互いの気持ち
ティノーヴァは、シャラエーグが自分を見ていると気付いた。ベッドに横たわったままの、憐れな程に痩せこけた妖精が、目も開けずに自分を見ていると。
その感覚は唐突に消えた。シャラエーグは不明瞭な発音でいう。
「君は、僕に似ているな」
室内に居る妖精が息をのんだ。メイノエが戸惑った表情になる。目が潤んでいるのが、美しい。
「どういうことですか? シャラエーグさんに一番近い魂は、ラツガイッシュかオークメイビッドの王家から……」
「美しいメイノエ」
シャラエーグの声は弱々しくなっている。「僕と似た魂を持つ者が、まったく関わりないところにあらわれても、なにもおかしくはないよ。それも、天の配剤だろう」
フィルラムとメイノエは、戸惑った顔で目をあわせる。ティノーヴァは意味が解らなかったが、なにを訊いたらいいのかも解らず、黙る。
アーヴァンナッハが険しい調子でいった。
「シャラエーグ。ティノーヴァの歌は必要ない。ティノーヴァの体に傷を付けることはわたしがゆるさない」
「アーヴ」
「わたしは譲らないぞ、ティノーヴァ」
目があった。アーヴァンナッハは口を噤んで、じっとティノーヴァを見詰めている。この友人が頑固なことは、ティノーヴァは身に染みていた。
だが、譲れないのはこちらもだ。シャラエーグなんていう見も知らなかったお伽話の妖精の為に、アーヴァンナッハの目を失うなんて、たえられない。
たとい、それをしなかったら世界から魔法が消えうせ、自分も生きてはいられないかもしれないとしたって、それなら世界が滅んでしまえばいいと思う。どうせ、アーヴァンナッハが傷付いたら、それから一生俺はいい気分になんてなれないだろうから。
「あの」
メイノエがおずおずと、いった。
ティノーヴァはアーヴァンナッハから目を逸らし、そのいもうとを見る。彼女のどこが不格好で、醜いというんだ? 魔法学校の連中は、勉強のしすぎで頭がおかしいのか。大きすぎる目が不釣り合いに見えるのかもしれないが、それだって欠点にはならない。彼女はまるで、内側から光りかがやくようだ。
シャラエーグは腹のたつ野郎だが、メイノエを美しいといったことだけは、同じ意見で反論の余地はない。
メイノエはあおざめていたが、ティノーヴァから目を逸らすことはない。
「もし、ティノーヴァさんの魂が、シャラエーグさんに似ているのなら、そのかたが居てくれればそれだけ、おにいさまの負担を減らせるかもしれません。少し、危険がありますが……」
「……どういうこと? メイノエ?」
フィルラムが問うと、メイノエは困った顔になった。目がもっと潤んでいる。泣きそうならしい。
「ごめんなさい……ティノーヴァさんには、少しだけ危ないけれど、おにいさまが失うのは片目ですむかもしれないの」
「教えてくれ」ティノーヴァは唸るようにいう。「できたら、あんたのにいさんの両目とも無事で済むような方策を。俺は危なくてもいい」
「メイノエ、ティノーヴァを危険な目にあわせる方法なら、それはやらない」
ティノーヴァはアーヴァンナッハを睨み、アーヴァンナッハもティノーヴァを睨んだ。
メイノエはシャラエーグに治癒魔法をかけるそうだ。残りの三人は、シャラエーグの部屋を追い出された。
ティノーヴァとアーヴァンナッハは睨み合っている。どちらも譲る気はない。それぞれの痛みが、自分のことのように感じる。いや、自分のこと以上につらく感じるのだ。だから、相手を損なうような方策は絶対に採りたくないと、どちらも思っている。
フィルラムはふたりを残して、つたのカーテンをくぐっていった。せなかが哀しそうだった。あねも、悪くはないのだ、とティノーヴァは思う。シャラエーグだって、単に約束をまもってほしいだけだろう。妖精は言葉に縛られ、約束を違えられない。いたずら好きのルルッファ達だって、約束したら悪さはしなくなる。
悪いとすれば、こんな大事なことを隠したまま滅んだラツガイッシュの王家と、なにも知らずに暢気に過ごしていたラツガイッシュの国民だ。
おまけに、塩を高値で売りつけてくる臆病者どもと蔑んでいるオークメイビッドの、その王家に、こうやって負担を強いる。愚かとしかいいようがない。
ティノーヴァは自己嫌悪で吐きそうだったが、アーヴァンナッハにいった。「俺はお前が傷付くところを見たくない」
「では、目を覆っているといい」
「そういう問題じゃないだろう」
「わたしは君に危険がある手段などとらない。絶対に」
暫く、どちらも黙る。妖精がふたり、つたのカーテンをくぐって、ふわふわとやってきた。先程までのような笑顔はないが、ティノーヴァに抱き付いて、頬に口付けることは忘れない。ふたりはそれをして、シャラエーグの部屋へはいっていった。
アーヴァンナッハが鼻を鳴らした。不機嫌そうだ。
「そもそも、わたしは、君にひき返すよういった。まきこみたくなかった。何故、素直に従ってくれなかったんだ」
