義姉と義弟
ティノーヴァはうずくまり、頭を抱えていた。目を閉じていても眩暈がする。泣いてもどうしようもないのに、涙が出てくる。腹のたつことに。
フィルラムも泣いているようだ。ティノーヴァはいらだちのまま、義姉を仰ぐ。義姉は目許を軽く拭う。
「どうして泣ける?」
「……」
「お前は片棒を担いだんだ。なにが妖精の、代がわりだ。そんなの知るもんか。死んじまえばいいんだ」
ティノーヴァは吐き捨てる。フィルラムは顔を背け、答えない。
ティノーヴァは俯いた。妖精というのはなんて忌々しいやつらなんだろう。死にそう? 代がわり? そんなの知るか。アーヴァンナッハの体を傷付ける理由にならない。
気配がする。背後にさす。ティノーヴァは階段の手すりを掴んで、そちらを見ない。「ごめんなさい、お客さま」
性別の判然としない、子どもっぽい声だ。ティノーヴァはそれを無視した。
昨夜、くらい森のなかに、灯を手にしていたメイノエのことを、ティノーヴァは一生涯忘れないだろう。メイノエはそばかすだらけの顔をまっさおにして、持っていた花かごをとりおとし、ふらふらとやってきたのだ。
すぐにメイノエだと解った。アーヴァンナッハをおにいさまと呼んでいたからだけではない。たしかに、そばかすだらけだし、目が大きすぎるが、メイノエは決して忘れられないような、美しい顔をしていた。アーヴァンナッハと比べたって見劣りしないじゃないか、と、緊張した情況にもかかわらずティノーヴァは、メイノエを悪くいっていた生徒達に嫌悪がわいた。
メイノエは泣いていた。義兄が助けに来てくれた、その安堵で泣いているのだと思った。
だが、メイノエの表情は、嬉しそうではなかった。アーヴァンナッハは気を失っているし、ティノーヴァはどうしたらよいか解らなかった。
そこへ、あいつらがやってきた。忌々しい、妖精どもが。
妖精達は、おそらく四人程居た。提灯を持つのがふたり、そうでないのがふたり。人間に似た姿形をしている。
全員、十二・三歳から、年齢が高くても精々十八・九歳くらいにしか見えない。また全員ほっそりとした体型で、だぶついたチュニックの腰のところにベルトを巻き、七分丈のズボンに裸足だ。顔は整って、しかも似通っているので、男女の別は解らない。
なのに、妖精だというのは解った。どうして解ったのかは解らない。だが、そいつらを見たその瞬間、ティノーヴァはそいつらが妖精だと解った。どうしても解る。魔物を見ればそうと解るように。
そいつらは嬉しそうだった。嬉しそうに、ティノーヴァが肩をかしていたアーヴァンナッハを、奪い去った。数人がかりで担ぎ上げ、運んでいったのだ。
ティノーヴァは応戦しようとしたが、うかれた妖精達はティノーヴァが掴みかかっても、踊りに誘われたと思ったのか、ティノーヴァに抱き付いてくるくるとまわる。なかにはティノーヴァに口付け、あなたの妻になってもいいと喚く者もあった。してみると、あの妖精は女だったのだろう。
妖精達はアーヴァンナッハをつれさった。妖精に文字通り振りまわされて困惑し、友人を連れ去られて憤っているティノーヴァと、すすり泣くメイノエが、その場に残された。
フィルラムが階段を降りていく。「どこへ行く?」
「怪我人の様子を見てくる」
「怪我人?」
「治癒魔法の効きがとても悪いの。意味、解る? この近辺の魔法力が安定してないってこと」
フィルラムはいらだたしげに答える。そうではない。ティノーヴァが訊きたいのは、何故妖精の集落に怪我人が居るのか、ということだ。昨夜切りかかっても、妖精は平然としていた。
ティノーヴァは怒りにまかせ、霧のなか、剣をぬいて妖精達を追った。メイノエが悲鳴をあげたから、少しだけ胸が痛んだ。だが、アーヴァンナッハをとりもどし、逃げねばならない。
妖精達の数は増えていた。ティノーヴァは手近な妖精に切りかかった。妖精はティノーヴァの気合いの声に振り返り、きょとんとしたが、剣を避けはしない。
剣はたしかに、そいつの体にあたった。そう思ったのに、すりぬけた。ティノーヴァが切り損なった妖精は、にっこりして、ティノーヴァに抱き付いてきた。そいつがなにかいうと、ほかの妖精も集まってきて、ティノーヴァの剣を奪い、三人がかりでティノーヴァを引き摺っていった。
