第10話 伝説の魔獣による、過剰な仕様の貢ぎ物
第10話です!
魔境での生活も軌道に乗り、ロアの何気ない「ほしいな」の一言が、シルの「絶対遂行ミッション」に変換されてしまう日常をお送りいたします。
一緒に過ごし始めてまだ日は浅いが、シルは学んだ。
この小さな番を喜ばせるのは、決して難解な術式などではないということを。
「わぁ、シル! こんな果物、ここにもあるのね。見た目はほとんどリンゴだわ!」
「ん、リンゴ……? あぁ、木になるあの小さい実か。主に鳥が好むものだが……確か、似たようなものは他にもいろいろあったはずだぞ」
「リンゴがあるってことは、ナシとかブドウもあるかなぁ? いつか探しに行ってみたいわね」
(ナシ……ブドウ、か)
ロアの弾んだ声を聴きながら、シルは彼女の脳内にあるイメージを注意深く手繰り寄せる。この魔境の深淵にも、彼女が望む甘い記憶に近い果実があるのを、シルは即座に思い出した。
それ以来、シルはこの小さな番のために、彼女の手のひらに収まるようなちんまりとした食べ物をせっせと持ち帰るようになった。
自分が「素材」や「食料」を差し出すたびに、ロアの瞳は魔法のようにキラキラと輝き、惜しみない賞賛を自分にくれる。
その反応が、たまらなく愛おしい。
(銀狼の群れと同じだ。強き雄は、最良の餌と巣の素材を番に捧げ、その心を繋ぎ止める。……ならば、俺がやるべきことは一つ)
ロアが望むなら、魔境の果てまで狩りに行き、戦果を差し出すまでだ。
「……ねえ、シル。これ、何かしら。私の寝ぼけた視覚センサーの故障じゃないわよね?」
翌朝。ロアが拠点の扉を開けた瞬間、目の前に広がっていたのは、もはやちょっとしたおみやげでは済まされないレベルの山だった。
そこには、一抱えもある「爆発的な甘い香りを放つ極楽桃」が数十個、瑞々しい光沢を放って積まれている。
『……起きたか、ロア』
山積みの果実の影から、シルが悠然と姿を現した。
朝露に濡れた白銀の髪を揺らし、獲物を狩ってきた誇らしさでわずかに口角を上げる。人型の姿でありながら、その背後には見えない尻尾が猛烈な勢いで左右に振られている幻覚が見えるほど、彼は期待に満ちた眼差しをロアに向けていた。
「これ、あなたが……? まさか一晩中探してたの?」
『あぁ。お前が「なし」や「ぶどう」を欲していただろう。似たようなものを探していたら、面白そうな素材も次々と見つかってな。……褒めても、良いのだぞ?』
シルはロアの前に歩み寄ると、その場にすっと膝をついて視線を合わせた。
『……褒めても、良いのだぞ?』
もう一度、繰り返す。
まさに「最高の獲物を仕留めたから褒めてくれ」と全身で主張する、誇り高き野生の狼そのものの仕草。
その光景を目にした瞬間、ロアの脳内に、前世の古いデータがノイズのように走った。
(……あぁ、これ、知ってる)
それは、電子回路を弄る以前の、もっと幼い頃の記憶。
かつて飼っていた愛犬が、自慢げな顔をして「とっておきの獲物」を枕元に運んできた時の光景だ。
ある時は、ちぎれたトカゲの尻尾。
ある時は、よく分からない巨大な虫の一部。
人間からすれば「勘弁して!」と悲鳴を上げたくなるようなバグ報告に等しい代物だったが、あの犬の瞳は、今のシルと同じように「あなたのために世界で一番の宝物を獲ってきたよ」という純粋な愛で溢れていた。
(伝説の銀狼を、トカゲを獲ってきた犬と一緒にしちゃ失礼だけど……)
それでも、ロアには分かってしまった。
シルにとってこの山のような高級素材は、かつての愛犬が運んできたトカゲの尻尾と同じ。
