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 酒造りの得意な女が狙われる。それだけで、アーヴァンナッハが森へ向かう理由としては、充分だ。


 ティノーヴァは反対しなかったが、せめて集落の人間に、森のことを聴いてから、そして夜が明ける頃に出発しよう、といった。アーヴァンナッハは頷いた。それが賢明だと思った。それでも、この辺りに来てからある漠然とした不安は、大きくなっていた。なにかが足りないし、なにかに間に合わないようだ。

 ふたりは、天幕のなかに置きっ放しだった荷物をひろい、集落の代表代理をしている女性の家へ行った。女性は律儀に、物置部屋をひっくり返して、天幕をさがしている。

「昔は森へ、泊まりがけでグリュシュタックを採りに行っていたから」女性はいいながら、やけに大きなぼろぼろのくつをわきへ避ける。「ある筈なの。朝までには見付けますから」

「いや、いいよ。荷物や毛布は無事だったし、なんとかする」

「でも」

「それより、森のことを聴かせてくれ。それとシオルアのことを」


 ティノーヴァの言葉に、床に膝をついてがらくたを掻き分けていた女性は、ふたりを仰ぐ。目に恐怖がきらっとひらめいた。

「誰に聴いたの」

「誰でもいい」

「あれは迷信よ。口外しないで」

 叩きつけるようないいかただ。女性は作業に戻り、ふたりは顔を見合わせる。ティノーヴァがいう。「ここの評判を気にしてるのか」

「おっしゃる通りよ」刺々しい声が返ってきた。「妙な妖精が出るところでつくった酒なんて、売れなくなってしまう。可愛いルルッファや、素敵なお話が残っているシャラエーグとは違うの」

 成程、頷ける話ではある。子どもをさらったり傷付けようとする、物騒な妖精だ。それがうろついている集落の酒、となると、嫌悪する者もあるだろうし、評判が悪そうではある。

 だがアーヴァンナッハは、是が非でも妖精の話をききだすつもりだった。義妹(いもうと)の命がかかっているのだ。

「ご婦人」

「妖精の話ならしないわ」

「わたしの義妹(いもうと)は、グルバーツェで評判になるほど、酒造りが得手だ」

 女性は勢いよく振り向いた。今度は、その顔に、恐怖は長く居座った。


 女性の話は、厩の男性の話とあまりかわらなかった。ただ、シオルアは月がふとる程、姿をあらわすそうだ。それから、酒造りの巧い女であれば、情況は解らないが生かされているだろう、ともいっていた。長く傍に置かないと目的を達成できないからと。

 天幕は見付からなかった。女性は、酒造りの記録をとる為に、安くない金をかけて入手しているという羊皮紙に、集落を囲む幾つかの森の、簡単な地図を描いてくれた。礼として金を渡そうとしたが、拒まれた。

「これはお詫びでもあるから」

「わび?」

「酒造りの巧い女はこの集落に近寄るなと、妖精の話はしないまでも、いっておくべきだった。捜索隊も酒造りが巧い女だっていわなかったから、森のことなんて……こんなことになるなんて思わなかったのよ。本当にごめんなさい……」

 女性は泣いているようだった。顔を背けているので、アーヴァンナッハには解らない。

 女性はふたりを見ない。「その地図は、完璧ではないわ。アルダムのおばあさまなら、もっとくわしく描けたでしょうけれど、わたしはまだまだ、森のことを知らないの。案内してあげたいけれど」

「いや、いい。君も酒造りに関わっているのだろう。君がシオルアにとらわれたら、この集落は立ちゆかない」

 女性は暫く動かなかったが、十秒くらいして、こっくり頷いた。

「本当にごめんなさい。妹さんの無事を祈っているわ。彼女に伝えて頂戴。わたし達から、こんなことにまきこんでごめんなさいと」


 ふたりは厩の男性から馬をひきとった。男性は、ふたりが森へ向かうと解っているようで、しきりと停めた。だが、ふたりは馬の面倒をみてくれた礼をいって、集落を出た。

 坂道を下っていると、槍を持った子どもがひとり、追いかけてきた。

「客人」

 昨日、ここへ来た時に、ティノーヴァが喋った相手だ。ふたりは馬の速度をゆるめる。男の子は、馬の横に、小走りにつけてくる。

「なんだ」

「リュスが。昨夜、あなた達の天幕にはいりこんだやつが、詫びていました。渡せるものがなくて申し訳ないって」

「気にするな」アーヴァンナッハはちらっと振り返る。「昨日、君と一緒に歩哨に立っていた子だろうか?」

「はい。金髪の」

「子どもは好奇心旺盛なもの。天幕を張って、放っておいたこちらにも、非はある」

 男の子はさっと頭を下げる。「また、来てください。リュスの母親が天幕を繕っています」

「機があれば。では、失礼する」

「風呂をどうもと伝えてくれ。それに酒のいい匂いを嗅いだんで、鼻もだいぶましになった」

 ティノーヴァの言葉に男の子はにっこりした。

 ふたりは速度を上げる。


 森は、集落の三方向にある。ふたりはまず、一番西にある森へはいった。義妹(いもうと)達は、ここから西方向にあるグルバーツェから、東南にあるエイフダーマ村へ向かっていたのだ。集落のかなり手前でおいはぎに襲撃されたようだから、そこから東へ向けて走ったと仮定すれば、西側の森が一番怪しい。

 だが、西の森にはいったふたりは、早々にここではないと判断した。

「この木にはのぼれまい」

「同感だ」

 アーヴァンナッハは馬から降りず、グリュシュタックへ触れる。グリュシュタックは別の木や、支えにまきついて成長する、つる性の木だ。年をふれば、木材としても使用できる、しっかりしたものになるらしいが、ここのグリュシュタックは若い。

