暁のサーカス団
戦争が終わって二十年。
大陸には、車が普及し、街は徐々に賑わいを取り戻しつつある。けれども人々の心の傷は、そう簡単には癒えない。
私たち「暁のサーカス団」が巡業するのは、そんな時代の田舎町や港町、娯楽に乏しい村々だ。
大きな都市には大規模なサーカス団があるけれど、私たちは人の少ない土地を選んで旅をする。
笑顔を必要としている人のために。
「暁のサーカス団」は十人足らずの小さな一座だ。
赤とオレンジ、紺と白――夜明けをイメージした衣装をまとい、テントを張っては旅をする。
移動に使うトラックは戦後の軍用車を改装したもので、私とセリーヌが子どもの頃に絵を描いた。
つたない太陽の絵がまだ荷台に残っていて、私たちの象徴のようになっている。
朝、私は目を覚ました。
大きなテントの中、仲間たちと雑魚寝をしている。
セリーヌが隣で眠っており、彼女の髪留めの赤いリボンが布団の脇に転がっていた。
外に出ると冷たい空気。すぐにみんなも起き出してきて、簡単なストレッチで一日が始まる。
「今日こそ俺の勝ちだぞ!」
空中ブランコ担当のダリオが声を張ると、
「無理に決まってる!」
と綱渡りのタチアナが即座に返す。
いつもの軽口だ。
犬の調教師カルメンは、相棒のセントバーナードのブルーノに前足を伸ばさせて運動をさせている。
「ほら、ブルーノもやるんだから、あんたたちもサボらないの」
ブルーノはおっとりと舌を出し、子どもたちから絶大な人気がある看板役者だ。
ピエロのロランは眠そうにあくびをしながら、ジャグリング用の球をいじっていた。
舞台ではおどけて観客を笑わせるが、本当はとても繊細な性格だ。本番前には心臓が破裂してしまいそうなほど緊張している。
演出家のルーカスはすでにノートを片手に立っていた。
「今日の客層は子どもが多い。テンポを崩すなよ」
冷静で几帳面、誰よりも芸術を重んじる人だ。
そして団長のアルマン。五十代の彼は、もとは大規模サーカス団の名アクロバット芸人だった。
戦争で人々から笑顔が消えたのを目の当たりにし、「最後には笑顔で」という理念を掲げてこの一座を立ち上げた。
今は舞台には立たず、全体を見守る父のような存在だ。
朝食は簡素なパンとスープ。
「せっかくだから今日は童謡を歌おうかしら」
セリーヌが嬉しそうに提案する。彼女はこの団の歌姫であり、亡き母の子守唄をきっかけに歌い始めた。
その歌声は子どもから大人まで魅了し、暁のサーカス団最大の目玉でもある。
「歌うのはいいけど、間の取り方は気をつけろよ」
ルーカスが真剣な顔で返し、
「わかってるわよ」
とセリーヌが少しむっとする。
そんなやりとりにみんなが笑い、食卓はいつも通りの温かさに包まれた。
食後、それぞれが準備に取りかかる。
私は裏方としてロープや留め具を点検し、舞台装置の不具合を何度も確かめる。
カルメンはブルーノと芸を合わせ、ダリオとタチアナは現地の子どもたちと遊びながら体を慣らす。
ロランは布の陰で「ぼんじゅーる……」と新しい挨拶を練習していた。
私はそんな光景を眺めながら思う。
――ここが私の居場所だ。
夕方のリハーサルでは、ルーカスの指示が飛ぶ。
「テンポを早めろ。子ども相手なら間延びは禁物だ」
「了解!」とダリオが返せば、
「声が大きすぎ!」とタチアナが笑う。
その様子をアルマンは目を細めて見守っていた。
夜、公演が始まる。
ロランの玉乗りジャグリングで観客の心が掴まれ、
空中ブランコと綱渡りがスリルを見せる。
カルメンとブルーノの芸には子どもたちが歓声をあげた。
そして最後はセリーヌの歌。
大陸に広く伝わる童謡が響くと、子どもたちが自然に声を重ねて歌い出す。
会場は拍手と合唱で包まれた。
幕が閉じ、アルマンが穏やかに言う。
「それではまたお会いする日まで、お元気で」
舞台袖に戻った仲間たちは互いにハイタッチを交わす。
私もその輪に混ざり、胸の奥で強く思った。
──戦争を知らない私だけど、このサーカス団の仲間と一緒に人々の笑顔を守りたい。