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90/109

90 罪


 アイが自室でサーシャと共に寛いでいると、突然エスがベリィを連れて入ってきたので、アイは飛び上がった。


「ノックをしなさい……変態執事……」


 サーシャに注意されながらも、エスはベリィをアイの前に突き出した。


「ベリィ……?」


「アイ……」


 あの怪しくも自信ありげな姿とは打って変わったベリィの様子を見て、アイは戸惑った。


「アイ様。この女が、シードル達と接触していました」


 エスがそう報告した。


「助けてください、アイ……この男が、乱暴を……」


「エス、離してあげて」


 アイはエスにそう言った。


「見えているからな」


 エスはそうベリィに囁くと、ベリィを離した。


「アイ、ウチは……ウチはあなたのためを思って……」


「近づかないで、ベリィ」


 アイはそう制止した。

 サーシャも、アイの前に遮るように身を乗り出し、ベリィの肩を掴んだ。


「どうして拒絶するんです?ウチと約束したはずでしょう?どうして約束を平気で破ろうとするんですか?!」


 ベリィは冷静さを失い、叫んだ。


「約束する前に、もし嘘があったなら、そんなの平等じゃないよね?」


 アイは、凄みを利かせてそう言う。


「何を、何を言って……」


「スティルのこと、刺したの?」


 アイは、もしかしたら、と思っていたことを口に出す。

 あの、シミーサの、司祭の隠し部屋で、スティルは魔物以外の者から傷つけられた。

 そして、そこから去る時、ベリィは文字通り姿を消した。透明になったかのように。


 もし、ベリィが姿を消すことができるのなら……

 スティルを刺したのは、ベリィだという可能性が高かった。


「ウチは……ウチは……」


「エス、この子は姿を消したりとか、した?」


「ええ、全くもってその通りです。姿を見えなくさせる魔法だけがこの女の力です」


「ベリィ。本当のことを教えて。約束を守ってほしいのなら」


「刺した……。彼は……見てはならないものを見つけてしまったから。でも、アイが悲しまないように、ちゃんと助けたよ?治ったんだから、いいじゃないですか!彼があの先を見ていたら、殺さなきゃいけなくなっていた!」


「ベリィ。それをネタに、私にあんなことさせたんだ」


 アイは、空しい気持ちになって言った。

 あの件をどう片づけたらいいか迷っていた。

 しかし、今、騙されてキスをさせられたのだと、はっきり整理がついたのだ。


「だって……だってだって!」


「殺しますか?いえ、殺しましょう」


 エスはナイフを抜いて、ベリィの首根っこを掴んだ。

 素早い動きだったが、アイは何とか叫んで、それを制止する。


「エス!!!」


 ベリィの首にナイフが突き刺さる直前で、ぴたりとエスはその手を止めた。


「やれやれ……お嬢様は甘すぎる。ルカ、あの男を殺さなかったことで、今どれだけのことが起きていると思っているんです?」


 先日事情を聞かされたエスは、呆れたようにそう言った。


「それは……そうだけどさ。殺したら解決するわけじゃないよ。殺して終わらせるのは…… 正解も不正解も考えるのを諦めて……全部闇に放り捨ててるだけ」


 アイは、ルカの目が引き起こしていることを、自分の責任だと感じていた。

 それは不正解だったのかもしれない。

 でも、その場で殺してしまっていれば良かったと、肯定する気にもなれなかった。


「……フッ……お嬢様……言うようになりましたね」


 エスは少し、暗い顔をしてから自嘲気味に笑うと、すたすたと部屋を出て行く。

 去り際にベリィに、見ているぞ、と囁くと、ベリィはびくっと身体を硬直させた。


「シードル達も殺そうとしているの?」


「違う……!!どうしてわかってくれないんです?あの時も、今も、ウチはあなたの為を思って行動しているのに!」


 ベリィは泣き叫ぶ。

 この子は、どうしてそんなに不安定なのだろう、とアイは思っていたが、実際にはその能力を破られたことで、ベリィは今まで感じたことのないほどの恐怖に晒され、取り乱していた。

 もちろんそれだけではなく、ベリィはベリィなりに、スティルを刺した時も、今シードル達を教団から遠ざけていることも、本気でアイの為にもなると思って行っていたのに、責められていることが納得いかないのだ。


