれるのならまた行きたいな。
今度こそ、ちゃんとお金を払って、あの美味しい紅茶を味わいたい。
あ、でも、あのお店にはもう行かないんだった。
でも、でも、あのひとの事を聞けるかも……いや、聞いてどうするの、って思ったんだった。
「多分、けいは私に隠してるのよー」
「何を?」
「あの喫茶店に行ってる事……というか、大村君に私の話をしてる事とか」
「ああ、それね……。でも、もしかしてさぁ、圭君が話してるんじゃなくて、その大村君が聞いてるのかもよ」
??
それって結局同じ事じゃない?
「……どういう事?」
「雨が降ってたからって、普通、自分の店まで連れて行く?」
「……え?大村君が優しいだけでしょ」
なんでそんな事が急に出てくるのよ。
意味わからないじゃなーい。
「前から思ってたけど、ひよりって鈍感よね……」
「そうかな?」
「そうでしょ」
絢香は何を言ってるの?
鈍感って……よく言われるけどさ。
「ま、そのうち分かるわよー」
「うん?」
なんにしろ、私もうあの喫茶店へは行かないと思うんだけど。
「いいじゃない、大村君。カッコ良かったし」
「え、えええ」
やっと絢香が言っている事がわかって、一気に体が熱くなった。
かっこ良い…って、わ、私そんなの知らない!
「だってひより、信じられないほど男苦手じゃない」
「そ…だっけ?」
「そんなの周知の事実よ」
わ、わわわ私は知らないわよ?
……昨日、けいにも言われたばっかりだけど……。
「ヴァイオリンの山本君、沈んでたわよ」
「だ、誰よ、そのひと。関係な…」
「廊下の曲がり角で、ぶつかった事あったじゃない。そのとき、ひよりすごーい悲鳴あげてさ」
そ…の出来事があったのは覚えてる……。
曲がり角の出会い頭で、ひとにぶつかりそうになって、反射神経の悪いわたしは、避ける前に悲鳴を上げた。
それも、わっ、とかじゃなくて、思いっきり、きゃー!ってやつを。
だけど、相手が誰だったかなんてそんなの……。
「あとは、ピアノの桜井君ね」
「なんで。桜井君とは結構仲いいつもりで……」
「桜井君に椅子譲ってもらった事なあい?その時、いいから座って、って肩押されてひより転びかけたんでしょ」
「え…あああ!なんで知ってるのよー!」
「声楽の情報網舐めないでちょうだい」
絢香がからからっと笑った。
「だから、ね?少しは男慣れしなさいって」
「そんな必要ないもの……」
小さく言うと、絢香はため息を吐いた。
「ひよりってほんと、深窓の令嬢よね……」
「そんなんじゃないってばー」
絢香は一旦息をついて、冷めかけた珈琲を飲み干した。
私の手元には、既にからになったミルクティー。
手持ち無沙汰になって、私は絢香に反撃を加える。
「ねえ、健吾君とはどうなってるの?」
「……ひ、ひよ」
そう言うと、絢香は視線を泳がせた。
両手で頬を抑えている。かわいいー。
「小百合ちゃんから目撃情報入ったんだーあ」
「さ、小百合ちゃんってピアノの」
「うん。この間、双葉駅でデートしてたんでしょ!」
「えーえーえー!の、ノーコメント!」
小百合ちゃんは同じピアノ専攻の友達で、最寄り駅が双葉駅。
そして、絢香のお付き合いしてるひと、健吾君(苗字は知らないのよ)の大学も双葉駅にある。
「相変わらず仲良しなのねー」
「そんな事ない!」
絢香の首が僅かに赤くなっている。
健吾君とは、高校のときに同じクラスだったらしい。
もちろん、大学が別になっても仲良し。
毎日のようにメールをしているのも知ってる。
「絢香ー、赤くなってるー」
「暑いだけー!」
こんな風に照れてる絢香を見ると、恋っていいなぁ、なんて思ってしまう。
本当に幸せそう。
たまに喧嘩して、絢香の歌が絶不調になるときもあるけど、3日もあれば、前よりもずっとずっと仲良くなって、喧嘩なんてなかったみたいにけろっとしてるの。
「あのねー、ひより」
「うんうん」
「……夏休み旅行行こうって言われた」
「おー!」
耐えきれない、という風に、絢香はテーブルに突っ伏した。
「よかったねえ。ね、OKしたんでしょ?」
「それが……」
「え?」
ずるずると絢香は顔を上げた。
「うちのお父さん厳しくて……多分無理」
「嘘。…そんな……」
気がつけば絢香の瞳は潤んでいた。
……そうだよね、行きたいよね……。
でも、私は絢香の家の厳しさを知っている。
門限は8時で、いろんなとこに丁寧で、ご飯だって、絶対に抜かさない。厳しく育てられたんだなって感じ。
ちなみに私の門限はなくて、8時過ぎるとけいが駅まで迎えに来てくれるけど……。流石に、道に迷って、10時過ぎたときは怒られたけど。けいに。
でも、ご飯を抜かす事も私はしょっ中。
朝と夜は我慢出来ないしその分食べるけど、お昼ご飯を忘れて、気がついたら夕方って事がよくある。
「仕方ないから、日帰り旅行にしよう、って言おうと思ってるんだけど……」
「……うん」
難しいね……。
「でも、気持ちだけで嬉しかったし、それでいいかなぁって。楽しみはあとに残しておいた方がいいでしょ?」
私は大きく頷いた。
日帰り旅行だっていいと思うし、肝心なのは2人の気持ちで、それにきっと、絢香と健吾君は一緒にいるだけで幸せなんだよね。
でも、旅行……も。うん、行けないのは残念よね……。
絢香はもう笑っているけど、もちろん、心の中で哀しんでいるというのは分かる。
でもきっと、私が思いつくような慰めの言葉は、もう健吾君が先に言ってくれたよね。
「だから、気にしないで。一応報告」
えへへ、と絢香が笑った。