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「それならさ、君の話をしてよ」
「私のですか」
「そう、君の」
雪愛さんに私の話をしてほしいと言われれば喜んでするが、他のより多少気が乗らない。
私の昔の話というのは黒い影で覆われていて見るに耐えない。
やっぱり喋りたくないとも言おうかと思ったが、彼女なら私の過去の痛みを共に背負ってくれるかも、という期待を抱いたので私は一つ一つと語ろうと思った。
「そんなにいいものではないですけれど――
私こと、柳川夢幸は四人家族の元に生まれた。
父と母、そして6歳差の兄がいる。
私は兄を見て育ってきた。子供の頃からずっと兄の数歩後ろを歩き続けた。
兄もそんな私を可愛がってくれていたと思う。
またそんな兄は常に私の憧れで私は兄と同じというのをとても好んだ。
普通ならば嫌であろう兄弟のお下がりも、私は兄と同じなのが嬉しくてお下がりしか着ないという程の兄愛好家だったと聞く。
兄は小学校の時からサッカーをしていてそれはまたとても上手なので私も兄と同じようにサッカーをした。
私にはサッカーの才能などなかったけれど、兄と一緒に何かできるという事自体が嬉しくてそれでもサッカーを続けた。
だが私と兄は違った。それを認識せざるおえなかったのは私が小学生になってからだ。兄は文武両道、明るくて人当たりの良さからクラスでも人気者だと聞く。
対して私は勉強はそこそこ、運動神経も悪くはないが兄には劣るし、何より引っ込み思案で他者とまともに話せやしない。
最初は有名な兄の弟として注目を浴びたが、私が何者でもないただの石ころだとわかった途端人は私から離れていった。そこから私は段々と人間不信に陥っていくのだ。
ただ人間不信となっても兄や家族が居たから鬱になるほどのものでもなかった。
しかし不幸というのは唐突に降ってかかってくるもので私達にかかってきた不幸は忘れもしないあの日起こった。
兄がサッカーの県大会を優勝し全国大会の準決勝の日。
その試合はびっくりするほど優勢で兄は1人で2点決めるほどの大活躍。
相手との一対一を抜き、ゴールキーパーと対面しハットトリックが目前に見えた時、快晴が曇天に一気に堕ちるような寒気がした。背筋が凍り、全身の肌に鳥肌が立つようなそんな寒気が。
蹴りの姿勢で球に触れた兄の右足はそこから先に動くことなく体制を崩し横に倒れた。
その時の周囲の反応は兄を少し茶化すようなそれでもまだ兄が勝利に導くとすら思っているようだった。
ただこれが転換点だったらしい。
兄は2度と起きることはなくただそこでぐったりと倒れていた。
次第に周囲も事態を把握し救急車に乗せられ兄は病院まで運ばれた。
結果から言うと兄はステージ3の膵臓癌だった。
ステージ3の症状はかなり重く兄も絶対わかっていた。
絶対にわかっているはずだったんだ。
なのに兄は誰にも言わず1人で耐え続けた、きっとサッカーで優勝するためだろう。
今振り返ると兄がしんどそうな振る舞いをするときが何回かあった。
その度心配性な私は兄に聞いたが兄は決まって「元気すぎて走りたい気分だ」と言って所構わず走る真似をして私を笑わせてくれていた。
そんな兄を馬鹿馬鹿しく思ったがどこか恨めなくて涙が溢れた。愚かな行動をした兄を笑ってまた元気な兄を見たかったが、兄の顔から色が抜けるのを見て私は遂に言えなくなった。
そこから6ヶ月の時は流れ兄は死んだ。
兄が死んで私を含め兄の周りに居た人達はみんな変わってしまった。それほどまでに兄は周りに影響を与えていたのだ。
私は目標を失い遭難した船のように慌てふためき、両親は兄が居なくなり心に何処か大穴が空いたように虚しさに包まれ、サッカークラブの人たちは兄ではなく私が死ねばよかったのにとまで言うようになってしまった。
そんな兄を失って出来た大きな傷に沢山の塩を塗り込まれた私は次第に家から出られなくなった。
ただ唯一の救いだったのは親が私を見てくれた事だ。
失った兄ばかりを見ずに悲しみに暮れる私を慰めてくれた。手を差し伸ばしてくれた。
そのおかげで私は学校にも行けたし、サッカーも続けていた。
兄が残してくれて宝物を失うまいと私は兄の分も努力した。
しかし運命というのを覆すことは出来なかったらしい、2つ目の転換点が訪れた。
私の腹部が痛みだし背筋全体の痛みも伴ったのだ。
私は臆病だったのですぐに母に言い病院へ。
何回かわからないが病院に行って膵臓癌だと診断された。
ステージ2でも生存率は10%と低く、入院を余儀なくされた。
そんな事が1年前。
それは早いのか遅いのか知ったものではないが1年間病院で生活している。
「――こんな感じですね」
私が話し終わった後部屋の中を少しの気まずさと静寂が包み込んでいて雪愛さんが何か言ってくれるのを私はひたすらに待っている。
「ごめんね。軽々しく聞いて、もっと考えて言うべきだった」
この空気感がなにかはわからないけれど彼女に謝られるのはどこか違うと思う。
「私が話したくて話したことだから気にしないでください」
私の真剣な眼差しが彼女にも届いていたようで彼女は黙ってコクっと頷いた。
部屋は暗く沈鬱を纏っていたが不思議と悪い気はしなかった。