会食と、準備
四人は、テーブルを囲んでいた。食事は魔法力の根源であるから、とるべきだと、フィルラムが主張したのだ。誰も反対しなかった。
テーブルには、妖精達の用意した、精一杯のご馳走が並んでいた。
干したくだものや、採れたてのりんごに梨、熟しすぎて、匙で掬って食べるしかない、ウェイザの実。
色々な穀物をひいて、ミルクで煮た、やわらかい粥。シュパルメの蜜で甘くして食べるらしい。
まるまっちい、小さなパンもある。なかにはファスがひとつぶまるごとはいっていて、甘くて香りがいい。
それと、きのこと野菜のスープだ。妖精達はなまぐさものを食べないようで、肉も魚も、影も形もない。
菓子のようなものを食べているのだな、と、アーヴァンナッハは思う。味は決して悪くはないのだが、テーブルに並んだもののほとんどが甘いのは、まずくはないけれど少々気が滅入った。スープだけは、それなりに塩がきいていて、おいしい。
「これが飯か」ティノーヴァは辟易しているようだ。「菓子みたいなものばっかじゃないか」
「妖精はお菓子が好きなのよ。メイノエのとこに来てたゼルド達だって、最初はメイノエのつくったグリュシュタックのタルト目当てだったんだから。妖精はお菓子を食べたがるから、グルバーツェを発つ時だって、お菓子を買いこんだのよ」
アーヴァンナッハが目を遣ると、メイノエははずかしそうに首をすくめた。「菓子をつくれるのか?」
「はい……本で読んで、覚えていたので……」
アーヴァンナッハは頷く。自分は見る目がないようだ、と思う。メイノエに、ものをつくりだす才能があると気付けていれば、肩身のせまい思いをさせずにすんだのに。
食事はまずくはない。四人はそれぞれ、なにかしらのものを口へ運ぶ。
「代がわりの儀式は、今夜やります」
メイノエがいう。「もう、満月まで時間がありません。次の満月で、シャラエーグさんは死んでしまいます。二回、満月をのりきれたのは、フィルラムちゃんが魂をつなぎとめる歌を、歌ってくれていたから……」
「メイノエの延命の薬もあったからね。あれがなくちゃ、わたしが歌ったってなんの効果もなかったよ」
「そんなことないよ」メイノエは頭を振る。「フィルラムちゃんが、助けてくれたの」
フィルラムは優しい目付きで、メイノエを見る。アーヴァンナッハは安堵した。このふたりは、本当に、かたい友情で結ばれている。いもうとにもそのような相手が居て、よかった。
ティノーヴァが、ウェイザの実を匙で掬い、口へ含む。
「楽譜は、見せられたが……具体的には、どうすればいいんだ」
「記録が残ってたわ」
フィルラムが頷いた。おとうとがのり気になってくれて、助かったと思っている様子である。
「シャラエーグは泉へはいる。乙女と夢見る者は、シャラエーグに触れる。それだけ。メイノエなら乙女をやれるって、妖精たちは、わたし達の馬車を追いまわしてたらしいのよね」
フィルラムはあっけらかんという。メイノエは頷く。
「はやく話しかけてくれればよかったのに。半分はゼルド達の所為だけど……〈厄除けの蝶〉が無駄になっちゃった」
「おい、俺とお前の役割は? 歌うんじゃないのか」
「できたら、よ。歌うのは。別のひとが歌ってもいいんだって。それで、巧くいけば、シャラエーグは霧になって姿を消す」
「姿を消す?」
「ええ」
アーヴァンナッハとティノーヴァは、揃ってフィルラムを見詰める。フィルラムはにこっとした。
「大丈夫よ。それで成功なの。お話でだって、シャラエーグは居なくなってるでしょ、最後」
「そりゃ、そうだが」
「次の新月の日に、シャラエーグさんは戻ってくるんです。まったくあたらしい体と、再生した魂で。それまでに魔法力は安定しますから、なにも心配は要りません」
メイノエがやわらかい調子で付け加えた。男ふたりはちょっと考え、それぞれ頷く。「成程」
「あたらしい体って、どうやって?」
「ここの妖精達……シオルアは、人間の血がまざってるからか、人間みたいに結婚して子どもをつくるんだけど。妖精は本来、自然に生じるものなんだって。今でも、そういうふうに生まれる子も居るらしいわ。シャラエーグもそうやって体をあたらしくするの」
「最初のシャラエーグさんは、シャラエーグさんの部屋がある、あの木から生まれたんです」
見える訳もないのに、アーヴァンナッハはあの木があるであろう方向へ顔を向けた。案の定、花のつるがまきついた窓辺が見えるだけだ。
目を戻す。「あの木は、ヴァイデだったな。実をつけてはいなかったが……あのように大きく成長したヴァイデは、見たことがない」
