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そして


 ティノーヴァは窓から外を見ていた。ベッドは、世話係の妖精、ミューカにいって、窓際へ移動してもらっていた。

 背後で、妖精の子ども達が拵えた、天井からさがった飾りが揺れ、ぶつかって、からからと音を立てる。風は、シャラエーグのヴァイデの木がある方向から吹いてきている。

 あのヴァイデの木のまわりには、本来そうだったように魔法力がこごりはじめ、徐々にこの近くにも魔法力がにじみ出していると聴いた。魔法力は、この世から失われずにすんだ。


「なあ、お前達はどうして、酒造りの上手な女をつれていくっていわれてるんだ?」

 振り返る。ミューカは、あたたかい〈魔法茶〉をつくってくれていた。あの、甘くて、ざらついた舌触りの、ちょっぴり焦げ臭い飲みものは、エベレインが一年生の時に考案したものだった。

 フィルラムが、悔しいけどエベレインの功績は認めなくちゃね、と肩をすくめて話してくれたことだ。あの王女サマは本当に、きちんと学びたくてラツガイッシュにやってきたんだ。それを親や兄に歪められて、さぞかし鬱屈とした日々だったろう。だからって、メイノエをいじめたのはゆるせやしないけれど。


 〈魔法茶〉は、今のところティノーヴァの、おもな栄養源だった。そのことに関しては、エベレインに礼をいうべきかな、と思う。

 ミューカは〈魔法茶〉のはいったマグを、恭しく両手でティノーヴァへ渡す。ティノーヴァはそれをうけとって、早速ひとくちすすった。

「昔、ふたり、グリュシュタックを採りにこの森へはいって、我らの同胞に恋をした人間が居たようです。たまたま、我らを見ることのできる人間だったんです。ただ、妖精は正直ですから、好きでもないのに好きなふりはできません」

「ああ」ティノーヴァは頷く。「それは、解る」

「我が同胞に恋をした、気の毒な女性は、どちらも食が細り、亡くなってしまったと聴いています。人間には、我らが殺したのと同じでしょう」

 それにはティノーヴァは頷かない。

 ミューカは哀しそうな顔をする。

「グリュシュタックを採りに来る人間は、時折非常に愚かです。危険な崖にあるものを採ろうとしたり……我らは、そういう時、注意を促します」

「それが、酒造りの上手な女は話しかけられ、連れ去られるって話になったんだな」

 ミューカは頷く。オークメイビッドの塩の話とおんなじで、見えているものだけで判断するとし損なうということだろう。それに大体、人間は、悪いほうにとららえるらしい。

「あとは……」

「後は?」

「……グリュシュタックを摘みながら、歌っている人間も居ます。上手な歌には、我ら、ひきよせられます」


「それじゃ、酒の仕込みの時は?」

「子どもらが心配なのです」

 ミューカは口を尖らす。

「酒の仕込みは目も手もはなせないもの。ですから、どこの集落も、その期間だけは〈厄除けの蝶〉を飛ばして、魔物の脅威にさらされないようにします。ですが、子どもの世話にまでは手がまわらない。幾らなんでも、小さな子どもがそれより小さな子どもの面倒を見るような状況は、危ないでしょう」

「なるほどね……」

 ティノーヴァも、まだダエメクの世話ができないような小さな頃、自分より幾らか歳下の子どもの面倒を見るよういわれたことがある。相手がひとりでなんとかなったが、二・三人だったら本当に、誰かは怪我をさせてしまっていただろう。もしくは、死なせてしまっていた。


「ティノーヴァ、気分は?」

 フィルラムがやってきた。手には布越しに、鍋を持っている。ミューカが小さなテーブルの上から、〈魔法茶〉のもとがはいった袋をどけ、フィルラムがそこへ鍋を置いた。

 ティノーヴァは頷く。「悪くないよ。さっき、ひとりで手洗いへ行った」

「上出来ね」

 フィルラムは鍋の蓋のうえにぽんと、布を丸めて置いて、ベッドへ近付いてくる。簡単にティノーヴァに口付け、頬を両手ではさんでぺたぺた触る。

「ねえさん?」

「うん。元気そう」

 声に安堵があった。ティノーヴァは微笑む。皆、ひとがいい。


 代がわりの儀式の間、ティノーヴァはシャラエーグをずっと見ていた。アーヴァンナッハも、メイノエも、フィルラムでさえも、その姿、特に顔を正視することを避けているようだったが、ティノーヴァはそうしなかったのだ。

 後から、おそろしかったのだと聴いた。でも、ティノーヴァは、なにもおそろしくなかった。

 シャラエーグは、お話のなかでは、美男子だ。でも、ティノーヴァの目には、凡庸な顔に見えた。醜男ではない。だが、アーヴァンナッハと比べたらかすんでしまう。


 シャラエーグと乙女の物語の欺瞞だな、と思った。乙女とシャラエーグは出会ってすぐに互いの愛を確認し、結ばれる。美男美女だからだと説明をつけたかったのだろう。

 乙女がどうだったのか知らないが、そういうことではないだろうなとティノーヴァは思った。要するに、魂が惹かれ合っているのだ。だから、どんな顔だろうと、かがやくように美しく見えるのだ。


