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カルメン

 カルメンはいつもセントバーナードのブルーノと一緒にいる。

 朝起きるとまずブルーノの寝床に顔を出し、「おはよう」と大きな体を撫で、散歩に連れて行く。子どもたちが近寄ってくれば「ほら、撫でてごらん」と背中を押し、ブルーノは尻尾をぶんぶん振って応える。


「カルメンは、どうしてそんなに子どもが好きなの?」


 ある日、何気なく聞いたことがある。


「さあね。ただ、あの子たちが笑っていれば、それでいいんだと思うのよ」


 彼女は少し照れたように笑って答えた。その奥に、どこか触れてはいけない影を見た気がした。



 カルメンは戦争で家族を亡くしたらしい。けれど、本人が自分から語ることはほとんどない。団員の誰も深く追及しないのは、彼女の強さと同時に、その傷の深さを知っているからだろう。

 それでも彼女は子どもに向ける時だけは、本当に優しい顔をする。

 きっと「奪われる悲しみ」を誰よりも知っているからこそ、子どもたちには笑っていてほしいのだ。



 リハーサルの時、カルメンはブルーノに指示を出しながら、まるで友達に語りかけるように声をかける。


「ブルーノ、ジャンプ!」


 大きな体が軽やかに宙を舞い、輪をくぐる。


「いい子!」


 ご褒美に差し出すパンを嬉しそうに受け取り、ブルーノは鼻を鳴らす。

 その姿を見ているだけで、自然と笑顔になってしまう。



 本番では子どもたちを舞台に招き入れるのが恒例だった。

 カルメンに手を引かれ、小さな観客がブルーノに背を預ける。


「大丈夫、大丈夫。ブルーノは優しいから」


 安心させるように頭を撫でながら、観客の前で披露するのは「背中に乗って歩く」芸。

 歓声と拍手が沸き、子どもが誇らしげに笑う。その瞬間、カルメンの目が柔らかく細められる。



 舞台袖で見守っていた私は、その表情にいつも胸を打たれる。

 誰よりも豪快でサバサバした彼女が、子どもに見せる笑顔はとても繊細で、優しい。

 きっとカルメンは、自分が奪われたものを、子どもたちには絶対に味わわせたくないのだ。



 その夜、終演後。

 テントの片付けを終えて、ふと振り返ると、カルメンがブルーノに寄り添っていた。


「……ねえ、カルメン」

「ん?」

「今日の子、すごく楽しそうだったね」

「そうね。ああやって笑って帰ってくれるなら、それでいいのよ」


 そう言って立ち上がった横顔に、ほんの一瞬だけ寂しげな影が差した。


 私は声をかけようか迷ったけれど、結局やめた。

 カルメンはきっと、自分の痛みを誰かに背負わせたくないんだ。

 ただ、その代わりに――子どもたちの笑顔を守り続ける。


 ブルーノの大きな体を撫でながら、カルメンは笑った。

 その笑顔は、涙をこらえて灯す炎のように、強くてあたたかかった。

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