「毒は確かに検出されました(ニチャア)」と笑った悪女、直後に『逃げ場のない矛盾』を突きつけられ公開処刑!~完璧令嬢に【真実の証明】を託された老薬師の、秒刻の逆転鑑定劇~
第一幕:聖域に落ちた影
王宮の北翼、地下へと続く石造りの階段を降りた先に、王宮薬局はある。そこは数千種類の乾燥薬草の香りが重なり合い、沈黙と秩序が支配する聖域だ。薬師長アイザックは、手元の乳鉢で青い花弁を摺り下ろしながら、目の前に立つ高貴な来訪者を仰ぎ見た。
イザベラ・ロザリンド侯爵令嬢。次期王太子妃候補として、一点の隙もない礼装に身を包んだ彼女は、自ら書き上げた一通の調剤指示書を差し出した。
「アイザック、この処方を確認してちょうだい。リリアン・エヴァンス嬢のための特製強壮剤よ」
アイザックは目を通し、思わず手を止めた。
「……イザベラ様。本気ですかな? 彼女は貴女様の婚約者であるアルフォンス殿下の寵愛を盾に、貴女様の立場を公然と脅かしておる。そんな相手に、これほど希少なハーブを用いた良薬を、なぜ、贈るのです?周囲はあらぬ疑いを持ちますぞ。『嫉妬に狂った正妃候補が、恋敵に毒を盛った』とか。……リリアン嬢に、付け入る隙を与えることになりますぞ」
イザベラは、氷の結晶のように澄んだ瞳でアイザックを見つめ返した。その声には、情動の揺らぎなど微塵もなかった。
「アイザック、勘違いしないで。わたくしはまだ、この国の王太子妃候補です。ならば、宮廷に連なる者の健康を管理し、次代の血を絶やさぬよう配慮するのはわたくしの公的な職務。リリアン嬢が虚弱で体調を崩せば、管理責任はわたくしに問われます。そんな不名誉、王室の人間として受け入れられませんわ」
アイザックがなおも反論しようとすると、イザベラはわずかに口角を上げ、静かだが重みのある声で続けた。
「アイザック、わたくしに手助けを期待しないで。わたくしが貴方に預けるのは完璧な『事実』。それを真実へと昇華させるのは、貴方の仕事でしょう?」
アイザックは息を呑んだ。 (手助けを期待するな、だと……?) その言葉は冷たく突き放しているようで、絶対的な信頼を示している。彼女は、周囲がどんなに疑おうと、自分が提供する「事実」さえあればいい。アイザックがそれを「真実」として守り抜くことができる、そう断じているのだ。
「……承知いたしました。王妃教育の賜物か、あるいは貴女様の傲慢さゆえか。その『事実』を真実に変える重責、確かにお引き受けいたそう。最後にこの特製保存剤を。……よし、これで完璧だ。この薬剤は空気に触れると極めて不安定ですが、プロトコル通りの魔力を込めた封蝋で守られている限り、数年間は変質しません。……ですが、念のため服用直前に開封するよう、リリアン嬢には厳重に伝えておきましょう」
イザベラは満足げに頷くと、自らの魔力を込めた「王家の紋章入りの特殊封蝋」を瓶に施した。アイザックによる正式な成分鑑定書と、手渡しの記録を記した公文書。完璧すぎるほどの手続きを経て、その薬はリリアンの元へ届けられた。
第二幕:卑劣なる暗躍と「秒刻」の脅迫
数日後、「宵闇の宴」当日。 王宮中が華やかな熱気に包まれる中、開宴まで残り一時間を切った頃、薬局の扉が乱暴に開かれた。現れたのは、ぐったりとしたリリアンを横抱きにし、血相を変えたアルフォンス王子だった。
「アイザック! 大変だ、リリアンが毒を盛られていた! 三日前の晩餐会でも、彼女は倒れた。彼女は思い出したのだ!侍女がこの処方薬をスープに入れていたのを! 不審に思って瓶を調べようとした瞬間、立ち込める毒気にやられたのだ! 」
アイザックは背筋に冷たいものが走るのを感じながらも、冷静に瓶を手に取ろうとした。
「殿下、落ち着いてください。これはわしが鑑定し、イザベラ様が封印されたもの。毒など入る余地は……」
「黙れ!」
アルフォンスがアイザックの胸ぐらを掴み、激昂した。「リリアンは言っているのだ。イザベラに手渡された際、彼女の瞳には憎悪が宿っていたとな。今すぐこれを検めろ! 夜会の席で、私はイザベラの罪を公表する。お前はただ、『この瓶の中に猛毒を確認した』と鑑定書を書けばいい。それが王族への忠誠というものだ!」
王子が憤怒に震えながら、今後の指示を出すために部屋を出る。その一瞬。椅子の陰で、倒れ込んでいたはずのリリアンが音もなく立ち上がり、アイザックの背後に回った。 「……アイザック様」
