表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

エルナは聖女であることを拒否した

 自分は祈らない。

 少なくとも、エルナはそう決めていた。


「神の声を聞き、民を導く聖女」


 それが、王国における聖女の役割だった。


 だが、エルナは神殿を出て、村に降りた。

 祈る代わりに、畑を耕し、井戸を掘り、病人の手を握った。

 神の言葉より、民の声を聞くことを選んだ。


「聖女様、そんなことをなさっては……」


 神官たちは眉をひそめる。


「聖女は聖なる存在であり、地に足をつけるべきではない」


 それが彼らの言い分だった。

 エルナは笑った。


「地に足をつけなければ、誰の痛みもわからないでしょう?」


 その言葉が、王都に届いたのは三日後だった。

 さらに三日後、騎士団長がやってきた。


「聖女エルナ。あなたの行動は、王国の秩序を乱す恐れがあります」


 騎士団長レオンは、銀の鎧をまとい、冷たい声でそう言った。


「秩序って、誰のためのものですか?」


 エルナは、土にまみれた手で井戸の石を積みながら答えた。


「民のためです」

「なら、民の声を聞いてください。祈りより、今は水が必要なんです」


 レオンは黙った。


 その夜、彼は村に泊まり、民の話を聞いた。

 干ばつ、病、税の重さ。


 神殿では届かない声が、ここにはあった。

 翌朝、レオンは鎧を脱ぎ、井戸の石を積み始めた。


「騎士団長が、聖女と同じことを……」


 村人たちは驚いた。

 それに対し、レオンは静かに言った。


「彼女は秩序を乱しているのではない。秩序の意味を問い直しているだけだ」


 それからの日々、エルナとレオンは並んで働いた。

 畑を耕し、病人を看病し、子どもたちに読み書きを教えた。

 祈りの代わりに、行動で民を導いた。




 ある夜、焚き火の前でエルナが言った。


「あなたは、なぜ私の真似を?」


 レオンは少し考えてから答えた。


「真似ではない。あなたの行動には、意味があると思った。それを理解するには、同じことをしてみるしかなかった」


 エルナは笑った。


「理解してくれる人がいるとは思わなかった」

「私は、騎士団長という役割に縛られ過ぎていた。でも、あなたを見て、役割よりも関係が大事だと思った」


 沈黙が流れる。焚き火の音だけが、夜を満たした。




 やがて、王都から命令が届いた。


「聖女を神殿に戻せ。騎士団長は任を解く」


 レオンは命に従い、剣を置いた。

 同じく、エルナは神殿に戻らなかった。


 二人は村に残り、民と共に生きる道を選んだ。




 そして、ある春の日。

 エルナが井戸の水を汲んでいると、レオンが言った。


「エルナ。私はあなたと共に過ごしていくうちに、あなたと共に生きたいと思うようになった」


 そっと差し出されたのは、一輪の小さな白い花だった。一体いつ摘んだのか、茎が萎えて花が下を向いている。

 エルナは水桶を置き、彼を見た。


「まあ、綺麗な白い花。ありがとう」


 レオンの手を包むようにして受け取り、エルナは花に気持ちを注ぐ。ほんの少しだけ、茎が上を向いた。


「私も、あなたがいてくれてとても心強かった。やっぱり、一人は寂しくて不安で、怖かったから」


 二人は笑い合った。

 祈りも、役割も、そこにはない。

 ただ、共鳴する心があった。



 聖女は祈らない。

 でも、誰かと共に生きることは、祈りに似ている。

 そう思ったとき、エルナは初めて神に感謝した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