3 抜け目ない女
また別の人間が、ノックをしてアイの部屋へと入ってきた。
「お嬢様。失礼いたします。御来客です」
「あっこら!エス!変態執事!私が出るまで、勝手にお嬢様の部屋の扉を開けてはダメでしょ!」
「これは失敬」
エスと言われた男は、黒髪を短く小綺麗に切りそろえた執事だった。
長身で、同じ人間か疑うほどすらっとした体型をしている。
「例のマドレーヌとかいう女です」
「また来たのね!追い返してやりなさい!お嬢様にお目通り叶うとおもっているなら、100年早いのよ!」
「待った待った、マドレーヌが来ているの?」
アイが尋ねると、エスは丁寧に答えた。
「ええ、お嬢様。お嬢様が倒れられたあの日から、毎日のように通って来ております。一度として屋敷に入れたことはございませんが……」
「連れて来てくれる?」
「はっ……よろしいので?」
「許可します」
話を聞いているに、一度会っておく必要があると思ったアイは、許可を出した。
「いいいいけませんお嬢様。身だしなみも整えていいないというのに、どこの馬の骨とも知れない女と会うだなんて!」
大慌てするミルフィーユを尻目に、エスは既に部屋を出て呼びに行ったようだ。
「いいんだよ、ミルフィーユ。毎日来ているのに帰らせるだなんて、失礼じゃないか」
「お嬢様……お嬢様は、記憶を失っているからそんなことを……」
アイが言っていることは、おそらく事件の前のアイではありえなかったことなのだろう。
ほどなくして、マドレーヌがエスに付き添われて部屋に入ってきた。
「あぁ……何てこと!アイ様!目が覚めて本当によかった……!」
透き通るような金髪を、半分は後ろで束ね、残りの半分を下へと流した、いかにも清楚といった少女が、平民女こと、マドレーヌだ。
小綺麗な白い、フリルのついた衣服に身にまとっており、動くたびにふわふわと揺れている。
背はアイよりも少し低く、瞳を潤ませ心配してくるその姿は、儚さ、健気さ、清楚さを連想させるためにデザインされたかのようだった。
「あー……どうも。なんだか、毎日来てくれていたみたいで、ごめんね」
マドレーヌは一瞬、物凄く驚いた表情を浮かべたが、すぐに元の表情へと戻る。
「お記憶が……戻らないと、お聞きしました」
「そうなんです。だから、何も具体的なことは話せないけれど……」
「ごめんなさい!私のせいで……私のせいでこんなことに!」
マドレーヌはベッドの傍に跪いて、許しを請うた。
「ああ、やめてくださいマドレーヌさん。記憶はないのですが、事のあらましは聞いていますから。私も大人気なかったなと思っているんです。むしろ、感謝をしなくてはならないくらいですから」
「感……謝……?」
理解が追いつかないといった様子で、マドレーヌは顔を上げる。
「だって、婚約者を救ってくれなければ、本当に命が危なかったんでしょう?ありがとうございます。えーと、カラム、さんを、助けてくれて?」
「……え?」
マドレーヌが浮かべた表情は、恐怖、それに近かった。
とてもではないが、感謝を述べられた人間がするような顔ではない。
「あの、どうかしました?」
「いえ、いえ。決して。そんなことを……言っていただけるようなご身分では」
「どうか謙遜なさらず」
そういうアイも、心からの感謝を述べているわけではなく、あくまでバッドエンド的な末路を避けるために、何かを調整しているだけだった。
それがもしかすると、得体のしれない感情として、マドレーヌには伝わっているのかもしれない。
「でも、少し、落ち着きました」
アイはそう言うマドレーヌが座れるように、ミルフィーユに化粧台から椅子を持ってこさせた。
「少し、話しましょうか」
アイにとってのこれからの会話は、決して世間話ではなかった。
これから先、生き抜くための、情報収集であり、交渉でもあるかもしれない。
「ごめんなさいね、ベッドなんかに入ったままで」
ベッドに入って状態を起こしたアイの傍で、椅子に腰かけたマドレーヌは答える。
「とんでもないです。アイ様。とにかく、ご無事でよかったです。私が不相応にもあんな場所に顔を出したせいで、ああなってしまって」
「不相応などということはありません」
「自覚はあるんです。でも、カラム様も、礼節を重んじる方だから、命の恩人には一生をかけて恩を返すと、聞いてくれなくって」
「それだけのことをしたんですから」
マドレーヌが言うにはあくまで、参加は断ったが、カラムが無理を言って参加させた、ということらしい。
