リオル様の提案
「……リリアナ様がアランの子供を妊娠しております。彼女とは話をしていませんが、アランの話ではアランの子供として産む気だと。」
「!!!」
優雅にお茶を飲んでいたリオル様は、驚いてガチャリとカップをソーサーに置いた。
「……そ、それは……。」
リオル様は口元を押さえて思案した。
「まだお腹は目立たない時期なのだと思います。」
「……でしたら、私は気付かなかったでしょう。妹がこの屋敷に戻って久しいですが、辺境伯の所へ戻れと私が煩いので、避けられていますから……。し、しかし……まさか、こんな事に……。忙しさと、妹のヒステリーに付き合うのが面倒で、放置していた私の責任です……。」
「い、いえ、違います!……それを言ったら私だってアランを放置してました。」
私がそう言うと、厳しい顔のリオル様と目が合った。
「……貴女は悪くない。」
「で、でも……。」
「私の場合は、妹なんです。……両親亡き今、私は妹の親代わりでもある。不始末を起こせば、私が謝る必要があるでしょう。……しかし、クレア……貴女はアランの親でもその代わりでもありません。浮気された被害者でしょう?」
静かに言い聞かせるようにそう言って、私を見つめる。
……。
ああ、そうか。
だから私たち、ダメだったのかも。
私は急速にそれに気づいた。
私はいつの間にかアランの親代わりになってしまっていたんだ……。お義父様やお義母様と同じ様に……アランを甘やかして、それが当たり前になってて……。
そうだよね……。
私が親なら……他の人に目も行くよね……。
乾いた笑いが漏れそうになり、慌ててそれを飲み込んだ。
「……。」
「リリアナには早急に確認します。知ってしまった以上、妊娠している場合、辺境伯にも報告せねばなりませんね……。アランの子供だと言っているそうですが、辺境伯の子供の可能性もないとは言えませんから、確認を取りませんと……まだ二人は夫婦ですし……。……。……えっと、クレアはどうするおつもりだったのですか?」
「……。」
「クレア……?」
「……分かりません。分からないから、誰かにこうすると決めて欲しくてここに来たって気がします。アランは私たちに子供がいないから、リリアナ様に産んでもらって育てようって言いました。きっとそれが一番まるく収まるんだと思います。……でも、私……それは嫌で……。」
私はもう顔をあげられなかった。
情けないけれど、視界が涙で歪んでしまっている。
「……それは、当たり前でしょう。」
リオル様は少し呆れたようにそう言って続けた。
「浮気相手と夫の子供を快く育てられるなんて、そんなの聖母か女神ですよ。クレアは人でしょう?」
「で、でも……。」
「……『でも』は禁止です。クレア、貴女は私に決めて欲しくてここに来たと言いましたね?」
「……はい。図々しい話ですけど、リオル様なら私の事も考えた上でどうするべきか決めてくれそうな気がしました。私、もう……どうしたら良いのかすら分からなくなってしまって……。きっと、私ばかりが不利にならない決断をしてくれそうな誰かに決めて欲しかったんです。」
リオル様がリリアナ様を止めてくれたなら、アランを許してやりなおそうと思える気がしたし、離婚するべきだと言われたら私は伯爵業への未練も断ち切って、修道院に行くべきなのだろう。リリアナ様の子供を迎え入れるべきだと言われたら……それも、なんだか納得できそうな気がしていた。
……。
しばらく思案していたリオル様が、不意に口を開いた。
「それは、期待して良いのでしょうか?」
「……?」
顔を上げると、リオル様が笑っていた。
「貴女の身の振り方を私が決めて良いというのなら、決めて差し上げましょう。……それならばアランと別れて、私と一緒になって下さい。」
「……えっ???」
私はポカンとリオル様の顔を見つめる。
「私はね……今でも貴女を思っているんですよ?だから、今まで結婚もしなかった。だから、浮気なんてするアランとは別れて私と結婚してください。」
「う、嘘……です。それ……。わ、私なんかの事、リオル様がいつまでも思って下さってる訳ありません……。」
「私の気持ちを決めつけないで欲しいんですけどね?」
「だ、だってリオル様が独身なのは、ご両親が急に亡くなって……侯爵様になって、お忙しいからだって噂で……。」
私とアランが結婚したちょっと後くらいに、リオル様のご両親は馬車の事故で亡くなってしまわれた。
その折りに、リオル様は『侯爵家の跡継ぎとしてしっかり家を支えられるようになるまでは誰とも結婚はしない』と宣言され、全く縁談を受け付けなくなったのだと噂に聞いている。
「そんなの方便ですよ。本気で侯爵家の為を思うなら、両親がもう居ないからこそ、所帯を持つべきでしょう?……私は貴女の事が忘れられませんでした。こう見えて、私はしつこいたちでしてね?」
「……ほ、本当に……?」
「本当にですよ。……身をもってお教えいたしましょうか?」
リオル様はガタリと立ち上がり……数歩の距離を詰め、私の前で跪いた。
「好きです、クレア。今度こそ、私と結婚してください。」
「でっ、でも……。」
「……『でも』は禁止したはずです。私の気持ちはあの時から変わっていません。貴女が望むなら、いつだって貴女を迎えに行くつもりでした。とりあえず貴女に私への気持ちがなくてもかまいません。……私に助けを求めてくれたのではありませんか?」
そう言うと、戸惑う私の手を握った。
「あ、あのっ。汚い手……なんです。インクのシミは消えないし、ペンダコだけは立派だし……。もう、全然可愛くもなくて……。」
私の手は、あの晩リオル様と一緒に踊った、可愛いと言ってくれた女の子の手ではもう……ない。
急にそれが恥ずかしくなって手を引っ込めようとすると、グッと力を入れて握り込まれる。
「私と一緒ですよ。私の手もそんな感じです。真面目に執務をしていたらこうなります。伯爵家で実務を担当されているのが貴女だというのは、本当なのですね。」
「アランは伯爵には向いていなくて……。それで私……すごく忙しくて……。だからこんな事に……。」
「ならば尚のこと忙しい貴女を大切にすべきでしたでしょう?……ねえ、クレア。私の気持ちに応えるのに戸惑いがあるなら、とりあえずはこの家で私の補佐をするのはどうでしょうか?私も忙しいので、伯爵家の執務を経験された貴女がいてくれたら助かります。」
「……そ、それは……リオル様が私を雇って下さるって事ですか?!」
その提案は、さっきのプロポーズまがいの事よりも現実的な気がして私は目を輝かせた。
「!……そうですね、雇う……雇います。だから、クレアはアランとは別れてください。リリアナの子供がアランの子ならば、リリアナとアランが一緒になるべきでしょう。辺境伯とリリアナの関係は破綻気味でした。すでにリリアナは跡継ぎも設けていますし、子供たちはあちらで暮らしています。辺境伯も離婚には簡単に応じるでしょう。」
「私……、アランと別れても……いいんですね……。」
リオル様の話に、なんだか私は力が抜けてしまった。
そっか……もう……苦しまないでいいんだ……。
そこまで考えて、私にとってアランとの事がどれほどのストレスだったのかに思い至る。
そして、リオル様のご厚意で伯爵家で学んだ事を活かせる場も用意していただけた……。
「リオル様……ありがとうございます。私、精一杯勤めさせていただきます。」
私がそう言って顔を上げると、リオル様は満面の笑みを浮かべていた。