「ええ。今は、シャラエーグさんの魂が弱っていて、実をつけられない状態なんです。……ヴァイデの実は、魔法力を回復し、その枝でつくった杖は、魔法の威力を増すといいます。魔法力を秘めた木なのです。シャラエーグさんは、あの木から生まれました。オークメイビッドの国木がヴァイデなのは、ヴァイデがフェアマティ家にとって、理想的な植物であるだけでなく、フェアマティ家がシャラエーグさんの子孫だからでしょう」
メイノエは半眼になり、かすかな声でいう。「ヴァイデは年中実をつけ、人間に優しい。シャラエーグさんは、ヴァイデのように、人間をまもってくれるのです」
妖精達がからになった皿を下げ、別の皿を運んできた。くだものの蜜煮だ。尚更に甘いものが出てきたからか、ティノーヴァが溜め息を吐く。
蜜煮には、あまり甘くないビスケットが添えられた。フィルラムはそれに蜜煮をのせ、かじる。いもうとで慣れているのか、アーヴァンナッハと同じテーブルについても、緊張した様子はない。好もしい女性だなとアーヴァンナッハは思う。
物怖じしないところも、大義の為なら一国の王子でも犠牲にしようとするところも、評価できる。いもうとと違い、アーヴァンナッハが来たことに、フィルラムはほっとしていた。それが正しいのだ。この世から魔法をなくし、大勢を死に追いやるくらいなら、アーヴァンナッハは代わりに死ぬ。
「なあ、フィルラム。さっきの話だが……」
「なあに?」
「……魔法力がなくなるっていうのは、そんなに大事なのか? だって、お前の話だと、シャラエーグが今のようになる前には、この世界には魔法は、少ししかなかったんだろう」
フィルラムとメイノエが目を合わせた。かすかに笑い合い、フィルラムがおとうとを見る。
「だめなのよ、ティノーヴァ。シャラエーグがこの世を魔法で充たしたのは、いつだと思う? 記録も残っていないような、気の遠くなる程昔。それだけの時間が経ったのよ。人間も妖精も、魔法力に順応して、魔法をつかうようになって、体の仕組みそのものがかわってしまっているの」
「だから、シャラエーグさんの代がわりの時、世界全体の魔法力が弱まって、魔法力のない子どもが生まれてしまうと……」
メイノエは目を伏せる。ティノーヴァが慌て気味に、気遣わしげにいう。「さっき、フィルラムがいっていたようになるんだな。治癒魔法が効かず、すぐに死んでしまう」
「そう。哀しいことだけど」
フィルラムはちょっと、考える。
「でも、妖精になれば、……天から新たに魔法力を授かって、生きていけるんですって。ただ、妖精になるのは、そう簡単なことじゃないの。最初のシャラエーグが愛した乙女だって、大きな魔法力を持っていた、とても心の豊かなひとだったそうだけど、天は妖精にしてくれなかったのよ」
食事を終え、フィルラムとメイノエは、怪我人の様子を見に行った。ティノーヴァとアーヴァンナッハも、それについていく。フィルラムは怪我人の包帯をかえ、メイノエは部屋の奥の厨房へ、薬を煎じに行った。ティノーヴァが厨房へとぶらぶら歩いていく。メイノエを手伝おうとしているのが、アーヴァンナッハには見える。
妖精の集落は、おおまかによっつの区域に分かれている。
怪我人が寝かされている家があるのは、一番新しい区域だ。そこは、木があまり成長しておらず、家を地面の上に建てている。木々の背が高くないから、集落の周りにある森の、背の高い木にのぼれば、屋根が見えてしまう。
「それでは、フィルラム嬢が見付けたのは」
「はい。ここだったんです」
てきぱきと、眠っている怪我人の包帯をかえながら、フィルラムはアーヴァンナッハへ微笑んだ。「といっても、普通は見えないんです。ここの妖精、シオルア達を信仰しているひと達や、その存在を信じているひと達には見えやすいそうだけど、わたしに見えたのは、メイノエが近くに居たのと、シャラエーグの力が弱まって、集落をまもる魔法が弱くなっていたから」
「成程……」
アーヴァンナッハは、フィルラムの隣に立ち、汚れた包帯を回収した。用意されているかごへいれる。フィルラムは、首を反らしてアーヴァンナッハを仰ぐ。「ありがとうございます、殿下」
「君にはそのように呼んでもらいたくない」アーヴァンナッハは微笑む。「わたしのいもうとの親友で、わたしの親友のあねなのだから」
ティノーヴァが、白っぽい茶色の、とろみのある液体がはいったマグを、トレイにのせて運んできた。妖精達がそれをうけとり、服んでいる。魔法力を補う薬だそうだ。妖精用のもので、人間では服めない。そうやって魔法力を補わないといけないくらい、付近の魔法力は不安定になっている。シャラエーグが死んでしまえば、この集落を中心に、魔法力は徐々に消えていくだろう。そうなれば、数年もすれば魔法は失われ、魔法力を持たない子どもばかりが生まれるようになる。
