43 脱獄
アイはその後しばらく、牢屋で過ごした。
カラムの言葉通り、騎士団員からは、珍しいお菓子やら、洋服やら、沢山の差し入れがあり、アイは不自由どころか、下手をすると太りそうだった。
しかし、数日たってもアイは解放されず、カラムもあれ以来一度も顔を見せなかった。
「忘れられちゃったのかな……」
アイは、薄暗い部屋にずっといたせいで、精神的に参ってきた。
あの時、カラムと話したことは、とても嘘を言っているように思えなかった。はじめてちゃんと分かり合った気がした。
しかし、それを裏切るように、カラムは会いに来なければ、解放もされない。
日が進むほどに、不信感が増したが、それでもアイはカラムを信じて待った。
もう一か月は経っただろうか。
アイは思い始めた。
これはもう、ゲームオーバーだったのだろうか。
だったら、あんな期待させるような会話さえなければ、もっとずっと早くに諦められていたのに。
暗い、暗い、部屋の中。
アイはどんどん悲観的になっていく。
眠れない夜が増え、天井をただ呆然と見つめる。
その時、ぎゃっと短い悲鳴が聞こえた。
アイは素早く上体を起こすと、檻に近づき、看守のいる方の様子を、伺う。
すると目の前に突然ネロが現れた。
「ひっ……!」
大声を出しそうになるが、ネロは口の前に人差し指を当て、声を出さないようにとジェスチャーした。
「ネロ……?どうしたの」
「アイ様……助けに来ました」
よく見ると、ネロは脇腹のあたりから血を垂らしていた。
「怪我してるの?!」
「静かに。かすり傷です。ほら、今開けますよ」
看守から奪い取ったのか、アイの牢屋の鍵を、ネロは開けた。
「ダメだよ、ネロ。私はここで待っていなきゃ……カラムが誤解を解いて、出してくれるって……」
「説明している時間はありません。すぐに人が来る……」
ネロはアイの腕を引くと、無理やり牢屋から連れ出した。
しばらくすると、カンカンカン、と鐘が鳴り響き、あちこちから叫び声が聞こえ始める。
声は遠いが、脱獄……反乱……といったような単語が聞こえてくる。
「ネロ……説明してよ……」
ネロは人気が少ない通路を、足早に動き、人がいるとそのルートを諦め、別の道を通った。
後ろを向いている見張りの団員を見つけると、後ろから首を絞め、意識を失わせた。
「ネロ……?こんなことして、本当に大丈夫?」
ネロは騎士団員だ。味方を攻撃したとあっては、処分は免れないだろう。
「元より覚悟の上です。ついて来てください」
二人の隠密行動の末、ようやくアイとネロは、敷地の外の茂みへと、脱出することができた。
しかし、拠点を出る直前に目撃されたのか、はるか遠くから矢が数本飛んできた。
騒がしい声も近づいてきている。
「アイ様。いいですか?決してお屋敷へ戻ってはいけません……騎士団員にも近づいてはダメだ」
「何があったのか説明して、ネロ」
その間にも、遠くから追手が近づいてきている。
「今日来なければ……あなたは秘密裏に処刑されていた」
「嘘だ……だってカラムは……」
カラムは解放すると約束してくれたはずだ。
アイはそれを信じた。
「あの男のことは忘れるんだ。アイ。ほとぼりが冷めるまで、身を隠せ」
「なんでそんなことに」
「きっと解決したら、君を迎えに行く。それまで無事でいてくれ」
すると予想外に近い場所で、追手の声が聞こえた。
アイたちが注意していたのとは別の方向からも、探して回っていたようだ。
「こっちだぞ!」
「まずい……これを持って」
アイは、ネロから手紙を渡された。
「一緒に行きたかったが仕方がない。合図したら、走るんだ。体力がなくなるまで、振り返らずに走れ」
「ネロ、ダメだ。殺されちゃうよ」
「大丈夫、アイ様はそんなに、やわじゃありません」
「お前のことを言っているんだよ!」
「はは、そうでしたか」
ネロは立ち上がり、振り返りながら笑った。
「さぁ走って!」
ネロはそう言うと、追手の方へと斬りかかった。
アイは、必死で駆けた。
ネロが言う通り、振り返らずに走り続けた。
暗い森の中を走り、浅い川を超えて、村の横を過ぎ、ひたすら走った。
辺りに虫の声しか聞こえなくなったころ、アイはついに呼吸もできないほど疲れて、その場に倒れ込んだ。
ここはどこだろう。
どこかの街道沿いのようだが、深夜ということもあり、辺りには誰もいなかった。
「ハァ……ハァ……」
呼吸を整えながら、アイはネロに渡された手紙を、月明りに照らして読んだ。
渡された手紙は、こうだった。
王都にある、”サード”という酒場で、ソロンという男に、この手紙を見せろ、というものだ。
手紙の中には、借りを返すときだ、という、ソロンに向けた言葉も書いてある。
そしてその後には、ネロの想いが書き連ねてあった。
模擬戦で負けた時、アイの振る舞いに感動したこと。
カラムという婚約者がいても、どうしてもアイに惹かれて、必死で否定してきたこと。
カラムがマドレーヌに想いを抱いている様子を見て、怒りが溢れたこと。
アイが死んだと聞かされた時、絶望に打ちひしがれたこと。
もし、生きていたら、婚約者など関係ない。
想いを伝えようと、決意したこと。
アイが自分を好きでなくても、命を懸けて君を守る。
愛している。
もし手紙を渡さずに済んだなら、この言葉を自分で伝えたい。
どうか無事でいてほしい。
アイは、手紙を読み終わると、涙ぐんだ。
男に恋愛感情を抱かれることは、複雑な気持ちだったが、それでも、ネロが自分を大切に想ってくれたことがひしひしと伝わってきた。
そして実際に、命を懸けて、自分を助け出し、逃がしてくれたのだ。
「ネロ……無事でいてくれ……」
ルカから助け出してくれたネロ。
真面目で優しく、熱い男だ。
こんなところで死んでいい男ではない。
アイは王都の位置すら知らなかった。
それに、今は無一文だ。
たどり着くのさえ、大変だ。
本来であれば、ネロも一緒についてくるつもりだったのだろう。
ネロが、必死で逃がしてくれた。
そうでなければ、明日、自分は処刑されていたらしい。
弱音など吐いていられない。
ネロが作ってくれたチャンスだ。
どんな手を使っても王都にたどり着き、協力者を見つけてよう。
アイはそう、固く、決意した。




