02.今(1か月前)見ているもの
ここ1,2週間ほどはX(旧Twitter)を毎日覗くようになっていた。選挙もあったし、知りたい話題もあったので。
昨日今日(2月11日前後)見かけて盛り上がっていた話題に「1PV、読まれない」「読まれないと愚痴る作者と、作品の読者」的なものがあった。
話題を追って多くを確認しているのではなく、おすすめに出てきたものに目を通しているだけなので、おそらく僕の不備は多くなるが、これに関して感じたことを少しばかり。
僕の意見を書こうと思ったが散々書いていたので簡単に言うと「個々が好きにすればいいし、好きに思えばいい、個人の自由」かなと。この手の話で盛り上がるのが楽しくなっている方々にはお前ちょっとは空気読めとされる意見である。
もっとも、読まれたくて書いたものや自信を持って出したものが読まれていないというのであれば、話は変わるけれど。
前回のエッセイにも書いたことがあったかもしれないが、はるか昔に個人サイトをやっていた時代があった。
開設時から毎日0PVは当たり前の感覚だった。今だってそれは変わらない。毎日更新するとか関係もなく宣伝もしてないのだから当然でもあった。ある程度続けていると物好きな方々が来て日に10~100PVというような状況になり、それだけで手応えを感じたものだ。
そんな中には「相互リンクをしませんか」「リンクをしてもよいですか」とご丁寧にメールで連絡をしてくださる方たちがいた。中には実際にお会いした方もいらしたし、単純に面白がってくれたファンという奇特な方と会ったこともある。その中の1人が元嫁。書くと妙な気持ち悪さを感じますね。そんな嫁は存在しないけれど。
近年で言う「まとめサイト」(キュレーションサイトというのは死語か?)のようなものに紹介されたときは10000PVを越えたりして、それ以降も「読んだ人が面白がるようなこと」を毎日更新を続けていたときには人が見てもらえるようになっていた。
最終的に、僕が飽きて更新をせずに年単位で放置していても毎日のPVは0~10ほどに落ち着いていた。
そうした事情もあり、僕はPVというものが結構な水物であることを経験として知っており、なのでPV0というものに対してそれは自然であって、読まれたら嬉しい程度の感覚が備えられていた。
このエッセイもその感覚から生まれたようなもので。吐くこと(書くこと)を我慢できないので書いており、読まれる・読まれないは僕の問題ではない。読者には読者の選択する権利がある。稀にクリックされてついでに読まれていたら御の字。
しかし現在のなろうではそうも言っていられないであろうということは理解できなくはない。10年くらい前から「なろう」ではデビューを目指している方やプロが跋扈するようになっていたのだから、そんな読まれたらラッキーのような感覚の素人の者は少数派になるのだろう。
お金や人気というものが最重要に見られている現代では「書きたいから書く。読まれたら嬉しい。それで面白く感じてもらったら一番良い」といったものは理解され難くなっているのかもしれない。
よほどの偏屈者でなければこの環境に影響を受けてしまう。まあ物書きなんてどっかしら偏屈だろうけど。(偏見)




