42 牢屋と、希望
アイは、薄暗い牢屋に閉じ込められていた。
騎士団の拠点の中に、そういった場所があったとは知らなかった。
狭い部屋のベッドに寝転がり、天井を見る。
「やっぱり、詰みだわ」
牢屋に入れられた悪役令嬢。
これは、もう、処刑待った無しじゃないか。
終わった……。
ついさっきまで、よし、頑張るぞなんて思っていた自分が恥ずかしいとさえ思えてきた。
アニメや漫画や、あるいは現実世界でも存在する、悲劇のヒロイン。
今や、お前らの気持ちがよくわかる。
こんなに沢山の理不尽に囲まれていたら、自分がそういう星の下に生まれて、関わる人間全てが迷惑被るのだと思い込むのも無理はない。
「はは……」
アイは乾いた笑いを、牢屋の中に響かせた。
マドレーヌのことはさっぱりだが、自由都市国家連合の容疑に関しては、アイは誤解を解かなければ確かに言い逃れのできない実行犯だった。
こうして連行されるのは無理もないかもしれない。
そもそも、騎士団っていうのはそんな警察みたいな役割までするものなのか?
しばらくすると、騎士団員の一人が、アイを呼びに来た。
手を縛られたまま、アイは別の部屋へと連れていかれる。
取調室のようなその場所は、机と、椅子が置いてあり、周りの壁に窓は無く、牢屋と同じように石で覆われていた。
しばらくすると、気まずそうな顔で、カラムが入室してくる。
「アイ……すまないな」
「説明してほしいものですわ」
アイは心から冷たい声で、カラムに言った。
もっとやりようはあったはずだ。
アイはカラムにさすがに腹を立てていた。
「……まずは、無事でよかった。ネロを自由にさせて、正解だった」
アイの想像していた取り調べとは違い、カラムはそう言って微笑んだ。
しかし、アイの留飲を下げるまではいかなかった。
「ネロは優しかったです。カラム様と違って」
アイは皮肉たっぷりにそう言った。
「そう邪険にしないでくれ。ネロから聞いてはいるが、君が実際に自由都市国家連合で罪を犯す形になったのは本当のことだろう。しばらく勾留して、話を聞いたという事実がなければ、君の無実すら証明できないんだ」
そう言われてみれば当然だが、カラムは事のあらましをネロからすべて聞いているはずだった。
「……そうですか。じゃあそう言ってくださればいいのに」
「余裕が無くてね。他の機関に君を確保されると、また事態が面倒になってしまう」
全てを踏まえたうえで対外的なことを考えて、カラムはアイを真っ先に確保したようだった。
アイはカラムを責める気持ちが少しずつ和らいでいった。
あっそ、じゃあ仕方ないね……
その場で話してくれればよかった気もするけど……
アイは両親が断固としてカラムをアイから遠ざけていたのを思い出す。
まあ……あれのせいか……
「聞いてくれ。君が殺されたと聞かされ、私は……ひどく後悔したんだ。私はどっちつかずの態度で、君を傷つけていた」
アイは何も答えなかった。
「君とこうして再び出会えて、またやり直せる機会があると思えたら……私は……とにかく君が無事でよかった」
感極まったように、カラムは顔を伏せた。
「すまない。その前に、いくつか片付けなければならないことがある」
カラムの顔つきが変わった。
「マドレーヌさんのことですか」
「ああ。正直に答えてもらいたい」
「はいはい、どうぞ」
アイは、呆れたように言った。
ちょっとアイを見つめ直すようなことを言ったと思ったのに、すぐにマドレーヌの話か。
こいつは本当に、自分のことなんて少しも心配していないんじゃないかと思えて仕方がない。
「まず……アイは……以前の記憶は戻っていないんだな?」
「ええ。もう戻ることはないでしょうね」
「どうしてわかる?」
「そんな感じがするからとしか」
自分が転生してきたからだなどと、アイは説明する気はなかった。
「……そうか。それはいい。君は……まだ以前の君には戻っていないように見える」
「どうだか」
カラムに人を見抜く目があるだろうか。
卓越した戦闘能力は尊敬しているが、それ以外の部分を、アイは少し疑い始めていた。
「実は……マドレーヌは一度解放されたが、しばらくすると手紙を一通残して、姿を消した。君はそれを知っているか?」
