義兄と義妹
アーヴァンナッハは、いもうとと腕を組み、歩いていた。泉の奥に、そうと解らぬよう隠された空間があるのだ。つたのカーテンをくぐってはいる。
そこは、先程までふたりが居た、広場のようなところに、似ていた。
花が咲く地面を、裸足で歩く。メイノエも裸足だ。
「お兄さま」
「ああ」
「わたし、頑張ったんです。少しでも、シャラエーグさんが弱まるのをくいとめようと、お薬を沢山つくりました」
いもうとはすんと洟をすする。「ここにある文献を、フィルラムちゃんと協力して、読んで。人間の金の髪をつかったお薬なら、シャラエーグの命を延ばせると書いてありました。でも、金の髪なんてなかったから、オークメイビッド王家のわたしの髪ならと思って……」
「そうか。ああ、悪いことをしたようだ」
「え?」
「妖精は、わたしと間違って、あの子を襲ったのだな」
天幕にはいりこんでいた子どもは、金髪だった。
メイノエは震える。
「辞めてといったんです。でも、妖精さん達は、シャラエーグさんが心配で、寝ているひとの髪を切ってくるくらいなんでもない、髪は放っておいたら伸びる、って」
「彼らも必死なのだろう。誰の責任でもない」
それは心の底から思った。責任があるとすれば、もう滅んだラツガイッシュの王家にだ。
圧政を敷いて、好き放題し、民にそっぽを向かれた愚か者ども。シャラエーグの代がわりの手伝いこそ、王家の重大な仕事だったろうに。
それは、どうしてだか解っていた。きっと大昔にかわされた約束なのだろう。フェアマティ家は約束を決して違えない。主の御心に従って。
「妖精さんから、おにいさまがいらしたと聴いた時は、気を失ってしまいました」
「お前が行方知れずになったのに、どうしてじっとしていられようか?」
「放っておいてくれたらよかったのです。そうしたら、わたしがこの目を失って、それでお仕舞だったのに」
アーヴァンナッハは立ち停まる。屈み込んで、花を一輪摘む。小さくて白い花だ。
メイノエの耳の上に、すっと挿した。メイノエは涙を拭う。
「泣くな、いもうとよ」
「……お薬をつくるわたしは、目玉を失ってはいけないんですって。もし、これをつかって失敗したら、誰も延命のお薬をつくれませんもの。効き目が弱くても、ありがたいのでしょうね」
アーヴァンナッハはいもうとを抱きしめる。いもうとは声を出さず、静かに泣いた。
「お薬はなくなってしまいました。わたしの髪をつかった、最後のお薬。もう猶予はありません」
「解っている。よく顔を見せてくれ、メイノエ。最後になるだろうから」
「おにいさま……」
メイノエの頬を両手ではさみ、アーヴァンナッハはいもうとの泣き顔を見詰めた。いもうとは笑おうとしているらしい。そのけなげな様子が、たまらなく憐れだった。
なんと不甲斐ない兄であることだろう。
アーヴァンナッハは思う。自分が生かされていたのは、この為だろうか、と。先王が亡くなった折、アーヴァンナッハもまた、死んでもおかしくなかったのだ。その前もその後も、何度も死線をくぐりぬけてきた。
それもすべて、この世の魔法をまもる為だというのなら、それでいい。
「メイノエ。安心しなさい。たとい目を失っても、わたしは成すべきを成す。お前とサートゥンとの縁談は、なしにする」
「おにいさま」
いもうとは抗議したそうだったが、アーヴァンナッハは頭を振った。
「思う相手の居る男へ、大切なお前をやれない。したくないなら、結婚はしなくてもいいのだ。だが……いい男を知っている。気にいったなら、とりもってやろう」
メイノエは無理に笑う。
「どなたですか?」
「お前の親友の弟だ。わたしの親友でもある」
家は小さかった。本当に鳥の巣箱のようだ。
ふたりは巨木をぐるりととりまくらせん階段を、のぼっていく。メイノエの手をひいて、アーヴァンナッハは足取りが軽い。ティノーヴァは怒っていたし、怒るだろうが、仕方のないことだ。フィルラム嬢のいうことは正しい。
