朽ちぬ石
ぼうしちゃん…ごめんね…次回は…
「ありがとうございます」
なんだかこの先生と話すことがとても楽しく感じる。最初は僕も残念先生のことを敵視していたけど、いざその人となりを知ると恐ろしいほど人間は人のことを受け入れてしまうらしい。しかし今までになかった人との交流はとても新鮮だし楽しく、僕の暗かった生活に確実に灯をともしてくれている気がする。
タルトを一口食べた後紅茶を軽く口に含む。タルトの甘い香りが紅茶のさっぱりとしてきりっとした風味に混ざり、なんともいえない味を生み出す。
「この紅茶、よく合ってると思いますよ」
「そうかい?それならよかった。僕も別にこの手のことに詳しい人間じゃないから合うかどうか内心不安だったんだよ。」
と残念先生はティーカップをおもむろに持ち上げて…どうやら猫舌のようだ。そして飲んだ次の瞬間…盛大にむせた。
「ゲホッゲッホったしかにこれはっゲホッ…合うね…」
「大丈夫ですか??」
直近は比較的この人が元気そうに見えてたので病弱であることをすっかり忘れてしまっていた。
数分後。
「ふむ…せっかくこんなおいしいものをもってきてくれたのだから、お茶会にふさわしいお話でもしようか」
「お茶会にふさわしい話…思いつかないですね…」
実際今こんなに優雅にティータイムを楽しむ前はお茶会なんて上流階級のマダムたちが雑談しながらおほほほ…と話してる様子しか思い浮かばない。
「それで、どんなお話をしてくださるんですか?」
「お茶会と言えば魔女のお茶会ってイメージはないかい?」
「よく聞く定番のフレーズだけど実際にお茶会をしている魔女を創作物であまり見たことはないかもしれないですね」
こういう“定着しているにも関わらず実際にその事象が起こらないもの”ってなんだかもやもやすると感じてしまう。ステレオタイプの空洞化というやつか。わたしたちは鮮明に記憶に残ったものをよく覚えていて、そのせいで脳が鮮明に覚えているならばよく起こる事なのだろうと錯覚してしまう現象がある。実際魔女のお茶会にしても、怪しげな帽子とローブをまとった魔女がその身なりとは対照的に優雅なティーカップを持ち口に近づけている_。たしかに鮮明に記憶に残りそうな感じがする。
「知っての通り、僕は昔から病弱だったからね。本を読んでいろんな昔話や説話、神話に触れることも多かったんだ。」
すると先生は立ち上がって本棚に寄った。そして一冊の古びた本を取り出す。
「僕はまだこういった類の話が好きでね。いくつかの本はこうして保健室の棚に持ってきているのさ。手持ち無沙汰な時に見ようかなとも考えていたけど結局読まずじまいで君に見せるのがここでこの本を開く初めてだよ。」
「スラヴ神話…ですか。あまり聞かないですね。」
「たしかに、みんながよく聞く神話と言ったら、もっぱら日本のものかいいとこギリシャ神話だよね。この本は僕のお気に入りでね…小さなころの思い出も相まってこの本からは離れられない。だけどその気持ちがかえってこの本を開くことをいままで躊躇させてきたのかもしれないな。」
「昼と夜…ですか。」
副題にそう書いてある。
「それはとあることをきっかけに生涯会うことのできなくなった兄弟の話なんだ。」
「それはまた大層なお話ですね。」
「そうさ。僕はかつて病弱で家から出られないことも多かった。それに病院に行かなくちゃいけないことも。僕がまだ実家に住んでいたころ、向かいの家に住んでいた幼馴染がいてね。小学校くらいまでは一緒に遊んでいて、『おとなになったらけっこんしようね』なんて無邪気に話してたのだが、年を取るにつれてこの体質が現れ始めたんだ」
この人のことを若干ゆるキャラ枠として見ていた節があったがなんだか相当の同情を覚えそうな雰囲気が漂ってきた。
「僕は体が弱いから家の近くの公立高校に進学したけど、彼女は遠くの高校に行くことになった。だんだん二人の心の距離は離れていき、会うタイミングも自然と減っていた。そして大学生になると、彼女は一人暮らしを始めてしまった。そのころには僕の病院やら体調やらで彼女が辛うじて暇で会えそうなタイミングがあったとしても潰されてしまった。」
「それで、結局どうなっちゃったんですか?」
「彼女が一人暮らしを始めてもうしばらくここにはもどってこないだろう、という時に僕の家に来てくれたよ。そのころには心の距離も離れてたしお互いの対応もそっけなかったけど、僕は彼女のことが最後まで好きだった。…もっとももうそれ以来彼女との間に音沙汰はないさ。まさにこの神話みたいだと思わないかい?」
半ば自身の境遇を自嘲気味に話す残念先生に返す言葉が見つからない。
「だけど、僕はあきらめない。彼女という存在がこの世から抹消されない限り僕は追い続ける。…この言い方だとストーカーみたいだけどね、別に結婚したい、とかじゃなくて僕はあの人の幸せそうな姿をまた見れればいいなと思ってるだけだよ。」
「先生のこと、応援しますよ。死別じゃなくて生き別れなぶん、まだ可能性はあると思います。平凡な言葉しかかける言葉が思い浮かばないけど、自分は先生の事、応援します。」
「ははっ、頼もしいな」
何かを求めて必死に生きる人間はやはり強いと確信した。
「そういえば君の苗字…」
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもないさ。昔、別の所に勤めてたときがあってね。職業病みたいなものさ。気にしないでくれ。」
「そうですか」
そのあとも僕は先生の過去の話を聞きながらしばらく過ごした。
先生の過去をほりさげようと思ったら勢い余ってしまった、、、