四人は外に出て、泉で手を洗った。
それから、木のうろを通って、別の区域へ出る。そこは、弔いの場だった。魔法力を持たずに生まれ、やむをえずさらってきた子ども達が亡くなった時に、埋葬して悼む場所。
単なる花畑に見えた。妖精達には、墓標をたてるような習慣がないらしく、土饅頭があるだけだ。それも酷く小さい。そして、その上もまわりも、植物で覆われていた。
シオルア達は、死ぬと、姿が消えるのだそうだ。死体は残らない。思い出のよすがになるような品を、暫く家族が所持し、その後土に埋めて植物をその上に植える。といってもシオルア達はめったに死なないし、シオルア達の弔いは集落の外で行うそうで、だからここにシオルアの墓はない。
四人は指を組み、また手を合わせ、メイノエが水をまいた。花たちはきらきらと水の雫をまとって、生き生きして見えた。
もうひとつの区域は、妖精達が暮らしているところだ。そこには妖精の子どもも沢山居て、アーヴァンナッハとティノーヴァを遠まきに見て、こそこそ話していた。子どもの妖精は、皆大人とは違ってぽちゃぽちゃとしていて、手の隠れるような袖の、ひきずる丈の服を着ている。それに、魔法学校の生徒がかぶるような、大きくて丸い帽子をかぶっていた。
メイノエが菓子を配り、子ども達は大喜びでそれを持っていった。ここにはオーブンがあるとかで、メイノエは気晴らしに菓子を焼いていたそうだ。子どもらがティノーヴァを示して、くすくす笑って喋っているのを見て、アーヴァンナッハは少しだけ不快になった。
四つ目の区域は、アーヴァンナッハが寝かされていた部屋のある場所だ。そこと、シャラエーグの部屋がある場所。集落のなかでも一番古いところだそう。
準備がある。
メイノエが服を用意して、四人は順に、泉で沐浴した。妖精達は姿を見せない。代がわりがあると解っているから、準備の邪魔にならないように、近寄らないのだろう。
最初に沐浴したのは乙女の役割を担う、メイノエだ。礼儀を弁えているティノーヴァは、つたのカーテンの向こうへ行ったし、フィルラムもそうした。アーヴァンナッハは、水を浴びて震えるメイノエを、大きなタオルで包んだ。
メイノエは、十五にもなるのに、まだ子どものような、丸みに乏しい棒のような手足をしている。このような子に結婚を急がせていたのだなと、アーヴァンナッハはまた、胸が痛んだ。
メイノエは、妖精の着ている服と同じ生地でつくった、ゆったりした灰色のドレスを身に着けた。短い髪を隠すように、レースをかぶる。それは妖精のつくったものだそうだ。乙女がかぶる、花を編んだ繊細なレース。
次に、アーヴァンナッハが水を浴びた。長い髪は、メイノエが持ち上げ、水に濡れないようにしてくれている。
オークメイビッドは男も女も髪を長く伸ばすが、それはもしもの時、シャラエーグの延命の薬をつくる為かもしれないと、メイノエはそんな話をする。ありそうなことだ。本来の目的が忘れられ、残った習慣なのだろう。
アーヴァンナッハは、妖精と同じような格好をさせられた。チュニックをくすんだ緑色にしたのは、メイノエの染め粉だそうだ。細身のずぼんをはいて、左の足首に花環を通す。メイノエは最後に、櫛で丁寧にアーヴァンナッハの髪を梳かし、あみこんで花を飾った。
次は、トロエラ姉弟の番だ。王子と王女は、背を向けてそれを見なかった。
ラツガイッシュ王家が儀式を執り行っていた時代の末期、乙女と夢見る者だけが水浴びをし、歌う者達はしなかった。
初めのうち――――儀式を執り行っていた家がまだ、ラツガイッシュを建国する前――――は、代わりに歌う者でも、沐浴をしていたらしい。だが、ラツガイッシュ王家は年経るにつれ、傲慢になっていった。代わりに歌う者には、沐浴をする権利はないと考えるようになったのだ。
フィルラムは、メイノエのものよりも簡素な青いドレスを着て、髪をおろして梳かしていた。帽子のなかに隠れていた黒髪は、アーヴァンナッハが思っていたよりもずっと長い。つやつやとして、綺麗だ。アーヴァンナッハは、少しだけ、それにみとれた。
ティノーヴァは、アーヴァンナッハと同様、妖精のような格好をしていた。服はアーヴァンナッハと色違いだが、左足首につけた花環はそっくりだ。
ティノーヴァは右手に、アーヴァンナッハがなくしたと思っていた傘を持っている。アーヴァンナッハがそれを見ると、ティノーヴァは傘をこちらへさしだした。
アーヴァンナッハは頭を振る。
「いや、君が持っていてくれ」
「どうして?」
「友情の証として」
ティノーヴァは、にっこりした。