「お前が心配だからだ。お前が今にも死にそうな顔でそんなこといったって、俺は絶対に従わない」
「君に心配される謂れはない」
「ある」
「ない。君はただのラツガイッシュ人だろう。わたしはオークメイビッドの王子、君のような他国の一般市民にあれをしろこれをするなと指図される必要はない」
「なら俺だって、他国のオウジサマに命令される謂れはないね」
アーヴァンナッハは黙る。口を噤んで、不満そうだ。ティノーヴァはそれに、言葉をぶつける。「俺はお前が好きだ」
アーヴァンナッハは、表情を動かさない。ティノーヴァは続ける。
「お前が哀しんでると俺も哀しいし、傷付いたら自分が傷付いたように思う。いや、それ以上につらい。解るか? そういう気持ちが。だから俺は、お前が傷付くようなことは絶対にさせない。魔法がなくなるだの世界がおかしくなるだの、知ったことか。これは防衛だ。お前は俺の一部みたいなものだから、自分をまもるのと一緒なんだ」
ティノーヴァはいいきって、満足して息を吐いた。アーヴァンナッハは呆れたような声を出す。
「君のように不遜な人間は初めて見た」
「それは、どうも」
「オークメイビッドの王子を、自分の一部のようなもの、だと? わたしは君の発言を、ラツガイッシュの議会へ告発できるぞ。ラツガイッシュ人からとんでもない侮辱をうけたと。君は拘束され、処断される」
「是非、そうしてくれ」ティノーヴァはくいと顎を上げる。「独善的な王家ではなく賢い国民が国を運営している素晴らしいラツガイッシュの法典に拠れば、どんな悪党であっても弁明の機会が与えられる。勿論俺にだってな」ティノーヴァは鼻で笑った。「そうしたら、シャラエーグのことを話してやる。公的な記録に残すんだ。ラツガイッシュの王家がどれだけの悪党だったか、それを斃したとおおはしゃぎしていた国民どもがどれだけ愚かだったか。なにが魔法と錬金術だ。その源になるシャラエーグのこともなにも知らないで」
ティノーヴァは強い口調だったが、頭は完全に冷えていて、冷静だった。アーヴァンナッハは呆れ顔だ。
「君は強情だな」
「お前にはかなわないよ、可愛いアーヴァンナッハ」
「君のようなばかなことをいう人間はほかに居ない。わたしが自分の一部のようだって。わたしのような……」
アーヴァンナッハの目から唐突に涙がこぼれた。
アーヴァンナッハは吃驚したみたいに目を瞠り、さっと目許を拭った。ティノーヴァは動揺している。泣かせるつもりなどなかった。ただ、アーヴァンナッハが傷付かないようにしたいだけだ。
アーヴァンナッハは顔を赤くしている。洟をすする。
「アーヴァンナッハ、悪かったよ、泣かせるつもりじゃあ」
「君はばかだ、ティノーヴァ。わたしだって君が危険な目にあうのはいやだ。君はわたしのかけがえのない友人だから」
ティノーヴァは硬直した。アーヴァンナッハはもう泣いていない。「だから、君をまもらせてくれ」
フィルラムが戻ってきた。黙って互いを見ている、ティノーヴァとアーヴァンナッハに、なにかいいかけていたフィルラムは動きを停める。
メイノエがシャラエーグの部屋から出てきた。片手で顔を覆い、もう片方の手で手すりを掴んで、階段を駈けおりてくる。あにが反応した。
「メイノエ」
フィルラムが駈けていって、階段を降りきったメイノエを両腕で捕まえた。メイノエはフィルラムの胸で、すすり泣いている。
「メイノエ? どうしたの?」
「シャラエーグさんが……」
メイノエは肩を震わせている。アーヴァンナッハがふらふらとそちらへ向かい、ティノーヴァも続いた。
「もう、諦めると……死んでしまっても、天がこの世界を見捨てなければ、再び生まれてくるか、自分にかわるなにかができるだろうから……と……」
妖精を苦しめ、約束を違えた人間達の世界を、神が助けてくれるものだろうか。ティノーヴァには、それは解らない。
アーヴァンナッハがティノーヴァを振り返る。そのまま、いもうとへいう。「メイノエ。さっきいっていた方法は、ティノーヴァにどれくらいの危険がある」
「ほんのわずか……いえ、解りません。でも、わたしと、フィルラムちゃんと、おにいさまだけよりも、確実ですし、安全だと、思います」
「危険が分散するのだな」
「ええ……」
アーヴァンナッハは微笑む。こんなに美しいものは見たことがないとティノーヴァは思う。
「ティノーヴァ。わたしが君の一部だというのなら、頼みがある」
「……なんだ」
「代がわりが終わったら、君がわたしの目になってくれ」
色々なものがティノーヴァの胸に去来した。ノーシュベル村での、単調なダエメクの世話、グルバーツェへ来てからやった荷運び人足、両親と兄、村の子ども達、大人達。
フィルラム。それに、アーヴァンナッハと、メイノエ。
ティノーヴァは頷いた。「解ったよ、アーヴァンナッハ。俺は生涯、お前の目になる。愚かなラツガイッシュを助けてくれるお前達きょうだいに、責任をとると約束する」




