東へ 2
ティノーヴァはメイノエを見たことがない。生徒達は口々に、メイノエは不美人だといった。当人も、日記に書いていた。
だが、メイノエはきっと美人だろうと、ティノーヴァは思う。親同士がいとこのアーヴァンナッハが、このように綺麗なのだから。
ティノーヴァは、〈厄除けの蝶〉がひらひら飛ぶのを見、その向こうに居るアーヴァンナッハを見る。アーヴァンナッハは髪をくしけずっていた。オークメイビッドの女は皆、アーヴのように美しいんだろうか。
ふたりは川沿いに天幕を張り、適当な木に馬をつないで、ビスケットとチーズの夕食を済ませ、川で簡単に手足と顔を洗ったところだ。ティノーヴァは空を仰いで、月や星がきらめいているのに安堵する。暗闇は嫌いだ。こわいことが起こる。
〈厄除けの蝶〉は、義姉達のような贅沢はできず、ひとつだけ飛ばした。これでも充分に効果を発揮する筈だ。そういえば何度か、〈厄除けの蝶〉の効果が切れたとか、かえたという記述があったけれど、どうしてだろう。〈厄除けの蝶〉は大概、ひと晩もつ。それ以上もつことだってある。それに、数多く飛ばせば、魔法力が相互に干渉して、その分効果時間は長くなる筈だ。
〈厄除けの蝶〉は、蝶の形をした、魔除けだ。丈夫な布に、細かい模様をぬいとってつくる。どうにかして、魔法力を込めると、本物の蝶のように宙を舞う。〈厄除けの蝶〉があれば、その場に魔物は近寄れない。
ひと晩もつから、野営の時は安全の為に飛ばす。だが、決して安いものではない。ひとつで半銀貨8枚だ。二十個で、馬と同じ値段になる。
アーヴァンナッハが戻ってきて、天幕へはいった。ティノーヴァもそうする。〈厄除けの蝶〉の効果範囲はひろくないから、天幕はひとつだ。ふたりはそれぞれ毛布に包まり、眠った。
気配に目が覚めた。ティノーヴァは毛布をぱっとはねのけ、剣のさやを掴んで外へ出る。アーヴァンナッハが続いた。
〈厄除けの蝶〉が落ち、かわりにこうもりが舞っている。ふたりは剣をぬいて、騒々しい連中を切り伏せていった。
東の空が白んでくる頃、生き延びたこうもりは引き揚げていった。ふたりは返り血まみれの互いを笑った。
生憎、〈無限の鞄〉はないし、解体の知識もない。こうもりの死骸はそのままにして、川で体を洗い、清潔で乾いた服にかえたふたりは、天幕を片付けて出発した。
馬上でビスケットを食べる。「〈厄除けの蝶〉が、日ものぼらぬうちに落ちるとは」
「品質のよくないものを掴まされたのかもな」
「ああ……」
その日はそれですんだ。問題は、次の日だ。
やはり、川近くに天幕を張り、〈厄除けの蝶〉を飛ばして眠りについたふたりだったが、その晩も〈厄除けの蝶〉は途中で力尽きた。ふたりは狼に襲われ、撃退したが、寝不足で欠伸ばかりしていた。
用足しをし、水を飲み、食料を口へ詰め込んで、馬に塩を与え、その辺の草を食べさせる。それだけの作業が眠くてつらい。「今夜はふたつ飛ばすか、見張りを立てるかだ」
「ふたつ飛ばそう」ティノーヴァは即答した。「アーヴァンナッハ、お前、死人みたいな顔色をしてる」
アーヴァンナッハはうっすら紫色になった唇を、無理に笑みの形にした。
ふたりの抵抗は巧くいかないようだった。その晩も、よなかに遠吠えで起こされ、ふたりは狼を数匹殺した。
アーヴァンナッハは、そもそもぐっすり眠れていないらしい。それなのに、よなかに叩き起こされることが続いて、馬にのっての移動中に、こっくりこっくり舟をこぐありさまだ。「アーヴ」
「なんだ」
「提案がある。今夜は寝ない」
アーヴァンナッハはあおざめた顔をこちらへ向けた。ティノーヴァはいう。「天幕も張らなくていい。あんたは寝て、俺は起きてる。こんなに〈厄除けの蝶〉が落ちるのはおかしい。ふたつ飛ばして朝までもたないのは異常だ」
「しかし」
「義姉さん達も、〈厄除けの蝶〉が落ちてたとか、かえたとか、書いてたろ。なにか関わりがあるかもしれない」
ティノーヴァの言葉には説得力があったのだろう。アーヴァンナッハは、渋々だが、頷いた。
ふたりはその晩、天幕を張らなかった。毛布を体にまきつけて、馬をつないだ木に寄りかかり、〈厄除けの蝶〉が舞うのを見ていた。アーヴァンナッハはすぐに眠り、ティノーヴァの肩に頭をもたせかけて、寝息を立てた。
〈厄除けの蝶〉は舞い続けている。絹糸の刺繍が、星あかりにきらきらと光る。ティノーヴァは寝てしまわないように、眠気が差すと、アーヴァンナッハの顔を見た。赤ん坊のように無垢な寝顔だ。きっとメイノエも、こういう顔で眠るのだろう。日記を読む限り、よく似たきょうだいだから。
その夜、〈厄除けの蝶〉は落ちなかった。




