マスコミのお仕事
前田浩平は、はたと気づいた。慌てて、スーツの胸ポケットからスマホを取り出した。
腕を動かしたときに、すぐ前に立つ乗客を小突いてしまった。その若い女性に「ちっ」と舌打ちされたが、浩平は少しも気にかけず、満員電車の車中で平然とスマホを操作し、家に電話をかけた。
すぐに妻の洋子が出た。「どうなさったの?」おっとりとした話し方で訊いた。
「幸弘を出してくれ」
「どうしてかしら?」
「ほら、学校で問題になった件だよ。今朝、あいつに話をしようと思ったんだけど、急に早朝出勤になったからな……。あいつ、まだ学校に行ってないだろ?」
「行ってない、かしら……。ああ、行っていませんわね。あなたのおっしゃる通りですわ」
ゆるゆると答えてから、「幸弘ちゃーん」と呼ぶ声がした。そうしてから、
「あなた、どうか、叱らないで、くださいね」
洋子がふわふわと言った。
その喋り方にいらついた浩平は、「わかっておるっ」と、一喝するように返した。
すると、少し遠くに立っていた初老の男が、浩平に視線を向けた。
その視線を受けとめ、浩平は思った。
あいつ、おれの亭主関白ぶりに、感心していやがるな――。
長年携わってきた職業のせいか、浩平は自分の都合のいいように物事をとらえる癖が、すっかり身に付いてしまっていた。このときもそうだった。初老の男がその視線に、浩平の思いもよらぬ感情をこめていることなど、知る由もなかった。
やがて、電話口に息子の幸弘が出た。
「幸弘、よくお聞き。おまえがしたことは、いじめなんだよ」
浩平はずばりと言った。「でも……」と言いかけた息子の言葉を遮り、
「いいから、よく聞きなさい」ぴしゃりと言った。
そこでまた、初老の男と目が合った。
浩平は頷いてみせた。あんたのご期待に沿いますよ。そんなことを思って、にやりとした。
浩平は話し始めた。
「幸弘、おまえは集団の力で、太郎君を責め立てたんだ。おまえに聞くが、おまえたちと太郎君と、どちらが力を持っていると思うかね?」
「それは、ぼくたちだよ。だって、ぼくたちが正しいんだもん」
「それは、逆だよ。正しいから力がある? そうじゃない、力があることを利用して、正しさを作り上げているんだよ。そうして、力を背景にして、弱い立場にある者を攻撃してるんだ。これはまさに、いじめの構図ではないかね。多勢に無勢という言葉もある。そんなことは、してはいけないんだよ」
「でも、太郎君は花子ちゃんを突き飛ばして、ケガさせたんだよ。いけないことをしたんだ」
「いけないことをした者に対しては、いじめをしてもいいと言うのかね? それは違うだろ。それに、太郎君はクラスのみんなの前で、謝ったんだろ? 許してあげることが、どうしてできないんだ? 罪を憎んで人を憎まず、という言葉もあるよ」
「でも、あいつは先生に言われて仕方なく謝ったんだ。心の底では悪いと思っていないんだよ。そんなの、謝罪じゃないよ。認められないよ」
「お父さんはそうは思わない。心の中はどうあれ、謝罪は謝罪さ。心からの謝罪を求めるなんて、いかにもこどもの発想さ。人の心が、君には読めるのかね? じゃあ、どんなふうに謝れば、心の底から謝ったと認めるの? そもそも、どんな謝り方をしても、君たちはそれを認めるつもりがないんだろ?」
語気強く話していると、再び、初老の男と目が合った。浩平は、己の正しさに酔った。初老の男の視線に、賛同、感嘆、賞賛、などなどの感情を読み取った。
それで勢いづき、浩平はますます語気を強めた。
「太郎君は、恥をしのんで、クラス全員の前で頭を下げた。これは、彼にしてみれば、つらいことだったと思う。言ってみれば、一つの罰を受けたということさ。それでもう、彼を解放してやることはできないのかね」
「でも……」
「いいか、幸弘。正しいことをしているように思えても、実は間違いを犯していることって、あるんだよ。君たちがしていることが、まさにそうさ。罪を犯した者を、権限もないのに、裁き、罰しようとする。……それって、先生がすべきことで、君たちがすべきことじゃないっ!」
浩平は、車内全体に響き渡る声で、言い募った。
相変わらず、初老の男が浩平に視線を向け続けていた。
それを受けとめ、相変わらず、浩平は己に酔った。己の正しさに、酔い痴れた。
報道部に到着すると、部下の横田が歩み寄ってきた。
「デスク、あの電話記録、ほんとに流しちゃうんですか?」
浩平は、横田の言葉の真意を読み取れず、
「は? 当たり前だろ」と、吐き捨てるように返した。
「でも……」横田が言い淀んだ。が、思いきったように、「まずくないですか?」と言った。
「なんで、まずいの?」
「だって、あれは違法に盗聴したやつじゃないですか。しかも、電話したのは、うちの社内の……」
「黙れっ!」
横田にみなまで言わせず、浩平は怒鳴りつけた。
みなの視線が二人に集まった。
浩平は、横田を促し、自分の部屋に連れていった。
鍵を閉め、横田に向き直ると、
「あの悪徳社長は、人を大勢殺したんだ。そんなやつは、おれたちマスコミが処刑するべきだろ」
浩平は、さも当然だというふうに言い、大きな椅子にどさりと座った。
ふんぞりかえり、机に足を投げ出してから、浩平は言った。
「いいか、横田。悪徳な権力者は懲らしめなくてはいかん。おれらには、それを実行する力と使命があるんだ。そのためなら、どんな汚いことだって、しても構わんのだ」
「懲らしめるのは、司法機関の役目では?」
「いや、違う。おれたちの役目だ。司法の裁きなんて待っておったら、何年かかるか、わからんだろ。今すぐ、悪い奴は罰するんだ。それができるのは、おれたちだけだ。ならば、しなければならん。おれらには言論の自由という強力な兵器があるんだよ。情報を切り取り、選択し、そいつを流してやって、民衆どもの意識を操作する、そういう権限があるんだ。それを持ったおれらこそ、世界の正義なんだよ。おれらが流した情報こそ、真実なんだよ。いや、おれらそのものが、正義であり、真実なんだ。そうである以上、おれらはやらなくてはいけないんだ。悪い奴らを処刑しまくるんだ。それがおれらの仕事だよ。おれらは、処刑人なんだよ」




