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魔境に追放されたエンジニア令嬢、統括回路一本で極楽温泉郷を築く 〜伝説の銀狼(推し)とホワイトに隠居します〜  作者: 櫻庭希翠


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第19話 遺跡の守護者アズール

第19話です!

魔境の浄化システムを司る「白銀の龍王」アズールが、ついに登場。

しかし、あまりの高潔さが仇となってバグり散らかしていた彼を待っていたのは……。

 さて、魔境フェルフォートが楽園と化してしばらく経ったころ。


 相変わらず、サウナ上がりのテラスを吹き抜ける風には、かつての腐敗した悪臭など微塵もなかった。


 鼻をくすぐるのは、湯上がりの清潔な石鹸の香りと、マーサが焼く肉の香ばしい匂い。そして、イグニスの熱によって乾燥した、どこか日向に似た温かい空気。


 氷魔石の冷蔵庫でキンキンに冷やされた『麦芽発酵冷却液』のジョッキを結露させ、シルが喉を鳴らす。


「……ふう。ロア、この『喉越し』というログは……癖になりすぎるな。全身の魔力が、涼やかな清流に書き換えられていくようだ」


 人化したシルの肌は、まだサウナの熱を吸って、触れれば火傷しそうなほど熱い。傍らではエリュシオンが、冷えたミルクの皿にヒゲを濡らしながら、満足げに喉を鳴らしていた。


「……。ふん、かつてのあのドブのような魔力溜まりを思えば、ここはもはや別の惑星(プラットフォーム)だな。鼻が曲がるような死肉の腐敗臭と、肺を焼くような重苦しい湿気……。あの中に、我らは何百年いたことか」


 エリュシオンの言葉に、日向ぼっこしていたイグニスが、低く、地響きのような声で応じる。


「……まったくだ。かつて我らがここで『同期』していた、もう一頭のことを思い出す。アズール……。あやつこそが、この地で最も『清廉な水』を司るはずだったというのに」


 その名が出た瞬間、テラスの空気がわずかに冷えた。

 ロアはジョッキを置き、三頭の神獣を見渡す。


「アズール……。シルが最初に出会った時にオーバーヒートしかけていたのも、その子が原因なの?」

「ああ。あいつは遺跡の心臓部……巨大な浄化槽を司る守護者だった。だが、魔境に溜まった負の感情や汚れをフィルタリングし続けた結果、あいつのメモリは飽和し、システムは逆流を始めた。……今のこの素晴らしい温泉も、かつてはあいつが吐き出す毒液で、ドロドロの腐泥と化していたのだ」


 シルが遠く、霧に包まれた遺跡の最深部を見つめる。

 かつてロアが足を踏み入れた時に感じた、あの鼻を突く重苦しい潮の香りと、腐敗した魔力の混ざり合った独特の悪臭。その「源流」が、まだ奥底で眠っているのだ。


「……何事も一人で抱え込む質でな。アズールは今、動かなくなった巨大な汚水処理場の中で、自分自身を封印(ロック)している。だが、我らがここで温泉を再起動させ、イグニスが熱を上げ、神殿が活性化したことで……あいつの『フリーズ』も、もうすぐ解けるだろう」


 神獣たちの過去語りは物々しかったが、ロアは話の核心を突いた。


「……つまり……アズールは、一人で頑張ろうとして上手くいかず、強情を張っているということ?」

「「「そうともいう」」」


「……強情、ね。エンジニアの格言には『動かないシステムはただの箱』って言葉があるわ。どれほど高潔な理念があっても、引きこもって環境を汚染するだけなら、それはただの巨大な不具合(バグ)よ」


 ロアがジョッキをテーブルに置くと、カツンと乾いた音が響いた。

 その直後、神殿の換気扇からマーサが厨房で仕上げに入った、追加の『猪豚のスタミナ爆弾丼』の、暴力的なまでのニンニク醤油の香りが排出された。

 熱せられたタレが肉の上で弾ける「ジュー」という官能的な音。それが神殿の排気ダクトを通り、魔導回路を伝って、地下最深部へと流れ込んでいく。


 ーー……ズ、ズズ……


 不意に、テラスの床が激しく、だがどこか躊躇するように震えた。

 霧の向こうから、重苦しい潮の香りが漂ってくる。だが、それはかつての腐敗臭だけではない。何百年も「空腹」を我慢し続けてきた者が、あまりの芳香に耐えかねて漏らした、切実な生唾(ログ)の気配が混ざっていた。