魔法がなくなれば、この世界はおかしくなる。魔法力を持たぬ人間が生きられないのだって、そうだろう。
扉を開いたのはメイノエだ。「シャラエーグさん」
返事はない。
ふたりは、室内へあしを踏みいれる。そこはアーヴァンナッハが寝かされていた部屋に似ていた。ただ、それよりも大きなベッドがあって、それよりも沢山の飾りがさがっている。
ベッドの左右に、似たような見た目の妖精がひとりずつ立っていた。メイノエとアーヴァンナッハを見て、顔をかがやかせる。それは救いを見た顔だ。魔物に襲撃された村の人間が、軍を見た時にする顔に似ている。
ベッドの上にはわずかなふくらみがあった。花を編んだ毛布に包まって、痩せた銀髪の少年が、丸くなって寝ていた。
シャラエーグだ。
アーヴァンナッハはいう。
「シャラエーグ。約束を果たしに来た」
「シャラエーグさん、あなたの魂を、再生します」
シャラエーグは起きようとしない。体を動かす気力もないのだろう。
ゆらゆらと、水のなかに居るみたいに、視界が歪む。すぐに治まる。
「だめだよ、美しいメイノエ」
シャラエーグが喋った。体の右を下にして丸まった格好のまま、目も開けずに口だけ動かしている。声はかすかで、しかし響いた。男のような女のような、若々しい声だ。
「夢見る者は、強固な言葉で括られた。夢見る者は、シャラエーグのものではない。夢見る者は、ティノヴラセッツェンの為に来た。シャラエーグの為ではない。夢見る者は彼のものだ」
妖精達が泣き顔になる。アーヴァンナッハは、そのようなことをいったな、と、思い出す。
言葉を無視できないのは、妖精の性質なのだろう。アーヴァンナッハも、気持ちは解った。約束はまもる為にある。
ティノーヴァの為に来たといってしまったから、シャラエーグはアーヴァンナッハに手を出せない。そういうことだ。
妖精が片方飛び出していった。もう片方が、ふたりに丁寧に退出を促す。ふたりはそれに従い、外に出た。
アーヴァンナッハは階段に腰掛ける。メイノエもそうした。ふたりはぎゅっと、手を握りあい、肩をくっつける。
「この約束は、どれくらい昔からなのだ?」
「もうずっと、数え切れないくらい昔からだそうです。シャラエーグさんはわたし達をまもる。わたし達はシャラエーグさんを手助けする。そうやって、世のなかの魔法力を正常に循環させ、均衡を保つ。魔法力が消失するのを防ぐ。……フェアマティ家はそれを忘れてしまって、ラツガイッシュ王家はその役目をほかの人間に引き継ぐことなく、途絶えてしまったから……」
しようのないことだ、と、アーヴァンナッハは思う。ラツガイッシュの王家は、自分達が妖精に守護されているのをいいことに、好き放題をした。
塩の取引の例を見ても解るが、オークメイビッドに敬意など払う気はなかったのだろう。だから、シャラエーグの代がわりから、オークメイビッド王家を締め出した。その結果、フェアマティ家はシャラエーグをただのお伽話だと考えるようになり、驕り高ぶったラツガイッシュ王家は滅んで、シャラエーグは死にそうになっている。
きっと、最後に殉教したという王女も、知らなかったのだろう。ラツガイッシュは王制だった頃、女王をひとりも出していない。世のなかの魔法力を維持する為に、妖精を代がわりさせるなんて重大な仕事に、王女は関われなかったのではないか。
いや、知っていて、わざと誰にも伝えなかったのかもしれない。王家を滅ぼされた恨みから、こんな世界はどうなってもいいと、魔法がなくなり世界がおかしくなることを望んだのかもしれない。
メイノエは、アーヴァンナッハに凭れかかる。アーヴァンナッハは、空を見ている。巨大な木々のすきまに見える空を。
「上級課程に進んだら、なにを勉強したい?」
「……卒業して、オークメイビッドへ戻ります。おにいさまのお仕事を手伝います」
アーヴァンナッハは頷かない。
「だめだ。お前は、上級課程へ進む」
