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魔境に追放されたエンジニア令嬢、統括回路一本で極楽温泉郷を築く 〜伝説の銀狼(推し)とホワイトに隠居します〜  作者: 櫻庭希翠


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第5話 血塗れ全裸の推しと魔境の地熱利用

第5話です!

拠点構築が進む中、ロアが直面したのは「伝説の魔獣、実はけっこう獣臭い」という衛生上のバグでした。

禁断のシャンプータイム開始です!

「……ちょっと、シル。そのまま座らないで! せっかく直した床が血まみれになるじゃない!」


 食後、満足げに寛ごうとする全裸(まだ血まみれ)のシルを、ロアは慌てて制止した。

 破壊されていた遺跡は、ロアの手によって徐々に再構築されつつあった。彼女がいの一番に願った壁付きのプライベート空間――サニタリーユニットだけでなく、魔力を注ぎ込まれた石材たちは、まるで平屋の高級ホテルのような優雅な建築物として建ち上がり始めている。


 当たり前だが、シルは獣臭い。そして何より、血なまぐさい。さらに言えば、ロアもまた……臭くなりつつある。

 こうなれば、インフラ整備の優先順位を繰り上げるしかない。


「ターゲット・ディープス、50メートル。地熱ラインをサーチ……。あった、ここをバイパスして、大気中の水分を液化(インポート)すれば……」

「ロア、何をしている?」

「温泉の構築よ! じっとしててね」


 ロアがマスターキーを強く捻ると、地面からゴゴゴ……と音が響き、東屋のすぐ隣の岩場が円形に陥没した。

 そこへ、魔法で熱せられた地下水が勢いよく噴き出し、湯気を立てて溜まっていく。


「仕上げに、この辺の抗菌作用のある魔石をフィルター代わりに設置して……。よし、温泉、デプロイ完了!」

「……ほう。地から熱い水を引き出すとは。お前はやはり、神の権能を弄ぶ者だな」

「ただの配管工事よ。……さあ、シル! さっさとその中に入って、その返り血を全部洗い流してきなさい!」

「舐めとってはダメなのか?」

「……舐める? 今、舐めるって言ったの?」


 ロアの瞳が、紺碧と金を火花のように散らせて据わった。一歩、また一歩と全裸の美形に詰め寄る。その気圧プレッシャーに、伝説の魔獣たるシルが思わず後ずさった。


「いい、シル。よく聞きなさい。クリンネスっていうのはね、単に『目に見える汚れを落とす』ことじゃないのよ!」


(……あぁ、また始まったな)


 シルの脳裏に、共有されたロアの記憶――『前世』の断片がノイズのように走る。

 白い服を着た者たちが、目に見えぬ小さな敵を恐れ、透明な液体で手を清めていた光景。

 あれを人間たちは『ころな』と呼んで、忌避していた。


「返り血がついたままの体を舐めるなんて、言語道断! それは不純物の再配布なのよ! 未知の病原体を、あなたに直接ロードするつもり!? そんなの、セキュリティホールを自ら広げているようなものよ!」


 滔々と語られるクリンネスの重要性。

 普通の魔境の住人なら「気が触れたか」と聞き流すだろう。だが、シルには分かっていた。

 あの記憶の中のロアが、どれほど清潔な世界で、どれほど徹底して「不浄」を排除して生きてきたかを。


(……なるほど、そういうことか。お前にとって、この地の大気は耐え難いほど汚染されているのだな。そして、その『ばいおはざーど』から俺を守ろうとしている……。なんと深い慈しみだ)


 シルの金の瞳が、感極まったように細められた。


 さらに、彼の意識の奥底にある、もう一つの記憶が同期シンクロさせた。


 暖かい日の光。庭先。

 ロアが、四足歩行の毛むくじゃらの生き物――『いぬ』と呼ばれていた種族を、泡だらけの手で慈しむように、優しく、隅々まで洗っていた光景。


(あいつも、こうして洗われていた。番に触れられ、慈しまれ、最後には柔らかな布で包まれていた。……つまり、次は俺の番ということか!)


 シルの中で、ロアの衛生管理への警告が、至福の時間に完全に変換された。


「……わかった。お前の故郷の儀式、しかと受け取ったぞ。つまり、その『おんせん』で、俺を隅々まで洗いたいということだな?」

「そうよ! 物理洗浄に化学洗浄、とにかく除菌よ! さあ、一刻も早くその浴槽にダイブしてちょうだい!」

「あぁ。……待っているぞ、ロア。お前のその手で、俺をしゃんぷーしてくれるのをな」


 シルは期待に満ちた、どこか子犬のような潤んだ瞳を向けて、意気揚々と温泉へ向かった。


(……え、待って?)


『俺を隅々まで洗いたい』

『俺をしゃんぷーしてくれるのを……』


「あれ?」


 ロアは、自分の放った「除菌命令」が、シルの中で「お風呂でわしゃわしゃして!」という甘えん坊なリクエストに書き換えられたことに気づいた。


 伝説の銀狼に「違います!」なんて言うに言えない。ロアには激甘だが、牙を剥いたら凄まじいことなど、想像しなくてもわかるというものだ。


「ヤバい……詰んだ」


 温泉の湯気の向こう、シルは既に浴槽の縁に陣取っていた。

 広い背中をこちらに向け、期待に満ち溢れたオーラを全身から発散させている。全裸であることはもはや前提デフォルトだが、今の彼から感じるのは「捕食者」の威圧感ではなく、完全に「お散歩の順番を待つ忠犬」のそれだ。

「あの『いぬ』のように、俺の隅々までお前の手で清めてくれ」


(……あの記憶、見られてたのね。しかもよりによって、実家の愛犬をわしゃわしゃにしてた一番の癒やしタイムを……!)


