終わらない幸せの夜
「久しぶりだな、クレア。」
式典が終わった会場で、懐かしい声に呼び止められて振り返ると、そこにはアランがいた。
離婚して以来だから……会うのは2年ぶりになるかも知れない。
だけど、久しぶりに見るアランは……なんだかとても色あせて見えた。
あんなにもキラキラと眩しく見えていた金色の髪も、煌めく瞳も……再会したら、またアランに思いが戻るのではないかという危惧や、昔のときめく思い出さえも、くすんだものに思える程に。
……。
今、私の心を占めているのは、もうリオル様なんだな、と、少しだけ感慨深く思う。
……。
私の予想通り、結婚してすぐに私はリオル様を心から愛するようになった。
子供の頃から大好きだったアランから、すぐにリオル様に思いを移してしまった自分を、なんだか薄情だと思う反面で、親切で優しくしてくれて、頼りになるリオル様に熱心に愛を語られれば、心は動いてしまうもので……。
最初に感じていたひけめさえ、一緒に悩みながら侯爵家を運営していく事で、恋愛的な意味だけでなく、お互いがとても大切なパートナーなのだとも思えてきて、いつしかそんなものも消えていた。
今やリオル様は私にとって、かけがえのない人になっている。
それに……。
リオル様は頼りになるけれど、私を頼ってくれる。
私が辛いときは支えてくれるけれど、リオル様が弱音を吐く事もあり……一方的な関係ではない。だから……それが私に自信をくれているのだと思う。
……。
「お久しぶりですね。」
穏やかな声でアランに返事を返す。
こんな落ち着いた気持ちでアランと向き合える事になるなんて……と思いながら。
ザワつく会場は、王都に出来た新しい橋の開通を祝う記念式典だ。
この橋の開通によって領地などにメリットが生まれる貴族達が今回の式典に参加していた。
そういえば、アランの家の領地もこの橋を行った……だいぶ先にあったなと思い至る。
そして、意識しないと思い出す事すらなくなっていた事に自分でも少し驚いてしまった。
「……子供、出来たんだ。」
アランが私の膨らんだお腹を見つめてそう言った。
「はい。私は子供が出来ない体質なのかと思ったのですが、そんな事はなかったみたいです。」
「そっか……。」
アランと結婚していた当時は、生理が不規則になる事が多かった。それは、私の体の元々の問題なのだと思っていたが……今、考えるとストレスだったのかも知れない。
まあ……良くしてもらえたとはいえ、嫁ぎ先(他人の家)で気を張って、慣れてない上に失敗したら大変な事になる仕事を忙しくこなしてきたのだ。
その上で、頼ったり甘えさせてくれるべき夫は、私には無関心で……果てには浮気騒動まで起こしていたのだから、そうもなる……。
そもそも、アランとは、そういった事も少なかった。
冷静に考えたら、そりゃ子供なんて授かるはずはないのだ。
……。
リオル様と結婚してからは、体調も良くなって……そういう事だってもちろんしている。
今でも私は忙しいし、リオル様もだけれど……それは全く嫌でも負担でもなくて……愛を確かめる幸せな時間になった。
……。
そうして、そんな風にリオル様と暮らしていたら、私はアッサリと妊娠していた。
それが分かった時、思わず涙ぐんでしまった私よりも、リオル様の方がさらに泣いて喜んでくれたのは、二人だけの幸せな秘密だ。
「さ来月には生まれるんですよ。リオル様も楽しみにしていて……。アランのとこのお子さんも大きくなったんじゃないですか?」
「ああ。まあ……。親父もお袋もメロメロで可愛がってる。リリアナはそうでもないけどな……。」
アランはそう言うと溜息を吐いた。
「リリアナ様……どうかされたんですか?」
勘当したと言っただけあって、現在リオル様はリリアナ様と全く連絡を取っていない。
仲の良い兄妹だと思っていたから、陰でこっそり……なんて思っていたけれど、リリアナ様が裏切ってしまった辺境伯はリオル様の親友だったそうだから、兄妹だったからこそ溜まっていた長年の鬱憤が爆発してしまったらしく、本当に縁を切ってしまったそうなのだ。
「さあな。……あんまり帰ってこないんだ。……リリアナは財産もあるから好きにしている。……あいつ、俺が忙しくて相手に出来ないから腹を立ててるんだ。」
「……。」
「伯爵代理って、すげー大変なんだな。……向いてないってクレアに押し付けて逃げた癖に……俺さ、たかだか代理だろ?親父がいるんだし、余裕なさすぎだよって思っていた。……だけど……本当に大変なんだな。」
アランは疲れた様に笑った。
「……うん。大変だったよ……。」
「ごめん……。俺、すごく勝手だった。……クレアが居なくなって、クレアの大変さや、大切さに今さらだけど気付いたんだ。……クレア……その……良かったら……俺たちやり直せないか……?」
そう言うとアランは私の手をいきなり握りしめた。
……!!!