ただ、大好きな番(……飼い主?)の喜ぶ顔が見たいという、一点の曇りもない真心なのだ。
「……ふふっ。そうね、シル。最高だわ」
ロアは苦笑まじりに、シルの柔らかな銀髪にそっと指を通した。
かつての愛犬にそうしてやったように、耳の付け根を優しく掻いて、たっぷりと時間をかけて賞賛を施してやる。
「これだけの量を集めるのは大変だったでしょう? 本当にすごいわ。あなたは世界一よ」
よしよし、と撫でられたシルは、一瞬だけ目を見開いた後、心底満足そうに「くぅ……」と喉を鳴らした。伝説の魔獣としてのプライドよりも、ロアの手の温もりの方が、彼にとっては重要であるようだった。
呆れながらも、ロアの頬は緩んでしまう。
これだけの量を集めるのに、彼がどれほどの広範囲を駆け巡り、どれだけの魔獣を(物理的に)蹴散らしてきたかは容易に想像がついた。
捧げられた果実の一つに触れると、まだ摘みたての冷たい露が指先に伝わる。
「……でも、これだけの量、一度に食べきれないわ。鮮度が落ちる前に、なんとかしないと。これじゃあ、『冷蔵庫』を作らなきゃねぇ」
ロアが独り言のように呟くと、彼女の膝に顔を埋めていたシルの耳が、ピクリと反応した。
「ん、れい……ぞうこ? なんだそれは」
「冷蔵庫っていうのはね、魔導回路で内部の温度を一定に下げて、食べ物を腐らせないようにする箱のことよ。……でも、それには熱を奪うための特殊な術式と、冷気を安定させるための……そうね、『氷の魔石』の……しかもかなり高純度なものが必要なの。今の私たちのリソースじゃ、ちょっとまだ先の話かな」
ロアは「いつか作れたらいいな」程度の軽い気持ちで、その仕様を口にした。
だが、シルにとってそれは、番が提示した次なる要求スペックに他ならなかった。
シルは膝から顔を上げ、じっとロアを見つめる。その瞳の奥には、すでに獲物を定めるハンターのような鋭い光が宿っていた。
「ふぅん。なんだ、頑丈な金属の箱と、氷の魔石があればいいのか? ……ふぅん、なるほどな」
その「ふぅん」という短い返事の中に、隠しきれないやる気が漲っているのをロアは見逃さなかった。
彼はすでに脳内の広域マップを展開し、魔境のどこに最高級の氷の魔石を吐き出す魔獣がいたか、どの鉱山に頑丈な魔鉄が眠っていたか、瞬時に検索を完了させている。
(……あ。これ、また獲ってくるやつだわ)
ロアの脳内に、警告アラートが走る。
かつての愛犬が、トカゲの次はもっと大きなヘビを運んできた時の、あの「次も期待してて!」と言わんばかりのキラキラした視線。
「ねえ、シル? 別に今すぐじゃなくていいのよ? 本当に、無理しなくて――」
ロアの言葉を遮るように、シルは彼女の小さな手を、自らの大きな手で包み込んだ。
「案ずるな、ロア。この巣と餌、お前の生活環境を最適化するのは、俺の……番たる役目だ」
その声音は、どこまでも深く、揺るぎない確信に満ちていた。ロアは「最適化」という自分好みの言葉を使われたことに一瞬たじろいだが、それ以上にシルの黄金の瞳に宿る、逃れられないほどの熱量に圧倒される。
(……あぁ、これ。完全に『実行タスク』としてロックオンされちゃったわね)
シルは満足げにロアの頭を一舐めすると、すでに次の「仕入れ」に向けて、銀狼としての本能を滾らせるのだった。
それが、魔境の生態系を狂わせ、さらには行き倒れの人間たちを呼び寄せる物語の始まりになることを、ロアはまだ知らない。
第10話をお読みいただきありがとうございました。
シルの「褒めてくれ」オーラに抗えず、ついに「よしよし」をしてしまったロア。
次回もお楽しみに!




