義弟、義姉を調べる奇妙な男と対峙する 1
ティノーヴァは、右手を踏みつける足がなくなり、ぱっと体を起こした。三度、男に飛びかかろうかと思ったが、どこから見てもすきがないので後退る。
オークメイビッドは戦いを放棄した国、つまり戦いをおそれる臆病者、戦っても負ける人間の国。だからそこの人間は弱い。ティノーヴァはそう思っていた。この男にしたって、朝がた、馬車にはねられそうになっていたではないか。
それが、さっきはティノーヴァをねじ伏せた。
結局、ティノーヴァはベッドに座りこんだ。身長で劣るが、こんな細っこい男に負ける訳がない。そう思って返り討ちにあった、あの記憶はまだ生々しい。
ぎしっといやなきしみ音がする。男は、膝の上に置いたノートをめくっている。
「あんた誰だよ」
「……」
「誰だって訊いてるだろ!」
ティノーヴァはトロエラ家の跡取りとして育てられてきた。ノーシュベル村三家の筆頭、トロエラ家の跡取りなのだ。村であれば、疑問には誰もがすぐに答えてくれる。
だが、この男は、まるっきりティノーヴァを無視していた。女のような細面を軽く俯かせ、ノートを見詰めるだけだ。長い髪を耳にかける仕種も女のようで、気にくわない。大体、妖精でもあるまいし、男が何故、あのように髪を長く伸ばしているのか。オークメイビッドには女しか居ないのか。
ティノーヴァは先程、テーブルから転げ落ちた小刀を拾った。ノートを見ているくせに男にはそれが解ったようで、まるで子猫でもあやすような声を出す。「無理はせぬことだな、ティノーヴァ。治癒院に支払う金のあてはあるのか?」
「なにを……」
「君はお姉さんと同じく、行動派らしい。無鉄砲ともいうが」
男がこちらを見た。ティノーヴァはかたまる。正面から見ると、男はやけに整った顔をしていて、威圧感があるのだ。血の染みのような、くすんだ赤の瞳が、ティノーヴァを見据えている。
男はノートを閉じ、テーブルへ置いた。「それを寄越しなさい」
ティノーヴァはちょっとためらったが、結局男にナイフを渡した。男はそれをテーブルへ置いて、ゴブレットを掴む。
「何故わたしを襲ったか、君は説明していないぞ」
「は?」
「いいなさい」
ティノーヴァは抗議しようとしたが、ひややかな眼差しをもらうと、落ち着けない。せなかがぞわぞわする。蛇にまといつかれて、ゆっくり絞め殺されるみたいな心地がしてきた。
暫く黙りこんでから、ティノーヴァは目を伏せる。
「それは……あんたがフィルラムのことを訊いてまわってたからだ。その時にそのノートを見ながら話してた」
「義理とはいえお姉さんなのだろう。呼び捨てにするのは戴けないな」
まったく関係のない指摘に、ティノーヴァはかっとなって大声でいいかえす。
「余計なお世話だ。理由はいったぞ。あんたが何者かを教えろ」
「無礼な子どもになのる名はない」
つんとそっぽを向いて、男はゴブレットを口許へ運ぶ。脚を組んでいるのがいやみったらしい。俺くらいなら片手で充分ってことか。
しかし、ちょっと唇を濡らすくらいしか、男は酒を呑まなかった。オークメイビッド人は酒を好まないという。こいつもそのくちか。
ティノーヴァは鼻を鳴らし、ベッドに座りこんだ。「あんたが何者か解るまで、俺はあんたをつけまわすぞ」
「衛兵隊のお世話になりたいのか?」
「ノーシュベル村といえばラツガイッシュでは名が通ってる。俺はトロエラ家の跡取りだ。臆病者のオークメイビッド人よりも信用されるに違いないね」
男はちらっとティノーヴァを見て、鼻で笑った。
「生憎そのような村は聴いたこともない」
「それはあんたが無知なだけだ」
「そうだろうな。だがラツガイッシュの人間ならオークメイビッドを知っている。違うか」
「ああ、臆病者の国として知っているとも」
寸の間、どちらも黙る。それからティノーヴァはいう。
「その上、疫病神の国でもある。王女さまがお遊びで魔法学校に入学したもんだから、ラツガイッシュにはいい迷惑だ。王女さま用に寮を新しくしたり、王女さまが気にくわないってんで料理人をやめさせたり、街の人間も迷惑してるってよ。おまけに、その王女さまはたいした成績でもなくて、お情けでうけさせてもらえた卒業試験の途中で逃げ出したっていうじゃないか」
ティノーヴァは喚く。「王女さまが居なくなって大騒動で、衛兵隊は王女さまを捜すのにてんやわんやだ。フィルラムは放っておいて、まぬけな王女さま捜しをしてる。逃げたんじゃなくちゃ、うさぎの穴にでも足をとられて、転んで死んじまってるんだろう」
「口を慎め」
「臆病者でも、王女さまを悪くいわれたらいやなのか。でも、事実だぜ。街の人間は王女さまをよく思ってない。両替商だけは、金を持ってるからっておもねってやがるが、その金だってオークメイビッドの市民からしぼりとったものだろう。戦をしないで、どうやって金を手にいれるんだ」