 アーヴァンナッハとメイノエはシャラエーグに触れ、ティノーヴァは歌いながらそれを見ていた。歌は巧くいっていた。虚ろな目の妖精達が、どこからかふらふらと集まってくるくらいには。

 ティノーヴァは段々と、体がういているような、奇妙な心地を覚えていた。

 シャラエーグと、最後に、目が合ったと思う。

 シャラエーグは微笑んで、唇の形だけでごめんといい、ティノーヴァを指さした。それから後は、記憶がない。


 目が覚めたらこの部屋で、フィルラムとメイノエ、それにアーヴァンナッハが泣いていた。ティノーヴァは、丸々ふつか、眠っていたらしい。

 シャラエーグがティノーヴァの、魂なり、魔法力なりを、掠めとっていったのだろう。それが今後、どう影響するかは解らない。でも、妖精達にはなにか解るようで、ティノーヴァがはや死にしたり、魔法力がこれ以上弱くなったりすることはないと断言した。

 起きてすぐに訊いたのは、アーヴァンナッハからもらった傘の行方だ。あれはアーヴァンナッハとの友情の証だから。


「フィルラム嬢、椅子をかりてきた」

「ティノーヴァさん、気分はどうですか?」

「いいよ」

 王子と王女がはいってくる。ミューカは〈魔法茶〉のもとややかんをトレイにまとめ、にこにこしながら出ていった。

 メイノエが椅子を置いて、ベッドに駈け寄る。心配そうにティノーヴァの顔を見て、にこっと笑った。彼女はなにもいわず、すーっとベッドを離れる。相変わらず、ひかりかがやくみたいに美しいが、代がわりの時のように、本当にかがやいては見えなかった。

 アーヴァンナッハも、椅子を置いて、やってきた。フィルラムがくすくす笑いながら後退る。アーヴァンナッハはベッドの傍に膝をつき、両手でティノーヴァの顔へ触れた。ティノーヴァは、その左目を見詰める。

 右目には、覆いが掛けられていた。メイノエが、ハルトネ布でつくったものだ。黒く染めた布に、〈厄除けの蝶〉のような、細かく複雑な模様がぬいとられている。

 グルバーツェで研ぎに出したアーヴァンナッハの剣は、メイノエのつくったハルトネ布を切るのに、丁度よかったそうだ。


 アーヴァンナッハは、ティノーヴァの顔色に満足したのか、微笑んで手をおろす。「君のところへおしかけて、食事をとろうという話になったんだ」

「なにを食わせてもらえるんだ? 甘いタルトか? 甘いパンか?」

「メイノエのつくったスープよ」

 見遣る。メイノエは、テーブルの上の鍋の蓋を開け、妖精達がつくっている木椀に中身を注ぎ、匙を添えた。フィルラムがふたり分運んできて、ティノーヴァとアーヴァンナッハへ渡す。ティノーヴァは、マグを窓辺に置いて、木椀をうけとる。

 三人が、ベッドの傍に椅子を置いて、座った。四人で食前の祈りを捧げる。ティノーヴァが神を信じることはやはりなかったが、シャラエーグは信じることにした。だから、シャラエーグと、すべての妖精に祈りを捧げた。人間の為に迷惑をしているだろうに、助けてくれてありがとう、と。


