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集落 1


 ティノーヴァは、気配がして大声を出したのだといった。起こしてごめんと。だが、それは本当ではない。アーヴァンナッハには解った。嘘を吐いている人間は、なんとなく解る。大体、ティノーヴァは、嘘が下手だ。


 翌日ふたりは、本来メイノエとフィルラムが訪れる筈だった集落に、辿りついた。


 グリュシュタックの甘い匂いがする。もう時期は終わった筈だが、たしかに香りが漂っていた。

 ティノーヴァがすんと洟をすする。この子はどうも、風邪気味らしい。「グリュシュタックを酒にしてるみたいだな」

 成程、その匂いか。アーヴァンナッハは納得して、頷いた。グリュシュタックから酒をつくったらどうだのと、メイノエが書いていたではないか。

 やけに石が転がり、でこぼこした道を、ふたりは馬を宥めながら進む。集落は目に見えていた。つづら折りの坂道の先に、木製の塀がある。門番らしい子ども達が、短い槍を持って、その辺りに立ったり座ったりしていた。

 そのうちのひとりと、アーヴァンナッハの目があった。


 子どものうち三人は姿を消し、ふたりが坂を下りてくる。ふたりが残った。ティノーヴァが自然に、アーヴァンナッハの前に出る。「アーヴ、あんたはあんまり喋るな」

「何故だ?」

「田舎の人間は、オークメイビッドの人間にいい感情を持ってない」

 ティノーヴァは苦い口調で云った。アーヴァンナッハは頷く。端的にいってもらえるのは、とてもありがたい。ティノーヴァはまわりくどい喋りかたや、仄めかしを好まない。そこが好きだなとアーヴァンナッハは思う。

 メイノエも、フィルラムという少女の、あの開けっぴろげさが好きだったのではないだろうか。日記の文章から、フィルラムがさっぱりしていてつきあいやすい人間だというのは、よく解った。


 子ども達は裸足だった。槍を軽く突き出すみたいにして、ふたりに停まるよう告げる。ふたりはそれに従った。

 子どものひとり、体が大きくて、はしこそうな飴色の目をしている男の子が、さっと近付いてくる。「なんの用ですか?」

「ひとさがしだ。捜索隊が何遍か来たんじゃないか?」ティノーヴァが応じる。「フィルラム・トロエラと、メイノエ・フェアマティという、魔法学校の生徒を捜してる。俺はフィルラムの義理の弟で、ティノーヴァ・トロエラという。ノーシュベル三家のトロエラだ」

 ノーシュベル村がラツガイッシュでは名が通っているというのは、本当のようだ。男の子は目を瞠り、姿勢をただす。

 それにしても、ティノーヴァはこんなふうに、ひとと巧く喋ることもできるのだな。軍に居たら、本当に重宝したろう。


 ティノーヴァはアーヴァンナッハを示す。アーヴァンナッハは、軽くお辞儀した。

「こっちのアーヴァンナッハは、メイノエの義理の兄だ。アーヴァンナッハは、妹さんを捜す為に、ふた月もかけてやってきた。半分以上海の上だったんだ」

「海……それじゃあ、オークメイビッド人ですか」

「そうだ。妹さんは優秀な生徒で、卒業試験の最中に、おいはぎに襲われた。それから行方不明だ」

 オークメイビッドときいて、曇っていた男の子の表情が、憐れむようなものに変化した。ティノーヴァは身振りを交えて続ける。「妹さんはくにに、言い交わした相手があるんだ。卒業したらくにに帰って結婚する予定だった。はやく見付けてやらないと、可哀相だろう」

 男の子はなにか決意するみたいに頷いた。それからアーヴァンナッハに、同情するように数回頷き、くるっと翻って坂を駈け上る。「リュス、案内さしあげろ」

「おう」

 もうひとりの金髪の子が返事をする間にも、男の子は坂を猛烈な勢いでのぼっていった。


 残った子の先導で、ふたりは坂道を登る。途中、アーヴァンナッハは、低声(こごえ)でティノーヴァにいった。「あれは嘘になる。義妹(いもうと)は上級課程へ進むつもりだった

「でも、だめだったらくにに戻って結婚するって、日記に書いてただろう」

「試験に落ちたら卒業できないのでは?」

 ちょっと冷たくいうと、ティノーヴァは鼻で笑った。

「ご存じないらしい、親愛なるアーヴァンナッハ。俺が散々、〈口伝て鳥〉越しにフィルラムにきかされた話をしてやるよ。魔法学校の卒業試験は、評価は三段階で、一番いいのは上級課程への移籍。二番目にいいのが、上級課程へは行けないけど、卒業相当。悪いのは、留年、もしくは退学勧告だ。俺は嘘はいってない。上級課程に進めなくても、卒業できる成績ってことはあるんだから」

 理路整然とやりかえされ、アーヴァンナッハはぐるっと目をまわす。それを見たティノーヴァは、笑うのをこらえたようだった。


 ティノーヴァは洟をすすっている。熱が出てきたのか、目がとろんとしていた。休ませてあげたいが、アーヴァンナッハはそういいだせなかった。急がないと大変なことになる、と、不安なのだ。どうしてだか、この辺りに来てから、その不安が常にある。