「アイ様は、どう思いますか?」
「ん?」
「平民と、貴族の方の、男女関係について」
おっと、と少しアイは驚く。平民から振る話題にしては、些か攻撃的とも取れる質問だ。
「愛とは分け隔てないものですよね」
アイとしては、現代日本でいうところの、無難な回答をする。
「では恋愛はどうでしょう。平民が貴族と関係を持つことなど、許されざることでは?」
「どう、でしょう。記憶を失っているので……でも、お互いが本当に想い合っているのなら、駆け落ちでもなんでもすればよいのでは?」
まあ!と、後ろでミルフィーユが驚きのあまり声を発したが、アイは聞こえないふりをした。
「驚きました。とても新しい考えを持った方なのですね……。でも、私はそうは思いません。絶対的な身分差があるから、私はどんなに誘われても、貴族の方と肩を並べることはできないのです」
当たり前でしょう、と、ミルフィーユが口に出していうので、黙っていろとアイは目線を送った。
「だから、だから私はとても困っているのです。……そうだ、アイ様」
「何?」
「アイ様からも、カラム様に伝えていただけませんか?私とは距離を置いた方がいいということを」
「……」
これは、罠だ。
アイは察した。
もしこの世界がゲームなら、ここで選択肢が出ているかもしれない。
このマドレーヌとかいう女、実はやり手なのかもしれない。
責任をカラムに着せて、まるで自分はカラムに興味がないかのような振りをしているが、実際にはアイを蹴落として、カラムとくっつく気が満々なのではないか?
ここですんなりと、OKでも出してみれば、アイの立場はカラムとマドレーヌを別れさせようとする悪役令嬢のポジションで固定される。
二人がくっつくのはご勝手にだが、悪役となって虐げられることは避けなければならない。
ここから先は、しっかりと言葉を選ばなくては。
選択肢に縛られるべきじゃない。
ここがゲームじゃなくて、広がりのある世界ならば、全てが二択や四択の選択肢ではないのだ。
「それはできません。マドレーヌさん。私の考えは述べたでしょう?この世界が広く広大なら、あらゆる考えや可能性があるはずです。そうでしょう?」
少し緊張しながら、雰囲気をまとう様に、意識しながら、アイは言葉を紡いだ。
「アイ様は……!婚約者でいらっしゃるのですよね」
「そうですね」
「それなら、普通はそんな可能性は潰しておくべきだと、そう考えませんか?」
ミルフィーユは後ろでカンカンになっていて、今にもそばにある花瓶を掴んでマドレーヌの頭を殴りつけそうだ。
「貴女の意思はどうなんですか」
「私の……意思?」
「ええ。マドレーヌさんはどうしたいんですか?」
「私は……それでも、あのカラム様を助けた日のことを、一生忘れることはないと思います。カラム様は息も絶え絶えで、きっと私がいなくては死んでしまったでしょう……」
「……それで?」
「男性の……身体に触れたのも。ああいう形では、初めてですし……忘れられることなら忘れたいですが……それができなくて苦しいのです」
アイは少し、その言い方に引っかかった。
元男で、カラムとどうなろうとも考えてはいないにしろ、マドレーヌの言い方は、元の悪役令嬢だったら手を上げてもおかしくない程に、挑発的に聞こえた。
しかし、ぐっとこらえて、言うべき言葉を口に出す。
「私は邪魔しませんよ」
悪役令嬢とは、恋路を邪魔する者。ならば、ここで宣言しておくべきだ。その役を引き受けるつもりはないと。
「そんな……では私はどうすれば……」
「そんなこと、自分で考えて。過去のことは、水に流しましょう。私も記憶を失っていることですし、貴女も悪いことはしていないのだから」
「そんなこと……」
「そしてこれからのことは、貴女が自分で決めればいい。私は邪魔しないし、手助けもしない。険しい道を進むのもいいし、全てを忘れて村で平和に過ごすのもいい。そうでしょう?肝心なのは、自分がどうするか、どうしたいか、ですよね!」
言いたいことを全て言い切り、アイは清々しい気分になった。
ある意味、その言葉はマドレーヌに言っているようであり、自分に言い聞かせている言葉でもあった。
「わかりました……。アイ様の寛大な御赦しに、感謝いたします」
一方マドレーヌは、何かを決意したかのような瞳で、アイにそう言った。
その瞳は言葉とは裏腹に、どこか斬りつけるような鋭さを持っていた。