第1部 進行
辺りは薄暗く、足元には少し湿った地面が露出している。
道の幅は30mほどであろうか。時折、薄暗い光が壁から漏れ出している。
湿気た空気が鼻をくすぐり、不気味な響きが遠くから聞こえてきた。
「そんなにビビらなくても、まだ魔物は出てこないぜ。」
前を歩いていたヒューマンが、いくらかおどけた調子で話しかけてきた。
身長は160センチくらい。成人のヒューマンとしては小柄だ。
身に着けているのは革で作られた胸部アーマー、腰部アーマー、アームガード、レッグガードに革靴といった具合に、革装備で揃えられている。
ただし、使われているのは魔物の革で、重量のわりに物理防御力が高く、魔法防御もある程度は備えているという優れモノだ。
武器は、刃の長さが60センチほどの少し幅広なショートソードを腰から吊るしている。
「ケインは今回が初めての探索なんだから、慎重になるのも無理はない。ただ、ダリスとの距離が離れだしているから、もう少し早く歩いてほしいな。」
後ろにいた別のヒューマンが言うと、控えめな笑いが起こった。
こちらのヒューマンは身長は180センチくらいで大柄、筋骨隆々といった具合。
装備も背中に背負っている盾は革製だが、それ以外は金属製のプレート装備を身に着けている。
こちらの武器は刃の長さが100センチほどのロングソードだ。
ケインと言われた少年は顔を赤くして
「す、すみませんレイブさん、気を付けます!」というと、前にいるダリスとの距離が3メートル程度になるまで早足で前進する。
集団は4名で、周りを慎重に確認しながら、互いの距離が3メートル程度になるように進んでいた。
先頭が前方及び地面の状態を確認して進み、中列の2人が左右を警戒、後列が後ろを気にしつつ中列の2人の様子を気にかけるといった具合だ。
更によく見ると、先頭と後列に位置するダリスとレイブは、眼光は鋭いながらも、ある程度リラックスした様子で歩を進めている。
一方で、中列の2名は、緊張した面持ちで過剰ともいえる頻度で首を振って周囲を確認しており、はた目から見ても経験の差は明らかだ。
しばらく歩くと、「よーし、いったん休憩にしよう。」とダリスが声をかけ、背負っていたリュックから荷物をほどきだした。
各々が水が入った革袋を取り出し、口に含んで水分を補給する。
ペットボトルに入った水とは違い、独特の香りと味がいまいち好きになれない。当然、冷えてもいない。
(自動販売機を置いてくれないかなぁ。)
ケインが心の中で叶うあてのない願いを呟いたのと、ダリスが声をかけてきたのは同時だった。
「ケイン、タール、ここからは中型の魔物が出現する。ただし、まだ外に近く魔素濃度が低いため、単独または多くて3頭程度だろう。
最初の1戦は俺が戦うから見ておくように。その次の戦闘は2人に担当してもらい、何かあれば俺が加わる。」
「「分かりました。」」
しばらく歩くと、ダリスが手を上げて立ち止まった。
道の先に目を凝らすと、大きな犬のようなものがこちらに駆けてくるのが見える。
魔犬ワーグ
大型犬よりもさらに一回り大きく、体毛が黒く煌めき、赤い目が不気味に光っている。
その顎は鋭い牙で満たされ、その舌は常に喉から垂れ下がっている。
また、背中の一部には硬い鱗が覆い、その筋肉は力強く発達していた。
ダンジョンの深部では群れで行動し、熟練の冒険者集団でもてこずるほどだが、単体且つ浅い場所であれば大きな問題にはならない。
ワーグは冒険者たちを認めると、四肢を伸ばし喉から低い唸り声を発した。
その声は壁に響き、集団の後ろの空間に抜けていく。
ダリスは静かにショートソードの鞘を払い、刃を魔物に向ける。
自分の体重よりも重そうなワーグを目の前にしているにも関わらず、鼻歌を歌い出しそうなくらいリラックスしているように見えた。
ワーグがダリスに飛びかかろうと走り出した。
ダリスはワーグの様子を観察していたが、ワーグが跳躍するその直前、体をわずかに左側に動かした。
ワーグはダリスが左側に躱すと見たのか、移動先に向かって飛びかかる。
