義兄、義妹を捜す 2
義妹は、試験へうかったら上級課程へ進むことをゆるしてほしいといっていたが、アーヴァンナッハははやく戻って結婚してほしかった。義妹のわがままをゆるした両親も、義妹の失踪に一役買ったのだ。わたしの提案を受け容れて、素直に結婚していれば、義妹はサートゥン・オルアムと一緒に本でも読んで楽しく過ごしていただろう。今頃姪か甥でも拝めたかもしれない。
そんなような思考がぱっと脳裏にひらめいて、アーヴァンナッハはしかめ面になっている。
魔法学校の敷地は、それまでとは雰囲気が違う。地面には石畳などなく、下生えが生い茂っていた。義妹から二年、入学年が下の、黄色い宝石の子達が、ぺちゃくちゃとお喋りしながら草むしりしている。
庭師にやらせればよかろうに、と思ったが、どうやら単なる草むしりではなく、必要な草を摘んでいるらしい。錬金術は身近なものから効果的な薬をつくるのだ、それを普及させたらオークメイビッドははやり病に襲われても平気だ、と、義妹がいつだったかに喚いていた。あれは優しいのだが、度が過ぎる。
白亜の学舎は城のようだ。オークメイビッドの王城よりも立派かもしれぬ、と、それを見てアーヴァンナッハは思う。不遜だろうかと自問して、少しだけ笑った。
学舎は白い壁に、青い屋根だ。門は、先程くぐった門と同じく、とりつけられた扉が開け放たれている。そして門衛は居ない。
アーヴァンナッハはおそるおそる、学舎に這入りこんだ。白い床には、一部にじゅうたんが敷かれている。こんなふうに切れ目なく長いじゅうたんは、見たことがない。
アーヴァンナッハは玄関広間の天井が高いのと、そこから長い鎖をつかって灯がぶらさがり、炎が揺らめいているのを見て、呆然とした。黄色い宝石の生徒達が、挨拶しながらアーヴァンナッハのわきをすり抜けていく。
「こんにちは」
右方向から声がして、アーヴァンナッハはそちらへ顔を向ける。白髪頭の女性が立っていた。
淡い紫色の、細身のドレスを着て、灰色がかった白のマントをつけている。年齢は、三十手前、というところだろうか。
「どういったご用件でしょうか?」
女性は微笑んでそういったが、アーヴァンナッハが手にした傘を見ると、目を瞠った。「それは……」
アーヴァンナッハは、女性の部屋に通された。
といっても、そこで寝泊まりするような部屋ではない。アーヴァンナッハには正体の解らない、がらす壜やらなんやら、それに本棚と大量の本、幾つもの卓上ランプ、乱雑に置かれた花束、などでごちゃついたところだ。ベッドはないし、ひとがひとりでつかう部屋にしては、やけにひろい。
戸惑うアーヴァンナッハは、がたつく椅子に座らされた。
女性はアーヴァンナッハに、得体の知れない茶色いものの注がれたマグを渡し、自分も同じもののはいったマグを持って、アーヴァンナッハの向かいに座る。ふたりの間にはテーブルがあり、女性はその上に置いてある本や紙束を、乱暴に腕でわきへ押しやった。
アーヴァンナッハは目を白黒させた。オークメイビッドの女性は、このような振る舞いはしない。やはり、義妹をここへ寄越したのは、失敗だった。
女性は、イスキア・アニマフとなのった。魔法学校の教官で、義妹をうけもっているらしい。やはりこのようなところへ寄越すのではなかった、とアーヴァンナッハは強く思った。
義妹はすぐに泣きべそをかいて、ぐじぐじとしているが、女らしいたしなみや優しさ、ゆかしさを持っている。従順で御しやすいのは、美徳だ。結婚に失敗しにくい。
それと比べて、指導教官はどうであろう。見た目は女だが、軍の男どものような粗雑さだ。これに三年も指導された義妹は、よいところを失っているかもしれない。
アーヴァンナッハはなのろうとしたが、その必要はないそうだ。義妹のつくった傘を見て、解ったらしい。入学時に、家族構成などは学校へ知らせてある。