耳元で、湿り気を帯びた蛇のような声が囁く。王子には聞こえない、死神の囁き。
「この小瓶には、今、私が毒を入れました。ええ、ここに来る前に。……だから、毒は『確実に』検出されますわよ?」
アイザックは戦慄し、リリアンのほうに振り返ろうとしたが、彼女の冷たい囁きがそれを止めた。
「故郷のエレン村がどうなってもいいの? 私と、私の父エヴァンス男爵の力があれば、あんな小さな村、一晩で地図から消せますわ。……さあ、選んで。毒があると言って私に恩を売るか、それとも故郷の連中と一緒に処刑台へ行くか。……夜会が始まるまで、あと三十分。楽しみにしておりますわね」
リリアンは再び可憐な被害者の顔に戻り、戻ってきた王子の腕に弱々しく縋り付いた。王子は何も気づかず、歪んだ「正義」を果たすために、リリアンを伴って夜会のホールへと向かっていく。アイザックに与えられた猶予は、わずか三十分。
第三幕:真理の目盛りと「誇り」の反芻
一人残されたアイザックは、手元の小瓶を震える手で握りしめた。 (あと三十分……。リリアンは『ここに来る前に毒を入れた』と言った。今この瓶を検査すれば、間違いなく毒物が検出されるのだろう。偽りの鑑定結果を出すか、故郷を見捨てるか……!) アイザックの心は千々に乱れ、調剤台を拳で叩いた。その時、視界の端に、イザベラが残した「成分配合表」の控えが入った。
『アイザック、わたくしが預けるのは完璧な「事実」。それを真実へと昇華させるのは、貴方の仕事でしょう?』
彼女の言葉が、脳裏で雷鳴のように反響した。 (……そうだ。彼女は手助けはしないと言った。それは、わしを見捨てたのではない。彼女が完璧な「事実」を用意したからこそ、専門家であるわしが、知恵と技術でそれを「真実」へ昇華させることを信じておるのだ。これは……期待などという甘いものではない。彼女からの命令なのだ!)
アイザックは震える手で顕微鏡のレンズを調整し、投影機へと繋いだ。 「……肉眼では依然として透明。これならリリアンも気づくまい。だが、この拡大率なら……見えた!」
レンズ越しに覗いた世界では、数えきれないほどの琥珀色の微結晶が、生まれたての星のように鋭い角を保ち、鮮やかに発光していた。 「成分が結晶化し、そのピークに達する時間だ。……これが三日も経てば、結晶は酸化して輝きを失い、重く黒い『澱』となって沈殿する。たとえ微量であっても、顕微鏡を通せばその差は歴然だ」
アイザックは時計の針を凝視しながら、猛烈な勢いで数式を書きなぐった。 今の沈殿の色、密度、浮遊の状態。これらすべてが、毒が混入されてからの「時間」を叫んでいる。
「……勝てる。これなら、勝てるぞ!」
薬師としての全人生を懸けた、極限の鑑定。アイザックは投影用の魔法具を掴むと、夜会の会場へと走り出した。
第四幕:舞踏会の逆転劇
「宵闇の宴」の会場。壇上でアルフォンス王子がリリアンの肩を抱き、全貴族の前で絶叫していた。 「イザベラ・ロザリンド! 貴様の罪をここに暴く! 貴様は、私とリリアンの真実の愛を妬み、三日前の王宮の晩餐会で、リリアンのスープに毒を盛り、彼女を暗殺しようとした! その時用意した毒が、この小瓶に確かに残っている! 」
ホールは、凍りついたような静寂のあと、爆発的なざわめきに包まれた。
「まさか、あの完璧と謳われたイザベラ様が……」
「嫉妬に狂って毒殺未遂とは。ロザリンド公爵家の名も地に落ちたな」
貴族たちの視線は、鋭い礫となってイザベラに突き刺さる。嘲笑、蔑み、そして名門の凋落を期待する下卑た好奇心。数千の瞳が、断頭台に立つ罪人を眺めるように彼女を凝視していた。
だがイザベラは、扇で口元を隠すこともせず、凛とした姿で王子の前に立っていた。
「殿下。三日前のスープの件など、わたくしは存じ上げませんわ。ですが……今、殿下のお手元にあるその『小瓶』こそが、わたくしがリリアン嬢の健康を案じて正式な手続きを経て贈ったものだということは、お認めになりますわね?」
「白々しいことを! そうだ、この中に毒が入っていたのだ! 貴様がスープに毒を盛るために用意したものだろう! アイザック、鑑定結果を言え!」
アイザックが壇上に上がった。その手には、魔法具の拡大投影鏡がある。
「……はい。この小瓶の中には、確かに致死量の毒が含まれております」