 ロアは天を仰いだ。

 拒絶してシルの機嫌を損ね、物理的な『強制終了デス』を食らうわけにはいかない。まだ建物は構築中だし、やらねばならないことが山とあるのだ。


 こうなれば、これは……介護だ。あるいは精密機器の洗浄メンテナンス。そう自分に言い聞かせるしかない!


「……わかったわよ。やるわよ、やればいいんでしょ! その代わり、大人しくして……」


 湯気の中にちょこんと待つ、全裸の推し……。

 今はないはずの尻尾がぱったんぱったんと床を打つのが見えるようだ。


 ロアは頭を振った。即席の『界面活性剤シャンプー』と『高密度スポンジ』をビルドした。

 意を決して、湯気の中に踏み込む。思わずごくりと唾を飲んだ。

 間近で見る人化したシルの背中は、やはり「高画質」すぎて心臓に悪い。濡れて肌に吸い付く銀髪を避け、ロアは恐る恐るスポンジをその広い肩に乗せた。


「……まずは予洗いよ。流すわね」


 桶で温水をかけると、シルの肩から赤い血が薄まり、白磁のような肌が露わになる。

 ロアは泡立てたスポンジで彼の背中を洗い出す。


「ほう……。これが『しゃんぷー』か。実に心地よい。お前の優しい魔力が、毛穴の奥まで浸透してくるようだ……」


(待って、待って……! 背中を洗うでしょ、頭……はいいとして、他は? 他……)


 ぐるぐると思考回路が破綻しそうに回り出す。目も回りそうだ。


「『いぬ』は腹も洗ってもらっていた」

「無理です、ごめんなさい……」


 無理なものは無理だ! 


「さあ、ロア。俺も……」


 全裸で大きく手を広げ、腹を洗ってもらおうと仁王立ちする『推し』……! ロアはもう涙目で頭を下げるしかない。


「無理です、ごめんなさい……! さすがに物理的に、倫理的に、私の理性が完全にデリートされちゃうから!!」


 高画質な3D、全裸の推しの腹部をわしゃわしゃするなど、それはもう「洗浄」ではなく「事案」だ。

 ぐるぐると思考回路がショート寸前で回転する中、ロアの脳内に電撃的な閃き(パッチ)が走った。


(待って……なんで私は『この姿』を洗うことに固執してるの? そもそもインターフェースが適切じゃないのよ!)


「ねえ、シル! 提案があるわ!」

「提案? 俺を洗うための、より良い手順が?」

「そうよ! 銀狼に戻りなさい! あのモフモフの姿なら、私、いくらでもお腹だってどこだって、全力でわしゃわしゃしてあげるわ!」


 シルの動きが止まった。

 人化の姿は、彼にとって「番と向き合うための正装」のようなものだ。だが、ロアの提案はあまりにも魅力的だった。


『……あの、いぬのようにか? お前が、俺の毛並みの隅々まで、その手で触れてくれるというのか?』


「そうよ! あの姿なら、私は最高のクリンネスを提供できるわ。大型犬……じゃなかった、大型魔獣専用の全自動洗浄モードよ!」


 シルはしばし葛藤した。全裸(人)の姿で番を困らせる愉悦か、あるいは銀狼の姿で「実家の愛犬」並みの極上マッサージを受ける悦楽か。


 ――勝負は一瞬だった。


「……承知した。お前の望む『デバイス』に切り替えよう」


 眩い光と共に、浴槽のサイズギリギリの巨体が、温泉の中にドォン!と出現した。

 白銀の長い毛が水面に広がり、人化の時とは比べ物にならない獣の熱気が浴室を満たす。


「よし、これよ! このインターフェースなら問題ないわ!」


 ロアは袖を捲り上げ、即座に巨大な泡の塊をビルドした。

 相手が「銀狼」になった途端、ロアの羞恥心回路セキュリティは解除され、熟練の下女……もとい、長年の愛犬家、ベテラン・トリマーとしての本能が目覚める。


「いくわよ、シル! まずは首周りの汚れを徹底デフラグ! 次に背中から尻尾にかけて、高密度バブルで一気に洗浄するわ!」


『……くぅ、ん……。あぁ、そこだ、ロア……。あぁ、たまらぬ……』


 温泉の中に、銀狼の満足げな低い唸り声と、バシャバシャと景気の良い水音が響き渡る。

 もはやそこにいたのは伝説の終末獣ではなく、世界一幸せな、巨大すぎるお風呂大好き犬であった。

 

「よし、洗浄完了! 次、すすぐわよ!」


 浴槽の水を一気に排出した。ずぶ濡れになり、少しボリュームの落ちた白銀の毛並みが露わになる。シルはといえば、あられもない姿で温泉の床に寝そべり、うっとりと目を細めていた。








第5話をお読みいただきありがとうございました。

全裸の推しを洗うという「精神的負荷」を、インターフェースの変更(狼化)で乗り切りました!

次回、第6話。お楽しみに!

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