34 人形
都市、ツァータのある宿の、ベッドの端に、アイとルカが座っていた。
ルカはアイの肩を抱き、身体を撫で、囁く。
「アイ……美しい私の人形……ずっと私の傍にいてくれ……」
「はい、ご主人様」
「なぜ私がこんなにお前を愛しく思うか、わかるか?」
「いえ……」
表情を変えずに、アイは返事をした。
「お前はあの人形に似ている……私が失くしてしまった、あの人形に」
ルカは窓の外の方をぼんやりと眺めた。
「人形はいい。私の言葉に口を挟まず、馬鹿にせず、聞いてくれる。アイ、私の過去を、馬鹿にしないで聞いてくれるかい?」
ルカは不安そうにアイに問いかけた。
「ええ」
アイは答える。
「私は……かつて恋をしたんだ。君のように黒髪の少女だ。彼女は、人形師の娘だった」
ルカは、口を挟まず、素直に聞いてくれるアイに、過去を語った。
まだ幼い頃、人形師の娘に恋をしたルカは、よく人形店へ行っては、彼女と話をした。
人形店を何度か訪れ、人形のことを楽しく話す娘の影響もあって、彼も人形に魅了されていった。
ルカはそれと同時に、彼女も人形のように美しいと、そう思っていた。
ある日、彼はそれを口に出して言った。
「君も、まるで人形のようにきれいだね」
少女は少し驚いて、嬉しそうに答えた。
「本当?じゃあ、私が人形になったら、きっとルカのお家で可愛がってね」
「うん。ぜったいに大切にするよ」
子供同士の、どこか奇妙で、現実と物語の間のような会話だった。
しかし、ある日から、ルカが人形店を訪ねても、店番に娘が立つことは無くなっていた。
ルカが訪ねると、娘の父親は言った。
「彼女は病気なんだ。全身が動かなくなって、最後には心臓が止まって、死んでしまうんだ。今まではまだよかったが、最近は歩くのも難しいんだ」
「そんな……」
ルカは、会話を思い出して、ひどく後悔した。
ルカは娘を、人形のようにきれいだと言った。
しかし、彼女は人形のように動けなくなって、死んでしまう病気だったのだ。
ルカに人形みたいだと言われた時、彼女はどんな気持ちだっただろうか。
ルカは彼女に謝りたいと思ったが、病状がよくないので、会わせてもらえなかった。
それからほどなくして、娘は亡くなった。
毎日泣き続けるルカに、人形師である父親は、人形を一つ作って渡した。
それは、亡き娘にそっくりの、黒髪の美しい少女の人形だった。
「短い命だったが、君と話している間は、とても楽しそうだった。どうかこの人形をもらってくれ。そして、彼女が確かに生きていたことを、少しでも覚えておいてくれ」
ルカは、精巧に作られたその人形がまるで、彼女そのもののように思えた。
あの時の会話が、現実になったような気がした。
ルカは毎日、毎晩、その人形に語り掛けた。
ルカはどこに行くのにも、その人形を連れて行った。
一年経っても、五年経っても、十年経って大人になっても、彼はその人形を常に連れていた。
ルカは人形を宝物のように丁寧に扱ったが、それでも人形は古くなっていった。
そして……彼は精神病院に入れられた。
人では無い人形に執着し、恋し、取り付かれていると。
親に騙され、病院に入れられ、それでも彼は人形を返せと訴え続けた。
彼女を大事にすると誓ったのだ。
治ったとは言われなかったのに、ルカが病院から出ることになったのは、火事で両親が死んだからだ。
焼け跡で、彼は必死で人形を探した。
しかし、既に捨てられていたのか、燃えてしまったのか、人形は見つからなかった。
彼は死のうと思い、焼けた家の中で、飲まず食わずで過ごした。
ある日、やせ細ったルカの元に男が訪ねてきて、尋ねた。
「人形は見つかったかい?」
「どうして、それを」
「君の両親は、君から人形を奪った罰を受けたんだよ」
男は言った。
「あの人形は無いが、新しいものをあげよう。彼女の生き写しのような、魂のこもった人形を。それを作れる、目を」
過去を語り終えると、ルカはアイを、かつての少女を重ねるように見た。
「そして、私はこの目を使って、最高の人形を探し求めた。今、彼女の生き写しのような君を、ようやく見つけた。まるであの頃のままだ。君は……美しい」
ルカにとって、アイはもはやその人形そのものだった。
「そう……この魔法の目は、人の脳の働きを制限し、思考に方向性を持たせることができる。たとえば、普段の働きや理性を制限して、私に忠誠を誓うことだけ考えさせる、今の君のようにね」
「そうですか」
「私が求めるのは人形だ。永遠の美を閉じ込めたように、ほとんど動かず、美しい人形だ。君は……完璧だ」
ルカはアイの頭を抱きしめると、そのまま言葉を続ける。
「君のその目……まるで人形になるために生まれたかのようだ……どこか冷たいような目……それに作り物の様に美しい顔立ちだ。きっと人形になる前の彼女は、最期の彼女は、今の君のようだっただろう。君は理想の人形だ……私は……結社の命令通り、君を処分するつもりなどない……ずっとそばにいてくれ」
「はい……ご主人様」
ルカに頭を抱かれ、すぐ傍で深く息をされているというのに、表情一つ変えずにアイはそう言った。
「君の頭の中で、今働きを止められている部分は悲鳴をあげているだろう。しかし、安心しろ。この状態が長く続けば、思考の癖はしっかりと脳に浸透する。そうすれば、今持っている感情こそが君の本当の考えになる。今の君が本当の君になるんだ……」
ルカは興奮して、続ける。
「君が術をかけられてから、もう何日も経つ……既に君の心は私に執着し始めているはずだ。いずれ、術を解除してあげる。その時は少し混乱するだろうけど、その時こそが本当に私たちが恋人になれるときだよ……もう少し、辛抱していてくれ……」
「楽しみですわ、ご主人様」
少しも楽しくはなさそうに、無表情でアイは答えた。
それにもかかわらず、ルカは恍惚とした表情で、アイの髪を撫でた。