 スープは黄色くて、白っぽい塊が沢山はいっている。ヴァイデの実だ。メイノエがいう。

「踊る獺亭のようには、巧くつくれませんでした」

「今度、調理法を尋ねにいってはどうだ。オークメイビッド王家から、調理法を明かせと通達する」

「おにいさまったら」

「冗談ではない。おいしいヴァイデのスープを、褒美としてこれから一生食べることができるくらいの働きを、わたし達はしたのではないか?」

 みんな笑った。アーヴァンナッハも、かすかに。


 ヴァイデのスープは、たしかに踊る獺亭ほどおいしくはなかった。だが、体の隅々にまで力がみなぎったような、ふしぎに元気の出る味だ。

「これ、シャラエーグの木から採ってきたの。妖精達が、是非にって」

「そうか、じゃあ、あの木にも実がなったんだな」

「うん。次の新月には、シャラエーグは確実に帰ってくるよ」

 メイノエとアーヴァンナッハが、くすくすと笑い合っている。トロエラ姉弟は、それにきょとんとした。

「どしたの、メイノエ、アーヴァンナッハ?」

「スィールさんから聴いたの。ラツガイッシュの北東辺りで採れる、威力の大きな薬材は、大概がシャラエーグさんの力の影響をうけているのですって」

「わたしとティノーヴァは、君達がおいはぎに襲われず、エイフダーマ村へ行けば、無事に課題をこなしただろうと話していた」

 フィルラムが驚いたような顔で、こちらを向いた。ティノーヴァは何故、そんな顔をされるのかが解らず、戸惑って見返す。「なんだよ」

「あんた、わたしが成功すると思ってたの? 試験を?」

「思ったら悪いのか?」

「そうじゃなくて……ううん。ありがとう」

「なんだよ、気色悪いな。礼をいわれるようなことじゃない」

 メイノエが嬉しそうににっこりした。アーヴァンナッハも、好もしそうに、微笑んでいる。


 フィルラムは耳をほんのり赤くした。

「それで、どうしたの?」

「だって、考えてみて、フィルラムちゃん。エイフダーマ村で、多分、〈枝付き〉を、ううん、〈常若の桃〉さえ、もらうことはできなかったわ。あれも、シャラエーグさんの力が弱まると、できなくなるものなの」

 フィルラムがぽかんと口を開ける。ティノーヴァもだ。

 アーヴァンナッハがいう。「試験の期限まで、まだまだ時間はある。フィルラム嬢、これからもメイノエを助けてくれ給え」


 メイノエとフィルラムは、もと・怪我人をみにいった。

 治癒魔法の効きがよくなり、すでに完治している彼ら彼女らだが、妖精達を手伝って、集落の整備をしている。フィルラム達を襲ったおいはぎ達も、反省して、ふたりが必要としている薬材を採りに行っているそうだ。フィルラムとメイノエは、妖精達の為の、魔力を補う薬をつくって、蔵のようなところへ沢山保管している。

 それから、金の髪がなくともつくれる延命の薬を、開発しようとしていた。三百年後に備え、アーヴァンナッハが提供した数本の髪で、すでに延命の薬をつくってはいるけれど、三百年後に都合よく金髪の人間が居るとも限らない。


 アーヴァンナッハはベッドに腰掛け、窓の外を見ている。ティノーヴァは手を伸ばし、アーヴァンナッハの目を覆う布へ触れる。

「痛くないか?」

「君がそれを訊くのは、何度目だ」

「何度だって訊く」

「多少だ。騒ぐ程ではない」

 アーヴァンナッハは、片目を失ってもやはり、美しかった。ティノーヴァは頷いて、彼の頭を撫でる。金髪が指に絡みつく。

「君の具合がよくなったら、四人でグルバーツェへ戻ろうという話になっている」

「そうか。そりゃ、いい。セーンとリアは? 見付かったのか」

「ああ、いいそびれていた。今朝やっと、森のなかで見付けたそうだ。今は子どもらと遊んでいるよ。元気らしい」

「そうか」

 ティノーヴァはアーヴァンナッハに触れるのをやめ、クッションへ体を預ける。アーヴァンナッハはティノーヴァの髪を手で()き、なんとか体裁を整えようと苦心惨憺していた。

「君のこの髪は、みっともないぞ」

「そうか? 伸ばそうか」

「それがいい。オークメイビッドでは、皆、髪を伸ばしている」アーヴァンナッハはにっこりする。「約束を忘れてはいないだろうな? 君はわたしの目になるんだ」

 忘れる訳がないだろうとティノーヴァは微笑んだ。


 風が吹いてくる。飾りが揺れて、からからと音を立てる。甘い匂いが漂ってきた。妖精達は、食事の準備を始めている。

 さめた〈魔法茶〉を、アーヴァンナッハに手伝ってもらいながら、ティノーヴァは飲む。「エベレインに礼をいおうと考えてた」

「それはいいな」

「それから、ねえさん達の、隣の部屋の生徒にも。彼女だけは、ふたりをまともに心配していた」

「ああ。メイノエとフィルラム嬢は、御者に詫びたいといっていた。戻らずに心配をかけたようだからと」

「あいつららしいや」

 アーヴァンナッハは長い髪を、優雅な手付きで梳いた。

 ティノーヴァは目を瞑る。フィルラムとメイノエが居て、アーヴァンナッハもとりあえずは無事だ。これ以上望むものはない。三人が無事なら、ほかになにを求めようか。


 ティノーヴァは思う。シャラエーグの謝罪は、傘のことだろうと。

 傘はなくなってしまったのだ。アーヴァンナッハとの友情の証を、あのふてぶてしい妖精は、とっていった。

 次の新月になったら、シャラエーグは傘を持ってあらわれるだろう。

 そうしたらティノーヴァは、文句をいってやるつもりだ。


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― 新着の感想 ―
[一言] やさしい着地の、いいお話でした。 この後も気になります。 300年後のことも。 物事には色々な側面があるということ。 伏線というか、そこここに散らばった種が集まって話が進んでいくところ、とて…
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