「おい……」


 エリュシオンがぴくりとヒゲを震わせた。


「感じるぞ……」


 イグニスが立ち上がり、戦闘態勢に入る。


「……っ、来るぞ!」


 シルが素早く立ち上がり、ロアを背後に隠す。

 遺跡の最深部から這い出してきたのは、全身を黒い泥に覆われた巨大な龍――深海の守護者アズールだった。


「「「アズール!」」」


 泥の隙間から覗く金色の瞳は鋭いが、その視線はシルではなく、完全にマーサが抱えてきた「特盛丼」の盆に固定されている。


『……人間、よ……。我を、このような、浅ましい……匂いで……誘う……な……』


 地響きのような声。だが、アズールの鼻先はピクピクと、およそ神獣らしからぬほど正直に動いている。


「誘ってないわよ。今のここは、働いて、整って、美味しく食べる人のための聖域(パラダイス)なの。……アズール、あなた、本当はその泥を脱ぎ捨てて、私たちと一緒にその丼をかき込みたいんでしょう?」


『だ、黙れ……! 我は、高潔なる守護者……! 汚れを一身に引き受け、孤独に……グゥ、ゥ……』


言葉の途中で、アズールの腹が、神殿全体を揺らすほど盛大に鳴り響いた。


「腹の虫は正直ね。……シル、イグニス! 強情っぱりさんを大浴場へ! 徹底的に磨くわよ」

「マーサ、特製オロポと丼はそのままキープ! 今夜は、魔境の『大掃除』よ!」

「ローリエ様、ここは特製赤味魚のスタミナガーリックレアステーキ丼にしますわ!」

「ナイス判断! アズールの胃袋を最短ルートでハックして!」

「お任せくださいませ 秘蔵の魔境大蒜(スタミナガーリック)、増し増しで参りますわ!」


 厨房から漂ってきたのは、先ほどまでの肉の匂いとはまた違う、脂の乗った魚の表面を炙る芳醇な香り。醤油とガーリックが焦げる匂いが、湯気に乗ってアズールの鼻腔をダイレクトに攻撃する。


『ぬ……っ!? この、抗いがたいエネルギー密度は……!』

「さあ、シル! イグニス! 強情な神獣を温泉へ!」


 アズールの巨躯が、ドッポォォォォン!! と凄まじい水しぶきを上げて巨大露天風呂へと沈められた。


「イグニス、最大出力で源泉を加熱! シルは外気温を下げて温度差を最大化して! 高圧スチームによる『剥離洗浄』を開始するわよ!」


 こうなってきたら、総出である。バルドとジギ、そして導師も全力で魔導を発動している。


「ロア殿! 出力が足りん!!」


 出力を出すには、力任せに魔力を注ぐのではなく、繊細なロジックの構築が必要不可欠。ロアは導師に叫んだ。


「魔力は(パワー)じゃない、回路(ロジック)よ!!」


 ロアがパチンと指を鳴らすと、光る回路が構築されていく。真っ白な蒸気がアズールを包み込み、熱と冷気の急激なサイクルが、何百年もこびりついていた腐敗した泥を物理的に浮かせ始める。


『あ、熱い……! いや、冷たい!? なんだ、この感覚は……!』

「いいから黙って浸かってなさい! 仕上げはこれよ!」


 ロアが掲げたのは、魔導粉末を配合した特製の『重曹スクラブ』。それをエリュシオンが風の魔法で散布し、シルの尾が巨大なブラシとなってアズールの鱗を磨き上げる。


 ――ボロボロと、黒い汚れが剥がれ落ちていく。


 その下から現れたのは、月光を反射して白銀に輝く、息を呑むほど美しい龍の王の姿だった。


「ふい……身体の芯がとろける……」


 汚れという名の「強情」を脱ぎ捨てたアズールは、温泉の縁にぐったりと顎を乗せ、焦点の定まらない瞳でぼうっとしている。ロアは満足気に腰に手を当て、アズールを見下ろした。


「……これぞ『究極の整い(フルリカバリ)』ね」


 そこへ、マーサが山盛りの丼を捧げ持って現れた。

 香ばしく焼き上げられた赤味魚、その上に鎮座する濃厚な卵黄、そしてこれでもかと散らされたガーリックチップ。


「さあ、アズール様。強情のあとは、こちらの栄養をインストールしてくださいませ」

『……。……ふん、あ、浅ましい……』

「まったくごちゃごちゃと……!」


 容赦なくマーサがスプーンごと、口に突っ込んだ。


『……はむっ……!?」


 一口食べた瞬間、アズールの瞳が見開かれた。

 絶叫に近い衝撃が、彼の内側を駆け抜ける。


『……っ! な、なんだこれは……! 旨い……! ログが、脳内の全回路が、この旨味に塗り替えられていく……!!』


 かつてのラスボスはスプーンなど必要とせず、もはや一心不乱に丼をかき込んでいた。その姿を見届け、ロアはふう、と額の汗を拭う。


「……よし、これで魔境の全システムが正常稼働したわね。……あ、アズール。明日からは、神殿の『水質管理マネージャー』としてログインしてもらうからね、働かざる者食うべからずよ!」









第19話をお読みいただきありがとうございました。

アズールの「整い」っぷり、そして丼へのかっ込み。これで魔境のインフラ(熱・水・掃除・家事)は完璧に整いました。

もはやここはパラダイスです……!

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