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集落の夜


 リュスは夕食中、気もそぞろだった。集落にあのトロエラ家の人間と、オークメイビッド人が訪れたからだ。

「リュス」父親が苦々しげにいう。「テーブルに肘をつくのじゃない」

「はい、お父さん」

 反射的に答え、姿勢をただしたが、リュスの頭からはめずらしい客人のことが離れない。家族が酒の具合について話しているが、耳にははいらなかった。


 オークメイビッド人は、やけに整った顔をしていたな、と、リュスは考えている。

 リュスは今日、魔物があらわれないか、悪党どもが来ないかと、歩哨に立っていたのだが、そこにあの客人達がやってきたのだ。

 トロエラ家の若い男は、ティノーヴァとなのっていた。さっぱり整えた灰色の髪に、利発そうなきらきらした目で、馬にのる姿はりりしかった。ノーシュベルでは馬を飼わないそうだから、グルバーツェのような大都市に学びに行かせているのだろう。リュスは大きな街や、そこで学んだり働いたりするということに対して、漠然としたあこがれがあった。

 オークメイビッド人は、なんという名前だったか。耳馴染みのない名前で、覚えていない。アーヴィだったろうか。

 金色の髪は、本当の金みたいにきらきらしていた。アルダムのおばあさまが、できあがった酒を初めてみんなで吞む時、いつだって金の指環をしてくる。あの色だ。太陽のまわりの眩しい光の色。

 顔は、リュスが今まで見たどの人間よりも、整っていた。オークメイビッドが神を信じているのも解る。神さまがあんなふうに、綺麗な人間をつくった、といわれたら、リュスだってそうだろうと思う。オークメイビッド人はみんな、美しいのかな。


 あんまりにも美しかったから、集落の女がわきたつだろうとリュスは考えていた。だが、実際、騒いだ女はなかった。あんまり美しいと、女は興味を失うらしい。リュスはひとつ学んだ。


 ふたりは、行方知れずになった姉妹を捜している、と話していた。どちらも義理の姉妹だそうだ。オークメイビッド人は、義理の妹を捜しに、海を越えてきたのだ。その妹は、結婚を控え、魔法学校を出たらオークメイビッドへ戻って結婚する筈だった。それが、おいはぎに襲われてから行方知れずだという。そんな可哀相なことがあったのか、と、リュスは動揺した。


 ふたりとも、今夜は集落に泊まるらしい。広場に天幕が張ってあった。ティノーヴァが洟をすすっていたから、ルセルのとこで風呂にいれてやるそうだ。そのまま夕食にも招くだろう。旨い酒を客人に振る舞うのは、集落の習慣だ。

 誰かを誘って、ルセルのとこへおしかけてみようか。


 リュスは槍を研いでから、もう眠るといって、寝室へひっこんだ。ウル語の書きとり練習をしていた弟のウーフが、ぱっとまといついてきた。弟は昨日、喧嘩で相手に怪我をさせたので、罰として今日は部屋にとじこめられている。「兄ちゃん、客人と話した? どんなだったの」

「静かにしてろ、ウーフ。兄ちゃんこれからでかけるから」

 弟の頭をぐりぐりと撫でる。「お父さん達にはいうなよ」

「ウーもついてく」

「だめ」

「ついてく」

 弟は口を尖らせ、リュスのずぼんを両手でひっ掴んではなさない。リュスが何度だめだといっても、弟は黙ってずぼんを掴んでいる。

「解ったよ」

 リュスは結局、折れた。「でも、騒ぐなよ」

 ウーフは満足そうに、にっこり笑った。


 リュスとウーフの部屋は二階にあるが、窓がついていて、すぐ傍にあるヴァイデの木を伝えば外に出られる。

 リュスはまず、弟を枝に掴まらせた。そのまま、木の股まで行けというと、弟は危なっかしい手付きで枝を辿り、そこまで行ってちょこんと座った。リュスは枝を掴んで、窓を蹴って閉め、弟の傍まで行った。そこまで行くと、幹に掴まれるので、弟を背負ってリュスは木の幹を伝い、地面に足をつけた。

 弟を下へおろす。この一年くらいで、弟の体は急激に大きくなった。「ウーフ、静かにな」

 念押しすると、弟はにっこりして頷いた。


 リュスはウーフの手をひいて、月明かりに照らされた広場を横切る。広場には天幕が、圧搾機から少し離れたところに張ってあった。客人達は控えめで、天幕を張る場所と、井戸だけかしてほしいといっていた。


 客人達は今頃、この集落流のもてなしをうけているだろう。後で露見してもいいから、そこにまざって、大きな街の話を聴きたい。グルバーツェはどんなところなのだろう。魔法のかかった道具や、錬金術の薬があふれているというのは、本当だろうか。外壁にも魔法がかかっていると聴いた。

 リュスはうきうきと弾むあしどりで、ルセルの家へ向かう。ウーフはあれだけ、ついてくるとごねたくせに、いざ外に出たらこわいのか、リュスの手をぎゅっと掴んでちょこまかついてくる。


 集落はひろくないから、ルセルの家はすぐだ。リュスは正面からのりこむつもりだった。

 ところが、ルセルの家に近付くと、なにやら慌ただしい様子だ。リュスはウーフの手をひっぱり、静かにな、といってから、ルセルの家の玄関前にそっと立った。


 集落の家の扉には、錠はついていないのがほとんどだ。歩哨は夜でも立っているし、家はやわだから魔物の攻撃には耐えられない。そして、この人数では、幼い子どもを除いて、全員で魔物や悪党に立ち向かうしかない。