その瞬間、会場の空気が「確定」した。 リリアンの口角が、他人には見えないほど僅かに、しかし残酷に吊り上がった。 (勝った……! 全てが終わったわ、不敵な未来の王妃様!) 彼女は勝利を確信し、甘美な陶酔感に身を震わせた。アイザックという「権威ある最高の証人」が、自分の用意した筋書きに最後の一線を、いま引いたのだ。目の前の高慢な令嬢が、罪人として引き立てられ、絶望に顔を歪める様を、リリアンはハンカチの下で極上の喜悦と共に噛み締めていた。 周囲の貴族たちも、すでにイザベラを「元・王太子妃候補」として扱い、忌むべきものを見る目で距離を置く。アルフォンス王子は勝ち誇った顔でイザベラを見下し、衛兵に合図を送ろうとした。
だが、アイザックの声はそこから一段と高く響いた。
「皆様、ご覧ください。これが殿下の仰る『三日前の毒が入った薬』の真実の姿です」
映し出されたのは、夜空のように澄んだ薬液の中に、宝石のように輝く琥珀色の粒子が舞う幻想的な光景だった。 「この美しく輝く琥珀色の粒子は、封が解かれた瞬間に生まれる『時の結晶』です。もし殿下の仰る通り、三日前にスープに盛るために開封されていたならば、これらの粒子はすでに光を失い、死んだ炭のような黒い塊となって底に澱んでいるはず。……しかし、これほどまでに鮮やかに結晶が輝いているのは、開封から数時間しか経っていない証拠なのです!三日前のスープの毒がこの瓶に残っているとおっしゃるか。……ふふ、笑わせないでいただきたい。三日前にリリアン嬢を苦しめた体調不良が何だったのかは存じませんが、少なくとも『この瓶』が原因であることはあり得ません。」
会場のざわめきが、先ほどとは違う性質――驚愕と疑念へと一変した。
「な、何を……!?」
アルフォンスが狼狽し、リリアンを見た。
「リリアン、これはどういうことだ!? お前がさきほどはじめて開封し、細工をしたというのか!?」
「あ、違……殿下、私は……!」
リリアンの顔から、さきほどの確信と悦楽が瞬時に消え失せた。氷を突きつけられたような寒気が全身を支配し、指先がガタガタと震えだす。
「この沈殿の色の変化は薬学上の不変の真理です!」アイザックの怒号が響く。
「イザベラ様が提出した時点では、封は生きていた。つまり、この舞踏会で貴方を扇動するために、リリアン嬢が自ら封を解き、毒を混入させたのです!」
「リリアン……私を騙したのか? 私の愛を利用して、イザベラを陥れようとしたのか……!?」
アルフォンスは、自分が信じていた「真実の愛」が、自分をピエロにするための卑劣な工作だったことを知り、公衆の面前で無様に崩れ落ちた。
第五幕:恩寵の檻
騒乱が終わり、リリアンは連行され、アルフォンスは廃嫡への道を辿ることとなった。嵐が過ぎ去ったテラスで、イザベラは夜風に吹かれていた。 「お疲れ様。アイザック。見事な鑑定でしたわ。 わたくしの『管理の正しさ』が、貴方の知恵によって証明されました」
「……イザベラ様. 貴女様は、あのような反応が起きることを知っていたのですかな?」
イザベラは、かつてないほど信頼に満ちた、しかし冷徹で美しい微笑を浮かべた。
「いいえ。 わたくしはただ、未来の家族のために最善を尽しただけ.。その正しさを証明するのは、信頼する専門家の仕事ですもの。 ……ああ、貴方の故郷については心配無用ですよ. 侯爵家の私兵団を、万一に備え駐屯させています。 あなたの働きに対する当然の義務でしょう?」
アイザックは深く頭を下げた。 彼は思う。
「彼女の『完璧な義務』は、時として周囲に死線を超える試練を強いる。だが、その圧倒的な『正しさ』を、自らの能力で守り抜くことこそが、わしに用意された最も刺激的な、誇り高い職務なのだ」
「これからも、貴女様の『完璧』を、わしの知識で守り抜きましょう. ……顧問閣下」 イザベラは満足げに微笑み、新しい国の地図を広げた。そこには、彼女の「正しさ」をそれぞれの専門能力で現実に変えていく、プロフェッショナルたちの姿があった. 夜明けの光が、新時代の幕開けを告げていた。
(おしまい)
この話は「悪役令嬢イザベラの断罪手帖」の一部です。
よろしければ、他のストーリにもお目通しくださいませ。
https://ncode.syosetu.com/s8420j/