「おにいさまの代わりに魔物を、退治します」
メイノエは泣いている。「スフェアルちゃん達も、みんながこわがるから、ちゃんと退治します」
「メイノエ」
「わたし、ちゃんとしますから」
「しなくていい」
アーヴァンナッハはいもうとの手をきつく握る。
「解っている。お前達の日記は読んだ。お前達の隣の部屋だという生徒の話も聴いた。お前は、なにか、魔物を飼っているのだろう?」
魔物のなかには、人間の喋るような声を発する者も居る。それに、日記には、魔物を擁護するようなことが書いてあった。
メイノエは頷いた。か細い声でいう。
「スフェアルちゃん達です。それだけで……」
「そうか」アーヴァンナッハは頷く。「御者を起こしたのは、そのスフェアルか」
「御者さん……」
「気絶したのを、スフェアルが起こしたそうだ」
「……多分、そうだと思います。はぐれてしまって、ここは魔物を寄せ付けないように、魔法がかかっているから、スフェアルちゃん達は来られなくて。〈手紙の本〉は、妖精さん達の魔法力と反発をおこして、つかえなくなったみたいです」
そうかとアーヴァンナッハはもう一度頷く。しかし、スフェアルは声を発しない。
「では、フィルラム嬢の歌に喜んでいたというのは?」
「ゼルドさん達です。ここの妖精さん達とは違って、決まった縄張りを持ちません。お料理や刺繍の巧いひとの傍が、ゼルドさん達の縄張りなんです。そこなら安全で、姿形も安定します。それに、わたしは驚かないから好きだって……フィルラムちゃんともなかよしになって。調剤のお手伝いをしてもらったり、していました」
そういうことだったのか。
ゼルドにせよシャラエーグにせよ、本来とは違う話が伝わっているようだ。人間の前に簡単にあらわれるものではないようだから、仕方はあるまい。
「アーヴ」
ティノーヴァは息を切らしてやってきた。アーヴァンナッハはそれを見上げる。メイノエがささっと涙を拭った。
ティノーヴァの後ろには、フィルラムがいた。利発そうな目がアーヴァンナッハをとらえる。目礼された。
ティノーヴァは、アーヴァンナッハと、すぐ傍の家の扉とを、交互に見た。「あそこにシャラエーグが?」
「ティノーヴァ」フィルラムがぴしゃりといった。「ばかな真似はしないで」
「ばかはお前だ。さっきいっていただろう。魔法力による干渉しかうけないと。魔法をつかえない俺にできることがあるか?」
ティノーヴァが皮肉っぽく返し、その義姉は黙る。
ティノーヴァはふんと鼻を鳴らした。「そうだな。交渉くらいできる。アーヴァンナッハに手を出すなとか、な」
そういったものの、ティノーヴァは事態を理解しているようだった。そうではなくて、わたしの意見を尊重してくれているのだろうか、と、アーヴァンナッハは思う。そのような、優しさのある子だから。
ティノーヴァはフィルラムの制止もかまわず、家にはいっていった。フィルラムが追いかけ、アーヴァンナッハ達も続く。
ティノーヴァは出入り口近くで立ち尽くしていた。その視線は、ベッドに横たわった、弱々しい妖精をとらえている。
「あれが、シャラエーグか」
「僕がシャラエーグだ」
ひそめたティノーヴァの声に、シャラエーグが応じた。「ティノーヴァ。君は、歌うのか」
「あ? ……ああ、そうだな」
ティノーヴァが歌う?
メイノエがアーヴァンナッハの腕をひっぱる。低声でいう。
「代がわりには、歌が必要なんです。なくてもできるけれど、あったほうが安全で……フィルラムちゃんひとりだと、難しいのです」
「歌ってもいい」
ティノーヴァがいい、フィルラムが目を瞠った。
「ほんと? 本気なの、ティノーヴァ?」
「ああ。ただし、条件がある」
シャラエーグが歪んで見えた。魔法力が安定していないからだろうか。
「なんだい、友人よ」
「お前に友人と呼ばれる筋合いはない。俺は歌ってお前を助ける。だから、アーヴァンナッハの目ではなくて、俺の目をとれ」




