第14話 火霊サラマンダーと紅蓮の鱗
第14話です!
脱皮不全に悩む火霊サラマンダーを、ロアが「温浴&ブラッシング」で救済。
しかし、ふとした瞬間に漏れたロアの寂しさに、あの銀色の神獣が動きます。
その日、ロアたちは大騒ぎだった。
なんと火霊サラマンダーがやってきてしまったのだ!
『最近、火力が安定しなくて困っている。脱皮不全で背中がゴワゴワして、精神的に……』
「わかった! わかりました、サラちゃんあんまり喋らないでっ!」
サラマンダーこと、サラちゃんがボソボソと話すたびに炎が吐き出され、そのたびに毛に引火しそうになるため、早々にエリュシオンは逃げ出していた。すっかりと人化が日常となったシルが氷魔法で抑えているものの、あっという間に溶けてしまう。
「トカゲにはあんまり詳しくないんだけど……まずは……」
ロアは朧げな記憶をたどる。
「まずは温浴よ! 皮膚をふやかして、優しく擦ればいいはず」
サラマンダーはロアをまるで聖女を見るように見つめた。
「おい、俺の番だ。妙な目で見るな!」
シルの威嚇もどこ吹く風。サラマンダーは目を細める。
ゼノスの抱える魔導書とも相談しながら、耐火性のブラシの構築方法を検討するロアの耳には一切届かない。
『なぁに心配するな銀狼。このたびの脱皮の失敗で、我は目が開かなくなっている。お主の嫁の姿など、見たくても見えん』
「俺はお前が脱皮に手こずったのなど、見たことがない。やはり、これは……」
『あぁ、おそらく。この魔境の環境のせいだ。根本を正さぬと、またこの次も不全となるだろうて』
ロアたちが奮闘する中、二人はボソボソと話していた。
シルとサラマンダーが不穏な話を交わしている横で、ロアは真剣な表情で地面に魔法陣を描き、耐火ブラシの最終調整をしていた。
「よし。サラちゃん、お待たせ!……先生、このブラシ、先端に少しだけ『癒やしの術式』を組み込んでみました。剥がすだけじゃ痛いかもしれないから、皮膚を鎮静させながらやりたくて」
「おお、なんと……。単なる研磨ではなく、新陳代謝の促進までケアに含めるというのか。君の優しさは、魔導をより高みへ導くのだな」
ゼノスが感銘を受ける中、ロアはサラマンダーのすぐそばに膝をつき、熱気を恐れずに優しく語りかける。
「サラちゃん、まずはゆっくりこのお風呂に浸かってね。熱すぎたり、逆に出るのが辛かったらすぐ言って。……ヴァイス、準備はいい?」
「……ハッ。サラマンダー殿の呼吸に合わせ、最も心地よい圧で磨き上げます」
お風呂に浸かったサラマンダーの背中を、ロアの指示のもとヴァイスが丁寧に、丁寧にブラシを滑らせる。
ポロポロと剥がれ落ち、水底で真紅に輝く鱗の欠片。
「あ、見て! 鱗が取れたところ、すごく綺麗な色になってるわ。サラちゃん、痛くない?」
『……ああ……心地よい。……なんだろうな、この……身体の芯まで優しさが染み渡るような熱は……』
サラマンダーはうっとりと目を閉じ、まるで猫のように喉を鳴らす。水底に沈んだ『紅蓮の鱗』を見つけたゼノスが、震える手でそれを拾い上げた。
「……信じられん。これは伝説の『紅蓮の鱗』だが、……通常の脱皮殻とは輝きが違う。ロア殿の慈しみによって、魔力が純化されているのか!? 本来は荒々しい破壊の火を宿すはずのこれが、これほどまでに温かく、穏やかな光を放つとは……!」
「よかったぁ。サラちゃん、これで次は目が開くようになるといいわね。……この鱗、すごく綺麗だから、お守り代わりに少し持っていてもいいかしら? あとはサラちゃんが、自分の火力調整がしやすいように、お家の暖房に使わせてもらってもいい?」
『全部持っていけ。私にはもはや不要……ふむ、銀狼には勿体無いほどの娘だの』
ロアは熱の落ち着いた鱗を拾い上げ、光に透かした。
「マーサにも見せてあげたいな。……マーサならきっと、この鱗を見て、『キレイ』って、心まで温かくなるって喜んでくれるはずだもの」
ふと漏れたロアの独白。その優しくも寂しげな横顔を見て、シルは静かに黄金の瞳を細め、決意を固めたように立ち上がった。
「……マーサ、か」
シルは短く、その名を噛み締めるように呟いた。
人化した姿のまま、彼は不意にロアの視界を遮るようにその前に立つ。黄金の瞳には、いつもの皮肉めいた色はなく、ただ真っ直ぐにロアの瞳を射抜いていた。
「ロア。お前がその鱗を誰に見せようと勝手だが、……そんなに湿気った顔をされると、この火トカゲのサウナでも湿度が上がりすぎる」
「え、シル? どうしたの、急に……」
「少し出かけてくる。魔境の境界付近に、不穏な気配があると言っただろう。……ついでだ。お前の言うその『マーサ』とやらが、まだ王都で磨き残した皿でも数えているなら、拾ってきてやってもいい」
ロアが驚きに目を見開くのと、シルが銀色の旋風に包まれるのは同時だった。
