セリーヌ
セリーヌは朝から鼻歌を口ずさんでいた。舞台袖でも、食事の時でも、荷物の整理をしているときでも。
「ねえアデル、この町で流行ってる歌、知ってる?」
そう言って笑うと、彼女は持ってきたリュートを鳴らし、聞き覚えたばかりの旋律を爪弾く。
「昨日、子どもたちが遊んでるのを聞いたの。わりと覚えやすい歌よ。せっかくだから取り入れたいわ」
カルメンが犬のブラシをかけながら呟いた。
「相変わらず、耳がいいわね」
「だって、子どもたちと一緒に歌えたらきっと楽しいもの」
セリーヌはそう言って目を細める。
リハーサルが始まると、彼女は真剣そのものになる。
何度も声を合わせ、発音の確認をして、旋律の細かい揺れまできちんと整えていく。横で聞いている私には、ほとんど同じに聞こえるけど、彼女にとっては譲れない違いがあるらしい。
「この一音がきちんと響かないと、歌の色が変わっちゃうのよ」
そう言って、もう一度丁寧に音を拾っていく姿は、幼馴染というより本物の歌姫そのものだった。
夕方、開場が迫る頃になると、町の広場に張られたテントの中はもう熱気でいっぱいになっていた。
観客のざわめきや子どもたちの笑い声が重なり合って、幕の後ろまで響いてくる。
舞台袖で私はセリーヌの衣装を整える。白を基調にしたドレスの裾を軽く払って、赤いリボンを結び直す。
「ありがとう、アデル。……行ってくるわ」
「うん。がんばって」
私たちは手を合わせてハイタッチした。これが私たちの日常の合図だ。
やがて、セリーヌは舞台の中央に歩み出る。
照明を受けて彼女のドレスが輝き、観客の視線を一身に集める。
彼女が一呼吸置き、声を放つと、会場はすぐに静まり返った。
歌声は澄んで、力強く、けれどどこか優しさを含んでいた。
この町の子どもたちに馴染みのある歌だと気づいたのか、小さな声があちこちで重なっていく。最初はおずおずと、やがて誰もが自然に口ずさみ始める。
観客席全体がひとつの合唱となり、セリーヌの声に導かれて広がっていった。
子どもたちの無邪気な声、大人たちの柔らかな笑顔。
テントの中に満ちるその響きに、私は胸がいっぱいになる。
曲が終わった瞬間、拍手が一斉に沸き起こった。
歓声と笑い声が入り混じり、まるで波が押し寄せるようだった。
幕が下り、セリーヌが舞台袖に戻ってくる。
さっきまでの堂々とした歌姫はもうどこにもいない。
彼女は駆け寄ると、子どもみたいに私に抱きついてきた。
「アデル……! ちゃんと歌えてた?」
「うん、最高だったよ。みんな楽しそうに歌ってた」
「ほんとに……? 変じゃなかった?」
震える声でそう訊いてくる彼女に、私は背中を軽く叩いて笑った。
「大丈夫。セリーヌが歌うと、みんな笑顔になるんだ」
彼女はほっとして、私の肩に顔を埋めた。
「ふふ……やっぱり、アデルにそう言ってもらえると安心するわ」
舞台の上では誰よりも輝く歌姫。
舞台を降りれば、幼馴染として私に寄りかかってくる彼女。
その二つの姿を見ていると、私はあらためて思う。
――このサーカスに欠かせないのは、彼女の歌声なんだ。