「妹さんのことでいらしたのでしょう。遠いところを、よく……」
「義妹は、国許に許嫁があります」
イスキアは同情するようにいったが、アーヴァンナッハは切り口上で返す。「未婚の娘が、名誉をけがされるようなことがあってはならないので、失踪はおおやけにはしていません」
「ああ、申し訳ありません、ここではそういった考えはあまりその……なくて。捜索隊は出しています」
アーヴァンナッハは仏頂面で頷く。本当は、そのような騒ぎにしてほしくなかった。義妹のことだから、なにかへまをやったか、試験の様子が思わしくなくて逃げたか、どちらかだ。騒げば騒ぐ程、戻りづらくなるだろう。
イスキアはマグを置いて立ち上がり、本棚へ向かう。アーヴァンナッハもマグを置いた。中身は甘い匂いがしているが、なんなのか解らないものを飲む気にはなれない。たとえ、同じポットから注がれた液体を、イスキアがおいしそうに飲んでいるとしても。
イスキアが、本を手に戻ってきた。濃い茶色の皮装丁で、赤で草の模様が、緑で文字が書いてある。ラツガイッシュの公用語のひとつ、ウル語で書いてあるので、アーヴァンナッハはそれが文字だということしか認識できなかった。
イスキアがテーブルへ本を置き、開く。アーヴァンナッハは息をのんだ。そこには、義妹の手跡が見えたからだ。
「これは、〈手紙の本〉といいます」
イスキアが説明している。アーヴァンナッハは本から目をはなさない。
「仕組みは、〈口伝て鳥〉のようなものです。あれよりももう少し複雑ですが。要するに、これと対応した本に書かれたことが、こちらに映し出されるんです。こちらから報せることは、残念ですができません」
イスキアは本を閉じる。アーヴァンナッハは顔を上げた。表情が険しくなっているのは、自分でも解る。
「今、おいはぎという文字が見えたが?」
「妹さんは、同室の生徒と一緒に、試験会場であるエイフダーマ村へ向かっていました。その途中、おいはぎに襲われたようです」
アーヴァンナッハは立ち上がる。イスキアが少し大きな声でいう。「ですが、ふたりは逃げて、無事でした。でなくば、この本にそのことが書かれている筈がありません」
「……あ、ああ、そうか」
アーヴァンナッハは腰をおろした。息を整える。
「で? それを読ませてはもらえないのだろうか」
「写しであれば。この本は、学外持ち出しが禁じられていますので」
アーヴァンナッハは頷く。遠くに居る筈の義妹が、この本に直に書きこんだように、文字がうつしだされる本だ。なにか高度な魔法がかかっているのだろう。それを持ち出すことがゆるされないのは、当然といえば当然である。
義妹の手跡を見せ、義妹が書いたことは納得させて、写しを寄越す。成程な、と、アーヴァンナッハは思った。
写しは、羊皮紙を綴ったノートだった。手跡は違うが、義妹が残した文章が詰まっているのだ。宿を見付け、部屋をとって、じっくり読まなくてはなるまい。
アーヴァンナッハは、写しをかしだしてもらうまでの煩雑なやりとりを思い出した。同室の女生徒の書いた部分もあることを説明があり、更に錬金術的な考察や、薬の調剤法やなにかについて書いてある部分については、決して他言しないと約束させられた。妹さんや同室の学生の功績になるかもしれませんから、と、イスキアは子どもにいってきかせるように、アーヴァンナッハにいった。
そのような心配は無用である。アーヴァンナッハは錬金術なんて解らないから、他人に説明のしようがない。そして、義妹に関する醜聞をひろめる意図もないのだから、そもそも他人にこれを見せるなどありえないのだ。
イスキアは、少しの時間であればこの部屋をつかっていい、というようなことをいい、アーヴァンナッハを残して出ていった。
アーヴァンナッハはノートを開いた。