「お前のような考えの人間が居るから戦がなくならぬのだ」
ぴしゃりといわれる。ティノーヴァはにやっとした。怒らせればこちらのものだ。怒りに我を忘れた人間は、余計なことを口走る。
実際、義姉をさがす為に日雇い仕事をし、時間があれば街中をうろつき、オークメイビッドの王女さまの悪い話も同時に聴いた。
相当なわがまま娘らしく、研究発表などもいやがって、年始の式典にも出てくることはない。たいした研究もできていないのに王女さまだからと呼ばれて、流石にはずかしくて出てこられないのだろう、と、薬屋のじいさんがいっていた。
トナンラック王国の王女さまは、侍女やトナンラックの貴族令嬢をひきつれて、買いものによくいらっしゃるが、オークメイビッドの王女さまは影も形も見ない。市場ではそんな話を聴いた。どこの店も、魔法学校に隠れていてなにをしているか解らない負け犬王女を、怪しみ、訝しみ、嫌っていた。
フィルラムとその同室者と、オークメイビッドの王女がいなくなったのは、ほとんど同時らしい。それなのに、衛兵隊はオークメイビッドの王女ばかりを捜して、フィルラム達はおろそかにしている。
街のひとは、それにも怒っていた。そもそも居るか居ないかも解らない王女さまなんてさがさなくていい、と。留年はしたが魔物退治などで役に立っていたフィルラムに、教会で奉仕活動をし、よく効く薬や旨い酒をつくっていたその同室のお嬢さんを、先に捜せと。
王女を侮辱され、男は腹を立てたようだったが、ティノーヴァの予測を裏切って黙りこんだ。椅子の背凭れに身を預け、立てかけていた傘をとって、くるくるとまわしている。焦点の合わない目で、なにか考えているらしかったが、やはりすきはない。
ティノーヴァは男をじっとり睨んでいる。
「戦う気力と同じように、口がなくなったのか、オークメイビッド人」
「……王女は嫌われているのか」
「ああ」ティノーヴァは軽い口調でいう。「市場のひとは、フィルラムを捜さないのに王女を捜す衛兵隊に、買いものをさせないといっていた。子ども達はたまごを投げつけてやるって楽しそうだったぜ」
「そうか」
男は傘を、ティノーヴァへ放り投げる。ティノーヴァは両手でそれをうけた。男はゴブレットへ触れる。「これは旨い酒だそうだ。つくりては素晴らしい技術を持っているのだな」
「あ?」
「ティノー……ああ、もしかして、ティノヴラセッツェンの略称か? 親しくもない他人を略称で呼ぶ気は」
「それはやめろ。おれはそう呼ばれるのがいやなんだ。お前の意思は知らない」
くってかかったティノーヴァに、男は軽く肩をすくめる。年齢の解らない男だ。フィルラムと同年輩にも見えるし、ティノーヴァの義父くらいにも見える。下手をしたら自分と同じくらいかもしれない。
「ではティノーヴァ。その傘はいい品だろうか。率直なところを尋ねたい」
「はあ?」
「それと、王女がどのようにいわれているのか、教えてくれ」
なんだか殊勝な言葉だった。心無し、元気もない。怒るどころか、意気消沈してしまったようだ。
ティノーヴァだって、痛みをもたらす妖精ではない。憐れを催す男の様子に、つい、口が動いた。
「ああ、これはいい傘だと思うよ。義姉さんが二年の修了試験でつくったのとは、比べものにならない。義姉さんのは骨組みがもろかったし、はってある布もこんなにさらさらしてなかった。場所によって手触りも違って、それだからおとされたんだって、〈口伝て鳥〉越しに泣いてた。魔法学校は三回まで留年できるけど、義姉さんは二回、留年が決定したら、村に帰るって約束だったんだ。あとがなくなって、怯えてた」
「そうか。自分の失敗をきちんと認められるのは、人間として素晴らしいことだ。お姉さんは立派な人間のようだな」
男は目を逸らしたまま、唐突にフィルラムを誉め、黙る。王女の噂を聴きたいのだろう。だが、ティノーヴァはしょんぼりしたその様子に、良心が痛んでいた。
もしかしたらこの男は、オークメイビッドから、王女捜しに派遣されてきたのではないだろうか。だとしたら、衛兵隊の手間を省いてくれようとしているのだ。あまりきついことをいって、可哀相だったかもしれない。
「あのさ」
ティノーヴァは俯く。村を出る時には新品だったブーツは、連日の捜索で、どろどろに汚れている。服も擦り切れてきたし、なにより手持ちの金が乏しくなってきている。日雇い仕事である程度は資金の減少を抑えられているとしても、このままでは、すごすごと村へ帰る日はそう遠くないだろう。「転んで死んでるなんていって、ごめんよ。王女さまはどっかで生きてるさ。そう気を落とすなよ」
「……君はよく解らん人間だな」
男は呆れたみたいな声を出したが、ティノーヴァの表情を見るとちょっと笑った。オークメイビッドの人間は肌の感じが違うな。つやつやしている。
「慰めてくれたのだな。ありがとう。それで、王女のことは教えてくれないのか?」