その先は決められない
結局はリリアナ様を選ぶなら、私との結婚は……なんだったのだろう。
あの時、アランは私を失いたくないと思って、私を選んでくれたのではなかったの???
ああ、そうか。
あれはまさに一夜の過ちだったんだ……。
……。
そう思ったらなんだか泣けてきたけれど……私はこの屋敷では主人格だ。
だから、目に力を入れてそれを堪える。
人前で泣く事すら出来なくなってしまった私は、誰にも声をかけられないようにと、屋敷の中を早足で歩いた。
私室までは我慢しなくては。
……アランは追ってもこない。
ああ、なんだかもう……全てが嫌になってしまった。
……。
私たちが結婚してすぐに、リリアナ様は陛下の信頼もあつい辺境伯に見初められ、嫁いでいった。
辺境伯は口さがない社交界でも、あまり悪い噂を聞かない立派な方だ。だから、きっとリリアナ様も幸せになるのだろうと思っていた。
でも……リリアナ様は辺境伯との間にお世継ぎをもうけると、王都で侯爵家の後を継いだリオル様の元に、さっさと戻って来てしまったのだ。
それが2年前。
……もしかしたら、その前からアランとは遣り取りがあったのかも知れない。
子供を産んで、戻ります……と。
子供を産んだら、自由ですから……と。
そこまで妄想して頭を振った。
……疑いはじめたら、止まらなくなるだけだ。
真相なんて結局は分からない。
……。
ふと、私に思いを伝えてくれたリオル様の事を思い出し、彼はこの事を知っていたのだろうかと考えた……。
……いや……知らないはずだ。
リオル様は辺境伯と親しかった。
リリアナ様が辺境伯に見初められたのも、リオル様のご友人としてこちらに遊びにいらしていて……と聞いていた。
ならば……リリアナ様が社交界で少し遊ぶ事には目をつぶったとしても、アランの子供を産む事まで許すだろうか……?
さすがにそれはないのでは……?
……。
アランと結婚するとなった時、私はリオル様にその旨を書いた手紙を出した。
アランは手紙を書く事にすら反対していたけれど、私はそうするのが優しい言葉をくれた彼への最低限の誠意だと思ったのだ。
リオル様からは、『幸せになって下さい』と、簡潔なカードと花束が届き……私達は、それ以降は言葉すら交わしてはいない。
最初の頃はアランがリオル様と私が遭遇する事を嫌がっていたし、そのうちに伯爵業の方が忙しくなって、夜会にはアランだけが行くようになってしまったからだ。
……。
リオル様に私への思いが残っているなんて、そんな図々しい事は思わない。
だけど……。
リオル様なら私と一緒に……親身になってこの問題を考えて下さるのでは?……そんな気がした。
……。
だって、このままだと私は……アランとリリアナ様の子供を育てて行く事になってしまうだろう。
それがとてつもなく苦しい事だってのは……分かっている。
だけど、この家に私の味方なんているだろうか?
お義父様もお義母様も、浮気の事はともかくとしても……アランの子供は歓迎するのではないだろうか???
きっと私に目をつぶれと……子供には関わらなくていいから我慢しろと……それがこの家の為になるんだと言うのではないだろうか……。
私の両親だって、この伯爵家に仕える子爵家の者な訳で……私がアランの妻である事が変わらないのなら、そのくらいの事には大きく構えろ……的な事を言いそうだ。
……。
でも、それが嫌だからと言ってアランと離婚する決心も私には出来ない。ここまで心血注いでやってきた伯爵家を捨てる覚悟が決まらないからだ。
アランの事を除けば、ここは居心地が良い。
義理の両親は私には感謝しかないらしく、煩い事は何も言わないし(跡継ぎに恵まれなかったのに、それすら言わなかった程だ。)、使用人達は伯爵様であるお義父様の次に私の意見を尊重して、手厚くサポートしてくれている。
離婚した所で、すでに私の両親は引退し、子爵家は養子に入った従兄弟が継いでいるので、実家に帰っても居場所はない。
いや……それどころか、下手に伯爵代理を務めていた私が出戻ったら、子爵である従兄弟は嫌な思いをする事になるだろう。
そうなると……修道院に行く……?
この、大変だけれども不自由ない伯爵家の暮らしや、充実している伯爵代理としての仕事を捨てて、信仰心もないのに無為に神に祈る暮らしをしろと……???
……。
つまり私は……離婚する事も、アランとリリアナ様の子供を育てる事も、どちらも選べないのだ。
……。
もしかしたら私は……リオル様がリリアナ様を止めてくれる事に期待しているのかも知れない。いや、妹の為に離婚してやって欲しいと言ってくれる事に期待しているのかも……。それとも、リリアナ様の子供を育てるべきだと、第三者視点で言われたいのかも知れない……。
そう。
私はもう、自分では未来を選べなくなっていて……誰かに決断して欲しかった。
どうしようもなくなって、ついつい占いに頼ってしまうように。
◇
数日後……。
「久しぶりですね、クレア嬢……。いや、ご結婚されているのに『嬢』はおかしいですかね?」
リオル様に面会を申し込むと、話はあっさりと通り、私は侯爵家の執務室を訪ねていた。
ほぼ4年ぶりに見るリオル様は……あの頃よりも大人の色気を纏い、立派で素敵になられていた。
一方の私は……老けたし、社交にも出ずに仕事にかまけていていたから、残念な方向に変わっているんだろう。
立派になったのは、右手にシッカリ根付いたペンダコくらいのもんだ。
「リオル様、どう呼んで下さってもかまいません。」
「では、クレアとお呼びしても?」
悪戯っぽく笑うリオル様に、私は胸が痛くなる。
……だって……これから酷い話をするのだから。
「かまいません。」
引き攣った笑顔を浮かべると、リオル様はその様子に気付いたのか怪訝そうな顔をした。
「……思い出話をしに来た訳ではないのですね?……まあ……真面目なクレアが私に会いたいなどと言って下さるからには何かあるのだろうと思っていましたが……。……ソファーで話しましょうか。」
リオル様は机から立ち上がると、応接セットが置かれた方へと私を促した。
「ありがとうございます……。」
私はそれに従う。
……。
「……あの、今日はですね。」
ソファーに座るなり切り出そうとして、リオル様にやんわりと制される。
「今、お茶を用意させますので、それからにしましょう。」
「……でも、リオル様の貴重なお時間が。今月って、とってもお忙しいですよね?!」
伯爵業を経験しているからこそ、この月の忙しさは身をもってよく知っている。だから、せめて要件を手短にしなきゃと思い、私が前のめりにそう言うと、リオル様が笑い出した。
「あははは。相変わらず、可愛らしい方ですね……。……久しぶりに初恋の君にお会いできたんです、ゆっくり話をさせてはくれないのですか?」
「は、初恋って……。」
「実りませんでしたがね。……さあ、お茶が来ましたよ。少し飲んで落ち着いて下さい。……クレア……貴女、ご自分がどんな顔色をしてらっしゃるかご存じですか?」
メイドが入室してくると、香り高いお茶とお菓子をサーブしてくれ、速やかに退出した。
私は勧められたままに、温かいお茶を飲む。
ほうっ……と息が漏れた。
「少しだけマシな顔になりましたね?……真っ青でしたよ。」
「ありがとうございます。……あの、話をはじめても?」
窺うようにそう聞くと、リオル様は少し面食らった後に、真面目な顔になって頷いた。