「じゃあ、何でシードル達に会っていたの?」


「あの子らが死んだら、アイが悲しむと思って……教団から遠ざけてただけなのに……それをこんな、こんなことして。裏切りです……」


 アイはその言葉の真偽に、判断が付きかねたので、つい、サーシャのほうを向いた。

 当然ながら、サーシャも、さっぱりという風に困った表情をしていたが、やがて口を開いた。


「どちらにせよ、シードルたちの居場所がわかったのなら、接触してみたほうが早いのでは?」


「その通り。というわけで、キッシュ様に事情を話して、彼の部下を向かわせました。精神、心理系の魔法に強い魔法使いも連れていくそうです」


 いつの間にか音もなく、部屋の前まで戻ってきていたエスは、会話をすべて聞いていたかのように、そう言った。

 その傍らには、キッシュも連れ添ってきていた。


「エスの報告は簡潔でわかりやすいね。僕も見習わなくては」


 そう言いながら、キッシュも部屋に入ってくる。


「キッシュ様。一応、拘束もされていない危ない人物が部屋にいるんですが」


 サーシャはそう言って眉をひそめる。

 第三王子にしては、無防備といえるだろう。


「二人がいれば安心でしょう。信頼しているよ。やあ、ベリィさん。僕は第三王子のキッシュ。大丈夫?顔色が悪いね。温かいスープでも持ってこさせよう」


「キッシュ?キッシュ・ロレーヌ・フロマージュ?そんな馬鹿な……」


 ベリィは第三王子直々の登場を見て、驚愕に顔をゆがめる。


「そうだよ、ベリィ。よろしくね。ところで、最近のユーフォリア教団の動向はどうかな?君は結社の教団担当なんでしょ?」


「はっ?!あっ……えっ?!どうして……ぇ……」


 ベリィはあからさまに口ごもった。


「僕たちも、いろいろ目を見張らせておかなければいけなくてね。いろいろ教えてもらえると嬉しいな」


「ばっ……馬鹿じゃないのか……あんた……どういうつもりなんだ……どこまで知っているんだ……」


「それは教えてあげられなくて。実を言うと、君の存在を知っていたけど、君のことを捕らえられる人なんて、前代未聞なんだよ。僕たちは慎重だから、仕掛けることができなかったんだ。でも、まさかこんなに早くこうして会えるなんて、嬉しいよ」


 エスは、当然だというような顔で、その話を聞いていた。

 まさに、エスこそが、透明人間を捕まえられる、前代未聞の男だったのだ。



「この男が万能の魔女なのか?」


「ぷっ……あはは!まさか。彼は彼だよ」


 涙目でおかしなことを聞いたエスに、一同は思わず噴き出した。


 しかし、ベリィは、自分の魔法を破れる相手がいるとしたら、万能の魔女だけだと思っていたのだ。

 未だに、ベリィはエスが、自分が姿を消しても見えていると思い込んでいる。

 だからこそ、エスが万能の魔女が姿を変えた人間だと推測したのだった。


「万能の魔女がいれば片付く問題はごまんとあるけどね。彼女はなかなか世俗と関わろうとしないんだ」


 アイからすれば、ただの気の弱い女性に見えた万能の魔女は、他で話を聞けば聞くほどに、凄い人物のようだった。


「私を殺すの?」


 ベリィは怯えながらキッシュに尋ねる。


「やだな。僕は恐怖政治を敷きたいわけじゃないよ。ベリィ、君はどうしたい?」


「私は……死にたくない」


「とてもわかるよ、僕もだ」


「でも……でももう……ここまで知られていたら、もう結社に戻れない……殺されてしまう……」


 ベリィは心から怯えているようだった。

 エスだけではなくて、結社そのものにも、かなりの恐怖を抱いているようだ。


「そこで提案があるんだ。どうかな、僕は世界一安全な場所を知っているんだけど」


「キッシュ様。キッシュ様?」


 サーシャが焦ったようにキッシュを呼ぶ。


「どうしたの?サーシャ」


「キッシュ様。アイ様を置いておくのとはわけが違いますよ」


「もちろん、条件はあるよ。シードル達に何もしていないということが、ちゃんと証明されることが一つ。部屋から出るときには、必ずエスを連れて出ること。そして最後に、アイのいうことにはすべて従うこと。その三つが守られるなら、僕も君を守ってあげる。これでどうかな?」


「ダメに決まっているじゃないですか」


 サーシャは全面否定した。


「勝手に決めないでください」


 エスも断固拒否した。


「サーシャとエスに聞いているんじゃないよ。ベリィに聞いているんだ。」


 ベリィは、顔を上げ、キッシュを見て、それからアイを見た。

 ベリィにしてみれば、その条件は、呑まない理由などないほどの内容だった。

 普通であればここで殺されてもおかしくないし、仮にここから追い出されても、結社に殺されて終わりだ。

 アイからは嫌われてしまったから恋人にはなれないが、それでもキッシュの命令に従うよりは、アイに従うほうがよっぽどよかった。

 というより、そんなベリィの気持ちを明らかに分かったうえで、キッシュはそう提案したのだった。


「し、従う……シードル達には本当に、教えてあげただけだから……」


 そこまで弱っているベリィを見て、アイはさすがにかわいそうに思えてきた。

 スティルの件は許せないが、シードル達にしていることがもし本当なら、それは心からの善意でしかない。

 それをきっかけに捕まっているというのだから、いたたまれない。


「決まりだね。まずは部下からの報告を待とう」


「アイ様……」


 エスは寂しそうにそう言った。


「ごめん、エス。見張ってくれる?」


「はい……仕方がありませんね……」


 エスは大きな大きなため息をつくと、ベリィを連れて、キッシュと共に去っていった。


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