9話 海都の迷い兎
「こんなものかな……」
目の前にはご飯、味噌汁、焼き魚、だし巻き卵といった、ごく一般的な日本の朝食が鎮座していた。
外を見ると、太陽の柔らかな朝日が見える。外からは鳥の囀りが聞こえた。試作を終えるまで、半日以上かかったことになる。
凄く……大変だった、何が大変だったかというと、まずホーネットさんが壊滅的に料理下手だった、何度も失敗した。この人料理できそうな見た目と雰囲気なのに……あの人、ほとんど私の邪魔しかしてなかったぞ?
まあ、私も人の事は言えなかった。土釜でお米なんて炊いた事ないし……でも流石にホーネットさんよりはまともだったはず、これももう殆ど私が作った様な物だし。
「うぷ……」
私は若干の吐き気を覚える、失敗した料理は全て責任持って私が"処理"した、ベチョベチョになったご飯をお粥みたいにして、失敗した食材を混ぜて、腹に流し込んだ。貴重な食材だ、ロスを出すわけにはいかない。
「苦労の結晶だ……ほんと」
改めて出来上がったものを見る。正直言ってかなり普通というか、なんの変哲もない和食……いやこの世界風にいうのなら大和食であろうか。とにかくありふれたごく普通のメニューなのだが、なんだかとても輝いて見えた。
私は静まり返った調理場を見回してみる、私達の"戦闘"の跡が生々しく残っていた。
ちなみに、ホーネットさんは今ここにはいない、二時間ほど前に少し用事があるとかで離脱していった。
「……結局、これ実質私一人で作り上げたようなものだよねぇ」
なんて愚痴ってみる。
「ホーネット! いるか!?」
と、そこにラプターさんの声が聞こえた、って、え?
「あれ? ラプターさん帝都に行ったんじゃ……」
帝都からここは遠いと聞く、一日で行って戻ってこれる距離ではないはずだけど、と思い、私は声のした方向を振り向いてみた。するとそこにはラプターさん。だけど一つだけ決定的に何かおかしい部分があった。
ラプターさんは小さな女の子をお姫様抱っこしていた!
「ラプターさん……!? この娘どこから攫ってきたんですか!」
ついにこの人やってしまったのか、私はアワアワしながらラプターさんの方に近寄る。
「ベル落ち着け、一度落ち着け、な?」
ラプターさんは私を嗜める。私はチラリと女の子を覗いてみた、頭からは兎のような耳が生えていた。
「じゃあどうしてこんな事に……?」
と、落ち着きを取り戻し冷静に質問する私。
「あー……その、なんだ……」
ラプターさんは説明を始めた。曰く、帝都に向かう道の途中で行き倒れていたこの娘に出会ったらしい。衰弱した様子であったので、放っておく訳にもいかず、海都に戻って"海猫"に連れてきたというわけらしい。
この娘は見てわかるように兎科の獣人、つまり私と同じように虐げられる側の存在だ。その事から何となく予想はつく、きっと私と同じような酷い目にあったのだろう。
「ベル、この娘を上の客室にあげる! 暫くそばに居て面倒を見てくれ、私はホーネットを呼んでくる!」
ラプターさんは調理場を飛び出す、私も後に続き二階に上がり客室に入った。私とホーネットさんで修復した客室は綺麗な状態であった。ラプターさんは布団を敷き彼女を寝かせた。
「後は任せる!」
そう言ってラプターさんは旅館を飛び出していった、ていうかあの人ホーネットさんが何処にいるのか知ってるのか……?
それから5分ほどして。
「ん……」
微かな呻き声。私は彼女に駆け寄る。彼女はゆっくりと目を開き、そして私と目が合った。
「…………誰!?」
ビクッと、飛び上がる彼女、だが彼女は私の頭の上にある猫耳に視線を向けた。
「…………ここは?」
少し落ち着きを取り戻した様子で客室を見渡す彼女。多分私が同じ獣人であるから少し安心したのであろう。これで最初に目に入ったのがラプターさんとかだったら大変だったかもしれない。
不思議そうにキョロキョロする彼女、まあこの手の和風な部屋を見るのは初めてだろうし無理もないか……
「気分はどう?」
私は出来るだけ優しい口調で尋ねてみた。すると彼女は思い出したかのように脇腹を抑え「痛い……!」と言った。
「痛い? ちょっとごめんね……」
私はなるだけ優しく彼女のボロボロの服?というか布切れ?をめくってみた。
「……ッ!」
そこには、あまりにも痛々しい光景が広がっていた。化膿した大きな傷、……随分とひどい傷だ。傷だけではない、こんな状態なら何かしらの感染症を引き起こしている可能性もある。
「…………ちょっとじっとしててね」
私は彼女の傷の上に手をかざす。
「大治癒」
呪文を唱えた、すると周りから柔らかく美しい緑色の粒子のような物が集まってくる。私は暫く手をかざし続ける。
「……え?」
彼女は不思議そうにそれを見ていた。粒子はやがて私と彼女を優しく包み込む。しばらく経ち、粒子は薄れて消えていった。私は傷のあった場所を確認する。傷は綺麗さっぱり消えていた。
「ふう……大丈夫?痛くない?」
「え、あ……痛くない……」
彼女は傷のあった右腹部をサワサワする、そこに傷の痕跡は一切ない。彼女は何が起こったのかわからないといった感じで、目をパチクリさせていた。
……今のは、この世界において消失魔術と呼ばれる治癒魔法の一種だ。それも上位のもの。そう、私は治癒魔法が使える。
この魔法がもっと早く使えるようになってたら、母も……
「今のは?」
彼女は目をキラキラさせながら私に聞いてきた。すっかり痛みなんて忘れたみたいだ、良かった……と、その時、グゥーといったお腹の鳴る音が彼女から聞こえた。彼女は恥ずかしそうに縮こまってしまった。
「……ちょっと待っててね」
私は客室を出て一階の調理場に向かった。そこに置いてあった料理一式をお盆に乗せ手に持ち二階の客室に戻る。そして彼女の前にその定食を差し出した。
「食べていいよ」
私が言うと、彼女は「でも……」と遠慮がちな態度を見せる。だが空腹に耐えきれなかったのだろう。暫くすると恐る恐る定食に手をつけ始めた。
「……! お、美味しい!」
彼女はまずだし巻き卵を口に入れた。そうしてご飯や味噌汁、焼き魚などを勢いよく頬張った。
「よかった……上手に作れたみたいで」
私がボソッと呟く。すると彼女は「これはあなたが?」と問いかけてきた。私は「そうだよ」と頷く。彼女はあっという間に定食を平らげていた。
「あの……あなたのお名前は?」
唐突に名前を聞かれた。
「私? 私はベールクト、一応ここの仲居さんになる予定のしがない猫娘だよ」
と、自己紹介。すると……
「…………ベルお姉様!」
彼女はガバッと私に抱きつく。私は勢いでバランスを崩して後ろに倒れ込み、彼女に押し倒されるような態勢になってしまった。
「この御恩は一生忘れません! 私は今日からお姉様と一生離れません!!! ずっと一緒です!!!」
そうして彼女は私の頬に……チュ、と口付けをした。って、ええぇ!!! な、な、な……この娘何してるの!?
私の頬が熱を帯びるのを感じた、彼女の目からも熱を帯びたような視線を感じる。なんで私こんな辱めを受けてるの!?
「誓いのキスです……! これで私とお姉様は……運命共同体です!!!!」
ラプターさん、どうやら貴女が連れてきたのは随分と変わった娘みたいです…………