 酒を保存する蔵にだけは、立派な錠前がぶらさがっている。ウーフのような小さな子どもは、魔物が来たらそこへとじこめることになっている。蔵だけは丈夫なつくりだし、もしもの時の食糧もある。


 リュスはそっと、ルセルの家の戸を開けた。「ルセル?」

 小さな声で呼びかけたが、反応はない。リュスはウーフと一緒に、家のなかへ這入る。

 奥のほうから、複数のあしおとがして、大人が四人やってきた。家主のルセルも居る。「あら、リュス」

「なんかあったの?」

 今時分なら、まだ酒盛りをしているだろうと思っていたのに、四人は寝室方面から歩いてきた。ティノーヴァの風邪が悪化したのかもしれない。治癒魔法をつかえる者は居るが、風邪は治せる時と治せない時がある。大丈夫なのだろうか。

 四人は顔を見合わせる。

「気の毒なオークメイビッド人が、倒れちまったんだ」

「いもうとさんのこと?」

 オークメイビッド人は、綺麗だったが、()()な感じではなかった。だが、義理とはいえ妹が心配だろうし、旅の疲れが出たのかもしれない。

 四人は(かぶり)を振った。ルセルがいう。

「酒の所為だよ。気の毒なことをした。まさか、酒をあっためる匂いで酔う人間が居るとはな」

 リュスはぽかんとした。意味が解らなかったのだ。


 あたためた酒なんて、子どもだって酔わない。だが、オークメイビッド人はその匂いで酔い、ぶっ倒れて、今はうなされているらしい。

 リュスは呆れたが、気の毒だとも思った。オークメイビッド人は酒を吞まないのは、きっとオークメイビッドにまともな酒がないからだ、ここの酒を吞んだらオークメイビッド人も酒を好きになるに違いない……と、五年前に死んだじいさまがいっていたけれど、なんのことはない。オークメイビッド人は、酒を呑めないのだ。匂いを嗅いだだけでも倒れるのなら、酒を毛嫌いしても当然である。

「大丈夫なの?」

「ああ、トロエラの御仁が見てるよ。ゴブレットいっぱいの酒でぶっ倒れたこともあるそうだ。次の日ずっと、頭が痛いといっていたらしい。ひと捜しの邪魔になっちまったかな」

「でも、あれで酔うなんて、誰も思わないぜ」

「ふつか酔いの薬っていったら、酒だしなあ」

 大人達は心配そうに会話していたが、リュスは弟の手をひき、踵を返した。そんな状態では、集落の外の話は聴けまい。

 家に戻って、明日の朝にでも、ふたりを捕まえよう。それか、この辺りをさがすのなら、手伝いでついていくのはどうだろうか。


 リュスは色々と考えていたが、明日の朝、パンとチーズを持って、ふたりに手伝いを申し出よう、と考えたところで、広場にさしかかった。そこで、天幕が目にはいる。

 ふたりとも、おそらくルセルの家に泊まるだろう。オークメイビッド人は倒れてしまったし、ティノーヴァはそれを見ているそうだから。

 なら、この天幕は、今夜からのままだ。

 リュスはたちどまった。弟がその手をひっぱる。「にいちゃん」

「なあ、ウーフ」

 リュスは天幕から目をはなさなかった。

「ちょっとだけ、なかを覗いてみないか?」


 弟は反論しなかった。でも、楽しそうでもない。

 リュスは楽しかった。天幕のなかには、毛布とマントがあり、食糧の袋も置いてあったからだ。酒の仕込み始めの時期にしか目にしない、〈厄除けの蝶〉の包みも。ふたりはまったく、酒に祟られることなど予想していなかったのだ。

 リュスは、どうせあのふたりは朝まで戻らないだろうし、暫く自分達がここに居ても問題ない、と考えた。


 ウーフは眠ってしまった。外がこわいのでも夜がこわいのでもなく、単に眠くて、口数が少なかったのだ。リュスは弟を毛布で包み、ふたりの荷物をざっと検分した。勿論、〈厄除けの蝶〉が効力を失わないように、それには触らなかった。

 それから、弟のように、眠たくなった。

 ウーフは眠ってしまって、運ぶのが面倒だ。朝はやくに起きて、ここを出れば、誰にも解らないだろう。そのように思った。眠たいので、思考は不明瞭だ。

 目蓋が重い。リュスは、弟の隣に横になる。欠伸が出た。もう一枚の毛布にくるまり、弟を抱きかかえる。ウーフはやわらかくて、ミルクの匂いがする。

 リュスは眠った。


 リュスは目を覚ました。風が顔にあたった気がした。弟と一緒で、自分はこの子をまもる()()があり、この子の命に責任を持たないといけない、とリュスは考えるでもなく考えていたから、周囲の変化に敏感になっていた。

 リュスはなにか白っぽいものを見た。それはリュスの頭に手を伸ばしていた。いい酒のような、甘い匂いがした。リュスは大人達に散々聴かされてきた、子どもをさらう妖精の話を思い出した。そいつらは酒造りの上手な女もつれていく。

 リュスは生まれてこのかた、一番の恐怖を感じた。シオルアだ。ウーフをつれていかれる!

 リュスは悲鳴をあげた。


 そいつは驚いたようだった。天幕の布にぶつかり、骨組みを倒しながら跳ねるみたいな動きをして、外へ出て行く。リュスは突然の悲鳴に目を覚まし、泣きはじめたウーフを抱え、むちゃくちゃになった天幕の下から這い出た。

 あいつは逃げていく。月の光を浴びて、リュスにはその姿が見えた。

 大人の声がして、リュスは弟を抱えて泣き出した。


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