ティノーヴァが抵抗する間もなく、ここへ辿りついたのだ。この、妖精の集落へ。
ティノーヴァは立ち上がり、眩暈に顔をしかめてから義姉を追う。一年ぶりに見る義姉は、小さかった。ティノーヴァの身長が伸びたのだ。いつもだったら、ちびのフィルラムとからかってやるところなのに、ティノーヴァはそんな気力がない。「あいつらは切れなかった」
「あんたってわたしと同じでばかね、ティノーヴァ」
フィルラムは一瞬振り向いた。手すりに添えた手も、小さく思える。「妖精は自分の縄張りに居る限り、魔法力以外での干渉を一切うけないの」
「はあ?」
「魔法をつかえないあんたはここに居る妖精の髪の毛一本損なえないってこと」
なんて忌々しい。
「あのう」
ティノーヴァはびくっとしたが、後ろから追ってくるやつには返事をしなかった。そいつは妖精だ。昨夜、アーヴァンナッハをさらっていったひとりだと思う。顔と声が似通っていて、ひとりだと区別がつかない。数人居れば、違いが解るのだが。
そいつは隣に並び、無遠慮にもティノーヴァの腰に腕をまわした。「お客さま、僕に掴まってください。ふらふらしてる」
「煩い、触るな」
睨みつける。妖精は困った様子だったが、ティノーヴァから離れない。さらさらできらきら光る、銀色の短い髪で、肌は浅黒い。格好は昨夜と同じで、片足に花環をつけていた。
触られた感じからすると、男だ。この手の妖精は、男でもうっとうしいくらいに髪を伸ばしていると思っていたが、違うらしい。
「お客さま、僕が世話係ですから、お世話させてください」
「煩いといってるだろ」
妖精は口を噤み、ティノーヴァの腕を自分の肩にまわした。ティノーヴァは逃れようとするが、華奢なくせに妖精の力は強い。実際のところ、眩暈でふらついていたティノーヴァは、仕方なしそいつの肩をかりた。
階段が終わった。アーヴァンナッハも、メイノエも居ない。停めにいきたいが、ティノーヴァの制止を振り切ってアーヴァンナッハは行った。だからもう駄目だ、とティノーヴァは思う。あいつは頑固だから。
「お客さま」
「ごはん食べる?」
「おなかすいてるでしょう」
「それともお風呂?」
「お菓子あるよ」
ティノーヴァに肩をかす妖精より、少し歳下に見えるやつらが、わっと寄ってきた。ティノーヴァにまとわりついてくる。
ティノーヴァは昨夜からこちら、不機嫌で、近寄ってくる妖精すべてを邪険に扱い、罵り、殴ったり蹴ったりしようとしたのだが、妖精達はティノーヴァに対してこの調子だ。放っておけば群がって、抵抗しなければ顔中に口付けされる。「いらない、どっか行け」
「お客さま」
「ありがとう」
妖精達は素直に離れたが、その前にティノーヴァの頬に口付けしていくのだけは忘れなかった。ふたりくらい、唇へ唇を重ねてきたが、ここへやってきてから何度されたか解らないので、ティノーヴァはもう動揺しなかった。
自称、世話係の妖精が、ぐいと胸を反らす。「世話係は僕だから」
フィルラムはそういった狂騒を無視し、歩いていっていた。ティノーヴァは眩暈にふらつきながらもそれを追う。体が軽く感じるのは、妖精に肩をかりているからだろうか。
フィルラムは、木からさがったつたのカーテンをめくり、その奥へはいる。ティノーヴァも続いた。
木のうろなのだが、下へと続く階段がある。壁や階段はかすかに光っていた。おりると、隧道らしいところに出る。壁と天井の接するところから、黄緑の光がにじみ出ていた。「ここは、集落の別の場所へつながっているんです」
訊きもせぬのに、世話係が説明する。
「先程までお客さまが居たのが、集落のなかでも一番古くて、大切なかたしか通せない場所なんですよ」
フィルラムはふたつの階段をやり過ごし、みっつ目をのぼる。
木のうろとつたのカーテンがあり、外に出た。
先程までと似ている空間に出た。草がはびこった地面に、花にふちどられた泉がぽつんとある。
だが、家屋は木の上にはなく、地面の上に立っていた。おそらく、周囲の木が、家をとりつけられる程丈夫そうでないからだろう。まだまだ若そうな、グリュシュタックだ。
「ここは、たまたま迷い込んだかたや、我らに助けを求めたかた達に、暫く休んでもらう場所です」
「あなた達を信仰しているひと達もね」
「はい、フィルラムさん」
信仰?
