ルーカス
ルーカスは暁のサーカス団で、演出家として全体を仕切る存在だ。
舞台の位置取りから照明の角度、衣装の色の映り方に至るまで、細かく確認する。
公演の準備中も、彼は舞台袖を歩きながらノートを片手に次々と指示を飛ばす。
「ダリオ、ブランコの軌道が半歩ずれてる。観客席から見れば流れが途切れるぞ」
「音量、もう少し抑えろ。セリーヌの声が霞む」
「小道具の置き方を直せ。舞台に上がった瞬間、目に飛び込む位置じゃなきゃ意味がない」
その姿に、周囲からは「また始まった」とため息も聞こえる。
だがルーカスの指摘を一つひとつ修正していくと、舞台全体が見違えるように引き締まっていくのだから、誰も本気で逆らえない。
彼は完璧主義者だ。だがその根っこは、頑固さや意地からではない。
子どもの頃、戦争で街の劇場が焼け落ちるのを目の当たりにしたという。
「一晩で全部が灰になった。歌も、踊りも、芝居も……人々の笑い声もな」
ルーカスは多くを語らないが、その時の光景が今も胸に焼き付いているのだろう。
芸術を失うことは、人間の心そのものを失うことだ――彼の口癖に近い言葉だ。
本番前のリハーサル。ルーカスはいつものように厳しい声で団員を追い立てる。
「ロラン、その間が長い。笑いが冷めるぞ」
「タチアナ、歩幅を合わせろ。お前の足音が浮いている」
時に冷たいとすら思える物言いに、団員が顔をしかめることもある。
だが舞台に立ったとき、観客の視線が一斉に吸い寄せられ、動きや音が美しく流れ出すのを見ると、誰もが納得せざるを得ない。
彼の厳しさは、観客のため、そして芸術そのもののためなのだ。
本番が終わると、会場は割れるような拍手に包まれた。
舞台袖でそれを受け止めるルーカスの表情は、ほんの一瞬だけ柔らかくなる。
「……やっぱり、舞台はこうでなくちゃな」
安堵にも似たそのつぶやきに、私は少し胸が熱くなった。
私は彼に問いかけたことがある。
「ルーカスは、どうしてそこまで芸術にこだわるの?」
「……俺にとっては生きる意味だからな」
短く答えただけで、彼は背を向けて歩き出した。
その背中は固く閉ざされているようでいて、どこか孤独にも見える。
だけど私は知っている。
ルーカスが求めているのはただの完成度じゃない。
戦争に奪われた芸術を取り戻し、次の世代に繋ぎたい――その一心なのだ。
夜、テントを閉じる直前、ルーカスが一人で舞台に立っているのを見かけた。
暗がりの中で目を閉じ、深呼吸を繰り返している。
まるでそこに、かつて失った劇場の面影を重ねているようだった。
彼の几帳面さも厳しさも、その孤独も。
すべては芸術を守るために。
暁のサーカス団の舞台は、ルーカスの愛と執念が注ぎ込まれた場所なのだ。