 ふたりは集落に立ちいることをゆるされたが、馬は預けないといけないらしい。下馬して、手綱を子ども達に任せた。

 塀の向こうへ這入ると、集落の代表者だという、二十歳くらいの女性が来て、ふたりを家に招いた。ふたりは女性について歩く。

 集落のなかには、素朴な石造りの家が、幾つかあった。どの家も扉を開け放っている。広場のようなところで、子ども達がなにかの道具を一生懸命掃除していた。ティノーヴァがぼそっとささやく。「圧搾機だ」

 ここは、フィルラム嬢が見付けた集落ではないだろうな、と、アーヴァンナッハは思った。見たところ、この集落を見ることができそうな木は、近辺にはない。森はあるが、集落より背の低い木ばかりだった。あの森の木にのぼったところで、塀もあるし、家屋があることは解るまい。もしあの森が、義妹(いもうと)達の逃げ込んだ森だとしたら、フィルラムは「屋根が見えた」ではなく、「塀が見えた」と書いた筈だ。


 進められるまま椅子に座り、アーヴァンナッハは招かれた礼をいおうとした。が、ティノーヴァが遮っていう。

「名前はきいてるだろう。本題にはいりたい」

 失礼ではないかと思ったが、それでいいらしかった。女性が神妙な顔で頷いて、羊皮紙を綴ったノートをとりだしたからだ。

 それは、この集落での、酒の醸造の記録だった。ふたりが行方不明になったのは、丁度グリュシュタックの収穫の時期で、いついつにどれだけ収穫した、というような記録が残されている。

 女性はノートをめくり、向きをかえると、あるページを指で示した。

「集落のまわりの森は、わたし達で管理しています。でも、少し離れたところにある、ひとの手がはいっていない森にも、収穫に行くことがあるんです。ひとの手で育てられたグリュシュタックだけだと、お酒の味が単調になるし、香りが足りないので」

 アーヴァンナッハは、女性が指さすところへ目をやる。さいわい、レフェト語だ。


 魔物の痕跡? 人間?

 収穫諦める


 とあった。農村でも読み書きは教えるというのは、本当らしい。字は整っていて、綺麗だった。


「捜索隊が、行方知れずになった女の子達はグリュシュタックを食べてた筈だっていうんで、話したんですが。これ、人間が食べたんじゃないかって、いってたんです。どうも、そんなような感じがしたって、アルダムのおばあさまが」

「そのかたがこの記録を?」

「はい」

 ふたりは目を見合わせる。ティノーヴァが急き込んでいった。

「それじゃあ、そのひとに会えないか? くわしく話をききたい」

「ごめんなさい」

 女性は申し訳なそうに、眉尻を下げた。ノートをたたみ、胸にぎゅっと抱く。「おばあさま、伏せっていて、ひとに会える状態じゃないんです。ほんとはこの村の代表も、おばあさまで、わたしは代理なんです」


 女性は、それでも、できる限り、その「アルダムのおばあさま」がいっていた話を、再現してくれた。

 おばあさまは、馬車で幾つかの場所をまわって、グリュシュタックを集めていたそうだ。

 酒をつくるのにいいグリュシュタックが、具体的にどこにあるかは、集落の人間それぞれの秘密であるらしい。酒は集落で管理するが、仕込んだ人間によって味が少しずつ違う。それをひっそりと競い合っているのだ。特に、上の年代にはそれが顕著だという。

 だから、はっきりとどこへ行ったか、は、解らない。一応、集落の共同記録として遺してはいるが、場所の記載は義務ではないからだ。

 ただ、アルダムのおばあさまは朝はやくに出て、夜には戻るので、日帰りできる範囲であるのは間違いないらしい。

 その日、収穫から戻ったおばあさまは、樽いっぱいのグリュシュタックを持って帰ったが、不安そうだった。きけば、森で迷いそうになったという。自分ももうろくしたかと、動揺していた。

 その時に、魔物か人間がうろついているようだった、ともいっていた。自分の秘密の場所が誰かに知られたのではと疑ってもいたらしい。


 ひと晩、集落に世話になると決まった。急ぎたいが、休息が必要なのも事実だ。一晩休むのはいい選択だ。頭ではわかっていても心がいやがるのはどうしてだろう。水は分けてもらったが、ベッドはかりず、広場に天幕を張った。ティノーヴァはそつがなく、代表の女性に幾らか包んでいた。

 ティノーヴァがしきりに洟をすすっているので、風呂にはいるようすすめられ、ふたりは集落で一番大きい家に放りこまれた。アーヴァンナッハは面喰らった。オークメイビッドだと、風邪気味の時には風呂にははいらないが、ラツガイッシュでは違うらしい。

 なにはともあれ、風呂はいい。ふたりともさっぱりして、食事に招かれたので、承諾した。そこでアーヴァンナッハは意識を失った。どういう訳だか、招かれて這入った部屋のなかに、きつい酒の匂いが充満していたからだ。


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