 しかも、支えにしている木はローサルマだ。この木は、人間がのぼろうとすると枝がぱっきり折れるので、有名である。ローサルマにのぼった子どもが、枝を過信して裏切られ、落ちた拍子に怪我をする、もしくは亡くなる、という痛ましい事故が、故郷(くに)では年に十数件起こってしまっている。

 ふたりは一応、森の奥へとあしを踏みいれたが、日記に出てきた川も見当たらない。のぼれるような木も結局なかったので、その森を出た。


 次は、一番東の森へ行った。そこへ至る足場が一番楽だったからだ。義妹(いもうと)達は、おいはぎに追われ、恐慌状態で逃げまわっていたのである。フィルラムは腕に怪我をして、出血も多かったそうだ。なら、走りやすいほうへと逃げるのではないか。

 アーバンナッハは焦燥感を覚えていた。時間が乏しすぎる。あまりにも。

 そちらには、のぼれそうな木はあった。森のなかは段差が多く、人工らしい横穴も見付けた。ひとがつかった痕跡は見当たらないが、義妹(いもうと)達は逃げまわっていて、痕跡は残さないように気を配っていたのだ。だから、なにもないことが逆に、義妹(いもうと)達が訪れた可能性になる。

「ここなら、小柄な女ふたり、充分横になれる」

義妹(いもうと)は寝ていなかったようだし、入り口になにか仕掛けるとしても、これだけ木の根がさがっていれば充分だな」

 ふたりは横穴を検分して、頷き合った。入り口付近に木の根がさがっていて、「紐を結びつける」ことができそうなのだ。


 暫くうろうろすると、川も発見した。ふたりは手と顔を洗い、馬に水を飲ませる。道がでこぼこしているので、暫く前から下馬していた。

「この子らは、置いてくるべきだったかもしれぬ」

「いいや。義姉(ねえ)さん達を見付けたら、こいつにのせて逃げるんだ」

 ティノーヴァは唸るようにいう。「歩ける状態とは限らないだろう」

 アーヴァンナッハはぞっとした。それでも、それは事実なので、頷くほかない。

 革袋に水を汲んで、ふたりは馬をひいて歩く。

 段差をのぼる。グリュシュタックの木はあちこちにある。時期ならば、枝もたわわに実っていただろう。もともとたわんだような枝ではあるが、とアーヴァンナッハは思って、鼻で笑った。恐怖も度を超すと、おかしみにかわるらしい。

 ティノーヴァがこちらを見る。

「どうした?」

「いや。わたしは、義妹(いもうと)を心配しているみたいだ」

「今頃気付いたのか」

 笑われた。アーヴァンナッハはしかし、悪い気分ではなかった。義妹(いもうと)を失うことは絶対に避けたい事態であると、口に出せたのは、なんだか気分がいい。

 もっとはやくに、あの子を大切に思っていると、認めるべきだった。


「なあ、アーヴ」

「ああ」

 ふたりは座りこんでいる。先程汲んだ水を飲み、干したくだものとヴァイデの実で、遅い朝食にしていた。いてもたってもいられないくらいに義妹(いもうと)が心配でも、腹は減る。ティノーヴァもそうらしい。

「俺は、ダエメクの世話がいやでたまらなかったんだ」

「そうか。みずからに課せられた責務から逃げたくなる気持ちは、解らぬでもない」

「いいや、解らないよ。あんたとは責任の重さが違う。俺のはただ単なる、不満だぜ。だって、俺がダエメクの世話を拒んだって、ディンプのクーノや、ウィーマルラのヴィゼッラが居る。ちびどももすぐに世話を手伝うようになる。それに、クーノなんて、ダエメクの世話をいやがるどころか、よなかにダエメクの妖精どもと遊び呆けてる。ダエメクの妖精と踊り明かして、だからダエメクの株分けに失敗したことがないんだあいつは」

 ティノーヴァは唸る。アーヴァンナッハはダエメクの妖精というものを想像しようと試みて、失敗した。ロダブレール大陸には、至るところに妖精が居るようだ。

 リオディシート大陸にも妖精は居るが、簡単に姿をあらわすものではない。それに、ダエメクの妖精だとか、沼の妖精だとかではなく、学識や栄誉、高潔の妖精だ。彼らは誇り高いから、めったに人間に姿を見せない。

 ティノーヴァは干しヴァイデを口にいれ、嚙みしめた。

「フィルラムもそれで、魔法学校へ逃げたんだと思ってたよ。でもあいつ、魔法や錬金術が楽しかったんだな。あんなに頻繁に、〈口伝て鳥〉でまくしたててくるのに、俺も父さん達も解ってなかった」

「そういう行き違いはあるものだ」

「そうか? あんたはいいやつだな、アーヴァンナッハ。……でも、なんとなく思うよ。きっと、父さんも、ダエメクの世話にうんざりしてるんだろうって。だから、フィルラムの行動が、逃避に見えてるんだ」ティノーヴァは(かぶり)を振る。「俺は、村に帰ったら、父さんを説得するよ。フィルラムとクーノを結婚させようなんてばかな考えは捨てろって。大体、クーノにはダエメクの妖精が居るんだからな」


 ふたりは歩く。馬を引いて歩く。アーヴァンナッハは気分が悪くなってくる。焦燥感が酷くなる。時間がない。時間が足りない。

 うろのある、大木を見付けた。義妹(いもうと)達はここへ隠れたのだろうか。

 ティノーヴァがなかへはいって、人参色の長い髪を一本見付けた。


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