ふた組
ティノーヴァが喚いている。
アーヴァンナッハは目を覚ました。悪夢はみていない。少なくとも、たいしたものは。
清潔なベッドの上だった。長方形ではなく、長い円形だ。花のぬいとりをしたクッションが、沢山置いてある。毛布も、花模様を丁寧に編んだものだった。
部屋の壁は木でできているし、床や天井もそのようだ。とんぼや蝶、はち、せみなどの、空を舞う虫をかたどった飾りが、天井からさがっていた。なにでできているのだろう。金属と、がらすだろうか。
部屋の外から、ティノーヴァの喚く声がする。「ふざけるな。そんな妖精は殺してしまえばいいだろ!」
聴いたことのない、澄んだ声が、それに応じた。
「それはできないの、ティノーヴァ。そんなことをしたら魔法が失われてしまう」
「俺はもとから魔法なんてつかえない! お前達も魔法なんてなくたってなんとかなる!」
「違うのよ。魔法力はどんなひとのなかにでもあるの。それを持たない人間が生まれたら、治癒魔法は効かないし、長くは生きられない」
アーヴァンナッハは、ベッドをおりた。くつはない。床はあたたかく、乾燥している。ゆっくりと、歩く。
ティノーヴァは足を踏みならしたようだ。どんどんと、床に音が響く。
「だったら死ねばいいさ。それに死なないかもしれない。魔法なんてなくたって俺は生きてる。起こるかどうかも解らない事態の為にアーヴを傷付けるなんてゆるさない。この俺が絶対にゆるすものか」
「お願い、ティノーヴァ、落ち着いて。短気を起こさないでよ。なにもかもがめちゃくちゃになってしまうの。魔法力を持つのは人間だけじゃないの。世のなかがおかしくなってしまうのよ。あなたにだって」
「知るもんか! 勝手に困ってればいいんだ」
「じゃあ仕方ないわね!」
澄んだ声が、突き刺すような調子に転じる。「いいわ、わたしだけでなんとかする。あなたの手は借りない」
「正確には俺の咽だ、舌だ、口だ! お前ひとりであれは歌えない!」
アーヴァンナッハは扉の把手を掴む。木製だった。なにもかもが。
把手をまわす。声がやんだ。アーヴァンナッハは扉をひく。
扉の向こうは外だった。露台のような場所だ。
外にはティノーヴァが、まるで扉をまもるみたいに、立ちはだかっていた。肩越しにこちらを見て、ティノーヴァは目を瞠っている。「アーヴ、もういいのか? 気分は?」
アーヴァンナッハは頷く。それから、ティノーヴァの向こうに居る、黒髪の少女を見た。
アーヴァンナッハの三分の二くらいの身長だ。体重は半分ないだろう。首が細い。顔は丸く、鼻が少しだけ上を向いていた。まるい目だなとアーヴァンナッハは思う。大きな頭に、帽子をかぶっていた。魔法学校の帽子だ。それに、飾り襟とマント。マントは深い草色だ。似た色合いの、細身のドレスを着ている。
黒髪、小柄、細身。フィルラムだ。
フィルラムは二歩さがり、深々と頭を下げた。ティノーヴァがその肩を掴み、無理に上体を起こさせる。「やめろ」
「でも、メイノエのお兄さんなんだから」
「お前はその、親友の兄に、ろくでもない提案をするつもりなんだろう!」
「ティノーヴァ」
アーヴァンナッハはティノーヴァの腕を掴んだ。引き寄せる。ティノーヴァはこちらを向く。
目があった。ティノーヴァの目は、見る間に潤む。
「なあ、なあアーヴだめだ、しちゃいけない。お前がしなくてもいい。これはラツガイッシュの問題なんだ、ばかなことをしたラツガイッシュが払うべき代償なんだよ」
「いや。解るんだ。時間がないのも、今となってはわたしがやるほかないことも」
「アーヴァンナッハ」
「ありがとう、ティノーヴァ。君のような友人が居て、心が救われる」
アーヴァンナッハは微笑んで、ティノーヴァを軽く抱きしめた後、手をはなした。
階段があるのは見えていた。アーヴァンナッハは、木でできたそれを降りていく。下生えの茂った地面が見えた。円形の、広場のようなところだ。
地面はやわらかい。草の根で、頼りない踏み心地だ。四辺には、アーヴァンナッハが横になっていた部屋のようなものが、あちこちに見える。まるで鳥の巣箱だ。木に階段がつくられ、その上に部屋がのっている。
広場の端のほうに、泉があった。そのほとりには、小さな花が沢山咲いている。水はきらきらと光っていた。
こちらに背を向けた人影がある。
「メイノエ」
振り向いたメイノエは亡霊のようだ。顎の小さな輪郭、そばかすだらけの顔、大きな紺碧の瞳、ちらりと覗く白い歯。
ドレスと飾り襟、前掛け、マント、それに人参色の髪。
髪は短い。無様な程だ。
アーヴァンナッハはゆっくり歩いていって、いもうとを抱き寄せた。いもうとはアーヴァンナッハの胸に顔を埋め、すすり泣く。
「ごめんなさい、おにいさま、ごめんなさい」
「お前が謝ることではない」
「いいえ、わたしの力不足です。わたしの髪では、効果がうすくて、でもわたし、なんとか代用品をさがそうと……でも……」
アーヴァンナッハはいもうとの頭を撫でる。「お前の髪を損ねて、勿体ないことだったな」
「ごめんなさい」
いもうとは三年で、背が伸びたようだ。だが、体重は乏しい。手首があまりにも細い。ふた月、死に瀕した妖精を看病して、神経を尖らせていたのだろう。
アーヴァンナッハには解っていた。兄弟国である以上、オークメイビッドはあがなわなければならない。
魔法力の妖精を死なせてはいけない。ラツガイッシュの王家は死に絶えた。今、ラツガイッシュに居て、この事態をどうにかできるのは、わたしとメイノエだけだ。
なら、わたしがやる。