……。
アランに握られた手が……気持ち悪い。
生温かいその手が……すごく……不快だ。
そう思ってしまった自分に心底驚き、私は慌ててその手を振り払った。
「ごめんなさい、アラン。……今さらすぎるよ。もう私はアランの事、何とも思っていないの。終わった事だよ。もうね、これっぽっちも未練なんかないよ。」
「じゃ、じゃあ謝るから……。せめて俺を許してくれないか?!」
「……許すも何も、もう……どうも思っていないよ。」
そう言うと、驚いた様にアランが私を見つめた。
だけど……本当に私には、アランに対して何の気持ちも浮かんではこないのだ。
アランに恋した煌めきが色あせてしまったように、まるで上手く行かなかった結婚生活も、浮気された苦しみや悲しみすら……なんだかどうでも良くなってしまっていて、今さら謝られた所で、特に心には何も響かなかった。
だから私は、そのまま立ち去ろうとした。
「……ま、待てよ。」
いきなりグイッと肩を強く掴まれ、ヨロめいて転びそうになった所で、サッと腰に手が差し伸べられた。
「……私の妻に何か?」
え……?
リオル様?!
リオル様は不愉快そうにアランを見つめると、私の肩に置かれたアランの手を払い抱き寄せた。
「リオル様……どうしてこちらに?」
「式典は座っているだけだというので、代理で出席していただきましたが、身重の妻が心配で……。式典が終わったとの連絡を受けて迎えに来てしまいました。せっかくなので、お昼でも食べて帰りましょう?」
「え?忙しいのでは???……時間、大丈夫なんですか?」
「実は……迎えに来るつもりで、午前中……すごく頑張りました。なので……ご褒美をくれませんか?この近くに美味しいオムレツを出すレストランがあるんですよ。」
「リオル様、オムレツ好きですもんね!……良いですよ、行きましょう!」
前々から思っていたのだけれど、落ち着いた性格のリオル様がオムレツが大好きって……なんだか可愛らしいと思うんだよね?
オムレツ食べたさに午前中に執務を必死でこなしている所を想像して、私は笑みが漏れてしまった。
「あと、帰りに甘いものも買って帰りませんか?」
「あー……いいですね……!……って、太りそうです。」
「クレアには赤ちゃんもいますし、少しなら食べても平気だと思いますよ。」
リオル様はそう言って笑いながら、私のお腹を撫でる。
「そうですかね?」
「そうですよ。お腹の赤ちゃんも、美味しいものが食べたいと言ってます。……さ、馬車を待たせています、行きましょう。」
「リオル様には、赤ちゃんの声が聞こえちゃうんですか?」
「ええ、私はお父様ですからね?」
真面目に言うリオル様が可笑しくて吹き出すと、リオル様も笑う。
ああ……早く赤ちゃんに会いたいな……。
「お、おいっ!!!」
後ろから大きな声でそう言われ、驚いて振り向くと……焦った顔のアランがいた。
……あ、忘れてた。
いたね、アラン……。
「……式典、お疲れ様でした。ごきげんよう、アラン。」
他にどんな言葉をかけるべきか分からずそう言うと、私はリオル様と一緒に歩き出した。
もう振り返らない……どころか、振り返るなんて事すら忘れて……リオル様と一緒に。
……。
昔、好きの反対は嫌いではなく無関心だと聞いた事がある。
その時、私は……そんな筈がないと思っていた。好きの反対は嫌いに決まってるじゃんって……。
だけど……今ならそれが分かる気がした。
◇
その夜、私はリオル様に言った。
「ねえ、リオル様……『一夜の過ち』の反対語は『毎晩大正解』らしいですよ?」
「なんですか、それ。」
「こんな事……二度と話には出したくないのですけど、今夜はどうしても言いたくて……言わせてくださいね?」
「はい……。」
私がそう言うと、リオル様は読んでいた書類を横に置いて私を見つめた。
「私がアランと結婚したきっかけは『一夜の過ち』でした。リオル様は気にする事ないと言ってくれたけれど、私にはそれがずっと気になっていたように思うんです。……勿論、その当時はアランを好きだったというのもありますけれど。」
「……。」
「こうして今、リオル様といて、こうしていると、こっちが正解だったんだなって……幸せだなーって、しみじみと思うんです。だから、その……あの反対語はある意味正解なのかなーって思って……。愛しています、リオル様。ありがとうございます。私を好きになってくれて。」
私がそう言ってリオル様に抱きつくと、リオル様は嬉しそうに抱きしめかえしてくれる。
「そうですね、私もそう思います。私もクレアとこうしているのは過ちなんかじゃないし、ましてやそれが一夜だけなんて耐えられません……。私も愛していますよ、クレア。私を選んでくれてありがとう。ある意味、キッパリと貴女の恋心を忘れさせてくれたアランにも感謝です。……それに、私は……貴女の最初の男性よりも、最後の男性になりたいんです。だって、そちらの方が、断然価値があるじゃないですか……?」
頭上から降ってきたその言葉に、じんわりと涙が滲んできて、ゆっくりと顔を上げると、そのまま優しいキスが下りてくる。
そうして私たちは幸せに笑い合う。
……。
私とリオル様の大正解は、きっとこれからも、毎晩こうして幸せに過ぎていくのだ……。
きっと、私たちのどちらかが、生を終える最後の日まで。
【終】
本編はこれにて完結です!
午後に「おまけ」を更新してから完結表示になります。
ぜひ、最後までお付き合い頂けたらと思います。
おまけには、ちょっぴり黒いリオルが出てきます。