しかしダリスは逆方向の右前方に移動してワーグの攻撃をかわしつつ、すれ違いざまにショートソードをワーグの横腹に突き刺した。
ワーグは着地すると、傷口から暗い紫色の煙のようなものをユラユラと放出しながら倒れこんだ。
致命傷だ。
ダリスはまだ慎重にワーグの様子を確認し、反撃の恐れがないと確信したのか、ワーグの横に回り込んで両前足のちょうど中間点を目指して最後の一突きを行った。
ワーグの目から光が失われ、もう動くことはなかった。
「よし、解体と採取を開始!」
ダリスの声にハッとして、ケインは慌てて自分の荷物から解体用ナイフと保存袋を取り出した。
ワーグを少し戻った開けた場所まで運び、そこで解体することになった。
ダンジョン内のためゆっくりしていられない。
解体用ナイフでワーグの首の付け根の部分に切れ込みを入れる。
そこからはギルドで練習した手順で皮を剥がし、牙と爪を採取し、最後に体の中心にある魔素核を取り出した。
ギルドでは死んでから時間が経過した個体を解体していたため、その違いに困惑する。
今触っているワーグは、暖かく、柔らかい。
採取した素材を保存袋に入れ、残った肉部分を道の端に置いて集団は再び歩き出した。
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「ダンジョンでは油断したやつから死んでいく。」
ギルドでの研修時に何度も聞いた言葉だ。
先ほどワーグと対峙した場所を通り過ぎ、しばらく進む。
地面に水分が多くなってきた。
今度は自分でも見つけることができた。
前方の壁と道上に、薄暗いながらもヌメヌメと光を反射する物体が合計2つ存在した。
スライム
魔素核を中心に粘液のような半透明の物体が波打っている。
触手のような突起物を伸ばして、周囲を探っているようだ。
正直、ほっとした。
さっきのワーグは、熟練の冒険者であるダリスだからこそ、あのように簡単に処理できた。
今回が初戦闘になるケインとタールでは、負けないまでも手傷を負っただろう。
ダリスの指示で壁のスライムはタールが担当し、ケインは道上のスライムを処理することになった。
自分の装備はギルドからの貸与品だ。
武器はダガー。刃こぼれがあり、ところどころ錆びている。
防具は家畜の革でできた革装備一式。ペラペラで防御力はないよりはマシという程度で、何より匂いがきつい。
ダンジョンに入る前のケインの手持ちでは、ギルドで使い古された最低ランクの装備しか手が出なかった。
(せめてダガーは研いでおくべきだったな。)
今更なことを考えながらケインはタールとともにスライムの前に進み出た。
近くで見ると、うっすらとスライムの中心位置に魔素核が見える。
あれに傷を与えれば、スライムは倒すことができるはずだ。
ケインがさらに近づいても、道上のスライムは気づいた様子もなく周囲の地面を探っていた。
それでもダガーを構えながら、慎重にスライムに近づいていく。
ダガーの射程まであと1歩というところで、横にいたタールの「ハッ!」という声と、ギイン!という音が聞こえた。
タールの武器が壁を叩いたらしい。
タールのことが心配になりケインが道上のスライムから目を離したのと、そのスライムがケインの方向に1歩分近づいたのはほぼ同時だった。
油断は、していたのだろう。
スライムはゲームの最序盤に出てくる雑魚で、多少攻撃を食らってもやられることはない。
そんな思い込みがあった。
ただ、ここはゲームの世界ではなく現実世界。しかも、危険極まりないダンジョンの中だ。
目の端に何か灰色のものが映りこんだと思った瞬間、
「あつッ!」
痛みが走り、目を開けていられない。
眼球が焼けるように痛い。
ダリスの「おい、大丈・・」という声が途中で途切れた。
水中にいるようなくぐもった音と、自分のうめき声しか聞こえない。
暗闇の中で息を吸おうとしたが、口の中も鼻腔も喉も、焼けるように痛いばかりで空気が入ってこない。
スライムが自分の顔に覆いかぶさっていると気が付く間もなく、ケインは気を失った。