人化した姿から、一瞬で本来の巨大な銀狼へと回帰する。その背には、サラマンダーの熱気も寄せ付けない冷徹な威厳が宿っていた。
「待って、シル! 王都までなんて遠いし、そんな、いきなり――」
「案ずるな。俺の速さを忘れたか? ……ゼノス、ロアを頼むぞ」
ゼノスが「おお、神獣自らのお迎えか! これぞ真の騎士道……!」と、やはり斜め上の感動に震える中、シルは低く喉を鳴らした。
『サラマンダー、お前の「紅蓮の鱗」……一つ借りていくぞ。道中の明かりと、その侍女を驚かせぬための献上品にな』
シルはロアの手元から、最も美しく輝く鱗を一つ、器用に口に咥えた。
そして次の瞬間、彼は重力を無視した速度で地を蹴った。銀色の残光だけを残し、神獣の姿は魔境の霧の向こうへと消えていく。
「……行っちゃった。……シル、本当に連れてきてくれるのかな」
ロアは、温かい温度の残る手のひらを見つめた。
サラマンダーが目を細め、穏やかな火の粉を散らしながら鼻を鳴らす。
『……案ずるな。あの銀狼が、主のそんな顔を見て放っておくはずがなかろう。……さて、娘よ。ブラッシングの続きを頼めるか? まだ尻尾のあたりが、ととのいきっておらんのでな』
「あ、ごめんね、サラちゃん。……よし、世界一綺麗にしてあげるから、待ってて!」
不安と期待が入り混じる中、ロアは再びブラシを握りしめた。
シルは銀色の風となり、王都の場外、かつての華やかさが嘘のように荒れ果てた「元・伯爵家別邸」の周辺を駆けていた。
お取り潰しになった後、住む場所を追われた使用人たちの行方を追うのは、神獣の嗅覚をもってすれば容易いこと。
その古びた集合住宅の一角から苦境に立たされていた元伯爵家侍女が、旋風に巻き上げられるようにして消えたと大騒ぎになったのだった。
「……ひゃあああああっ!? な、なんですの、この大きなワンちゃんは! 空を飛んだと思ったら、ここはどこ……ひっ、トカゲ!? 大きなトカゲが茹だっていますわ!」
魔境の静寂を切り裂いたのは、あまりにも場違いな老婦人の絶叫。
銀色の旋風が収まったあとに残されたのは、エプロン姿のまま、手に「磨きかけの銀食器」を握りしめたマーサ。
シルは無造作に彼女を地面へ降ろすと、口に咥えていた紅蓮の鱗を彼女の足元にポイと置いた。どういう原理か、魔力を使い果たしたらしい鱗は光ることをやめていた。不思議そうにゼノスが拾い上げ、眺める。
「これは一体……」
「……シル! 本当に……本当に連れてきちゃうなんて!」
ロアはブラシを放り出し、駆け寄った。
マーサは、腰を抜かしたままパチパチと瞬きを繰り返し、目の前に立つ少女を仰ぎ見る。かつて屋敷で油や泥にまみれていた姿ではない、柔らかな光を纏った、心から慕う主の姿。
「……お、お嬢様……? ローレルお嬢様……!?」
「マーサ! 会いたかった……!」
ロアがマーサの首筋に顔を埋めると、マーサは震える手でおずおずとロアの背中に手を回した。
伯爵家がお取り潰しになり、絶望の淵で「お嬢様はどこへ行ってしまわれたのか」と祈り続けた日々が、その温もりで報われていく。
「お嬢様……ああ、お嬢様……。生きて、こんな立派なお家に……。でもお嬢様、このお姿は……」
マーサは、感動の涙を拭うよりも早く、侍女としての「本能」を覚醒させた。
ロアの跳ねた寝癖、メンテナンスの返り血(ならぬ返り蒸気)で汚れた服、そして背後で「ととのい」すぎてだらりと舌を出している巨大サラマンダー。
「……お嬢様! こんなに髪をボサボサにして! それにこの方は……その、お客様ですの? 接客をするならもっと身なりを整えなければ、淑女なのですから。私が来たからには、一分一秒たりとも、お嬢様に不潔な思いはさせませんわ!」
マーサはすっくと立ち上がると、そこらへんに転がっていたバケツを掴み、卒倒しかけていたゼノスを一瞥する。
「そこの御老人! そんなところで寝癖を垂れ流していないで、さっさとその本を片付けてくださいまし! お掃除の邪魔ですわ!」
「……ひ、ひぃっ!? エ、エレノア……君の娘は、いや、君の娘の番は、魔法よりも恐ろしい『生活の守護神』を召喚してしまったぞ……っ!」
神獣も、伝説の魔導師も、火霊すらも。
マーサの「侍女の威圧」の前には、ただの「片付けが必要な対象」でしかないようだった。
シルは「ふん」と鼻を鳴らし、再びロアの足元に丸まる。
ロアは、叱られているのに何故か可笑しくて、涙が止まらない。
「……ふふっ、あはは! そうね、マーサ。まずは私を綺麗にして」
魔境に、初めて「正しい生活の音」が響き始めたのだった。
第14話をお読みいただきありがとうございました。
シルの強引すぎるお迎え(拉致?)により、ロアの隠居生活に心強い味方・マーサが加わりました。
どれほど強力な魔獣や魔導師でも、マーサのエプロン姿と「お掃除の邪魔!」の一言には勝てないようです。次回もお楽しみに!