フィルラムは、人間の建築物とどこか違う、なんだか違和感のある家の扉を、平気で押し開けた。家は木造で、つたが這い、そのつたに花が咲いている。
家のなかには、ベッドがずらりと並んでいた。それぞれに、人間が横たわっている。人間だと解った。妖精を見て妖精だと解るように。
そいつらは、体のあちこちに、包帯を巻いているようだった。
ティノーヴァが動揺したからか、フィルラムは頷く。「〈手紙の本〉を見たのね。そうよ。このひと達は、わたし達を襲った、おいはぎ。それと、その村のひと達。まったく関わりのないひと達も居る」
「は? フィルラム、お前、気でも違ったのか? どうして自分達を襲ったやつらを」
「カイザナーグとティアッハメイブが戦を始めたことは知ってる?」
ティノーヴァは黙る。かたまる。
室内に居た妖精のひとりが、椅子を持ってきた。世話係はそれへ、ティノーヴァを座らせる。フィルラムは、窓辺に置いてあった鞄をとり、なかから小さな紙包みをとりだした。妖精達がそれをうけとり、中身を怪我人に服ませにかかる。黒っぽい粉末だった。
ティノーヴァはいう。
「戦なんて知らない」
「そうでしょうね。ラツガイッシュの議会は、このことを国民に報せないと決定したみたいだから。そもそも、ティアッハメイブとカイザナーグも、夜盗の討伐だとか山賊のすみかを攻撃するだとか、いろんな理由をつけて戦じゃないふりをしてるの。あっちの国民も知らないと思う」
フィルラムは息を整え、ひとつのベッドへ近付く。ベッドに腰掛けて、患者に手をかざし、治癒魔法をつかう。
「ここは国境に近いし、もともと妖精達の地よ。このひと達は、他国人だけど、ここの妖精を信じてる。だから、何日か前、妖精達が助けた。わたし達は、手伝ってほしいと頼まれたから、手伝ってる。魔法力が弱まるってどういうことが解った? こんなふうに、怪我が簡単に治らないってことなの」
「ば」しゃっくりが出る。「ばかか! お前、自分がなにをしてるか解ってるのか? いや、なにをさせてるかだ」
ティノーヴァは喚く。フィルラムが振り向く。
「オークメイビッドは戦に関わらないって国だぞ! その王女を、他国の戦で怪我をした人間の治療に参加させたのか?! どんな問題になると思ってる!」
メイノエは、当人がどう考えようと、王女なのだ。行動には責任と結果が伴う。ラツガイッシュでみなしごを慈しみ、老人を治癒するのとは、訳が違う。
他国同士の戦で傷付いた人間を治癒したのだ。下手をしたら、それによって戦闘行為に加担したとみなされる。魔物戦にだって、治癒班が居て、たとい治癒だけしていたとしても戦闘に参加したことになる。
戦で怪我した人間を治療させる? 露見すれば、メイノエがティアッハメイブもしくはカイザナーグに味方したととられる。オークメイビッドの法典に明記された法律を、王女自身が破ったことになる。
そうなれば、オークメイビッド王家は、メイノエを処断せざるを得ない。メイノエはどうなるというのだ。
恐怖と怒りで絶句する義弟に、しかしフィルラムは笑みかけた。「あんたも、そんなことまで頭がまわるようになったんだ。もう子どもじゃないんだね」
「はあ?」
「大丈夫。ここには、ティアッハメイブ人も、カイザナーグ人も居る。妖精の縄張りと、人間の国境は、関わりないもの。妖精が元気な頃に影響下にあった村は、三国にあるのよ」
内容が頭に浸透するまで、少しかかった。
つまり……メイノエは、手当たり次第に人助けをした、と、そういうことになる。それならば、問題は小さそうだ。
「それに、公式には戦じゃない」
「あ……ああ。それも、そうか」