「そ、そうなんですか。存じ上げませんわ」
アイにとっては初耳だったが、同時に、カラムのアイを疑うような聞き方に、少しむっとする。
「手紙の内容は、要約すると、こうだ。『私は近いうち、殺されるでしょう。あなたがこの手紙を読んでいるなら、私はもう、この世にいないかもしれません。カラムと一緒にいたかったが、危険が及ぶから、近づくわけにはいかない。どうか、くれぐれも、アイ様にはお気をつけて』……だそうだ」
やられた。
先手を打たれた。
全てがあの女の掌の上だ。
アイは頭を殴られたかのように、衝撃を受けた。
アイが屋敷に戻るタイミングを見計らったかのように、アイに罪を着せる手紙を書いて、失踪したに違いない。
もしそうでないなら、自分がもしかしたら二重人格で、実際にマドレーヌを憎くて殺しているのではと疑うほどに、出来すぎた話だった。
アイは混乱した。
あるいは、自分の頭が働いていない間は、あの以前の悪女がこの身体を支配しているのではないかとさえ、思えてきた。
「そ、そんな……そんなこと……」
アイは動揺し、上手く話せなかった。
自分に後ろ暗いところは全くないというのに、悔しさと混乱で、まともに言葉が出てこない。
しかし、次のカラムの言葉に、アイは耳を疑った。
「アイ、君を疑っていない」
「え……?」
カラムからかけられた言葉は予想外のもので、アイは更に混乱した。
なぜ?
自分を疑っているのではなかったのか?
「君を一度失った。後悔しなかった日は無い。どうか君に一目会って謝らせて欲しいと、毎日神に祈った。本当にすまない。アイ……」
「え、なに、何言ってんの……」
「だから、君が否定するなら、私は君を信じる。目が覚めたんだ……悪評などどうでもいい。君の眼を見て、君が話した言葉を、私は信じる」
「カラム……」
「だから、教えてくれ。君の口から真実を」
「私……私やってません!知りません!」
アイは震える声でそう否定した。
「……そうか。わかった。じゃあ、君を信じる」
カラムは、ほっとしたように笑った。
「ネロから報告も聞いている。君はアリバイがあるし、おかしなこともしている様子は無かったという。最後に君からその言葉さえ聞ければ、それでおしまいだったんだ」
「そう、ですか」
ネロが来てくれて、本当に良かったとアイは思った。
もし、エスだけに助けられて戻っていたら、無実を証明できなかったと思うと、ぞっとする。
「君が自由都市国家連合で犯した罪も、経緯を王国に報告すれば、誤解が解けるだろう。それまで、しばらくの間、ここにいてもらうことになる。いいね?」
「はい」
「なに、ここの団員たちは、あの日以来みんな君のファンだ。誰も君を傷つけたりしないだろう」
「ふ、ファン?」
「だいたいが、強い女性が好きだからな。他の団員に取られないよう、私も気を付けないと」
カラムはそう言って、いたずらっぽく笑った。
「ともかく、ネロからの話を聞いても、マドレーヌはどうにも怪しい。グレイのことは、君がそうしたいなら私は追及しないでおく。君には、もう近づいてほしくないけどね」
「カラム様は……あれから大丈夫だったんですか?」
アイは、屋敷で会ってすぐに本当は言いたかった言葉を、ようやく言えた。
「ああ。君を巻き込んで申し訳なかったが……私もけっこうやられたよ。色々と考えさせられた……だからもう、後悔しないよう、全てに正解していかなくては……」
まっすぐな目で、カラムはアイを見つめた。
「アイ。どうか私と、もう一度、婚約者になってくれないか?」
カラムはいたって真面目に、そう言った。
アイは、少し迷った。
ここで断ってしまうのも、悪い未来に繋がるのかもしれない。
選択肢が提示されるような場面になると、アイはいつだって慎重に考えなければいけないのだ。
「もう一度も何も、私は解消した覚えはありませんけど……」
そうして、アイが選んだのは、現状維持だった。
「フッ……そうだったな。よかった。君には嫌われていると思っていたから。あと数日、この過ごし辛い牢屋を我慢してくれ。ここを出る頃に、埋め合わせする」
カラムは、そう言って笑った。
「埋め合わせですか……簡単には、済ませませんからね」
アイもそう言って、笑った。




