26 ゲームオーバー
少し暴行、暴力的な描写があります。
ガイドラインを見つつ抑えてはいますが、苦手な方はご注意ください。
アイが薄い意識を保ったまま、地面に倒れていた。
すると先ほどマドレーヌと部屋を出た大柄の黒装束の男が、再び部屋へと入ってきた。
アイにはあれからどれくらい時間が経ったのかも、わからなかった。
「何動いてんだ」
男は椅子の傍で倒れていたアイの服を引っ掴むと、無理やり立たせた。
そして胸倉を掴み、顔を覗き込む。
「へっ。お前はもう用済みだとよ。最後に殺しさえすれば、何してもいいそうだ。いい役目をもらったもんだぜ」
男は、そのままずりずりとアイを引きずり、部屋の隅にあった、粗末なベッドへと、アイを放り投げた。
「ぅ゛っ!」
硬いベッドに落ちた衝撃に、アイは呻いた。
痛い。歩こうとしたさっきより、少し痛みを感じるようになっている。
手足も力は入るが、本当にか弱い力しか出ず、手を強く握りこぶしを作ることもできなかった。
そんな馬鹿な。
悪役令嬢のバッドエンドって、こんなに唐突に訪れるものなのか。
いくら予測して、防ごうとして、動いても、無理じゃん。
男はアイの上にまたがると、アイの衣服を乱暴にはだけさせた。
気持ち悪い。俺は男だぞ。
こいつにそのことを、教えてやれば、きっと気持ち悪くなってやめるはずだ。
「やめ……ろ……!」
しかし全然声が上手く出ない。
「もっと泣き叫んでほしいんだがなぁ、お姫様。薬で動けねえか?」
アイは、頭を引っ掴んで無理やり口づけしようとしてくる男に、必死で抵抗し、腕を前にだして防御した。
すると男は、手を乱暴に払いのけ、アイの頬を引っ叩いた。
「ぁ……!」
アイはうつろな目で、小さな悲鳴を上げた。
痛い……
頬に雫が落ちた。
雫?何か濡れたような感触。
血?涙ではない。
男が手を払った時に、飛び散るように水が垂れた。
汗だろうか。
いや、違う……
もしかして……
男は少し下の方に下がって、アイの足を触っている。
男に気づかれないように、アイは力の入らない自分の右手を、何とか自分の目の前にかざしてみた。
グレイが贈ってくれた右手薬指の指輪についていた、綺麗だった宝石は割れてしまい、中から不思議な色の液体が流れ出していた。
グレイが、氷みたいに綺麗だと言った青色の宝石。
なんだ、宝石じゃなかったのか。
ガラスか何かに包まれた液体が、美しく輝いていたらしい。
この色は、液体になってみると何だか禍々しいな。
アイが知っている限り、そんな不思議な色の液体はだいたい、猛毒だったりするものだった。水銀とか、有毒な油とか、そういうような。
男はアイの力の入らない足を掴み、開かせているようだった。
ほとんど力の入らないアイには、その感触すらはっきりとしなかった。
最悪だ。
男にこんなことされるくらいなら、死んだ方がマシだ。
二つの思考が結びついたアイは、考えるより先に、手を滴る青い液体を、舐めていた。
それは無駄に甘くて、冷たくて、それでいて喉がかーっと焼けるような、不思議な味がした。
やっぱり、毒かな。
これで、死ねる……
ぼんやりとした頭でなぜか確信していたアイだったが、身体がおかしな反応を示し始めたことに気付いた。
「ぅ……?」
ぽわーっと、身体が暖かくなるような心地と同時に、手足のしびれが取れ、力が戻っていく。
何だ?何だかさっぱりわからないが……
身体が、動く。
アイが上体を起こすと、男が呆気にとられたような顔をしている。
「お、おい……お前どうして……」
ドスッ
ベッドから、今までにないほど鋭く生やした氷柱が、男の腹に突き刺さった。
血が飛び散り、アイの白い足をビシャッと赤く染めた。
「ぎゃあぁあぁあ!!!」
叫ぶ男の口に、アイが手をかざすと、男の悲鳴がぴたりと止まった。
口の中には、口を閉じられないほどの大きさの氷が、詰め込まれている。
男がもがもがと口を動かすが、閉めることもそれ以上開くこともできない。
ようやく頭が働くようになってきたアイは、頭の中が煮え立ち、血管が切れそうになるほど怒りが湧いていた。
「お前ッ……が……!お前だけは……!」
いくつもの氷柱を、すぐ傍の壁から、ベッドから生やし、男の腕や足に突き立てていく。
その度に血が飛び散り、男は呻く。
「んぐぅぅっ!!!」
男は情けない悲鳴を、喉奥に籠らせて叫ぶ。
「許さないっ……!お前っ、絶対に……!」
まともな言語能力すら失いかけるほどの怒りをアイは氷を通して男にぶつけた。
辺りが血に染まる。
アイの身体にも血がかかるが、そんなことは全く意に介していない。
「死ね、死ね死ね、死ね!!!!」
そう叫びながら氷柱を突き立てるアイだったが、最後に残った理性で、何とか急所には当てずに済ましていた。
アイがはっと我に返ると、幾つもの氷柱に刺されて気を失った男と、そのすぐ目の前で、血だらけになっている自分の姿に気づいた。
アイは呆然とする頭で、よろよろと立ち上がり、部屋の出口へと向かった。
「逃げ……なきゃ」
アイはただ五月蝿いのに腹が立って、男の口に氷を詰め込んだが、おかげで他の見張りのような者も駆けつけては来なかった。
男はアイに毒が効いていて油断し切っていたのか、部屋の扉にも鍵をかけていなかったようだ。
扉を開けると、石でできた廊下があり、しかしどちらもすぐに曲がっていて、先が見えない。
正面の窓にガラスはなく、直接外に繋がっており、高い場所にいることがわかった。
細い塔の、上の方にいるようだ。
「ここから降りるとしたら……」
塔の中を降りれば、他の見張りに会う可能性も高い。
外を見回すと、周りは森に囲まれており、辺りに建物は見当たらない。
アイは決心すると、近くの背の高い樹まで、氷でスロープを掛けた。
「よし……大丈夫……私は軽い……私は軽い……」
まじないのようにそう唱えながら、スロープに腰かけると、すべりやすい氷ということもあり、猛スピードで滑り始めた。
「ひぃ……」
大声を出すとバレるので、アイは必死で悲鳴を殺した。
一瞬にして樹までたどり着くと、そのまま落ちそうになるのを必死で枝を掴み、木の上にとどまった。
そして枝を辿って、時折氷で足場を繋げ、はしごを作りながら下へと降りた。
スロープが見つかるのも時間の問題だ。
アイは森の中を、できるだけ塔から遠ざかる様に、走って逃げた。