「戦じゃないふりをしたって戦なのに」
フィルラムがいい、ティノーヴァは頷く。
フィルラムは怪我人達に治癒魔法をかけていった。この義姉は相変わらず治癒魔法が苦手なようだし、それに魔法力が弱まっているというのは本当なのか、効きは悪い。
妖精達はかいがいしく働いていた。包帯をかえたり、粥を運んできて怪我人に食べさせたり、肩をかして用足しへつれていったりしている。ティノーヴァも、なにか手伝おうとしたが、フィルラムに停められた。
「あんたは大人しくしてて」
「どうしてだよ」
「妖精達が、あんたがメイノエのお兄さんをつれてきてくれたって、喜んでるでしょ」
ティノーヴァは黙る。そう思われているのは、不本意だ。
「それで、あの子達が喜びすぎたものだから、その魔法力であんたの魔法力が撹乱されてるの。口付けのおかげで多少よくなってるけど、あんたがいやがるから」
あの口付けにはそういう意味があったのか。ならそう説明してくれとティノーヴァは思った。
世話係は、ティノーヴァがどれだけ邪険に扱おうと、暴言を吐こうと、笑顔だった。「お前達の王さまがどうなろうと知らない」
「王ではありません。長です」
「似たようなもんだろう。とっとと死んじまえと伝えてくれ」
世話係はうふふと笑って、ティノーヴァに頬摺りした。まったく不本意なのだが、身体的な接触が続く程、眩暈と気持ちの悪さが軽くなっていく。
フィルラムは怪我人の処置を終え、ティノーヴァに近付いてきた。「これでも食べな」
「……ああ」
さしだされたのは、掌いっぱいの、干したグリュシュタックだ。ティノーヴァはうけとろうとしたが、世話係が横からひったくった。「はい、お客さま」
口許に突き出される。ティノーヴァは仕方なく、それを食べた。甘酸っぱい。
暫くぶりの食糧に、腹がぐるぐると鳴った。フィルラムは苦笑する。
「なんか、用意するよ」
「……いい」
「あんたは歌える状態になってもらわないと困るの」
「妖精を助けるのか? 子どもをさらう妖精を?」
「ごめんなさい」
何故だか世話係が謝った。哀しげに顔を曇らせている。そういう顔をされると、ティノーヴァは弱い。もっと酷いことをいおうとしていたのに、にかわでくっつけたみたいに口を開くことができなくなる。
世話係は項垂れる。
「でも、助けようとしたんです。あの子達は、魔法力を持たずに生まれてしまって……メイノエさんが居れば、どうにかなったかもしれないけれど、三百年前もその三百年前も、メイノエさんは居なかったから」
「なんだよ、どういう意味だ?」
「魔法力を持たずに生まれる子が出てしまうの」
フィルラムが低く、いう。「はやめに代がわりをしないとね。魔法力を持たない子は、人間では世話できない。だから妖精達がさらって、ここで育ててたの。妖精になれば生きられるから。何人かは、巧くいって、妖精になれたけど……あの隧道から、お墓参りもできるよ。行ってみる?」
フィルラムの声には苦いものが含まれていた。
「ティノーヴァさん」
泣くような声がして、妖精が飛び込んできた。涙ぐみ、鼻がまっかになった妖精だ。「長を助けてください」
「どうしたの、スィール」
「フィルラムさん。長が、夢見る者は、ティノーヴァさんのものだから、なにももらえないって」
「どういうこと?」
「夢見る者は、ティノーヴァさんの為にここへ来たから」
俺の為に?
ああ。そんな軽口をいった。
スィールと呼ばれた妖精は、涙をこぼした。
「折角夢見る者と乙女が揃ったのに、これじゃあ僕達の長が無用に死んでしまう。シャラエーグが死んだら魔法はなくなってしまうのに」




