4 婚約者との仲直り
少しずつ体力も戻ってきたため、アイはベッドから出歩くようになっていた。
美しい青色のドレスに身を包み、と聞こえはいいが、元男のアイからすればとてつもなく歩きづらく、動きづらいものだった。
「もう少し動きやすい服がほしいんだけど……」
そう伝えると、有能なメイド、ミルフィーユは、普通にしていれば見えないスリットが大きく入った、少し扇情的なドレスを用意した。
動きやすいといえばそうだが。せっかく用意してもらったものなので、アイはそれを気に入ってよく着るようになった。
とはいえ、アイが素足に直接触れる空気に、慣れることはなかった。
そんなある日、屋敷の中が慌ただしくなったことに、アイは気付いた。
「どうしたの?」
アイは、近くを通ったエスを呼び止めて尋ねた。
「お嬢様。カラム様がお越しです。なんでも、お嬢様が目覚めたことを知って、飛んできたのだとか」
「へー。でもマドレーヌは毎日来ていたけどね」
「ここからとは距離が違いますし、騎士団のお仕事がございますので……」
「ちなみにマドレーヌはどれくらい遠いの?」
「徒歩で2時間程でしょうか……」
「マジか」
アイもさすがに、あの女、とか結構勘ぐっていた割に、毎日その時間歩いてくる執念には感服した。
もしこれで本当にただのいい子だったらどうしよう、と少し胸が痛んだ。
「お嬢様、お支度を」
エスに言われるままに、アイは身支度を整えさせられた。
さすがに自室に通すことはなく、カラムが待っている応接室のような部屋へと、アイは連れてこられた。
「失礼いたします」
「アイ!無事で何よりだ……」
ふんわりとした金髪を風になびかせ、すぐにカラムは駆け寄ってくる。
白い軍服は、騎士団の制服だろうか。
カラムの座っていた椅子の後ろには、カラムと似ているものの色は黒い制服に身を包んだ団員が一名、正しい姿勢で控えていた。
「本当にすまない、アイ。あんなことになるなんて……」
あの舞踏会での事件の時、カラムは咄嗟にアイの腕を掴んだだけだ。
そうしなければアイの氷魔法が発動して、マドレーヌは死ぬか大けがしていただろう。
アイの致命的になる攻撃をカラムがしたわけでもないので、アイの怪我は自業自得でもあり、カラムにとっては不幸な事故でもある。
「ごめんなさい、記憶があまりはっきりしていなくて。でも、話を聞くに、カラムさんは悪いことをしていません」
「それはそうだが、君を傷つけるつもりはなかった……。女性に傷を負わせたとなれば、騎士の名折れだ。怪我をさせずに止めることができていれば……」
その言葉に偽りはなく、カラムは心からそのことを悔いているようだった。
常に最善の結果を求める、完璧主義なのだろう。
アイは自分がカラムの立場なら、アイがやったことは自業自得で済ませてしまいそうだと思った。
「いいえ。どうやらマドレーヌさんに何かしようとするなんて、きっとどうかしていたんです、あの時は。もし、そうしてもらえるなら、お互い水に流してほしいです」
「ああ……私との関係は……それでよいが……」
面倒な男だ、とアイは思った。
ここに来たのなら二人の関係についてのみ話せばよいものを。
マドレーヌを気にしているあたり、こいつはもうとっくにマドレーヌのことが大好きで、アイに謝りに来たのは、本当に自分が怪我をさせた負い目からのみかもしれない。
「マドレーヌさんとは、既にお話しましたよ」
少し冷たく、アイはそう告げた。
「そ、そうか。まさか会っていたなんて。どうだった?」
「お互い水に流しました。私が記憶喪失ということもありますが……」
「それはよかった。二人には、仲良くしてもらいたい。私と関わる以上、顔を合わせることも多いだろうから」
「……そうですね」
マドレーヌは名誉騎士団員だ。
素直に受け取るならば、これからも騎士団の一員の位置づけなのであれば、許婚であるアイと会うことも多い、という意味だろう。
しかし、カラムの様子を見たところ、マドレーヌとくっついて家と家の関係上アイとも顔を合わせる可能性があるとでも考えていないかと勘ぐりそうになる。
私のことは別に愛していないと思いますから、婚約破棄で構いませんよ、とは、先に部屋でカラムと話していて同じ部屋にいる両親の手前、さすがのアイでも口が裂けても言えなかった。
「それにしても、身体の具合はもういいのかい?記憶以外は……だが」
「大丈夫です。記憶以外は……」
アイは少し得意げに、指を掲げて、天井を指すようにすると、指の先にダイヤモンドのような形の氷を生み出して、くるくると回して見せた。
「おお……素晴らしい。相変わらずの腕だな」
カラムは素直に褒めたが、後ろでアイの父親は、額に手を当ててため息を吐いていた。
「記憶のこともあるだろうが、次の合同訓練、調子がよければ顔を出してくれるだろうか」
「合同訓練、ですか?」
「そうか、すまない。記憶が……君、説明してくれるかな」
カラムがそう言うと、後ろの短髪の騎士団員が、気を付けをしたまま、くるりとアイの方を向いた。
この団員もカラムに負けず劣らず、はっきりとした顔の男前で、おそらく紅蓮騎士団は顔採用なのだろうと、アイは心の中で皮肉った。
「はっ!合同訓練は、月に一度、各地に散らばる紅蓮騎士団の全員が本拠地に戻り、合同で行う訓練です!各々の技量の成長を示すと同時に、騎士団員としての信念を、絶えることなく持ち続けるために、欠かさざるべき行事でございます!」
「ありがとう。彼はネロといってね。最近入った割に、とても技量があるんだ」
「ネロさん、ご説明ありがとうございます」
「い、いえ!恐縮でございます!」
そう言って照れるあたり、確かに場慣れはしていなさそうだったが、素人のアイから見ても、その一挙手一投足は、訓練を積んだ人間のそれだとわかった。
「それで、その訓練に、どうして?」
訓練を行うことはわかったが、アイがそれを見に行く意味とはなんだろうと考えた。
「はは。以前にも顔を出してもらっていたんだけどね。人の目があると、やはり団員も気が引き締まる。それに、君が来ると特に彼らは気合が入るんだよ。何故だかね。だから、君は貴族として、婚約者として、何度も視察に来てもらっているんだ」
アイが顔を出すと、団員の気が引き締まる……その言葉を聞いても、悪役令嬢が怖くて気が引き締まっているのか、はたまた女性にいいところを見せたいから気合が入っているのか、アイには判断がつかなかった。
しかし、アイからすれば騎士団の訓練と聞けば面白そうという感情ばかりが湧いてきて、もうすっかり行く気満々になっていた。
「是非!体調も万全です!」
「あはは。そうだと嬉しいよ。すまないが、あまり時間が無くてね。これで今日は失礼するよ」
もう帰るんかい、とアイは思ったが、実際忙しい合間を縫ってきてくれたのだろう。
それどころか、その後見送りに出た広間で、考えを思い直した。
カラムと話している間に、立派な果物やら、アクセサリーやらが、騎士団員によって広間の中に運び込まれていたのだ。
「ああ。すまない。せめてもの見舞い品だ」
本当に少なくてすまないというような様子で、カラムは言った。
その光景を見て、もしかして、性別を無視してでもコイツと結婚にこぎつけて、じゃぶじゃぶ金を使って生活するのがハッピーエンドなのでは?という考えが、思わずアイの頭をよぎったのだった。