魂の行きつく果て
真昼にもかかわらず、驚くほどあの丘は現世から隔絶されたような独特の雰囲気を放っていた。郊外の街の中、丘がポツンとあるというだけでもどこか不思議な雰囲気を感じるのに、人々が通勤通学して家にいないせいであろうか、住宅街に囲まれたこの丘は夜とはまた一味違った神妙さを醸し出していた。例えるならば、夜の静けさは沈黙の静けさである。人々が夜の貴重な憩いの時を静かに過ごしている静けさだ。反して、今の静けさは単に人がいないことによる空洞の静けさだ。家のハコだけがそこにあり、実態の伴っていない体が宙に浮いているような錯覚さえ覚える、なんとも言い表せない感覚だ。「普通の生活」を営んでいる人からすればこの特異な時間に起こるこの感覚を感じることはないのだろう。
「それでそれでー?まだ君は悩んでいるのかい悩める子羊くん!……ちょっとふざけすぎたかな、どうなんだい調子は?」
いつもの定位置に着くなり、必死に丘のてっぺんまで登ってきたのもあるのかちょっと一瞬テンションの掴み方を間違えたのかちょっとむっとする言い方をされた。まあぼうしちゃんの笑顔と相殺で許してやろう。
「でもやっぱり少しずつ先が見え始めてる気がするのは確かだよ」
「まあ今時、明確な目的を持って生きてる人間の方が少ないんじゃないかな?」
それはそんな気がする。なぜ人は明確な目的もなく生きるのか。恵まれている人もいるだろう。家族や恋人、大切な仲間、あるいは辛さを凌ぐ何かを持っている人だ。しかし他方では何の目的もなく、ただ生きるために学校に行き金を稼ぎ死んでいく人間が多いことも周知の事実だ。そもそも人間は元来生きる意味__つまるところ「生きがい」などというものを設定するようにできていない。人類誕生初期はただ狩猟をし生きていくため、中世では農作物を領主に収めるため、産業革命下のイギリスではその日のパンを得るために「生きがい」という行為を考慮に入れず時代の歯車として生きていくことを昔から強制されている。庶民階級が飽和した娯楽、いわば「生きがい」に出会うことができたのはほんの百年前のことに過ぎないのだ。もっとも、それも低賃金労働者の「生きがい」を奪う過激な労働搾取によって成り立っているものなのだが。
僕はこんな世界で生きる意味を獲得できるのだろうか。考えれば考えるほど漠然とした不安が広がっていく。
「… い 、おーい、急に深刻な顔をして反応しなくなっちゃうからびっくりしちゃったよ~」
自分でも考えていないうちに深く考え込み過ぎていたらしい。
「ごめん、つい」
「やっぱり根本的な解決は難しいかな?」
やや悲しそうな顔でしょぼんとするぼうしちゃん。
「このまま続けていても堂々巡りな気がするよ。そろそろ何か行動を起こさなくちゃ…」
と口に出したところぼうしちゃんが少しはっとした表情で、恐ろしいことを口にする。
「じゃあ、思い切って一回学校行ってみよーよー!」
「ちょっとまてちょっとまてさすがにそれは無理だろいくらなんでも!」
あまりに無謀なことを言われたのでさすがにちょっと語気が強まってしまった。
「?別に学校が嫌だから不登校になったとかではないんでしょ?」
「それはそうだけど今更学校に行くなんてっ…」
歯を食いしばる。別にいじめなどは一切受けていなかったし、苦痛は感じていなかった。かといって友達もたいして居たわけでもなく強いて言うならたまに趣味の話をする数人だけだ。その数人も別に学校外で連絡を取り合う仲でもなく、僕が消えたことに対して特に何も連絡はない。
だからこそ怖い。「学校に行かない」という行為が最初は自己のためであったが今やその手段は僕の社会復帰を妨げる大きな枷となっている。僕のような人間であっても数か月唐突に消え戻ってきたとあっては風通しのよくない噂も多く立つだろう。
「わたしは、悩める君が愛しいよ」
「えっ」
急に「愛しい」なんて単語を持ち出したぼうしちゃんにちょっとびっくりしたが、その言葉の真意は恋愛的な意味ではなさそうだ。
「わたしはね、前にも言ったかもしれないけど、こういう風に悩むことはなかった。だからこうやって悩みを抱えて奮闘する人の生きざまがどこかはかなくて、せつないようで愛しいんだよ」
ぼうしちゃんはまっすぐで明るい性格だから人生の途中で悩まなかったのかもしれない。もっとも彼女もまだ人生を知っている大人と言うには若干小さい気もするのだが。でも本当にぼうしちゃんの目は僕を慈しみいたわるような慈愛の目だった。そこに悪意は感じられない。
「輪廻転生ってあるでしょ?仏教の。」
「それがどうかしたか?」
「わたし、輪廻転生って本当にあると思うの。前世の記憶を持って生まれた少年の話とかあるんだよ。まあそれは置いておいて、なんで急にこんな話をしたかっていうとさ、今みたいにこうやって悩むこともさ、長い目で見れば輪廻転生の一部なわけじゃん?」
「まあ、それはそうだよな」
輪廻転生なんて難しい言葉、ぼうしちゃんが知っているとは思わなかった。もっとも義務教育を受け終わっているはずの年齢に見えるので習いはしただろうが。
「って考えると、今キミの体にはかつて前世で悩んできた人たちの”想い”が受け継がれてる、って考えられない?」
「いきなり飛躍したな」
「ごめんごめん、私が思うにさ、もし本当に輪廻転生があるとしたら、今キミの体は数えきれないほどの輪廻の輪を経験してきたことになるでしょ?ということは、キミ以前の歴代の人たちが悩み、苦しみ、あるいは満たされていったその経験ってのがキミの体に蓄積されているわけだよ。その人たちと同じ過程を自らも辿っていくって考えると、人間の思考って本来的に循環しているようにも見えて、今その輪の中の一点にいるキミに愛しさを感じるんだよ」
後半はなんだかよくわからないような説明だったけれども、なんとなく言いたいことは伝わった気がする。
「それに、輪廻転生の話に限らなくたって、もともと宇宙は目にも見えないような一点がビックバンによって広がることで誕生したんだよ。ってことは最初はみんな同じ”点”っていう存在だったわけじゃない?」
「言われてみればそうだよな」
あまり深くは考えたことはなかったがそう聞くとなんだか自分の存在がふわふわとした感覚に襲われる。
「ってことはさ、その点から分岐していった現状の終点がキミなわけでさ、もともとは同じ点だったうちの一つがこうして生きて輝いているわけなのさ!」
「なんだか難しくて頭がくらくらしそうな話だな」
なんとか雰囲気を掴むことに精一杯であるなりに理解はしているつもりだ。
「わたしはそこに愛しさを感じる。もともとすべての始まりだった点から分化してなお共通の根源を持ち、悩める存在であるキミにね。そう、ある意味では、キミは宇宙なんだよ。」
六話です。
論理的な面多めです!書きたいことを書いたつもりなのですが読みにくかったらすみません…魂で感じ取ってください。
ぼうしちゃんの見た目についてですが、ゆずソフトの作品、「夏空カナタ」の高坂茅羽耶さんのビジュアルかつ精神年齢をちょっと下げた感じをイメージしています。